人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(再録)鮎川信夫『Who I Am 』1976

戦後現代詩を代表する詩人・鮎川信夫(1920-1986・東京生れ)の作品は、先に『繋船ホテルの朝の歌』1949をご紹介した。今回は1977年の「現代詩手帖」新春号の巻頭を飾りセンセーショナルな話題を呼んだ異色作を取り上げる。

『Who I Am』

まず男だ
これは間違いない

貧乏人の息子で
大学を中退し職歴はほとんどなく
軍歴は傷痍期間も入れて約二年半ほど
現在各種年鑑によれば詩人ということになっている

不動産なし
貯金は定期普通預金合わせて七百万に足りない
月々の出費は切りつめて約六十万
これではいつも火の車だ

身長七十四糎体重七十瓩はまあまあだが
中身はからっぽ
学問もなければ専門の知識もない
かなりひどい近視で乱視の
なんと魅力のない五十六歳の男だろう
背中をこごめて人中を歩く姿といったら
まるで大きなおけらである

ずいぶんながく生きすぎた罰だ
自分でもそう思い人にもそう思われているのに
一向に死ぬ気配を見せないのはどうしたわけか
とことんまで生きる気なんだおまえは
罰を受けつづけることに満足を覚えるマゾヒストなんだおまえは

どうしようもないデラシネ
故郷喪失者か
近親相姦者か
パラノイアック・スキゾフレニック症
近代人のなれの果て
電話の数字にもふるさとを感じ
おまえをおとうさんと呼んでいる娘を裸にし
おもちゃにすることもできるのである

世上がたりに打明ければ
一緒に寝た女の数は
記憶にあるものだけでも百六十人
千人斬りとか五千人枕とかにくらべたら
ものの数ではないかもしれないが
一体一体に入魂の秘術をつくしてきたのだ

有難いことにどんな女にもむだがなかったから
愛を求めてさまよい
幻の女からはどんどん遠ざかってしまった

はじめから一人にしておけばよかったのかもしれない
悲しい父性よ
おまえは誰にも似ていない

自分を思い出すのに
ずいぶん手間暇のかかる男になっている
(詩集「宿恋行」1978より)

きびきびとした行文から弾ける自虐的ユーモア、先が読めない展開、セクシュアルな話題の突拍子もない挿入と大仰な表現からみなぎるイロニー、萎んだように収束することで初老の倦怠・疲労感を表現する鮮やかさ。さすがだ。