人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(4); 伊良子清白『孔雀船』(b)

伊良子清白(1877-1946/『孔雀船』刊行の頃)

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 生前刊行に単行詩集『孔雀船』(明治39年1906年)1冊、他には文学全集『現代詩人全集』(新潮社・昭和4年=1929年)に自選詩集の収録があったきりの明治30年代の詩人、伊良子清白の詩編を、『孔雀船』から順を追ってご紹介する第2回は、前回の詩集冒頭の5編に続いて2編をご紹介します。冒頭5編は一応短詩というべき長さで内容も抒情詩と言えるものでしたが、今回の2編はいずれも100行を越え、「海の聲」は岩波文庫版で10ページ、「夏日孔雀賦」は14ページにもおよぶ長詩です。岩波文庫版『孔雀船』は110ページほどの小冊子で収録詩編は全18編ですから、この2編だけで22%の占有率になるわけで、しかもタイトルからも詩集『孔雀船』は孔雀と海が暗示されていますから、連続して配列されたこの2編は詩集の中心テーマを示すものと考えられます。「海の聲」は雑誌発表型では「海の聲山の聲」と題され、詩集収録に当たって半分の長さに改作されました(「海の聲山の聲」はのち原型に復して『現代詩人全集』に再録されており、この選詩集には『孔雀船』からは他には9編しか再録されていませんから、清白自身にも原型には愛着を持っていたと推察されます)。
 明治の詩で現代の読者が読みづらいのが、どの詩人にも長大な叙事詩や劇詩があることで、薄田泣菫蒲原有明はともに4冊の詩集を持つ好敵手で島崎藤村(やはり4冊)の系譜を大正詩に向けて大きく変革した詩人ですが、叙事詩と劇詩を含まない詩集はありませんでした。『孔雀船』にもさらに100行以上の叙事詩が「華燭賦」(明治33年=1900年12月「文庫」、「南の家北の家」三を分割改題)、劇詩「駿馬問答」(明治34年=1901年1月「文庫」)の2編あり、全18編中の4編ですがページ数からはこの4編だけで詩集の半分弱を占めています。先に『孔雀船』のタイトルに触れましたが、詩集名は「五月野」「きらら雲」「孔雀船」の三案が候補にあったと言われており、「五月野」は詩集収録詩編中前年の自信作(明治38年=1905年9月「文庫」)の表題ですが「きらら雲」「孔雀船」は蒲原有明の翻案叙事詩(劇詩)「姫が曲」(明治37年=1904年3月「新小説」/明治38年=1905年7月・第3詩集『春鳥集』本郷書院)に現れる造語です(「孔雀ぶね」の表記)。
 
 明治33年(1900年)10月~12月に「文庫」に連載された「南の家北の家」は清白の詩歴でも数少ない話題作になりましたが『孔雀船』では第3章だけを「華燭賦」と改題収録しているように、詩集の「海の聲」は明治37年(1904年)1月「文庫」発表「海の聲山の聲」を1/3程度に圧縮改作したもので、「夏日孔雀賦」は明治35年(1902年)6月「文庫」発表(孔雀のモチーフは「姫が曲」より早かったわけです)と、発表順では「華燭賦」(明治33年)、「駿馬問答」(明治34年)、「夏日孔雀賦」(明治35年)、「海の聲」(明治37年)になりますが「華燭賦」と「海の聲」は前述の通り雑誌発表型から最終章だけ独立させたもの、または大胆に圧縮改作しており、叙事詩・劇詩の全盛期だった明治30年代に清白はもっと多くの叙事詩を発表していますが、『孔雀船』にはただ4編を精選し、また短縮しているのもわかります。
 詩集『孔雀船』(明治39年)のうち半数の傑作は刊行前年の明治38年度に集中して書かれ、発表されていますが、清白は明治27年(1894年)以来の発表作品中明治33年(1900年)以降の詩編のみを対象とし、近年の作品ほど充実した内容になりました。それらは比較的短い抒情詩(清白の場合は客観的視点の作品が多いことから、叙事詩と抒情詩の区分が解釈次第で異なるので単純には言えず、「抒情的な短詩」という程度の区分ですが)で、詩人の第1詩集は取捨選択があってもいわば全詩集です。明治30年代の詩人として清白が叙事詩・劇詩を手がけたのは自然なことで、詩集の中では古い年代からほぼ毎年1編を採ったのは清白の詩歴を示すもので、また改作して密度を高めることで詩集『孔雀船』全体の調子とも整えており、詩編単位で読むとしたら現代の読者には確かに明治の叙事詩はとっつき辛い詩形です。しかし詩集の中にはしっくりはまる。また、明治20年代の『孝女白菊の歌』『十二の石塚』から与謝野鉄幹土井晩翠を通って薄田泣菫蒲原有明に至るまで、叙事詩・劇詩の実作で清白ほどこなれた成功例はほとんどないとも言えるのです。

