ですが河上の評価は決して否定的なものではなく、19世紀末における人間の解体を最初ジイドは個人の人間性回復によって克服しようとしたが、それは近代西洋文化の数世紀に渡る体系の行き詰まりを来しており、もはや個人主義では解決せず現代文化全般の再検討が必要となった。作家が必然的に文明批評家でなければならない時代を予言したのがオスカー・ワイルドであり、それを細心かつ真剣に実現したのはジッドであった、と述べています。
また河上は新潮社『現代世界文学全集5/アンドレ・ジイド』1953.6の月報でジッドの日本での受容史をたどることでジッドという文学者の実体を検証します。これは河上のみならず小林秀雄・中村光夫・中原中也・大岡昇平・吉田健一ら『文学界』グループの本邦紹介以来のジッドに関する共同討議から生れてきたものでしょう。小林には岩波講座『世界文学』1933.3に『ジイド論』があり、翌34年には建設社の『ジイド全集』に小林は『パリュウド』、河上は『鎖を離れたプロメテ』を翻訳しています。堀辰雄も同全集に『エル・ハヂ』を訳していますが、全集月報に寄せた小文で心理小説としてのジッド作品の妙味に触れる程度です。
見過ごされがちなのが中原中也の二編のジッド論で、昭和九年『ジイド全集』の月報に掲載された『ジイド管見』と『よもやまの話』です。ネット上で公開されており手軽に読めます。この年、中原は27歳で、第一詩集『山羊の歌』を自費出版しています。中原はむしろ小林や河上よりさらに鋭くジイドという文学者の本質と、日本での不消化な受容を見抜いています。