人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小津安二郎『非常線の女』(松竹1933)

イメージ 1


非常線の女』(全・無声)
https://www.youtube.com/watch?v=dIQ_gybBQ9g&feature=youtube_gdata_player
*

イメージ 2


 時子(田中絹代)は昼間はタイピストとして働き、社長の息子(南條康雄)に言い寄られていますが、私生活では元ボクサーの三流ヤクザ襄二(岡譲二)と一緒に暮らしています。ボクシングジムに通う学生の宏(三井秀男)が志願して襄二の子分に仲間入りし、賭けビリヤード場に入り浸りますが、レコード店勤務の姉の和子(水久保澄子)に知られ、和子の哀訴で襄二は宏を仲間から追い出します。襄二は凛とした和子に惹かれて彼女の店を訪ねるようになり、それを知った時子はピストルで和子を脅しますが逆に和子の清廉な強さに憧れ、自分たちもヤクザな世界から足を洗おうと決心します。襄二も同意しますが、宏が姉のレコード店から窃盗を働いたと聞き、襄二はその埋め合わせのため最後の一仕事をする決意をします。二人は社長の息子から強盗し、宏にその金を与えます。警察から逃走しつつも時子は襄二に自首するよう説得しますが聞き入れられないため、彼を撃ちます。負傷した襄二は時子の真情を理解し、二人は逮捕されるのでした。
*

イメージ 3


 この作品は現存は知られていましたが、パートカラー染色のためにネガがバラバラに保存されており、現在観られる完全な形(ネガ自体は黒白のまま)に復元されるまで80年代初頭まで待たねばなりませんでした。小津安二郎の再評価は78年の佐藤忠男小津安二郎の芸術』を皮切りに、海外ではそれより早くドナルド・リチーの『小津安二郎の美学』1974(翻訳1978)があり、『ザ・ヤクザ』の脚本家を経てやがて『アメリカン・ジゴロ』や『ミシマ』の監督となるポール・シュレイダーに小津、カール・テホ・ドライヤー、ロベール・ブレッソンを論じた『聖なる映画』1979(翻訳1981)がありましたが、再評価の決定打になったのが蓮實重彦『監督 小津安二郎』1983でした。蓮實重彦の映画批評は多くの模倣者を生む弊害もありましたが時代・国籍・イデオロギーを問わず広く映画を楽しむ、特に日本の映画受容史で埋もれたり忘れられたりしてきた映画を再評価し、映画史観の組み替えを果たした功績がありました。80年代後半には映画研究誌『リュミエール』を主催、90年代に東京大学総長を勤めていた時期にはブランクがあり、退職後に文学・映画批評専門家になった頃には蓮實氏からかつて薫陶を受けた周防正行黒沢清らが第一線の映画監督と認められていました。復帰後の蓮實氏の著書は『映画狂人』シリーズというタイトルのためか、なんとなく敬遠されている気配があります。
 その蓮實氏の『監督 小津安二郎』が、この著書がまとめられた時点でほとんど半世紀ぶりに『非常線の女』が復元されたため、いわば最新作を観た感動が反映しており、トーキー以後、ことに『晩春』以後の小津を丁寧に考察しているのは言うまでもありませんが、サイレント期に限らず一本の作品に対する言及としては『非常線の女』を論じた部分が非常に多いのです。おおむね激賞というべき論及ですから、蓮實氏の小津映画批評を読むと『非常線の女』は格別に印象づけられることになります。
 蓮實氏は淀川長治山田宏一氏との共著『映画となると話はどこからでも始まる』1985の巻末エッセイでも世界映画ベスト160本を上げる中で小津作品からは『晩春』『東京物語』『父ありき』とともに『非常線の女』を選出しており、この作品への深い愛着が伺われます。『父ありき』『晩春』『東京物語』は映画史上の傑作とするに異論は少ないと思われますし、小津作品の再評価が高まったのも『晩春』『麦秋』『東京物語』あたりへの注目によるものでしょう。『父ありき』も笠智衆の最初の小津映画主演作です。『非常線の女』はサイレント期の代表作とも、普通は呼ばれないものです。それはウィリアム・ウェルマンジョセフ・フォン・スタンバーグ作品ら当時のアメリカの暗黒街メロドラマを踏襲した作品でした。
*

イメージ 4


 サイレント期の小津作品で犯罪映画のスタイルをとっているのは1930年の『朗らかに歩め』と『その夜の妻』、1933年の『東京の女』と『非常線の女』で、セットも衣装もほとんど洋風になっており、『東京の女』以外の3本にはピストルまで日常的に出てきます。『その夜の妻』は実際のアメリカ小説の翻案でしたし、『東京の女』は架空のオーストリア作家の翻案という体裁でした。アメリカ映画風の作品や悲劇メロドラマはその後も小津は手がけますが、はっきり犯罪映画を手がけて一番の大作になったのが『非常線の女』です。原作もジェームス槇こと小津自身であり、同1933年の次作がシリーズ化していく人情物の「喜八」ものの第一作であることからも、アメリカ暗黒街映画の直輸入の総決算をやるなら今しかない、という意図があったのでしょう。前年の『生れてはみたけれど』が年間ベスト・ワンに選ばれたことで『非常線の女』は才能の浪費という同時代の不評を招きましたが、次作『出来ごころ』は小津に二年連続キネマ旬報ベスト・ワンの好評をもたらします。
*

