人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

黒田三郎の詩(前編)

(黒田三郎<大正8年=1919年生~昭和55年=1980年没>)
f:id:hawkrose:20200604005256j:plain
 黒田三郎(大正8年=1919年2月26日生~昭和55年=1980年1月8日没)は広島県呉市に生まれて鹿児島に育ち、戦国詩の詩人グループ「荒地」に拠った詩人です。詩集は『ひとりの女に』(昭森社・昭和29年=1954年6月)、『失はれた墓碑銘』(昭森社・昭和30年=1955年6月)、『渇いた心』(昭森社昭和32年=1957年6月)、『小さなユリと』(昭森社昭和35年=1960年5月)、『もっと高く』(思潮社・昭和39年=1964年7月)、『時代の囚人』(昭森社・昭和40年=1965年10月)、『ある日ある時』(昭森社・昭和43年=1968年9月)、『定本黒田三郎詩集』(新詩集『羊の歩み』収録、昭森社・昭和46年=1971年6月)、『ふるさと』(昭森社・昭和48年=1973年11月)、『悲歌』(昭森社・昭和51年=1976年1月)、『死後の世界』(昭森社・昭和54年=1979年2月)、『流血』(思潮社・昭和55年=1980年5月)の12冊がありますが、刊行は必ずしも制作順ではなく、『失はれた墓碑銘』と『時代の囚人』は『ひとりの女に』以前の昭和20年代に『荒地詩集』に発表された戦後の初期作品をまとめた初期詩集に当たり、没後刊行詩集『流血』は『ふるさと』と『悲歌』の間に刊行された『増補版・定本黒田三郎詩集』(昭和51年=1976年)収録の新詩集分の独立単行本化です。思潮社の「現代詩文庫」版『黒田三郎詩集』(昭和43年=1968年1月)に『ある日ある時』までの詩集(『ひとりの女に』『小さなユリと』は全編)がまとめられ、「新選・現代詩文庫」版『黒田三郎詩集』(のちに『続・黒田三郎詩集』と改題、昭和54年6月)に『ある日ある時』からの追加詩篇と未刊詩集『流血』を含む『死後の世界』までの詩集がまとめられていますので、没後の『黒田三郎全集』の全詩集によらずとも現代詩文庫版でほぼ黒田三郎の全詩集を読むことができます。

 黒田の功績は戦後詩にあっていち早く「詩人であることを特権としない」立場から作風を確立したことです。大手拓次は詩友への手紙に「私といふ人間は、芸術をはなれたら、一文の価値もない人間だ」(大正9年12月、逸見亨宛て)と書き送っていましたが、戦前の詩人たちは大なり小なり、無名詩人だった大手拓次のような詩人が自分を卑下する時ですら詩人であることを特権としていました。「荒地」の詩人たちには詩人を特権化しない共通認識がありましたが、それでも知的エリート意識は依然として残っていたのです。黒田三郎の詩は同世代の「荒地」同人でも戦前のモダニズム詩からの影響が少なく、初期は民主主義的な題材を扱った作風でしたが、結婚生活から日常的な恋愛詩に転じた画期的な詩集『ひとりの女に』から内省的な日常詩に独自の作風を確立しました。黒田が読者の共感を呼ぶ数少ない現代詩人として幅広い支持を獲得できたのはそうした資質を生かし得たことによります。まず『ひとりの女に』の続編をなす『小さなユリと』からご紹介しましょう。詩集全体が連作をなしていますのでこの詩だけでは背景の説明が不足していますが、当時黒田夫人は結核治療で長期入院しており、NHK勤務の詩人は保育園と託児所に女児を預けながら家事と育児を一手に引き受けていました。『ひとりの女に』と女児の言葉使いから夫人は裕福な上流中産階級の出身で、祝福された結婚ではなかったことがわかります。60年後の現在に読むとホームドラマ的な感傷性が感じられますが、当時この詩は多くの読者の共感を呼んだのです。

「夕方の三十分」

 黒田三郎

コンロから御飯をおろす
卵を割ってかきまぜる
合間にウィスキーをひと口飲む
折紙で赤い鶴を折る
ネギを切る
一畳に足りない台所につっ立ったままで
夕方の三十分
僕は腕のいいコックで
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリの御機嫌とりまで
いっぺんにやらなきゃならん
半日他人の家で暮したので
小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

「ホンヨンデェ オトーチャマ」
「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
卵焼をかえそうと
一心不乱のところに
あわててユリが駈けこんでくる
「オシッコデルノー オトーチャマ」
だんだん僕は不機嫌になってくる

化学調味料をひとさじ
フライパンをひとゆすり
ウィスキーをがぶりとひと口
だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
「ハヤクココキッテヨォ オトー」
「ハヤクー」

かんしゃくもちのおやじが怒鳴る
「自分でしなさい 自分でェ」
かんしゃくもちの娘がやりかえす
「ヨッパライ グズ ジジイ」
おやじが怒って娘のお尻をたたく
小さなユリが泣く
大きな大きな声で泣く

それから
やがて
しずかで美しい時間が
やってくる
おやじは素直にやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向かい合ってふたり坐る

