だててんりゅう - 1971 (Gyuune, 1996)
だててんりゅう - 1971 (Gyuune, 1996) Full Album : https://youtu.be/b3tpUSVs47s
Recorded at studio live in 1971-1973
Released by Gyuune Cassette CD95-06, October 25, 1996
(Track Number)
1. ぶっこわれた僕 (作詞作曲・楢崎裕史/編曲・隣雅夫) - 4:17
2. 春げしき (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 10:07
3. 泥まみれ (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 20:02
4. Part-4 (作詞作曲・楢崎裕史/編曲・だててんりゅう) - 4:01
5. あぶくの味 (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 8:30
[ だててんりゅう ]
隣雅夫 - Organ
楢崎裕史 - Vocals, Bass, Harmonium
中村好孝 - Drums (tracks: 1,2,3)
山下圭 - Guitar (tracks: 4,5)
上田省吾 - Drums (tracks: 4,5)
*
(Original Gyuune "だててんりゅう 1971" CD Liner Cover & CD Label)
今回はパンクもメタルもぶっとばす凄まじいオルガン・トリオの日本の'70年代バンド、それも強烈な日本語ヴォーカルなのに歌詞がまったく聞き取れません。しかもこれに似たスタイルのバンドが存在しないばかりかあまりに異質で突然変異的なので、日本や世界という枠を飛び越えているどころか、音楽だけ聴くといつの時代の録音かも断定できない超越性すら感じます。'70年代に京都を拠点とした、村八分、裸のラリーズと並ぶ伝説のロック・バンド、だててんりゅうは1971年に結成され、結成から25年経った1996年に初のアルバム(発掘音源)である本作が発表されて以来2006年までに7枚のアルバム、1枚のライヴ・コンピレーション参加作があります(リスト後述)。バンドの歴史についてはかつて公式サイト、
DATETENRYU OFFICIAL WEBSITE; http://homepage2.nifty.com/unto/sub02.html
が5年前にはありましたが、現在は消滅しています。バンドは1983年に活動休止宣言し、1996年にリーダーの隣雅夫とオリジナル・ベーシストでヴォーカルの楢崎裕史の再会から活動を再開し、この『だててんりゅう 1971』はバンドの復活をサポートする形でリリースされ、以来次々と未発表になっていたスタジオ録音音源、ライヴ音源がCD化されました。現在は消滅している公式サイトにはバンド・ヒストリーが記録されていましたので、そこに記載されていた1971年~1983年の年表を転載させていただきます。実質的にはだててんりゅうは1981年のライヴで活動休止に入っていましたが、バンドを去来したメンバー、共演したバンドの顔ぶれを見ると、日本の'70年代ロックのど真ん中を生き抜いてきたバンドなのがわかります。以下は、かつては存在していただててんりゅうオフィシャル・サイトからのヒストリーの転載です。
●1971年から2008年までの隣雅夫を中心とするだててんりゅうの主な活動歴
▽1971
◎5月 京都産業大学軽音楽部にて、隣雅夫(オルガン)、楢崎裕史(ヴォーカル、ベース)、上田省吾(ドラム)、山下圭(ギター)にて、だててんりゅう結成。
◎6月 京都産業大学にて加藤和彦のコンサートのオープニングアクトをつとめる。
◎7月 京都円山音楽堂にてサウンドクリエーター主催の『モップスコンサート』のオープニングアクトをつとめる。
▽1972
◎2月 御池ナショナル・ショウルームにて、定期的に自主企画コンサ-ト開始(2年間継続 )。豊田勇三、古川豪などジャンルをこえたゲストを迎えてのイベントを企画する。
◎7月 京都円山音楽堂、サウンドクリエーター主催の「だててんりゅう・ハートマザーオーツ・コンサート」。ゲストにモップス、井上陽水.やしきたかじんなどが出演。