イメージ 5


 この頃の呼び方では襄二は与太者、時子はスベ公と呼ばれているのが新鮮に感じる人もいるのではないでしょうか。ファースト・シーンは時子が勤める会社で、スーツに帽子が正装であり、オフィスの壁には帽子かけがあってふとした拍子に落ちたりする描写があります。タイピストたちの背後を横にカメラが滑り、端の空席に今座ったのが田中絹代演じる時子、と洒落たヒロインの登場ぶりです。
 タイピストたちはミスするとためらいもなく丸めて捨てるので、オフィスのゴミ箱には紙くずがいっぱい溢れています。現代では裏を再利用にと、丸めて捨てたりはしないでしょう。社長の息子が重役室に時子を呼び、指輪をプレゼントして求婚をほのめかしますが、時子は笑って指輪を突き返します。
 時子がイヴニング・ドレス(しょっちゅう肩が外れる)を着て向かうボクシング・ジムは与太者の溜まり場になっています。襄二は「仕事」をもちかけられては断っていますが、このジムにたむろする与太者では親分と目されています。吊り輪が揺れる無人のショットの挿入は表現主義的です。時子は襄二の女ですから姉姐格ですが、リングサイドでいちゃついていると「ブレイク!」とトレーナーに冷やかされます。
 隣接してダンスホールがあり、ジャズ・バンドの演奏でダンスしているシーンが繰り返されますが、バンドのメンバーは胸から下しか撮さず、そのままダンスホール内にカメラが入っていく、という技法がとられています。
 当時の与太者仲間の描写では、喫茶店で仲間とサイコロ賭博をしたり、ビリヤード場でケンカしたりというのが典型的だったようです。ビリヤードの点数計算機が大きなそろばんを横にしたようなものでしたが、今もプールバーはあんな面白いものを使っているのでしょうか?
 水久保澄子演じる和子はくっきりした顔立ちの美人で、彼女だけはこの映画で和装の衣装ですが、田中絹代の洋装の不似合いさとの不均衡な対照を狙ったかのようです。配役が逆なら、とも思ってしまいますが、「どうせあたいはズベ公さ!」と悲嘆にくれる役は本当に洋装が決まってしまう水久保澄子では逆に弱くなってしまうでしょう。
 和子に惚れてレコードを買ってきた襄二は仲間のズベ公に「音楽の良さが分かるの?」と冷やかされ「犬(ビクター犬の事)だって聴いてるじゃねぇか」と答えます。この辺もアメリカ映画風のジョークでしょう。そして和子のことが時子の耳に入ると、時子は和子を呼び出してピストルを突きつけますが、和子の動じない態度に感心し「あんた気に入ったよ」と急に和子の頬にキスをします。カメラは走り寄る足元だけを写し、時子が去っていくと和子が自分の頬に触れている、という演出です。
 帰宅した時子はあんたがあの子に惚れたのもわかるよ、私も好きになったくらいだもの、二人で真面目になろうよ、と持ちかけますが襄二は今さら無理だとケンカになり、どうせあたいはズベ公さ!と時子はスーツケースに持ち物をまとめて出ていきます。残った服やハイヒールをドアに投げつける襄二。洋風のバーに行くと、一人タバコをふかす襄二にウェイターが何本ですか、と尋ねます。ウェイターが10本のワイングラスを並べると、襄二は苦虫を噛んだような顔でグラスを1本ずつ割って行きます。このすっとぼけたユーモアも当時の日本の文化的な豊さを感じさせます。
 時子はすぐに襄二のもとに戻ってきます。おれも真面目になるよ、飛びついてこい、と和解する二人。ですが、和子が弟は寄らなかったか立ち寄ります。あんたの目の前で縁を切ったじゃないか、と和子を返しますが、今度は宏が姉さん来なかった?とやって来ます。姉の店のレジから200円盗んで全部すってしまった、お金を貸してはもらえないか。襄二に貸せるお金はありません。
あんたから貰ったネックレスで金を作ると時子が言いますが、「それは偽物なんだ」と襄二。
 真面目になると決めたが、最後にひと仕事しなきゃなんねえ、と襄二。他人なんかどうだっていいじゃないか、と言う時子に、男には通さにゃならねえ筋があるんだ!と襄二。そこで白昼堂々重役室を訪ね、社長の息子にピストルを突きつけて金を巻き上げると、すぐさま逃走します。走る車の後ろの鏡面に街並みが流れ、「クラブ歯磨」のネオンの看板の点滅が、窓から逃げ出す襄二と時子を照らすします。ようやく路地まで下りると、時子は二人で自首しようと懇願しますが、それでもためらう襄二の足を拳銃で撃ち抜いてしまいます。そこで襄二も覚悟を決め、三年後までは離ればなれだ、飛びついてこい、と二人は抱擁しあいます。泣きながら抱き合う襄二と時子の腕を警官がほどき、その手に手錠がかけられて連行される二人。エンドマーク、と、前半やや散漫なのか、いろいろ見どころがある割には結局シンプルなのか、確かに『生れてはみたけれど』ほどの作品を作った監督の作品としては当時迷走しているように映ったとしてもしかたないところがあります。岡譲二、田中絹代好演ですが、他に出演作品あったっけ水久保澄子の美しさはこの映画ならでは。それと、「どうせあたいはズベ公だい!」と泣く田中絹代が案外可愛いのです。