(詩集「小さなユリと」より)

 次にご紹介する詩は知名度は「夕方の三十分」に大差をつけられますが、「夕方の三十分」は父子家庭状態の父親の育児詩という、もしかしたら世界的にも黒田三郎が初めて題材にしたテーマ(映画ではチャップリン小津安二郎が先鞭をつけていましたが)で際立っていました。これは一見何でもないことのようですが、未開拓のテーマを開拓した詩など滅多にありません。しかし「夕方の三十分」が60年後の現在やや古びて見えるのは一方的に父親の悲哀という観点(女児の悲しみはあまり描ききれていません)から書かれているからで、それは作者も気づいていたでしょう。詩集で連続して載せられている「九月の風」はもっと引いた視点から夫・妻・女児の哀しみをさりげなく均等に描くことに成功しており、抑制のきいた表現の簡潔さは「夕方の三十分」をしのいでいます。漢字とかなの表記法の配分、淀みないながらも一語一語に重みのある語彙の選択と改行、自然なスタンザ(連)の流れ、頻繁に切り替わりながら的確に読者が把握できる視点の移動、とため息が出るほど美しい詩です。しかも一見平易ですが文体は不規則かつ文法的に不完全で、「夕方の三十分」の小気味いい文体とは意図的に対照をなしています。日本語の美しさを感じさせる詩は古来からありますが、むしろ優れた詩ほど詩人独自の感受性を誇るものになりがちです。その点でも黒田は詩人の感受性の特権に頼らず、ありふれた生活から非凡な詩を書いた人で、これは戦後の現代詩で初めて実現されたことでもあります。

「九月の風」

 黒田 三郎

ユリはかかさずピアノに行っている?
夜は八時半にちゃんとねてる?
ねる前歯はみがいてるの?
日曜の午後の病院の面会室で
僕の顔を見るなり
それが妻のあいさつだ

僕は家政婦ではありませんよ
心の中でそう言って
僕はさり気なく
黙っている
うん うんとあごで答える
さびしくなる

言葉にならないものがつかえつかえのどを下ってゆく
お次はユリの番だ
オトーチャマいつもお酒飲む?
沢山飲む? ウン 飲むけど
小さなユリがちらりと僕の顔を見る
少しよ

夕暮の芝生の道を
小さなユリの手をひいて
ふりかえりながら
僕は帰る
妻はもう白い巨大な建物の五階の窓の小さな顔だ
九月の風が僕と小さなユリの背中にふく

悔恨のようなものが僕の心をくじく
人家にははや電灯がともり
魚を焼く匂いや揚物の匂いが路地に流れる
小さな小さなユリに
僕は大きな声で話しかける
新宿で御飯たべて 帰ろうね ユリ

(詩集「小さなユリと」より)

 黒田三郎の画期的な詩集『ひとりの女に』は全11篇(続編『小さなユリと』も全12篇)の小詩集ですが、思想的・社会批評的な「荒地」グループの中でも人道的な視点から民主主義寄りの作風で知られた詩人が突然純粋な恋愛詩集を編んだことでも注目を集めました。次についてご紹介するのは詩集巻頭から連続する4編で、瑞々しい佳作ぞろいですが、次の詩集『渇いた心』からさらに次の『小さなユリと』に洗練と完成度を高めていく作風の変遷を知る後世の読者には、まだ試作の段階に見えます。先に『小さなユリと』からの2篇を引いたのはそのためです。また、一見この詩集は素朴な恋愛詩集に見えますが階級意識を含むことで初期の民主主義詩的テーマの延長にもあり、スタイルの確立途上にある未完成さゆえに多様な解釈が可能なので、極端な例では西脇順三郎黒田三郎に寄贈された『ひとりの女に』を読んでプルーストの『失われた時を求めて』の世界ですね、と私信で称賛してくれたそうです。そうした広がりをこの詩集は持っているので、『ひとりの女に』はごく日常的な題材を日常的な感覚で描いた恋愛詩集ながら、作品自体はどこか抽象的な静謐さに満ちています。これは計算したものではないでしょう。作者自身がここでは文字通りに茫然とし、自分がおかれた状態に驚嘆していると素直に享受すべきでしょう。

「それは」

 黒田 三郎

それは
信仰深いあなたのお父様を
絶望の谷につき落とした
それは
あなたを自慢の種にしていた友達を
こっけいな怒りの虫にしてしまった
それは
あなたの隣人達の退屈なおしゃべりに
新しいわらいの渦をまきおこした
それは
善行と無智を積んだひとびとに
しかめっ面の競演をさせた
何というざわめきが
あなたをつつんでしまったろう
とある夕
木立をぬける風のように
何があなたを
僕の腕のなかにつれてきたのか

(詩集「ひとりの女に」より)

「もはやそれ以上」

 黒田三郎

もはやそれ以上何を失おうと
僕には失うものとてはなかったのだ
河に舞い落ちた一枚の木の葉のように
流れてゆくばかりであった

かつて僕は死の海をゆく船上で
ぼんやり空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと坐っていたことがある

