New Trolls-"Concerto Grosso Per i New Trolls"Italy,1971
New Trolls-"Concerto Grosso per i New Trolls"(Full Album/Italy,1971)
https://www.youtube.com/watch?v=UaQd7lXUUrc&feature=youtube_gdata_player
[Tracce]
A1.アレグロ 1* tempo: Allegro - 2:15
A2.アダージョ 2* tempo: Adagio (Shadows) - 4:50
A3.カデンツァ 3* tempo: Cadenza - Andante Con Moto - 4:10
A4.シャドーズ 4* tempo: Shadows (per Jimi Hendrix) - 5:30
B1.空間の中から Nella sala vuota, improvvisazioni dei New Trolls registrate in diretta - 20:30
[Formazione]
Nico Di Palo - chitarra elettrica, voce
Vittorio De Scalzi - chitarra elettrica, flauto e voce
Gianni Belleno - percussioni, voce
Giorgio D'Adamo - basso
Maurizio Salvi - tastiera, organo Hammond (non accreditato in copertina)
Luis Enriquez Bacalov - direttore d'orchestra
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旧日本盤CDにはボーナス・トラックでシングル曲『ほほを濡らすしずく』La Prima Goccia Bagna il Visoが末尾に収録されていた。LPを聴きなれていたから最初は違和感があったが、CDを繰り返し聴くうちにアルバム本編へのアンコール・ナンバー風で悪くないと思えてきた。アルバム本編はほとんどリサイタル・ショー的に構成されていて、旧A面は映画音楽家ルイス・エンリケス・バカロフ作曲のオーケストラとの共演組曲になって、A面全体で1曲になっている。歌詞はシェークスピアからアダプトした英語詞。A4のみオーケストラは入らず、バンドのみで組曲の終結部を演奏・歌唱する。この『シャドーズ』というパートはジミ・ヘンドリクスに捧げられており、強いて言えばジミの『リトル・ウィング』風だが、アルバム・デビューはジミもトロルスも1967年で、『コンチェルト・グロッソ』はジミ急逝の翌年のアルバムだから追悼曲としても早い部類だろう。トロルスのギタリストのニコはジミ生前からギターの歯弾きをステージで披露していたそうだから、ジミの急逝は恩師を失った思いだったろう。
A4はアルバムB面への橋渡しともなっていて、B面は全面を『空間の中から』1曲だけ、しかも全編インプロヴィゼーションという、これまた大胆な構成になっている。ニュー・トロルスはもともとポップなカンツォーネ・ロックのバンドとしてデビューしたのだが、ヴォーカル・パートも織り交ぜながらこの時点ではイギリスのプログレッシヴ・ロックに影響を受けたヘヴィ・ロックのバンドになったのがわかる。シングル曲『ほほを濡らすしずく』も楽曲としてまとまりのあるプログレッシヴなヘヴィ・ロックだった。
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このアルバムの企画はディープ・パープルの『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』Concert For Group and Orchestra(1971.1)に負うところが大きい。曲単位でオーケストラと共演したロック・バンドの例は英米でもイタリアでもあったが、オーケストラとの共演を前提にフル・スコア(総譜)を作曲・編曲し、その企画を実現させたのはディープ・パープルのジョン・ロードが初めてだった。普通、ロック・ミュージシャンはオーケストラの総譜など書けなくて当然で、ジョン・ロードはこの企画を終えたらリッチー・ブラックモア主導のハード・ロック路線にパープルを転換させるつもりでおり、録音は後なのに先に発売されたハード・ロック転向後の『イン・ロック』70.6でパープルが大成功したことから『ロイヤル・フィル』は何となくなかったことのようになってしまったが、ユーライア・ヒープ『ソールズベリー』のような直接的な模倣作もあり、ピンク・フロイド『原子心母』(70.10)より発売は後になったが録音は69年9月24日と、フロイドに先駆けてすらいる。『イン・ロック』に先駆けてロイヤル・フィルと共演したのがバンドの知名度を高めたのも確からしい。パープルの支持が高い日本でもパープルは『イン・ロック』以降ばかりが人気があり、初期3作や『ロイヤル・フィル』はあまり人気がなかった。欧米ではどう聴かれているのか興味があったのは、三代目ヴォーカリストのデイヴィッド・カヴァーデイルがパープル加入の話を持ち込まれた時「あのロイヤル・フィルと共演したバンドか」と思ったという証言や、ジャン・ユスターシュの大作『ママと娼婦』1973(カンヌ映画祭特別賞)で主人公の陰気なヒモ青年(ジャン=ピエール・レオー)が愛聴しているのがこのアルバムだったからだ。一方、日本での公約数的評価はこんな具合だった。「レコード・コレクターズ」誌1993年9月号、ディープ・パープル特集より。
「彼らの音楽性を語るうえで、特にジョンのクラシックの素養は無視できないものだろうが、それにしてもここでの演奏が実りあるものとは決して思えない。クラシックという巨大な亡霊の前にディープ・パープルは萎縮し、呑み込まれてしまっている。ロックという脱西欧音楽のもっとも陥りやすい落とし穴。」
