人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ピーナッツ畑でつかまえて(66)

 きみはずっと甘やかされてきた。もしきみにその自覚がないなら、それがどういうことかを、順を追って述べることにしよう。
 嵐の吹く暗い夜でした。これまできみはだいぶつらい目に遭ってきたんだろう、と語りかけてくる声がしました。それは同情に堪えない、だがきみくらいに哀れで冴えず、かつては多少は楽しいこともあったが、今や何の魅力もなくなってしまった残骸の生活を生きている連中はざらにいる。それに第一、きみはずっと甘やかされてきた。それがきみを自分自身を直視することから遠ざける主要な原因になっていた。きみは甘やかされてきたからいつしかそれを当然のことと思うようになり、本当に危機に陥った時、つまりきみを甘やかしてはくれない環境にさらされることになったら、とうとうきみは音を上げてしまったのだ。
 それはきみを甘やかしてきた周囲の責任もあるかもしれない、だがきみが本当に賢明ならとうにきみを甘やかし、スポイルしている事態に気づいていたはずだ。きみはうぶで、他人を信じやすく、甘言にはたやすくおだて上げられてきた。だからきみは今さら他人の気まぐれを恨むことはできない。きみは結局騙され続けてきたわけだが、騙されるだけの甘ったれた隙と傲慢さがきみには元々あったのだから、それはきみ自身の責任でしかない。
 そんなことはわかっている、とスナフキンは思いました、それにもとより自分にはそんな風に言われる筋合いはない。おれはこれまで一人だったし、今も一人で、これからも一人でいるだろう。確かにそれは味気ないことだし、おれ自身の性分がこうした境遇を招いたとも痛感している。それは霜焼けみたいに凍みる痛さでもあり、変化とは可能性のことなのだから、すでにおれは可能性を捨ててしまったのも染み入るように理解している。この場合理解とは、それ自体このおれがスナフキンである状態に対して何の役にも立たないのだから、理解しているというのは結局、諦めきっているというのと同義になるだろう。
 イヤあーっ!とネネちゃんは嫌悪の悲鳴をあげました、今日のお弁当袋マサオくんのとかぶってる!いいじゃないか、と風間くん。でも何でマサオくんとなのよ!とネネちゃん。カバンに制服、それに年齢までかぶってますナア、としんのすけ。それは仕方ないでしょッ!
 嵐の吹く暗い夜でした。スナフキンは晴れ渡ったムーミン谷の空を仰ぐと、今自分にできることを考え始めました。