人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(再録)大手拓次の初期詩編

大手拓次(1887-1934)も山村暮鳥(1884-1924)同様専門的な研究が行われているが、郷土詩人・自然詩人の風貌もある暮鳥は各地に詩碑が建立されるほど今日では愛され、あの「いちめんのなのはな」詩碑さえある。それにひきかえグロテスクでエロチックな表現が続出する拓次は分が悪い。ごく初期(明治末期)の、

『昔の恋』

我胸のにしきの小はこ、
そと開くさみだれのまど。

朧なるともしびもえて、
徒らのきみがおもかげ。

花瓶の野薔薇ささやき、
風の恋、ひとひらにおう。

拓次らしからぬ凡作だが、後年は扱わなくなる題材や、後年のテーマながら表現は未熟なものが初期の習作には入り交じる。

『路』

ほこりを立てないように、
草履をぽつぽつ、歩いて来る。
ぷーんと酸い甘い臭いがした。
路の側にお下髪にした可愛い児と、
立っている嫌な児がいる。
青い葉と枯れた歯が、
松の落葉、
はなをかんだ紙、
血の付いた縄ちぎれ、
真黒な犬の糞、
泥まみれになって唸っている。
運送が来た。
己は避けて待っている。

『ふし眼の美貌』

まるい、まるい
たよりなくものを掘ってゆくような
我ままの
こころの幼児。

あれとなく
手にとってみては
うつり気の
定めないなぐさめのうちにたわむれる
あまやかされた
ひとりの幼児

伏眼のなかに笑っている
美しい美しい幼児の顔よ。

だが次の作品では試験的ながらすでに後年確立する文体と手法(色彩語、嗅覚・触覚)の萌芽が見える。

『華奢な秘密』

いつとなく
人に知られてまたかくれ、
ももいろの抜羽のようにものかなしい。
けれどこうして藍色のやみをゆけば、
ところどころよりお前の身をとりかこむ
秘密の顔のあでやかさに
木の葉のようにはらはらと
うわべを飾るあらい苦労は
ちってしまう。
その時にお前の内は秘密の家。
うすももいろに、
あいいろに、
鳩の胸毛のようにふわふわとして
たよりない木立のなかに迷うだろう。

初期習作末期の次の作品には一読爆笑した。

『円柱の主人』

場所。無辺際の砂地。
時刻。昼。
人物。
男一人全裸体。
女一人全裸体。
(以上「初期詩篇」より)