人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

黒田三郎『記録』

前回ご紹介した『歴史』はいわゆるロッキード事件と呼ばれる政界汚職事件と田中角栄内閣総理大臣の失脚を前振りにした作品で、それ自体はテーマではなく時事的な話題を導入部にしたにすぎないが、40代後半より若い世代には田中角栄の名前の持つインパクトは皆無かもしれない。詩作品のなかにヌッと「田中角栄」を出して成功するのはほとんど綱渡りで、こんな芸当はよほど大胆でないとできない。
今回ご紹介する作品は珍しく連に分かれていない。これもテーマは「歴史」だが題材は天皇とふんどしという人を喰ったものだ。息子の登場で落とすのは『数える』でも先例があった。連を分けずノンストップで通しているのもこの作品では効果をあげている。

『記録』黒田三郎

変ったことでないと
新聞にも出ない
世の中の
あたり前の
誰でも知っていることが
かえって何も後に残らない
三、四十年もすると
誰にもわからなくなってしまうことになる
戦争直前の学生のころ
僕らは「天チャン」と
「バカトノ」ふうに言ったものだ
神さまなんてつゆ思わなかった
そういっちゃいけないところでは
子供でもそうは言わない、それだけのことである
外から見ただけでは
全くわからないが
今ではみんなズボンの下に
パンツをはいている
あのころはみんな越中ふんどしだった
越中褌(細川越中守忠興の始めたものという)
長さ一メートルの小幅の布に
紐をつけたふんどし」
広辞苑に書いてある
この説明をよんだだけで
いまのパンツしか知らない青年に
越中ふんどしの使い方がわかるかどうか
世事にうとい学者の河上肇博士は
刑務所のもっこふんどしのはき方が
わからなかったそうである。
「自叙伝」にそう書いてある
戦時中南方で
本人は大威張り、大真面目なのに
半ズボンの裾から
ゆるんだふんどしのはしがはみ出ているのを
よく見たものだ
「ああ 日本人ここにあり」
僕がいつのまにかパンツ常用者になったのも
戦後の物資不足で
手づくりのふんどしの材料の
白木綿が手に入らなかった故為であろう
僕の息子の中学生は
いまでは僕より巨大になり
ブリーフなるものを常用している
ブリーフをはいた息子は
天皇なんか全く気にしていない
(詩集「死後の世界」より)