今は今で
たとえ白いビルディングの窓から
インフレの町を見下ろしているにしても
そこにどんなちがった運命があることか

運命は
屋上から身を投げる少女のように
僕の頭上に
落ちてきたのである

もんどりうって
死にもしないで
一体だれが僕を起こしてくれたのか
少女よ

そのとき
あなたがささやいたのだ
失うものを
私があなたに差上げると

(詩集「ひとりの女に」より)

「まるでちがって」

 黒田三郎

僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じネクタイをして
昨日と同じように貧乏で
昨日と同じように何も取柄がない
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
なるほど僕は昨日と同じ服を着て
昨日と同じように飲んだくれで
昨日と同じように不器用にこの世に生きている
それでも僕はまるでちがってしまったのだ
ああ
薄笑いやニヤニヤ笑い
口をゆがめた笑いや馬鹿笑いのなかで
僕はじっと眼をつぶる
すると
僕のなかを明日の方へとぶ
白い美しい蝶がいるのだ

(詩集『ひとりの女に』より)

「賭け」

 黒田三郎

五百万円の持参金付きの女房を貰ったとて
貧乏人の僕がどうなるものか
ピアノを買ってお酒を飲んで
カーテンの陰で接吻して
それだけのことではないか
新しいシルクハットのようにそいつを手に持って
持てあます
それだけのことではないか

ああ
そのとき
この世がしんとしずかになったのだった
その白いビルディングの二階で
僕は見たのである
馬鹿さ加減が
丁度僕と同じ位で
貧乏でお天気屋で
強情で
胸のボタンにはヤコブセンのバラ
ふたつの眼には不信心な悲しみ
ブドウの種を吐き出すように
毒舌を吐き散らす
唇の両側に深いえくぼ
僕は見たのである
ひとりの少女を

一世一代の勝負をするために
僕はそこで何を賭ければよかったのか
ポケットをひっくりかえし
持参金付きの縁談や
詩人の月桂冠や未払の勘定書
ちぎれたボタン
ありとあらゆるものを
つまみ出して
さて
財布をさかさにふったって
賭けるものがなにもないのである
僕は
僕の破滅を賭けた
僕の破滅を
この世がしんとしずまりかえっているなかで
僕は初心な賭博者のように
閉じていた眼をひらいたのである

(詩集『ひとりの女に』より)

 12冊ある黒田三郎の詩集を通読すると、黒田三郎の詩集は昭和45年(1970年)頃を節目に作風の振り幅が小さくなるのに気づきます。それまでの全詩集『定本黒田三郎詩集』は昭和46年(1971年)に刊行されましたが、そこで編まれた新詩集『羊の歩み』に含まれる1968年~1971年の詩篇で50歳を迎えた詩人は、それまで『ひとりの女に』や『小さなユリに』のような統一した題材の詩集でしか実現できなかったムードを、多彩な題材からでも一貫させることができるようになっています。詩集の中で連続する「誕生日」「五十歳」の2篇はごく平凡な感慨で、初期の社会派詩人の面影はまるでないように見えます。かつての緊張をはらんだ生活詩とも違っています。黒田三郎の詩集への評価はこの辺で分かれてくるのもうなずけます。しかし「五十歳」で詠われる初老への感慨は、『ひとりの女へ』や『小さなユリと』の詩人ならではのものに違いないのです。

「誕生日」

 黒田三郎

五十歳の誕生日を
ぎっくり腰で寝て暮した
外ではブルドーザの音が響き
遠くで子供の声がする
時々犬が吠える
遠い世界

枕許に
一冊の新しい僕の詩集がある
友人や知己の
あたたかいことばにつつまれて
そこにかるがると
僕の一生がある

それがどんなにみじめで
それがどんなに心貧しくても
それは僕の一生なのだ
それ以外に僕の一生はない
だがいまは
そこにそれがあるだけでこころが重い

こころが
ちりぢりにちらばり
世界の騒音のなかに
まぎれこんでいったら
そうしたら
どんなにせいせいすることか

武蔵野の雑木林を歩き疲れて
一本の酒と一椀のそばに
われを忘れる
そんな具合だったら
どんなにいいか
ぎっくり腰で寝ている誕生日

(「定本黒田三郎詩集」1971年版・『羊の歩み』より)

「五十歳」

 黒田三郎

あたりいちめんの道
長年の勤めで通いなれた道なのだが
けさはまるで新しい道のように
僕はこの道をいそぐ
木立や畑のなかの
曲りくねった道
ふと誰彼に言ってやりたい気もする
別に死に急いでいるわけではないのですよ

娘は高等学校の
息子は小学校の
教室に
今ごろはよそ行きの顔をして
坐っていることだろう

僕だって得意だったことがある
まだ三つくらいの娘と町を歩いて
可愛いわねえとふりかえられたこともある
まだ三つくらいの息子と散歩に出て
知らない人に愛想を言われたこともある

だがもう
そういう機会は二度とない
僕はひとりで
あたりいちめんの霜のなかを
足ばやに歩く
まるでそうやっていそぐことが
ただひとつの目的のように

(「定本黒田三郎詩集」1971年版・『羊の歩み』より)