人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アンドレ・ジッド(6)『文学界』グループからの評価

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19世紀末の文学思潮を正確に批判し20世紀に橋渡ししたことで、アンドレ・ジッド(1869~1951)は20世紀のちょうど前半に一種の規範とされる思想家的作家と見なされていました。新潮社版の翻訳全集や日記が配本中にジッドは81歳で逝去しましたが(51年二月)、同年七月刊の第13回配本『文学評論』付録の月報で河上徹太郎は正面から「ジイドは小説家としては二流だが、批評家としては一流だといふのが、以前からの私の持論である」「その意味は、作品としての出来栄えだけでなく(中略)、二十世紀初頭の文学は批評文学といふべきものであって、ジイドがその典型的存在であることから解釈すべきなのである」と一見身も蓋もない評価を下しています。

ですが河上の評価は決して否定的なものではなく、19世紀末における人間の解体を最初ジイドは個人の人間性回復によって克服しようとしたが、それは近代西洋文化の数世紀に渡る体系の行き詰まりを来しており、もはや個人主義では解決せず現代文化全般の再検討が必要となった。作家が必然的に文明批評家でなければならない時代を予言したのがオスカー・ワイルドであり、それを細心かつ真剣に実現したのはジッドであった、と述べています。

また河上は新潮社『現代世界文学全集5/アンドレ・ジイド』1953.6の月報でジッドの日本での受容史をたどることでジッドという文学者の実体を検証します。これは河上のみならず小林秀雄中村光夫中原中也大岡昇平吉田健一ら『文学界』グループの本邦紹介以来のジッドに関する共同討議から生れてきたものでしょう。小林には岩波講座『世界文学』1933.3に『ジイド論』があり、翌34年には建設社の『ジイド全集』に小林は『パリュウド』、河上は『鎖を離れたプロメテ』を翻訳しています。堀辰雄も同全集に『エル・ハヂ』を訳していますが、全集月報に寄せた小文で心理小説としてのジッド作品の妙味に触れる程度です。

見過ごされがちなのが中原中也の二編のジッド論で、昭和九年『ジイド全集』の月報に掲載された『ジイド管見』と『よもやまの話』です。ネット上で公開されており手軽に読めます。この年、中原は27歳で、第一詩集『山羊の歌』を自費出版しています。中原はむしろ小林や河上よりさらに鋭くジイドという文学者の本質と、日本での不消化な受容を見抜いています。