まずはこの現代詩全集の顔ぶれをご覧ください。今から85年前に、明治以降の現代詩の代表詩人と考えられていたのはこの全集に収録されていた詩人たちでした。
新潮社『現代詩人全集』全12巻(昭和4年=1929.7~昭和5年=1930.7刊、各巻カッコ内は刊行年月日)
第1巻●初期十二詩人集(1930.5.5)
湯浅半月集/山田美妙集/宮崎湖処子集/中西梅花集/北村透谷集/太田玉茗集/國木田獨歩集/塩井雨江集/大町桂月集/武島羽衣集/三木天遊集/繁野天来集
*附録・現代詩の展望 (明治、大正、昭和詩史概観) 河井酔茗
第2巻●島崎藤村・土井晩翠・薄田泣菫集 (1930.1.15)
第3巻●蒲原有明・岩野泡鳴・野口米次郎集 (1930.7.10)
第4巻●河井酔茗・横瀬夜雨・伊良子清白集 (1929.11.15)
第5巻●北原白秋・三木露風・川路柳虹集 (1929.7.15)
第6巻●石川啄木・山村暮鳥・三富朽葉集 (1929.8.15)
第7巻●日夏耿之介・西條八十・加藤介春集 (1930.2.18)
第8巻●生田春月・堀口大學・佐藤春夫集 (1929.9.15)
第9巻●高村光太郎・室生犀星・萩原朔太郎集 (1929.10.15)
第10巻●福士幸次郎・佐藤惣之助・千家元麿集 (1929.12.15)
第11巻●白鳥省吾・福田正夫・野口雨情集 (1930.3.25)
第12巻●柳澤健・富田砕花・百田宗治 (1930.6.10)
この全集はいわゆる「円本」ブームに乗って刊行されたもので、円本とは大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で深刻な不況に見舞われた出版界が、大正15年末に予約販売を始めた改造社の「現代日本文学全集」の驚異的なヒットを受けて次々と各社の企画が立ち上げられたもので、1冊1円の価格設定から当時のタクシーの大阪・東京市内1円均一料金の「円タク」になぞらえて呼ばれるようになりました。10数社がそれぞれ数種の全集を刊行し、昭和5年=1930年には沈静化しましたが、いわゆる円本の総売り上げ部数は300万部以上ともいわれ、当時の会社員の平均給与500円でも従来の書籍は高価なものだったので、1冊で単行本数冊分を収録した円本は関東大震災で蔵書を焼失した首都圏の読者にも、部数の少ない文芸書の入手困難だった地方読者にも歓迎されたのです。代表的なものに(刊行順)前述の改造社「現代日本文学全集」(全63巻・25万部)、新潮社「世界文学全集」(全57巻・40万部)、春秋社「世界大思想全集」(全126巻・10万部)、春陽堂「明治大正文学全集」(全60巻・15万部)などがあります。また定価1円ではありませんがアルス「日本児童文庫」(全76巻・30万部、50銭)、興文社「小学生全集」(全88巻・30万部、35銭)も円本ブームから生まれたもので、円本ブームのあおりで一時は書籍、雑誌の売り上げが落ちたとすら言われます。また最盛期には円本による印税で海外旅行してくる作家が続出して話題になったほどでした。昭和2年の岩波文庫発刊も円本の登場に刺激されたものと言われます。円本ブームの終焉期には予約解約者も現れ、再販制確立前の流通事情から在庫・予定分の新刊まで値引き販売されましたが、それもこれまで本の購入など高値の花だった読者層には歓迎されました。