◎9月 中村好孝(ドラムス)加入。
▽1973
◎5月『村八分』京大西部講堂レコーディングライブで、オープニングアクトを務める。
◎8月大坂万博会場ヤマハ8・8ロックディ参加(ウエストロードなど)。
◎10月 楢崎ひろし「頭脳警察」加入の為、脱退。
▽1974
◎10月京都成安女子大文化祭、京都平安女子大文化祭に出演。隣、中村、三須磨一也(ドラム)、野中ひろあき(ベース)、村地博(サックス)。ブルースハウス・ブルース・バンドと共演。ツインドラムにベースにオルガンそしてサックスとゆう編成で活動再開。
◎11月各地の大学文化祭に出演。
▽1975
◎4月 京都円山音楽堂スプリング・フェスフェスティバルに出演。(ダウンタウン・ブギウギ・バンド、桑名正博、ブラインドエキスプレス、ペドロ&カプリシャスなど出演)。隣雅夫(org.vo)、中村好考(dr)、野中ひろあき(b)、ゲストにフルート&サックスに市川修(ジャズ・ピアニスト)。飛び入りで当時、頭脳警察の楢崎ひろし(vo,herp)出演。京都KBSラジオにて、オン・エアー。
◎8月 大坂万博会場ヤマハ8・8ロックディ参加(上田正樹、ウエストロードなど)。隣雅夫(org.vo)、中村好考(dr)、野中ひろあき(b)、ZIN(g)。
◎9月 埼玉県浦和市の田島ケ原野外コンサートに出演。(四人囃子、あんぜんBAND、頭脳警察などと共演)
◎10月 現フロマージュ/シネマの谷口裕一(dr)加入。
◎12月 京大西部講堂「Mojo West 」大晦日コンサート出演。
▽1976
◎4月 井上衛(b)、五百頭旗邦彦(vo.g)、三須磨一也(dr)、三須磨大成(g)加入。各地ライブハウスを回る。
◎9月 埼玉県浦和市田島ケ原野外コンサート出演。東京・渋谷の屋根裏、高円寺次朗吉、三ノ輪モンドなどに出演。
▽1977
◎3月 京都ライブ・ハウス磔磔を中心に、隣、村地、井上衛(b)、杉浦正周(dr)、ZIN(g)、横川理彦(violin)にて即興演奏主体のライブ・パフォ-マンスを繰り返す(2年間)。
◎8月1日発行 阿木譲 主催の月刊誌rock magazine 隣雅夫、散文を公開。
◎8月 ブラインドエキスプレスから西峰裕(g)参加。
◎9月埼玉県浦和市の田島ケ原野外コンサートに出演。(四人囃子、魔人岩、ハルオフォンなどと共演)。
高円寺次朗吉出演。
◎10月 ドラックストアー主催の京大西部講堂コンサート出演(天地創造、ダダなど)。
◎12月 FM-NHK(若いこだま)出演(阿木譲企画)、3曲演奏。
▽1978
◎1月 ヤマハ神戸センター・ロックホライゾン出演(シェラザード、アイン・ソフなどと共演)。隣雅夫(org.syth.vo)、井上衛(b)、杉浦正周(dr)、西峰裕(g)、村地博(sax)。
▽1979
◎7月 京大西部講堂 村八分 再結成コンサートに、隣、ピアノ・オルガンで参加。
◎9月 京都ライブハウス 銀閣寺・サーカス&サーカス、祇園・共和村を中心に隣、三須磨大成(ギター)、末永雄三(ベース),岩本コージ(ドラム)だるま食堂から倉田潤(ギター)らでアンサンブル主体のライブ・パフォースマンスを繰り返す(2年間)。この頃は、INU(町田町蔵在籍)、ドクター(kyon在籍)とよく共演する
◎10月 京都 祇園・共和村ライブに山口富士夫(村八分)ギターで飛び入り出演。
◎11月 共和村ライブに浅田哲(村八分)ハープで飛び入り出演
◎12月 京大西部講堂REVO1980出演(フリクション、ノーコメンツ、キャラバンなど)。
▽1980
◎10月 京都府立勤労会館198X・だててんりゅうコンサート。ジー(ベース)加入。サポートプレイヤーに光森英毅(キーボード)。
◎12月 京大西部講堂コンサート出演(Tバード、キャラバン)。大阪 SABホール関西TV(ローリング・ポップス)出演。
▽1981
◎1月 尼崎ピッコロ・シアター・ライブ・ルネッサンス、だててんりゅうコンサート。
◎2月 サポートキーボード光森に替わりKYON参加。
◎8月 サーカス&サーカス出演を最後に、だててんりゅう名義のライブ活動を休止する。
◎11月 隣、井上、杉浦、スズカ・チェスナット・スタジオで数曲録音。ゲストギタリストに三十三間堂の中路ススム参加!
