人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

追悼・大瀧詠一

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2013年は山口冨士夫ルー・リードという日米の重鎮の逝去が惜しまれた。そう思っていたら、さて今夜の紅白は、と大晦日の夕方、携帯でNHKのサイトを開くと17時25分の最新ニュースで、「ミュージシャン大瀧詠一さん死去」という見出しが飛び込んできた。
本文はごく短く、「A LONG VACATION」などで知られるミュージシャンの大瀧詠一さんが30日、脳内出血のため死去、享年65歳と、それだけを伝えていた。
おかげで紅白を観ていてもこの人たち(特に松田聖子小泉今日子)は大瀧氏の逝去は当然知っているんだよな、ミュージシャンたちなら歌手以上に大瀧氏の業績はご存知なわけだし。でももし故人の逝去が一か月以上前だったら、今回島倉千代子追悼コーナーがあったように大瀧詠一追悼コーナーがあったろうが、昨日の今日ではそうもいかないのは仕方ない。

故・加藤和彦氏のように晩年まで活動的だったわけでもないのに大瀧氏の現役感は不思議に大きかった。アルバムは84年の「EACH TIME」が最後で後はシングル2枚だけ(『幸せな結末』97年,『恋するふたり』03年)が最後の作品となり、80年代半ばから晩年までの氏は自己の保有するナイアガラ・レーベルの過去の諸作品をリミックス・リマスターし再発売する作業をライフワークとした。だからナイアガラ・レーベルの作品にはレコード時代からCDまで再発売のたびに改訂版があり、代表作「ナイアガラ・トライアングルVol.1(大瀧詠一山下達郎伊藤銀次)」76(画像中)、先のニュースにもタイトルがあげられた大ヒット作「A LONG VACATION」81(画像下)以外もすべて廃盤になることなくロング・セラーになっている。30代始めまでに主要な作品を発表し、晩年までそれらの改訂をライフワークとした詩人に蒲原有明、吉田一穂がいるが、あまりミュージシャンでは聞かない。大瀧氏くらいのものだろう。

大瀧氏は細野晴臣松本隆が結成したバンド「はっぴいえんど」(リード・ギタリストは鈴木茂)のリード・ヴォーカリストとして日本の70年代ロックの重鎮となり、やがて細野、松本両氏が歌謡曲の洋楽ポップス化に傾倒していくのと軌を一にしてポップス界全般に大きな貢献をした。氏の逝去は大事件なのだが、こういう湿っぽくならないタイミングの逝去も氏らしいという感じもする。