(『孔雀船』明治39年1906年5月・佐久良書房/カヴァー装・本体)

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  海の聲  伊良子清白

いさゝむら竹打戰(うちそよ)
丘の徑(こみち)の果にして
くねり可笑しくつら/\に
しげるいそべの磯馴松(そなれまつ)

花も紅葉もなけれども
千鳥あそべるいさごぢの
渚に近く下り立てば
沈みて青き海の石

貝や拾はん莫告藻(なのりそ)
摘まんといひしそのかみの
歌をうたひて眞玉(またま)なす
いさごのうへをあゆみけり

波と波とのかさなりて
砂と砂とのうちふれ
流れさゞらぐ聲きくに
いせをの蜑(あま)が耳馴れし
音としもこそおぼえざれ

社をよぎり寺をすぎ
鈴振り鳴らし鐘をつき
海の小琴(をごと)にあはするに
澄みてかなしき簫(ふえ)となる

御座(ござ)の灣(いりうみ)西の方(かた)
和具の細門(ほそど)に船泛(う)けて
布施田の里や青波の
潮を渡る蜑(あま)の兒等

われその船を泛べばや
われその水を渡らばや
しかず纜(ともづな)解き放ち
今日は和子(わくご)が伴たらん

見ずやとも邊(べ)に越賀の松
見ずやへさきに青の峰
ゆたのたゆたのたゆたひに
潮の和(なご)みぞはかられぬ

和みは潮のそれのみか
日は麗らかに志摩の國
空に黄金(こがね)や集ふらん
風は長閑に英虞(あご)の山
花や縣(あがた)をよぎるらん

よしそれとても海士(あま)の子が
歌うたはずば詮ぞなき
歌ひてすぐる入海の
さし出の岩もほゝゑまん

言葉すくなき入海の
波こそ君の友ならめ
大海原に男(を)のこらは
あまの少女は江の水に

さてもかとりの衣ならで
船路間近き藻の被衣(かつぎ)
女だてらに水底の
黄泉國(よもつぐに)にも通ふらむ

黄泉の醜女(しこめ)は嫉妬(ねたみ)あり
阿古屋(あこや)の貝を敷き列ね
顏美(よ)き子等を誘ひて
岩の櫃もつくるらん

されば海(わた)なる底ひには
父も沈しづみぬちゝのみの
母も伏(こや)しぬ柞葉(はゝそは)
生れ乍らに水潛る
歌のふしもやさとるらん

櫛も捨てたり砂濱に
(かざし)も折りぬ岩角に
黒く沈める眼のうちに
映るは海の泥(こひぢ)のみ

若きが膚も潮沫(しほなわ)
觸るゝに早く任せけむ
いは間にくつる捨錨(すていかり)
それだに里の懷しき

哀歌をあげぬ海なれば
花草船(はなぐさふね)を流れすぎ
をとめの群も船の子が
袖にかくるゝ秋の夢

夢なればこそ千尋なす
海のそこひも見ゆるなれ
それその石の圓くして
白きは星の果ならん

いまし蜑(あま)の子艪拍子(ろびやうし)
など亂聲(らんざう)にきこゆるや
われ今海をうかがふに
とくなが顏は蒼みたり

ゆるさせたまへ都人(みやこびと)
きみのまなこは朗らかに
いかなる海も射貫くらん
傳へきくらく此(この)海に
男のかげのさすときは
かへらず消えず潛女(かつぎめ)
深き業とぞ怖れたる

