人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

現代詩の起源(4); 伊良子清白『孔雀船』(d)

伊良子清白(1877-1946/『孔雀船』刊行の頃)

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 生涯に1冊の単行詩集『孔雀船』(明治39年1906年)しか遺さなかった詩人・伊良子清白は明治30年代に地味な詩誌「文庫」でもさらに地味な存在でしたが、詩集刊行とともに「文庫」からも退いた清白が『孔雀船』だけで明治期最高の詩人との評価が定着したのは昭和期に入ってからでした。『孔雀船』は詩人の生前に佐久良書房からの初版、梓書房からの再刻版(昭和4年=1929年)、岩波文庫版(昭和13年=1938年)があり、初版と再刻版は四号大活字版で本文188ページですが、岩波文庫版は文庫としては大きな14級活字でも本文98ページ、序文・目次・解説を合わせても110ページほどの小冊子です。この紹介は詩集の配列順に従い、岩波文庫版でも踏襲されている初版以来の総ルビを誤字・誤植を正し過剰なルビを整理した森亮氏校訂版(講談社日本現代文学全集、筑摩書房現代文学体系所収)に依りました。
 第1回では冒頭の5編「漂泊」(明治38年1月「文庫」)、「淡路にて」(明治38年9月「文庫」、「夕蘭集」より)、「秋和の里」(明治35年12月「文庫」)、「旅行く人に」(明治36年3月「文庫」)、「島」(明治34年9月「文庫」、「海の歌」第四篇)をご紹介しました。岩波文庫版では14ページ分に当たります。第2回でご紹介したのは続く「海の聲」(明治37年1月「文庫」、「海の聲山の聲」改稿改題)、「夏日孔雀賦」(明治35年6月「文庫」)でともに長詩になり、2編で岩波文庫版で26ページ分を占めています。第3回では「花賣」(明治36年2月「文庫」)、「日光月光」(明治38年1月「文庫」)、「華燭賦」(明治33年12月「文庫」、原題「南の家北の家(三)」)で、「日光月光」がやや長く、「華燭賦」は「海の聲」同様もっと長かった長詩からの改題改作で、3編で21ページ分に当たります。ここまでで『孔雀船』全18編中10編で61ページですからページ数ではほぼ6割、残り8編で37ページになり、詩集前半の中盤以降に長詩を集中的に配置した意図がうかがえます。詩集後半37ページでは巻末の12ページにおよぶ長詩「駿馬問答」(明治34年1月「文庫」)以外は7編で25ページですから平均して1編当たり3~4ページの短詩が並びます。

 詩集『孔雀船』は当時の平均的な詩集の1/2~1/3程度のヴォリュームのものでした。詩集編纂時に清白には160編の既発表・未発表詩編があったそうですし、新潮社・昭和4年刊『現代詩人全集』第4巻の河井醉茗・伊良子清白・横瀬夜雨集でも清白は2段組150ページ相当の「伊良子清白集」にも121編(うち『孔雀船』と重複9編、「海の聲」の原型「海の聲山の聲」を含め10編)を発表していますから、詩人の第1詩集は既発表作品の大半を収めるのが普通だった当時では珍しい編集方針で編まれたのが『孔雀船』でした。清白には詩想や技法の重複を避ける意識があったのでしょう。しかし今回ご紹介する詩集後半のセクションは制作時期が集中しており、テーマや文体の共通性で連作をなしている部分と言って良いでしょう。「漂泊」から始まる詩集巻頭の5編が放浪というムードで緩くつながっているとすれば、長い譚詩「歌の聲」「夏日孔雀賦」は海と孔雀にまつわるロマン、「花賣」「日光月光」「華燭賦」は3編だけで多彩な文体・技法・テーマを長短取り混ぜて示したものでした。
 今回ご紹介する詩集後半からの6編は詩集中盤に集中させた長詩から一気に引き締まった短詩のセクションになり、「五月野」(明治38年9月「文庫」、「夕蘭集」より・原題「かくれ沼」)、「花柑子」(明治38年9月「文庫」、「夕蘭集」より)、「不開の間」(制作・発表時期不詳)、「安乘の稚兒」(明治38年9月「文庫」、「夕蘭集」より)、「鬼の語」(明治36年1月「文庫」、「山岳雜詩」巻頭詩「陰の巻」独立改題)、「戲れに」(明治38年9月「文庫」、「夕蘭集」より)で岩波文庫版でちょうど20ページ分になります。詩集はあと巻末に2編「初陣」(明治33年9月「文庫」)、「駿馬問答」(明治34年1月「文庫」)があり「初陣」が5ページ、「駿馬問答」が12ページで、この2編は制作時期の近さもあり(『孔雀船』では初期に属する作品でもあります)、ほとんど明治38年9月「文庫」に一挙発表の「夕蘭集」をまとめた直前の配列と対照をなしています。「五月野」は原題の「こもり沼」より美しいタイトルですが、このセクションは一種のフォークロア(民間伝承)をテーマにしたもので、語り口はフォークロアですが内容はパロディといえる「戲れに」で締められているためにテーマへの偏重が目立たない効果が出ています。明治38年は1月に「漂泊」「日光月光」、9月に「夕蘭集」5編といずれも詩集を代表する傑作ばかりで清白の創造力がピークに達した年ですが、唯一発表誌不詳の「不開の間」を留保すると清白はホームグラウンドにしていた「文庫」以外にも多くの文学誌に作品を発表しており、特に「明星」では端正なロマン派詩人として優遇されていました。しかし『孔雀船』は「文庫」発表作品で占められ、それぞれの詩が揺るぎない位置に収まっています。もっとも早い時期に発表された巻末の2編も印象的で優れたものです。また清白のフォークロア的作品が西洋文学とは無関係に書かれながら日本的な限定を越えて、超歴史的かつ世界的な普遍性を備えている、という日夏耿之介の激賞は正鵠を得ているように思われます。
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(『孔雀船』明治39年1906年5月・佐久良書房/カヴァー装・本体)

