人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アル中病棟の思い出30

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・3月19日(金)晴れ
(前回から続く)
「部屋に戻って日記の追記を書き、デイルームに戻るとHAがアメリカに三年間留学、カリフォルニア州立大学医学部を17歳で飛び級卒業、とにわかには信じがたい話を、わざと辺り全体に聞こえるでかい声でしていた。統合失調症の妄想とはいえ女性には珍しいタイプだろう(注)。本人にも妄想と現実の区別があるのかどうか。簡単な英語で質問してみたけどわかってなかったぜ、と後でKくんから聞く。九歳から入退院を繰り返して生保を受給している(お父さんは存命らしい)彼女が留学や医学部卒は到底信じがたく、そんな話を周囲が真に受けると思っている様子には異様なものを感じる」

「午前のプログラムはリクリェーションで屋外散歩。リサイクルセンター(Tkさんのご主人の勤務先だそうだ)へ裏山側から上って広場で休憩、植物園を見て帰りは表通りを下って帰ってきた。Kdさんは膝が悪いので上りはTjさんと一緒に両側から腕を組んで支えてあげる。Kdさんがなにかボケたことを言うと寡黙なYnさんが気の利いたツッコミを入れる(しかもかなり皮肉な)。人は見かけによりもするが、今回の入院はこれまでの入院のように長期入院の慢性患者ばかりの閉鎖病棟ではなく、アルコール依存症でも素面ならごく普通なので、見かけによらない方が多い」

「帰りにA屋前のバス停でTiさんが寿町のドヤ街へ帰るのを見かけてみんなで手を振る。なぜかけっこう立派なスーツ姿だった。寂しくなったらまた来るよ、と愉快そうだった。Kmさんも予定通り退院。たぶん本人の希望で朝の会でもあいさつはなかった。昼食後、Yくんにこれでどうでしょうか、と主治医への退院申請理由を書いたメモを見せられ相談される。彼の文面は入院生活への不満と退院許可が下りないことへの抗議ばかりだったので、退院許可申請としてはこうした内容では説得力がないことを説明し、過剰な表現を柔らげ、入院に関するネガティヴな感想を削り、退院後の静養やお父さんの世話、復職への意欲、きちんと通院し、服薬を守り、生活リズムを崩さないよう気をつける、等々無理のない程度に全体をポジティヴな内容に改める。彼も納得してくれる」(この日続く)

(注)彼女は女性患者同士では七歳になる子供の写真を見せていた。矛盾する経歴が彼女には矛盾ではないらしい。もちろんアメリカで生んだ子ではない。