人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

今週のリコメント集

(1)三島由紀夫についての旧記事(2011年9月27日・28日)にコメントありがとうございます。的確なご指摘もいただき、ありがとうございました。
三島の晩年は支持者からも「至高への探求」(澁澤龍彦)と笑止な賞揚をされましたが、民主化によって責任を回避した戦後民主主義・民主主義天皇批判と取るのが妥当でしょう。その点で三島はファッショではなく、民主主義こそが新しいファッショでした。徴兵忌避者ではなかったが、それに近い負い目を感じ続けていたと思います。
三島の死後は民主主義どころか超高度資本主義時代が到来します。あれだけ賢明な人ですからそこまで予見していないはずはない。それも三島の阻止したかったことでしょう。
小説家としても思想家としても特筆すべきものはない人ですが、異様な密度を生きた切実さを感じます。あまり面白くない一連の代表作でも、三島であることで意味があります。いずれまたこの人について考えてみたいと思います。

(2)黒田三郎の後期の詩は平俗談語の極致でしょう。『歴史』では田中角栄から軍艦マーチまですらすらと詩人の意識のなかで一編の詩が組み立てられていく、その意識の流れそのものが詩になっています。一見素朴ながら、これは熟達した詩人にしかなしえない「軽み」の業です。自意識とも切迫した自己表現意欲とも文学的野心からも解放されています。こういう詩人の読者でいてよかった、と折に触れて思うことが多いのです。

(3)書いていいものか迷いますが、障害者手帳の更新のための診断書は愕然とするような内容でした。診察で正直に話してきたことがほとんどねじ曲げられ、主治医の先入観で型にはめられた格好でした。今後診察を受け続ける意欲も信頼も失うような内容でした。
ぼくにとっても不利益な内容でした。具体的には、ぼくの場合は人格・性格的な欠陥が精神疾患によって悪循環を招いていると解釈されており、精神疾患自体の程度を意図的に引き下げています。事実と反する記述もあちこちにありました。診察時に誤解は解いたつもりでしたが、本人の主張はすべて逆、と解釈されたわけです。これでは何も話さないほうがましでした。
生保受給者の境遇で療養専念の生活から社会復帰するのは事実上困難です。治療に通うことが受給者の条件でもあります。今は六年間の信頼が虚しいだけです。