文学者としてのアンドレ・ジッド(1869~1951)は晩年には評価が定まっていたと言えて、翻訳版の決定版全集は50~51年にかけて刊行された全16巻の『アンドレ・ジイド全集』と、別売された500ページ×5巻に及ぶ『ジイドの日記』50~52年刊で、どちらも新潮社から当時としては破格の上質紙と製本で刊行されました。これは、版元としては老舗文芸出版社としての社運をかけていたということで、新潮社の前身は明治30年代に流行の兆しを見せた自然主義で時流に乗った新声社であることを思うと皮肉を感じます。新声社時代から新潮社といえば神楽坂で、早稲田の隣ですから、自然主義文学の移入を提唱していた早稲田大学の島村抱月と『早稲田文学』との提携で文芸出版社として豊富な人材を確保できました。戦中になしえた最後の業績が『島崎藤村全集』だったように、戦後に初めて勝負をかけた企画が『アンドレ・ジイド全集』なのです。作家自身が晩年に全作品の整理をしていた、という条件も有利に働きました。
敗戦後の日本の出版界は出版物の需要は高いのに用紙の不足はひどく、昭和24年頃まではほとんどの出版物は仙花紙と呼ばれる劣悪な再生紙が用いられ、不純物が多く目の粗い製紙方法のために古書としては貴重であっても紙は虫食いと剥落でぼろぼろ、製本は粗悪な糊を使用しているためにばらばらで、誤植や乱丁も多く、敗戦日本の傷痕として負の遺産を示します。
昭和25年あたりからはようやく一部の出版物では愛蔵に耐える紙質と製本が現れ始め、出版界全体が十分な用紙と製本技術を回復するのは朝鮮戦争による軍需景気で高度成長期に入った昭和28年~30年でした。
新潮社版の『アンドレ・ジイド全集』と『ジイドの日記』は1950~52年刊行としては驚嘆すべき上質紙と製本で、当時の通常の製紙水準なら廃材や古紙を利用した再生紙を半々に再製紙して倍の紙量にかさを増やすくらいです。堅牢な製本と丁寧な裁断も当時の水準ではコストを度外視しています。画像3はジッドが生前には日記から割愛し、遺稿とした『秘められた日記』の訳書を掲載しましたが、53年刊行ならこれでも一般的には状態良好な古書なのです。この遺稿日記はジッド最大の問題作というべき自伝文献で、昭和28年のこの人文書院版以来再刊されていないのはジッドの没後の急激な評価凋落を端的に表すものでしょう。