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  五月野  伊良子清白

五月野(さつきの)の晝しみら
瑠璃囀(るりてん)の鳥なきて
草長き南國(みなみぐに)
極熱(ごくねつ)の日に火(も)ゆる

謎と組む曲路(まがりみち)
深沼(ふけぬま)の岸に盡き
人形(ひとがた)の樹立(こだち)見る
石の間(ひま)(あを)き水

水を截(き)る圓肩(まろがた)
睡蓮(ひつじぐさ)花を分け
のぼりくる美(うま)し君
柔かに眼を開けて

玉藻髮(たまもがみ)(さば)け落ち
眞素膚(ますはだ)に飜(か)へる浪
木々の道木々に倚(よ)
(さは)の草多(さは)にふむ

葉の裏に虹懸り
姫の路金(こがね)撲つ
大地(おほづち)の人離野(ひとがれの)
變化居(を)る白日時(まひるどき)

垂鈴(たりすゞ)の百濟物(くだらもの)
熟れ撓(たわ)む石の上
みだれ伏す姫の髮
高圓(たかまど)の日に乾く

手枕(たまくら)の腕(かひな)つき
白玉(しらたま)の夢を展(の)
處女子(をとめご)の胸肉(むなじゝ)
力ある足(たり)の弓

五月野(さつきの)の濡跡道(ぬれとみち)
深沼(ふけぬま)の小黒水(をぐろみづ)
落星(おちぼし)のかくれ所(ど)
(つた)へきく人の子等

空像(うたかた)の數知らず
うかびくる岸の隈(くま)
湧き上ぼる高水(たかみづ)
いま起る物の音

めざめたる姫の面(おも)
丹穗(にのほ)なす火にもえて
たわわ髮身を起す
光宮(ひかりみや)(たま)の人

微笑みて下り行く
(うみ)の底姫の國
(あ)うらふむ水の梯(はし)
物の音遠ざかる

目路(めぢ)のはて岸木立(きしこだち)
晝下(お)ちず日の眞洞(まほら)
迷野(まよひの)の道の奧
水姫(みづひめ)を誰(たれ)知らむ

(初出・明治38年=1905年9月「文庫」、「夕蘭集」より・原題「かくれ沼」)
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  花柑子  伊良子清白

島國の花柑子(はなかうじ)
高圓(たかまど)に匂ふ夜や
大渦(おほうづ)の荒潮(あらじほ)
羽をさめほゝゑめり

病める子よ和(なご)の今
窓に倚り常花(とこはな)
星村(ほしむら)にぬかあてゝ
さめ/″\となけよかし

(いく)をとめ月姫(つきひめ)
新なる丹(に)の皿に
開命(さくいのち)貴寶(あで)を盛り
よろこびの子にたびん

清らなる身とかはり
五月野(さつきの)の遠(をち)を行く
花環(はなたまき)虹めぐり
(しろがね)の雨そゝぐ

(初出・明治38年=1905年9月「文庫」、「夕蘭集」より)
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  不開の間  伊良子清白

