人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Bud Powell Trio Live 1953 - Inner Fire (Electra Musician, 1982)

イメージ 1


Bud Powell Trio Live 1953 - Inner Fire (Electra Musician, 1982) Full Album : http://youtu.be/a8jHoEwH7zo
Recorded at Club Kavakos - Washington, D.C. April 5, 1953
Released in 1982 on Elektra/Musician 60030
(Side A)
A1. I Want To Be Happy (Vincent Youmans & Irving Caesar) 3:36
A2. Somebody Loves Me (George Gershwin & Ira Gershwin) 3:43
A3. Nice Work If You Can Get It (George Gershwin & Ira Gershwin) 3:11
A4. Salt Peanuts (Dizzy Gillespie & Kenny Clarke) 8:58
A5. Conception (George Shearing) 3:16
A6. Lullabye Of Birdland (George Shearing) 1:46
(Side B)
B1. Little Willie Leaps (Miles Davis) 6:57
B2. Hallelujah! (Vincent Youmans, Clifford Grey & Leo Robin) 4:16
B3. Lullabye Of Birdland (George Shearing) tk.2 2:42
B4. Sure Thing (Jerome Kern, Ira Gershwin) 1:52
B5. Woody 'N' You (Dizzy Gillespie) 7:52
B6a. Bud Powell Interview Januaray 15th 1963 3:16
B6b. Bud Powell Interview May 6th 1963 1:31
[Personnel]
Piano - Bud Powell
Bass - Charlie Mingus
Drums - Roy Haynes
Mc [Presented By] - Willis Conover
Producer - Bill Potts
(Notes)
The Bud Powell Trio (Recordings of brilliant "live" Powell performances from the private collection of Bill Potts) At Club Kavakos - Washington, D.C. April 5, 1953

 1982年にワーナー傘下のエレクトラ/ミュージシャン・レーベルはビバップ時代の大物ジャズマンの未発表録音の発掘リリースを行った。チャーリー・パーカー『ワン・ナイト・イン・ワシントン』やこのバド・パウエル『イナー・ファイア』は私家録音をソースとしながらも元々優秀な録音にしっかりしたマスタリングを施して公式ライヴとして十分通用する出来であり、また公式録音からのアルバム未収録テイクではレニー・トリスターノの『鬼才トリスターノ』の未収録分のライヴは2枚組LPにおよぶ分量があり、さらに『鬼才トリスターノ』に続いて録音された未発表アルバム『マンハッタン・スタジオ』は何で生前発表しなかったんだ、アトランティックとトリスターノのばか、と八つ当たりしたくなるような名作だったりした。トリスターノの場合ははっきり発表前提に録音され、生前にはその一部しか発表されなかったといういきさつがある。パーカーやバドの場合はまったく発売予定を前提としないライヴ録音だったが、発表されてみればマニア感涙の佳作だったわけで、まずはめでたい。

 バド・パウエル(1924~1966)はガレスピーやパーカーがトランペットやサックスでやっていたビバップの手法をピアノ奏法に置き換えることに初めて成功するとともにバド一代で極めてしまったジャズ・ピアニストであり、ピアノの機能上コード・バッキングを左手、単音または複音楽ラインによるテーマ演奏やアドリブ・ソロを右手でカヴァーできるためにトランペットとサックス、ピアノ、ベース、ドラムスからなる標準的なビバップクインテットのアレンジをピアノ、ベース、ドラムスだけのピアノ・トリオ編成で行う手法を確立したジャズ・ピアノの改革者だった。ピアノの演奏技術だけでなく意表をついたレパートリーの発掘、アレンジの巧みさ、耽美的なロマンティシズム溢れるバラードからアグレッシヴな実験的ナンバーまでの多彩な作曲、幅広い表現力の素晴らしいアドリブなど、20代半ばには若手No.1ピアニストの名声を築いていた。