この新潮社の『現代詩人全集』の編集名義人は新潮社創立者・佐藤義亮(1878-1951)でしたが、新潮社では大正年間では小説並みの売り上げがあった詩歌にも力を入れており、特に新体詩以降の自由詩は複数のシリーズ出版をするほど新潮社の主力商品のひとつでした。新潮社の前身は主に自然主義小説を刊行していた新聲社でしたが、自然主義の小説家たちがもともと新体詩の詩人上がりだったのを思い合わせれば、流行をそのまま反映していたのが新聲社~新潮社の特色だったとも言えます。新潮社は『現代詩人全集』に前後して日夏耿之介の上下巻計1000ページ以上、別冊年表・索引150ページあまりの大著『明治大正詩史』を刊行しており(上巻昭和4年1月、下巻昭和4年11月)、同書は明治期~大正初期の現代詩史観として決定的な影響を後世に与えます。明治大正詩人はまだ昭和4年には現役が多く、また日夏自身も詩人でしたので(処女作『転身の頌』大正6年=1917年刊)『明治大正詩史』では明治詩人たちの業績については客観性を保った史観が保たれていますが、大正期の詩人については強いライヴァル意識がうかがわれ、必ずしも日夏の評価が妥当とは言えない面も目立ちます。しかしそうした偏差も含めて現代詩史としては日夏の著作は初めて明治以降の新体詩史を体系化したものであり、この全集に日夏が直接携わったかは不明ですが伊良子清白、石川啄木、高村光太郎など1冊の既刊詩集しか持たない詩人にほぼ全詩集に近い紙幅を与え、生前刊行詩集すらない三富朽葉は歿後出版の詩集全編に未収録詩編も加えて全詩集とするなど『明治大正詩史』の高い評価がなければなかなかできない人選です。日夏は後に『日本現代詩大系』(河出書房1950)の明治期の編者になりますが、『現代詩人全集』の5~6巻あたりまでとの重複を見ても『現代詩人全集』との共通性がわかります。
明治期の詩人では、森鴎外と与謝野鉄幹は新体詩プロパーではないということで外されたとしても(第1巻の北村透谷、國木田獨歩、第2巻の島崎藤村は「詩人時代の作品」としても)、日夏が北原白秋以上と再評価を求め激賞した木下杢太郎が採られていない。だから必ずしも厳密に『明治大正詩史』の評価に沿った編集とは言えず、巻が下るにつれ当時の詩壇の有力者たち、有力詩誌の主宰者たちが増えていくのですが、当時は好企画だったはずのこの全集は、むしろ現代の読者にはほとんど読まれなくなった詩人が過半数を占めることで、全集そのものが当時過渡期にあった現代詩史を反映しているように見えるのです。さらに言えば、明治以降の日本の詩史は常に過渡期でしかないのではないかと感じずにはいられません。
そこでわかりやすく先の収録詩人を表示してみましょう。現代でも読まれている詩人はゴシック体にし、特に今でも読者の多い詩人はさらにアンダーラインを引きました。名前は知られている、詩に興味のある読者にはかろうじて読まれている詩人はアンダーラインだけを引きました。無印はほとんど忘れ去られているか、現在再評価の対象にされない詩人たちです。
第1巻●初期十二詩人集
湯浅半月集/山田美妙集/宮崎湖処子集/中西梅花集/北村透谷集/太田玉茗集/國木田獨歩集/塩井雨江集/大町桂月集/武島羽衣集/三木天遊集/繁野天来集
第2巻●島崎藤村・土井晩翠・薄田泣菫集
第3巻●蒲原有明・岩野泡鳴・野口米次郎集
第4巻●河井酔茗・横瀬夜雨・伊良子清白集
第5巻●北原白秋・三木露風・川路柳虹集
第6巻●石川啄木・山村暮鳥・三富朽葉集
第7巻●日夏耿之介・西條八十・加藤介春集
第8巻●生田春月・堀口大學・佐藤春夫集
第9巻●高村光太郎・室生犀星・萩原朔太郎集
第10巻●福士幸次郎・佐藤惣之助・千家元麿集
第11巻●白鳥省吾・福田正夫・野口雨情集
第12巻●柳澤健・富田砕花・百田宗治