花吹雪
まぎれに
さそはれて
いでたまふ
(たち)の姫

(むしば)める
古梯(ふるはし)
眼の前に
(やぐら)だつ
不開(あけず)の間

(かぐ)の物
(た)きさし
採火女(ひとり)めく
影動き
きえにけり

夢の華
處女(をとめ)
胸にさき
きざはしを
のぼるか

諸扉(もろとびら)
さと開(あ)
風のごと
くらやみに
(た)ぞあるや

色蒼く
まみあけ
衣冠(いくわん)して
束帶(そくたい)
人立てり

思ふ今
いけにへ
百年(もゝとせ)
人柱(ひとばしら)
えも朽ちず

年若き
つはもの
戀人を
持ち乍(なが)
うめられぬ

(け)し瞳
炎に
身は燃えて
死にながら
輝ける

何しらん
禁制(いましめ)
姫の裾(すそ)
なほ見えぬ
扉とづ

白壁に
居る蟲
春の日は
うつろなす
暮れにけり

(制作・発表時期不詳)
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  安乘の稚兒  伊良子清白

志摩しまの果て安乘(あのり)の小村(こむら)
早手風(はやてかぜ)岩をどよもし
柳道木々を根こじて
虚空(みそら)飛ぶ斷(ちぎ)れの細葉(ほそば)

水底(みなぞこ)の泥を逆上げ
かきにごす海の病(いたづき)
そゝり立つ波の大鋸(おほのこ)
(よ)げとこそ船をまつらめ

とある家(や)に飯(いひ)蒸せかへり
(を)もあらず女(め)も出で行きて
稚兒(ちご)ひとり小籠(こかご)に坐り
ほゝゑみて海に對(むか)へり

荒壁の小家(こいへ)一村(ひとむら)
反響(こだま)する心と心
稚兒(ちご)ひとり恐怖(おそれ)をしらず
ほゝゑみて海に對へり

いみじくも貴(たふと)き景色
今もなほ胸にぞ跳(をど)
(わか)くして人と行きたる
志摩のはて安乘(あのり)の小村(こむら)

(初出・明治38年=1905年9月「文庫」、「夕蘭集」より)
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  鬼の語  伊良子清白

顏蒼白き若者に
(ひそ)める不思議きかばやと
村人數多(あまた)來れども
彼はさびしく笑ふのみ

(きそ)の日村を立出でゝ
仙者(せんじや)が嶽(たけ)に登りしが
恐怖(おそれ)を抱くものゝごと
山の景色を語らはず

傳へ聞くらく此(この)河の
きはまる所瀧ありて
其れより奧に入るものは
必ず山の祟(たゝり)あり

蝦蟆(がま)(き)を吹いて立曇(たちくも)
篠竹原(しのだけはら)を分け行けば
冷えし掌(てのひら)あらはれて
(うなじ)に顏に觸るゝとぞ

陽炎(かげろふ)高さ二萬尺
黄山赤山黒山の
劍を植ゑたる頂に
祕密の主は宿るなり

(ぼに)の一日(ひとひ)は暮れはてゝ
淋しき雨と成りにけり
(け)しく光りし若者の
(まなこ)の色は冴え行きぬ

劉邦(いま)だ若うして
谷路(たにぢ)の底に蛇(じや)を斬りつ
而うして彼れ漢王の
位をつひに贏(か)ち獲たり

この子も非凡山の氣(け)
(あ)たりて床に隱(こも)れども
禁を守りて愚鈍者に
鬼の語(ことば)を語らはず

(初出・明治36年1903年1月「文庫」、連作「山岳雜詩」巻頭詩「陰の巻」独立改題)
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  戲れに  伊良子清白

わが居(を)る家の大地(おほづち)
黒き帝(みかど)の住みたまひ
地震(なゐ)の踊(をどり)の優(いう)なれば
下り來れと勅あれど
われは行きえず人なれば

わが居る家の大空に
白き女王(めぎみ)の住みたまひ
星の祭の艶(えん)なれば
上り來れと勅あれど
われは行きえず人なれば

わが居る家の古厨子(ふるづし)
遠き御祖(みおや)の住みたまひ
とこ降る花のたへなれば
開けて來れとのたまへど
われは行きえず人なれば

わが居る家の厨内(くりやうち)
働く妻をよびとめて
(ゆふべ)の設(まけ)をたづぬるに
好める魚(うを)のありければ
われは行きけり人なれば

(初出・明治38年=1905年9月「文庫」、「夕蘭集」より)