人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補9e)ハービー・ハンコック(p)

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Herbie Hancock(1941-,piano)。
今回はブルーノート社からのサイドマン参加作品で、マイルスの来日ツアーからのライヴ盤'Miles In Tokyo'64.7.14を挟む。これは問題作で、秋のウェイン・ショーター加入に先んじてジョージ・コールマンを解雇し、サム・リヴァースを臨時にテナーサックスに迎えたツアーだった。レパートリーは旧態依然で、この怪人テナーはリズム・セクション全員の推薦によるものだった。結果は、マイルスの音楽性を大胆に逸脱するリヴァースの演奏にバンド全体が振り回される事態となった。

掲載アルバムは、
Grachan Moncur lll:Some Other Stuff(画像1)64.7.6
Jackie McLean:It's Time!(画像2)64.8.5
Life Time:Tony Williams(画像3)64.8.21&24
-で、いずれも当時の硬派なジャズを代表すると名高いもの。ブルーノート社は娯楽路線のソウル・ジャズと、当時は「ブルーノート派」(後に「新主流派」)と呼ばれた革新路線を同時に推進していた。これらに起用されたことでも、プロ・デビュー二年目でマイルスの正式メンバーに採用されたことでも、セシル・テイラービル・エヴァンスに較べてさえハンコックの出世の早さがわかる。彼ら先輩ピアニストより12歳の年少ながら認められた時期はほとんど同期だった。ハンコックは、エリート中のエリートだった。

グラシャン・モンカー三世(トロンボーン)はジャッキー・マクリーンがボビー・ハッチャーソン(ヴィヴラフォン)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)とともに見いだした新人で、作曲とアレンジに長け感覚も新しい。このアルバムではウェイン・ショーター、ウィリアムズ、ハンコックと豪華な共演者を見事に仕切っている。

マクリーン作品は気鋭の新人チャールズ・トリヴァー(トランペット)とのコンビの第1作。マクリーン自身は旧い人だが先進的な意欲があり、このアルバムでもハンコックのソロはほとんどフリー・ジャズに接近する。

トニーはこれが最初のリーダー作。全曲自作でまだ19歳。リヴァース、ハッチャーソン、カーターらオールスター・メンバーを相手に独自のフリー・ジャズを成功させている。