こうしてみると「第9巻●高村光太郎・室生犀星・萩原朔太郎集」だけが飛び抜けているのがわかります。『現代日本詩人全集』は昭和5年=1930年の完結ですが、現代から詩史を見ると遠近法は逆になるので、おおよそ1925年~1935年の10年間に初期の業績を残した詩人たちによって昭和の詩の方向性が生まれ、それは第二次大戦敗戦後の詩にも批判的に継承されながら現在まで続いている、といえるでしょう。昭和の詩人たちが直接強い影響を受けたのは高村光太郎、萩原朔太郎、室生犀星でした。三好達治のもとに集まった「四季」の詩人や、草野心平が集めた「歴程」の詩人はみんなそうなります。ですから新潮社『現代日本詩人全集』全12巻のうち第9巻以外は、極端に言えば歴史的資料として今日の読者のほとんどには顧みられないのです。「第2巻●藤村・晩翠・泣菫集」など明治新体詩最良の古典なのですが、それは明治の読者だけでなく後世の詩人に継承者が現れるような永続性はなかった。岩野泡鳴に有明・野口と等分のページを割いた「第3巻●有明・泡鳴・野口集」では意識的なアヴァンギャルドとして明治新体詩の限界を突破する企てがあり、革新性がありながらも、いまだにその意義と方法が解読され尽くしたとは言えない。同様に藤村、晩翠、泣菫が西洋ロマン派文学の移入による作風で脚光を浴びる中、日本の風土で日常言語による新体詩を模索していた「文庫」派3人集の「第4巻●酔茗・夜雨・清白集」は評価の定まらないうちに北原白秋、三木露風の登場で終息してしまった流派でした。
その白秋以降の詩人たちは第5巻~第8巻を経てようやく「第9巻●高村・室生・萩原集」になるのですが、第10巻から第12巻はいずれも大正詩壇の著名詩人や詩誌主宰者とはいえ、現代でも読むに値するのはこの中で唯一アウトサイダー的存在だった千家元麿しかいません。さらに第5巻~第8巻収録詩人にも、各巻著名詩人と忘却詩人の落差が大きい。第5巻なら北原白秋と三木露風では格が違い、川路柳虹は忘れ去られている。第6巻の石川啄木・山村暮鳥・三富朽葉というのも関連性といえば詩界の主流から孤立していたくらいで朽葉などは生前刊行詩集すらなく、啄木と他の2人では知名度が開きすぎる(とはいえ、啄木も生前は一介の無名詩人でしたが)。第7巻の日夏耿之介と西條八十は大正期に華やかな詩人で、日夏は熱心な崇拝者を集めて畏敬され、八十は露風の後継者となり投稿詩選者を勤めアマチュア詩人の指導者を経て大流行作詞家になりましたが、加藤介春は萩原、めったに褒めない日夏の賞賛にも関わらず知る人ぞ知る渋い存在です。第8巻の堀口大學・佐藤春夫はともに慶応大学教授時代の永井荷風に学び、明治~大正~昭和と長い詩歴を持ち、互選集まであるほど私生活でも学生時代からの親友と知られますが、生田春月は大正期に感傷的な抒情詩で多くの少女読者を持ち、苦難な生い立ちと真率な人柄で詩人仲間からの友情は篤かったものの、その詩は現代詩の水準では評価されなかったのです。春月は痛ましい投身自殺を遂げましたがこの時代までの詩人たちはほぼ例外なく致命的な挫折を経験していると言ってよく、この詩人全集は43人の詩人を含みますが、高村・萩原・室生の3人だけが生きた影響力を持ち続けただけで40人は捨て駒になった。確率的にはそんなものかもしれません。
