人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

60年代ロック(8)ボブ・ディラン1

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ボブ・ディランのデビューはビートルズストーンズに先駆け、ビーチ・ボーイズがまだ地元のインディーズで活動していた時期だった。62年3月のデビュー作は、オリジナル1曲きりのギター弾き語りアルバムだが、後『朝日のあたる家』と『連れて行って』をアニマルズが(バンドは直接原曲に依ると主張するが)、『死にかけて』をレッド・ツェッペリンが取り上げている。

ディランは元々エルヴィスを頂点とする白人ロッカーを目指してニューヨークに上京してきた。だがニューヨークではロックは時代遅れでブームの最先端はプロテスト(社会批判)・フォークだった。第2作「フリーホイーリン~」63.5は『風に吹かれて』を含む出世作でここからオリジナル曲のアルバムになり、ジョン・レノンの絶讚でロックのリスナーからも注目される。第3作「時代は変わる」64.2でディランのプロテスト・フォーク時代は頂点をきわめた。

64年1月、ビートルズ全米デビュー。前年にビーチ・ボーイズの成功があったとはいえ、ディランとボーイズは競合関係にならなかった。ビートルズはすべての既製音楽に競合した。
第4作「アナザー・サイド・オブ~」64.8は友人・知人を招いたスタジオ・ライヴで、スタイルはギター弾き語りフォークだが、プロテスト曲は一切含まない。ラストを飾る名曲『悲しきベイブ』のサビの「ノー、ノー、ノー」はビートルズ『シー・ラヴズ・ユー』の「ヤー、ヤー、ヤー」への返歌という。

ディランが恵まれていたのは優秀なマネージャーの手腕でゆとりのある活動ができたことで、他のバンドのような濫作をせず、年一枚の充実したオリジナル曲集をリリースできた。A面はロックバンド、B面は弾き語りフォークの第5作「ブリンギング・イット~」65.3は『Mr.タンバリン・マン』を含み、デモテープで聴いたザ・バーズのヴァージョンがNo.1ヒット。バーズのスタイルはフォーク・ロックと呼ばれ今日でも強い影響力を誇るが、ディラン自身はフォーク・ロックが大嫌いだった。

そして第6作「追憶のハイウェイ61」65.8で遂にディランは完全なロック・アルバムと決定的な一曲『ライク・ア・ローリング・ストーン』を物する。同時期に『サティスファクション』『サウンド・オブ・サイレンス』もあったが、ディランはビートルズさえ抜いてロックの頂点に立った。