人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

黒田三郎『笑いの向うに』

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詩集「死後の世界」1979は結果的に黒田三郎(1919-1980)の遺作詩集になった作品集だが、黒田自身には晩年の予感はなく、年齢的にもまだ初老にすら達していない。ムードとしてはまだ中年期の後期にある読後感がある。もっとも寛いで読め、充実した内容が伝わってくる詩集であり、十分に成果を遺した詩人だが70代~80代まで行けただろうと思うと、60代になったばかりの早逝が惜しまれる。
今回はすでにご紹介した二編、『歴史』『記録』と緩い三部作をなす。『歴史』が田中角栄と軍艦マーチ、『記録』天皇越中ふんどしから詩を汲み上げていたように、今回は越中ふんどしと従軍戦死者から歴史の不安を炙り出す。「活字の越中ふんどしだって/無言で語ることがあるのさ」に到るまでの4行はこの作品のピークで、かつての社会派詩人がより成熟した視点で歴史を見据えて到達した地点だろう。この作品も一編をノンストップの一連に構成して効果をあげている。

『笑いの向うに』黒田三郎

広辞苑越中ふんどしをひいてみたというと
みんな笑いを浮べて
いまでは女性も恥ずかしがりもせず
明るく「どんなの」とたずねる
日本の男がしめていた六尺を
倹約して半分の三尺にしようと
越中守という殿様が考えついたらしいのさ
つまり手拭の端に紐をつけたようなものさ
越中ふんどしの話をする僕の心の中では
しかし静かに流れるものがある
海ゆかば水漬く屍
山ゆかば草むす屍
大君のへにこそ死なめ
かえりみはせじ」
ことばもメロディも美しいが
流れる血汐
屍に湧く蛆虫
雨中に散らばる白骨
見るも無惨な屍体の山
戦争で死んだ数百万の兵隊たちは
生きていたときはみな
ズボン(とは言わなかったが)の下に
越中ふんどしをはいていた
いまではその越中ふんどし
広辞苑でひいてみる時代になったが
美しく巨大な新宿のビル街を透してふと
廃墟に生い繁る雑草の見える日があるように
活字の越中ふんどしだって
無言で語ることがあるのさ
僕も越中ふんどしをはいていたことがある
洗濯してもしみこんだ汚れが落ちないほど
汚れて茶褐色に変じた越中ふんどし
いまでは白髪の死に損ないだけれど
まだ二十歳を過ぎたばかりの青年だったよ
(詩集「死後の世界」より)