われ微笑にたへやらず
肩を叩いて童形(どうぎやう)
神に翼を疑ひし
それもゆめとやいふべけん

島こそ浮べくろ/″\と
この入海の島なれば
いつ羽衣の落ち沈み
飛ばず翔らず成りぬらむ

見れば紫日を帶びて
陽炎(かぎろ)ひわたる玉のつや
つや/\われはうけひかず
あまりに輕き姿かな

(しら)ら松原小貝濱(こがひはま)
泊つるや小舟(をぶね)船越(ふなごし)
昔は汐も通ひけん
これや月日の破壞(はゑ)ならじ

潮のひきたる煌砂(きらゝずな)
うみの子ならで誰かまた
かゝる汀(みぎは)に仄白き
鏡ありとや思ふべき

大海原と入海と
こゝに迫りて海神(わたつみ)
こゝろなぐさや手すさびや
(くが)を細めし鑿(のみ)の業(わざ)

今細雲の曳き渡し
紀路は遙けし三熊野や
白木綿(しらゆふ)咲ける海岸(うみぎし)
落つると見ゆる夕日かな

(初出・明治37年=1904年1月「文庫」発表「海の聲山の聲」より改作)
*
  夏日孔雀賦  伊良子清白

園の主に導かれ
庭の置石石燈籠(いしどうろ)
物古(ふ)る木立築山の
景有る所うち過ぎて
池のほとりを來て見れば
棚につくれる藤の花
紫深き彩雲(あやぐも)
陰にかくるゝ鳥屋(とや)にして
(つがひ)の孔雀砂を踏み
優なる姿睦つるゝよ

地に曳く尾羽の重くして
歩はおそき雄(を)の孔雀
雌鳥(めとり)を見れば嬌(たを)やかに
柔和の性は具ふれど
綾に包める毛衣(けごろも)
己れ眩き風情あり

雌鳥雄鳥(をどり)の立竝び
砂にいざよふ影と影
飾り乏(とぼし)き身を恥ぢて
雌鳥は少し退けり
落羽は見えず砂の上
清く掃きたる園守(そのもり)
(はゝき)の痕も失せやらず
一つ落ち散る藤浪(ふぢなみ)
花を啄(ついば)む雄(を)の孔雀
長き花總(はなぶさ)地に垂れて
歩めば遠し砂原(いさごばら)
見よ君來れ雄の孔雀
尾羽擴(ひろ)ぐるよあなや今
あな擴げたりこと/″\く
こゝろ籠めたる武士(ものゝふ)
晴の鎧に似たるかな
花の宴(さかもり)宮内(みやうち)
櫻襲(さくらがさね)のごときかな
一つの尾羽をながむれば
右と左にたち別れ
みだれて靡く細羽の
金絲(きんし)の縫(ぬひ)を捌くかな
圓く張りたる尾の上に
圓くおかるゝ斑(ふ)を見れば
雲の峯湧く夏の日に
炎は燃ゆる日輪の
半ば蝕する影の如(ごと)
さても面は濃やかに
げに天鵞絨の軟かき
これや觸れても見まほしの
指に空しき心地せむ

いとゞ和毛(にこげ)のゆたかにて
胸を纒へる光輝(かゞやき)
紫深き羽衣は
紺地の紙に金泥(こんでい)
文字を透すが如くなり
(かぶり)に立てる二本(ふたもと)
羽は何物直にして
位を示す名鳥の
これ頂(いたゞき)の飾なり
身はいと小さく尾は廣く
盛なるかな眞白なる
砂の面を歩み行く
君それ砂といふ勿れ
この鳥影を成す所
(たへ)の光を眼にせずや
仰げば深し藤の棚
王者にかざす覆蓋(ふくがい)
形に通ふかしこさよ
四方に張りたる尾の羽の
めぐりはまとふ薄霞(うすがすみ)
もとより鳥屋(とや)のものなれど
鳥屋より廣く見ゆるかな

