人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

黒田三郎『歴史』

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前回の『数える』は日常的なディテールに徹することで優れた詩になっていた。やや暗喩的なのは「駅」だけだが、村上春樹の新作中の「駅」と較べてほしい。
今回からは、黒田の遺作詩集(逝去の前年刊行)「死後の世界」1979からご紹介する。「ふるさと」1974から「死後の世界」の間には「流血」1976(「定本黒田三郎詩集」増補版所収)と「悲歌」1976があるが、どちらも短詩を集めた小品集で、本格的な詩集としては久しぶりになる。
この詩集で詩人は再び社会的関心を主題にするが、60年代までのように理想主義的な主張はここにはない。黒田の社会主義的な作品はこれまでご紹介していないが、率直に言ってそれらは無理の目立つ失敗作が大半だった。大衆と一体化しようとしてかえって稀薄な実感しかもたらさない、どこかそらぞらしいものになりがちだった。
「死後の世界」では詩人は等身大で社会的関心を作品化することに成功する。やや時事的、かなり自伝的だがそれは仕方あるまい。

『歴史』黒田三郎

僕が鹿児島市の隅っこの
小さな小学校の一年生になったとき
新潟県の雪深い農村の小学校に
田中角栄という一年生も入学した筈だ
もう五十何年も昔のこと

最近の
五十年余りの
歴史が
こういう形で見えて来たのは
つい最近のことだ

中学で同級の
無口でおとなしい小柄の友人が
今では統幕議長になって
赤旗』のロッキード事件告発者のなかに
名前をつらねている

まだ金脈問題が表面化しないころ
日雇い労働者のような大学講師である僕は
文藝春秋』をよんだひとはいるかいと
大学の教室できいてみた
たった二人手を挙げたのを覚えている

「大人はなぜ戦争に反対しなかったのかと
青年たちは言うけどね
歴史ってのは、ね
文藝春秋』をよもうがよむまいが
進行するんだよ」

何が進行しているのか知らないうちに
歴史は進行する
終ってしまってから
三十年たち五十年たち
それから

歴史の教科書で
僕らは歴史を教わるが
しかし
誰だって
歴史のなかで生きているのだ

あの三十五年前の十二月八日
学生だった僕は寝すごして
おひるになって起き出したら
下宿中が軍艦マーチで湧き立っていて
ただ呆然としたものだ
(詩集「死後の世界」より)