この全集には秀抜な編集が光る巻がありますが「第2巻●藤村・晩翠・泣菫集」の不動の評価、「第9巻●高村・室生・萩原集」が結果的に予言的なほど決定的な3人集になったのと同様、「第4巻●酔茗・夜雨・清白集」「第6巻●啄木・暮鳥・朽葉集」は「第3巻●有明・泡鳴・野口集」と同等以上に日本の詩を変える可能性のあった詩人たちでした。また「第5巻●白秋・露風・柳虹集」「第7巻●日夏・八十・介春集」「第8巻●春月・大學・春夫集」「第10巻●福士幸士郎・佐藤惣之助・千家元麿集」は明治末~大正期を代表する詩人たちには違いなく、同時期ながらいわゆる民衆派詩人と呼ばれる「第11巻●白鳥省吾・福田正夫・野口雨情集」「第12巻●柳沢健・富田砕花・百田宗治」は第5巻~第10巻収録詩人たちの力量には明らかに一段見劣りがします。第5巻でも三木露風、川路柳虹は明治末の詩から大正の詩を安易で通俗的な方向に導いた詩人たちで、それが本来もっと優れた詩人になり得た西條八十、生田春月、百田宗治に悪い影響を及ぼしていた、と言えます。白秋は明治末の象徴主義新体詩を極端に装飾的に継承してまったく別物に変化させてしまいましたが、露風の手法は平易な通俗化によって素人でも書ける象徴主義新体詩の路を開いたことでした。象徴主義新体詩の批判者だった新進詩人たちから新たな口語詩運動としてほとんど行分けのスケッチやエッセイを詩作として発表し、容易に模倣の可能なスタイルから人気を博して大正詩壇のボスになったのが川路柳虹でした。三木露風が潰してしまった、象徴主義新体詩とはまったく異なる発想による明治末新体詩の可能性こそは雑誌「文庫」に依った「文庫派」3人集の「第4巻●河井酔茗・横瀬夜雨・伊良子清白集」にあり、柳虹と同世代詩人で本質的に新しい詩を実現して優れた正確を残しながら、生前ほとんど注目されなかった夭逝詩人たちが「第6巻●石川啄木・山村暮鳥・三富朽葉集」の3人です。この第4巻と第6巻の間に「第5巻●白秋・露風・柳虹篇」が入るというのは、皮肉を意図しているとは思えませんが、すでに全員が物故詩人となり歴史のパースペクティヴを通して見ると、現代的評価はむしろ『現代詩人全集』でもマイナーな詩人たちの復権の可能性にあるとも言えます。
第1章・蒲原有明、第2章・高村光太郎と金子光晴と来て、唐突に包括的かつ無謀に専門的な題目になりました。これが前述の河出書房『日本現代詩大系』昭和25年~26年・全10巻(増補版・河出書房新社、昭和49年~51年・全13巻)や、創元社『全詩集大成・現代日本詩人全集(昭和28~30年・全15巻)ならば現代の詩につながってくる昭和詩まで視野に入ってくるのですが、昭和4~5年刊行の『現代日本詩人全集』は本当に大正詩人止まりなので、大正詩の不毛と可能性の挫折をそのまま反映している。特に文庫派3人集「第4巻●酔茗・夜雨・清白集」、口語詩初期の挫折詩人「第6巻●啄木・暮鳥・朽葉集」は現代詩が別の方向に発展していたかもしれないスリルを感じさせます。また第7巻の3人集を日夏・西條の人気詩人となぜか分けあった加藤介春も本格的な検討と位置づけがなされていない存在です。萩原朔太郎に加藤介春と日夏耿之介は自分と近い、と親近感を寄せられ、点の辛い日夏も介春の風格を認め、生田春月も『現代詩人全集』月報で敬愛の念を表明した詩人ですが、現在読まれているとはとても言えない。アンソロジーに代表詩が採られることすらありません。また第10巻の3人、福士幸次郎・佐藤惣之助・千家元麿は同世代の詩人に愛された詩人で、生田春月同様作品の良し悪しを置いても詩への純真な打ち込みから高い好感を寄せられていました。今や高い評価はできないこうした詩人の作品にも、当時一定の敬愛を集めただけのことはある温もりがあり、それは捨てるにしのびないものです。作品をご紹介する前にこうした長い前置きを書いたのは、古臭さや稚拙さにとらわれないで読んでいただきたい一心からでした。次回以降、具体的に作品を引例・ご紹介いたします。