何事ぞこれ圓(まど)らかに
張れる尾羽より風出でゝ
見よ漣(さゞなみ)の寄るごとく
羽と羽とを疾(と)くぞ過ぐ
天つ錦(にしき)の羽の戰(そよ)
香りの草はふまずとも
香らざらめやその和毛(にこげ)
八百重(やほへ)の雲は飛ばずとも
響かざらめやその羽がひ
獅子よ空しき洞をいで
小暗き森の巖角に
その鬣(たてがみ)をうち振ふ
猛き姿もなにかせむ
鷲よ御空を高く飛び
日の行く道の縱横に
貫く羽を搏ち羽ぶく
雄々しき影もなにかせむ
(たれ)か知るべき花蔭に
鳥の姿をながめ見て
朽ちず亡びず價(あたひ)ある
永久(とは)の光に入りぬとは
誰か知るべきこゝろなく
庭逍遙(せうえう)の目に觸れて
孔雀の鳥屋の人の世に
高き示しを與ふとは
時は滅びよ日は逝けよ
形は消えよ世は失せよ
其處に殘れるものありて
限りも知らず極みなく
輝き渡る樣を見む
今われ假(か)りにそのものを
美しとのみ名け得る

振放け見れば大空の
日は午に中(あ)たり南(みんなみ)
高き雲間に宿りけり
織りて隙なき藤浪の
影は幾重に匂へども
紅燃ゆる天津日(あまつひ)
焔はあまり強くして
(をさ)と飛び交ひ箭(や)と亂れ
銀より白き穗を投げて
これや孔雀の尾の上に
盤渦(うづ)卷きかへり迸(ほとばし)
或は露と溢れ零(お)
或は霜とおき結び
彼處(かしこ)に此處に戲るゝ
千々(ちゞ)の日影のたゞずまひ
深き淺きの差異(けじめ)さへ
色薄尾羽(いろうすをば)にあらはれて
涌來(わきく)る彩の幽かにも
末は朧に見ゆれども
盡きぬ光の泉より
ひまなく灌(そゝ)ぐ金の波
と見るに近き池の水
あたりは常のまゝにして
風なき晝の藤の花
靜かに垂れて咲けるのみ

今夏の日の初めとて
蒲刈り葺く頃なれば
力あるかな物の榮(はえ)
若き緑や樹は繁り
煙は深し園の内
石も青葉や萌え出でん
雫こぼるゝ苔の上
雫も堅き思あり
思へば遠き冬の日に
かの美しき尾も凍る
寒き塒(ねぐら)に起臥して
北風通ふ鳥屋のひま
(ふたつ)の翼うちふるひ
もとよりこれや靈鳥の
さすがに羽は亂さねど
塵のうき世に捨てられて
形は薄く胸は痩せ
命死ぬべく思ひしが
かくばかりなるさいなみに
鳥はいよ/\美しく
奇しき戰(いくさ)や冬は負け
春たちかへり夏來り
見よ人にして桂の葉
鳥は御空の日に向ひ
尾羽を擴げて立てるなり
讚に堪へたり光景の
庭の面にあらはれて
雲を驅け行く天の馬
翼の風の疾(と)く強く
彼處(かしこ)蹄や觸れけんの
雨も溶き得ぬ深緑
(おり)未だ成らぬ新造酒(にひみき)
流を見れば倒しまに
底こと/″\くあらはれて
天といふらし盃(さかづき)
落すは淺黄(あさぎ)瑠璃の河
地には若葉の神飾り
誰行くらしの車路(くるまぢ)
朝と夕との雙手(もろで)もて
さゝぐる珠は陰光(かげひかり)
溶けて去なんず春花に
くらべば強き夏花や
成れるや陣に驕慢の
(なんぢ)孔雀よ華やかに
又かすかにも濃(こま)やかに
千々(ちゞ)の千々なる色彩(いろあや)
間なく時なく眩ゆくも
(あら)はし示すたふとさよ
草は靡きぬ手を擧げて
木々は戰(そよ)ぎぬ袖振りて
即ち物の證明(あかし)なり
かへりて思ふいにしへの
人の生命の春の日に
三保の松原漁夫(いさりを)
懸る見してふ天の衣(きぬ)
それにも似たる奇蹟かな
こひねがはくば少くも
此處も駿河とよばしめよ

斯くて孔雀は尾ををさめ
妻戀ふらしや雌(め)をよびて
語らふごとく鳥屋の内
花恥かしく藤棚の
柱の陰に身をよせて
隱るゝ風情哀れなり
しば/\藤は砂に落ち
ふむにわづらふ鳥と鳥
あな似つかしき雄(を)の鳥の
羽にまつはる雌の孔雀

(初出・明治35年=1902年6月「文庫」)