清岡卓行詩集『氷った焔』
昭和34年(1959年)2月・書肆ユリイカ刊
今回ご紹介するのは戦後の恋愛詩のなかで最高の一篇と賞される作品です。戦後俳句の森澄雄の代表句、
除夜の妻白鳥のごと湯浴びせり
(句集『雪礫』昭和24年=1949年)
のように奥さんを詠ったものですが、森澄雄の俳句同様に夫人を徹底して神聖化しており、文句あるなら前に出ろというくらいの迫力があります。清岡卓行(1922-2006)は大連生まれの詩人で、萩原朔太郎・金子光晴に傾倒し、ランボーとシュルレアリスムの研究家でもあった人でした。詩人としてのデビューの前に学友・原口統三の遺稿集『二十歳のエチュード』を編纂し、書肆ユリイカのベストセラーにした伝説的存在であり、戦後にデビューした詩人ではもっとも早くシュルレアリスムを咀嚼し、継承した人でもあります。戦後詩の第一世代と言うべき「荒地」が英文学系の詩人グループだったのに対して、第二世代と目せる「ユリイカ」を中心とした詩人グループはフランス文学系だったのも清岡卓行が主導的詩人だったことによります。清岡卓行は小説家としても知られ、晩年の大作『マロニエの花が言った』(平成11年=1999年刊)は大戦間のパリにおける日本の芸術家群像を描いて自身の芸術観の総決算とし、大きな反響を呼び数々の文学賞を受賞しました。ご紹介する第1詩集『氷った焔』からのこの詩は、抒情的な恋愛詩というより、むしろはっきり性行為を詠って恋愛詩になっているので、そうした詩法も戦後の現代詩ならではの手法として初めて開拓されたものでした。
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「石膏」
氷りつくように白い裸像が
ぼくの夢に吊されていた
その形を刻んだ鑿の跡が
ぼくの夢の風に吹かれていた
悲しみにあふれたぼくの眼に
その顔は見おぼえがあった
ああ
きみに肉体があるとはふしぎだ
★
色盲の紅いきみのくちびるに
ひびきははじめてためらい
白痴の澄んだきみのひとみに
かげははじめてただよい
涯しらぬ遠い時刻に
きみの生涯を告げる鐘が鳴る
石膏のこごえたきみのひかがみ
そこにざわめく死の群のあがき
★
きみは恥じるだろうか
ひそかに立ちのぼるおごりの冷感を
ぼくは惜しむだろうか
きみの姿勢に時がうごきはじめるのを
迫ろうとする 台風の眼のなかの接吻
あるいは 結晶するぼくたちの 絶望の
鋭く とうめいな視線のなかで
★
石膏の皮膚をやぶる血の洪水
針の尖で鏡を突き刺す さわやかなその腐臭
石膏の均整をおかす焔の循環
獣の舌で星を舐め取る きよらかなその暗涙
ざわめく死の群の輪舞のなかで
きみと宇宙をぼくに一致せしめる
最初の そして 涯しらぬ夜
(詩集『氷った焔』昭和34年=1959年・書肆ユリイカ刊より)