あまりに馬鹿な評なので筆者の名前を伏せるが、先入観だけで音楽を聴いて自分の耳で確かめないとこういう一見もっともらしいが内容のない馬鹿な感想文が出てくる。クラシックは巨大な亡霊ではなく現代でも生きている音楽だし、パープルは萎縮しも呑み込まれてもいないし、ロックは脱西欧音楽と片づけられるようなものではない。90年代後半、パープルはこの『グループとオーケストラのための協奏曲』(原題直訳)を再レコーディングし、ジョン・ロード自ら解説し、実は現代音楽として画期的な試みだったことが認知された。ジョン・ロードはジャズとR&Bのオルガン奏者だからクラシックの素養などない。基本はあくまでも黒人音楽でクラシックは素材として取り入れていた。だが協奏曲というアイディアでは、イディオムの異なる音楽を対立させるとどうなるか、という実験ができる。サード・アルバムの『四月の協奏曲』でオーケストレーションのトレーニングをし、『ロイヤル・フィル』ではオーケストラとロック・バンドという完全に音楽の方向の異なる組み合わせを対立させて、クラシック作品がロックという異物を取り込み損ねたとも、ロック・バンドがクラシックのオーケストラを伴奏に従えることの異様さとも、そうした融合しない音楽的どおしの対立を意図してみた。
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パープルの『ロイヤル・フィル』の画期性を解説するのが長引いたが、クラシックとロックのどちらも身近な音楽である欧米ではロードの狙いはすぐに理解されたと思われる。実際、ハード・ロック路線のアルバムほどではないがヒットしているし、総譜まで完成させた作品なら再録盤が制作される意義もある。再録盤はロニー・ジェームズ・ディオが参加した唯一のパープル作品としても貴重だろう。オリジナル録音でもオーケストラを切り裂くようなリッチーのギターが圧巻で、オーケストラに対してロックのギター・ソロが凄まじい違和感で切り込んでいくのは『原子心母』のギルモアでも『コンチェルト・グロッソ』のニコでも代わらない。エレクトリック・ギターのフィードバック・サウンドは、ジェフ・ベックが始めてジミ・ヘンドリクスが完成させたアイディアだが、ドラムスとともに一人の奏者だけでフル・オーケストラを圧倒できるロックならではのサウンドでもあり、『ロイヤル・フィル』も『原子心母』も『コンチェルト・グロッソ』もフィードバック・ギターとドラムスでオーケストラと乱闘しているのだ。
だが音楽国イタリアではロック・バンドに負けず劣らずオーケストラも狂暴であり、バンドが煽ればオーケストラも号泣する、オーケストラが沸騰すればバンドも暴れる、と素晴らしい親和性を見せる。
『コンチェルト・グロッソ』ではバンドにフルート奏者がいるため弦楽オーケストラだが、ギターも出番ごとに細かいトーンの切り替えがあり、リハーサル段階でのサウンド設計の入念さがうかがえる。
第一楽章『アレグロ』は導入部として、第二楽章『アダージョ』はこの組曲のテーマを提示する泣きのパート。第三楽章『カデンツァ』は後半部のアンダンテになって大泣きに盛り上がる。バンドだけの第四楽章『シャドーズ』は構成を変えた『アダージョ』のバンド・ヴァージョンで、フルートがダーティに、リリカルにギターと掛け合いを聴かせる。ヴォーカルはヴィットリオでニコよりも淡々としたスタイルだが、英語詞でシャウトするとジョー山中そっくりなのが可笑しい。と、A面が『コンチェルト・グロッソ』のタイトル曲サイドになる。
B面の全編インプロヴィゼーションは評価というより好みが分かれる内容で、ドイツのバンドのように音響的な発想ではなく、フランスのバンドのように演劇的発想でもない。インプロヴィゼーションと言ってもどうしてもヴォーカル・パートとインスト・パートの対比で進行していくので、やっぱりイタリア人には音楽は歌なんだなと感心する一方、インプロヴィゼーションというよりはレパートリーのストックからの即興メドレーを出ないんじゃないかとも思う。メドレーを基本に自由度を高くしていった感じというか、トロルスが強い影響を受けたと思われる(確実だろう)ジェスロ・タルが同時期にやっていた手法に、トロルスも自然にたどり着いたような印象を受ける。
だからこのアルバムはA面とB面ではまるで別バンドの別アルバムを合わせたようなのだが、その意味ではボーナス・トラックのシングル曲で締めくくった旧規格CDは良かった。シングル曲には『コンチェルト・グロッソ』A面のトロルスも、B面のトロルスも同居・統一されているからだ。しかもこのシングル(AB面8分半で1曲)はトロルスのアルバム未収録曲でも屈指のヘヴィ・ロックの名曲とされ、シングル独自曲には珍しくヴェネツィア音楽祭のライヴ録音らしい。70年代半ばからは再びデビューから初期のポップ路線に戻るトロルスだが、この曲は『コンチェルト・グロッソ』を一枚のアルバムに統一するにふさわしい。よってボーナス・トラック入りの旧規格盤CDをお勧めする。ライナー・ノーツもオーケストラとの共演盤というだけで安易な失敗作と決めつけるような馬鹿とは大違いな、LP時代の伊藤正則氏の身も心も焦がすような名文が転載されている。アルバム本編の方はリマスターされた現行盤の方がいいが、お聴きいただければボーナス・トラック入りの方がいいと納得いただけると思う。
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New Trolls-"La Prima Goccia Bagna il Viso"Single,1971
『ほほを濡らすしずく(パート1)(パート2)』
https://www.youtube.com/watch?v=AXbwUQNBlLM&feature=youtube_gdata_player