人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

中華野菜炒め豆腐

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豆腐シリーズ第三弾は中華野菜炒め豆腐をお送りしたい。実はそういう名前の料理があるわけではない。薄切り肉があったら肉すき豆腐にして済ませたいところだが、冷凍庫に肉はあったものの解凍・薄切りに間に合わなかった。そこで今回は中華調味料を使って野菜と豆腐の炒めものを作ったという次第。次は肉野菜炒め豆腐か肉すき豆腐を作りたいと思う。

こういうのをどうやって料理しているかというと、レシピはまったく必要ない。最後の退院からもうまる三年になるが、それまでは二年半で四回の入院、入院期間の合計が10か月だから30か月のうち三分の一は入院していたことになる。シャバでの生活はいざ知らず、入院中は(危篤入院で二週間24時間栄養点滴受けていた時はともかく)三度三度の食事をきちんと食べていた。四回の精神病棟入院で入院した病院は三か所。さらに以前に未決囚監で「クサい飯」も食べている。臭いどころかヴォリュームもあればメニューも多彩で、立派な大衆食堂に匹敵する囚人食だった。新聞記事で刑務所食で糖尿病が自然治癒した受刑者の例を読んだが、質素ながら栄養バランスは素晴らしいのだ。囚人とは一面では生命を保護されてもいるからだ。

で、あちこちを転々としながら囚人食、病院食を食べてきたので、食事中は何を考えているかというと、これってどういうメニューなのかな、と考えていた。食材の種類とその割合、調理のプロセス、調味料。これは昔からの習慣で、その時々の連れと外食するとこの料理ってどう作るのかね、と話しながら食べていた。まったく無言で、食べ終えるまで外界の音が一切聞こえないすごい集中力というか、何も考えないでひたすら食べる女性がひとり、いた。それが別れた妻で、彼女は料理は目玉焼きしかできなかったが、料理はおれができるからいいやと思っていた。娘たちのミルクの調合も離乳食も引き受けたし、妻や娘たちのお弁当も当り前に作っていた。

また話が逸れた。要するにたいがいの料理は独学でこなせるような体験を経てきたからこそ現在のような境遇に耐えられる、ということだ。だがそのきっかけは高校時代の母の急死で、そんなことがなければ運命自体、境遇そのものもまったく変わっていたかもしれないし、ここで豆腐料理について暇つぶしに作文を書く自分もまた、存在しなかったかもしれない。