人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

新編☆戦場のミッフィーちゃんと仲間たち(78)

 そういうことだったの、とメラニーはひとりごちましたが、例によってメラニーのひとり言は周囲の反応を見るためのようなものだったので、アギーやバーバラ、ウインの間にはかすかな、しかし確かな抵抗感のようなものが生まれました。こちらが何か返せばきっと、メラニーにはどのようにも揚げ足をとる用意があるのです。つまりひと言で彼女を満足させる返答などまずあり得ないということで、何を好き好んでそんな面倒くさい役割を買って出なければならないでしょうか。
 だからメラニーの同僚たちはわざと聞こえないふりをしていましたが、フリの客だったデイジーたちにはそんなことはわかりません。何言ってるのよ、とデイジー、私たちはみんな死んでしまったじゃないの!デイジーの隣ではキャシーとミミィも釈然としない顔をしています。あーやっちゃった、とアギーたちはびくびくしました。これはメラニーには飛んで火に入る馬の脚というべき展開だからです。
 つまりしばらく前から、気がつくとアギーたちもデイジーたちも皆殺しになっていて、明瞭な他殺の痕跡はありませんがほとんど同時に絶命した様子からは自殺や事故死の可能性は少ない。飲食物への毒薬混入や毒ガス、細菌兵器などの化学兵器の殺傷でもこうはいかないでしょう。もしイメージするなら滝壷に流れ落ちるように、または時報とともに彼女たちの春の時間は消滅したのです。腑に落ちないままではすっかり成仏できないので、魂はまだ体の中に半分とどまり、霊だけが漂いながらおたがいの様子をうかがっていました。
 まあカルペ・ディエム、Carpe Didmという警句もあるしね、とメラニー。何それ?ラテン語だそうよ、明日のことはわからない、今日を生きようって意味だって。ずいぶん教養がおありだこと、とデイジー(アギーたちも同感でしたが)。いえいえ、仕事柄耳年増なだけ。明日は知らない、とデイジーは反復しました、今日を生きよう。何だか歌の題名みたいだけど、それで何だって言うのよ?
 さあ、とメラニーはとぼけると、私たちは生きているうちには他人の死しか知らないわよね、そして明日自分に何が起きるかもすべてを予期することはできないし、いつか明日という日もなくなる。ちょうど今の私たちみたいに、とメラニーは言いました。
 ちょっと待ってよ!何で私たちまで全員ここで死ななきゃならないの、とデイジーは声を荒げましたが、もう遅かったのです。