イメージ 2


 (ルースト盤・12インチLP『バド・パウエルの芸術』1947/1953)
 だがバドは最初の傑作『バド・パウエル・トリオ』(邦題『バド・パウエルの芸術』ルースト、10インチLP)前半に収録される名演8曲を1947年1月に録音後に急激に精神状態を悪化させ、1947年11月から18か月を精神病院に入院生活して過ごすことになる。まだ23歳だったが深刻な統合失調症だった。退院後の49年~51年にはヴァーヴ『ジャズ・ジャイアント』『ジニアス・オブ・バド・パウエル』、ブルー・ノート『アメイジングバド・パウエルVol.1』『Vol.2』、プレスティッジ『パウエル、スティット&J.J.』などモダン・ジャズ・ピアノの名盤には必ずタイトルの上がる傑作が集中的に制作される。アルバムの質の高さで言えば、この時期はパウエル最高の絶頂期だった。
 まだパウエルは27歳だったが、再び病状が悪化し51年後半から53年初頭まで1年半の入院生活を送る。ようやく退院しライヴ活動を再開したのが53年2月で、この年はほぼクラブ「バードランド」の専属ピアニストとして定期出演している。ライヴの模様はラジオ中継などで音質の良い音源が残っており、バド没後にESPレーベルがアナログ盤4枚の分売を経て3枚組CD"Bud Powell Birdland1953"にまとめ、さらに別のマスター・テープからフレッシュ・サウンド・レーベルが2CD"Bud Powell Birdland 1953 Complete Trio Recording"としてまとめている。ガレスピーやパーカーの飛び入り出演まで含んだ前者を推薦する。

イメージ 3


 (ESP "Bud Powell Birdland1953" 3CD)

イメージ 4


 (Fresh Sound "Bud Powell Birdland 1953 Complete Trio Recording" 2CD)
 1953年のバドはクラブ出演で次第に調子を取り戻していったのが、2月~9月のライヴを収録したESPからの3枚組ボックスでわかる。『イナー・ファイア』は比較的早い時期、4月にバードランドでの定期出演のオフ期間にワシントンのジャズ・クラブに遠征した時のライヴだが、同時期チャーリー・パーカーのリズム・セクションでチームを組んでいたチャールズ・ミンガス(ベース)とロイ・ヘインズ(ドラムス)との一体感のあるトリオで49年~51年の絶頂期よりも余裕のある好演が聴ける。ルースト盤12インチLP『バド・パウエルの芸術』は47年録音の8曲を収めた第1集、53年8月録音の8曲を収めた第2集の2枚の10インチLPをカップリングしたもので、53年のスタジオ録音はこのルースト盤の8曲だけだが、積極的なクラブ出演が演奏の適度なリラクゼーションに反映した心地よい演奏になっている。
 
 バド・パウエルの病状は当時の電気ショック療法によってかえって悪化したものと考えられている。違法薬物所持容疑で警察にマークされ、手足が動かないほどの暴行を受けたのが演奏に支障をきたすほどの障害として残った、とも言われる。54年からはヴァーヴと再契約して年間2作の録音を残し、さらに大手RCAに移籍して2枚、縁の深いブルー・ノートにもさらに3枚のアルバムを録音している。この時期は好不調の波が激しく、アルバムの出来不出来にもはっきり現れている。
 アメリカでのジャズ不況からパリに移住し、ヨーロッパで活動していたのが59年~63年だった。バドの熱心なリスナーならこの時期のバドに行き着く。冥界を覗いてしまったような壮絶な演奏が聴ける。そして健康の悪化からアメリカに帰国して1枚きりアルバムを残し、拒食症による栄養失調から肺炎を併発して逝去してしまう。41歳と短い生涯だが、パリ時代のバドはすでに老境を迎えていたといえる。
 この『イナー・ファイア』は天才ならではのインスピレーションが溢れるバドでも、演奏を制御する意識をほとんど忘れてミストーンを連発しながら彼岸に到達してしまう後期のバドでもない、普通のバド・パウエルが聴ける。バドはハードバップに行かなかった生粋のビバップ・ピアニストだった。ルースト、ヴァーヴ、ブルー・ノートからの名盤よりも、この発掘ライヴの方がバドの素顔に近い演奏かもしれない。