▽1982
◎2月 隣、井上、杉浦、スズカ・チェスナット・スタジオで数曲録音。
◎12月 隣、井上、杉浦、村地、松田幹夫(g)、KYON(p)、佐野東洋(sax)、スタジオ録音の作品中心に、サーカス&サーカスにてライブ。
▽1983
◎1月 リーダー隣雅夫の意向により音楽製作、ライブ活動休止!
▽1983年以降10数年間だててんりゅうは音沙汰無しとなる。
▽1983ー1995(活動中止)
◎NEXT 1996ー2005(無記載)
年表では上記までしか載っていませんでしたが、だててんりゅうは1996年の隣・楢崎による活動再開後に2002年まではライヴ活動を行い、2012年には10年ぶりの再々結成ツアーを行ったようです。その後の情報更新は日本語版ウィキペディアでも行われていないので、2006年のアルバム発表までしか判明しません。楢崎裕史はだててんりゅう脱退後はひろし、Hiroshi Nara、ひろしNa、なら名義で活動し、'90年代以降自分のバンドのニプリッツ、モールス、ポートカスを率いてギタリストに転向していたので、再々結成だててんりゅうでもギターを弾きながら歌っています。歌はますます壊滅的にぶっのわれ、ギター・ソロでは滅茶苦茶な速弾きを披露してリズムまで滅茶苦茶になのに平然としている姿には、さすが40年以上ものキャリアを積んだ堂々たる貫禄を感じさせます。隣雅夫のキーボードの音色やフレーズが1971~1973年録音の本作『1971』とまったく変わっていないのも大したものです。
◎だててんりゅう - ぶっこわれた僕 (2012年関西ツアー5月2日・大阪地下一階ライヴ) : https://youtu.be/BgkNIr1ptJE
アルバム『1971』の全5曲中、オリジナル・メンバーの上田省吾(ドラムス)、山下圭(ギター)参加の音源はTrack 4「Part-4」とTrack 5「あぶくの味」で、Track 1~3は中村好孝(ドラムス)参加のギターレス・トリオですから、年表のメンバー変遷からTrack 4と5が1971年録音、Track 1~3は1972年~1973年録音と推定されます。2007年以降リーダーの隣雅夫はソロ・アルバムをリリースしていますが、確認できる2006年までのだててんりゅうのバンド名義の発掘音源からのアルバムと新録音は、
1. 1971 (CD, Album / Gyuune Cassette / CD95-06) (1996年リリース)
2. Unto (CD, Album / Belle Antique / Belle 97370) (1997年リリース)
3. 1976 (CDr, Ltd / Hello Good-Bye Studio / HGM10002) (2000年リリース)
4. 凪 (Nagi) (CD, Album / Banana Songs / WPR-1211) (2000年リリース)
5. 2001 拾得 ライブ!(CD, Album / Banana Songs / WPR-1212) (2003年リリース)
6. Red Afternoon Blues (CD, Album / Banana Songs / WPR-1213) (2004年リリース)
7. Cool Flying Dragon (CD, Album / Banana Songs / WPR-1214) (2006年リリース)
8. ウラワ・ロックンロール・センター秘蔵音源復刻シリーズ/秘蔵ライブ音源BEST SELECTION1973~1983 (CD, Comp. / Caraway Records / CARA-3019) (2006年リリース)
以上のフルアルバム7枚、コンピレーション参加作1枚があります。他に「Underground復刻シリーズ」として『Vol.1 夕焼け祭り』『Vol.3 ラリーズ・ハウス・セッションat福生』『Vol.8 Underground Tracks 70's/V.A.』『Electric Allnight Show/1973.11.3-4@Saitama Univ.』などを出していた'70年代中央線沿線アンダーグラウンド・シーンの中心人物ドクター・アシッド・セブンによるDead Flowerレーベルが、楢崎裕史が参加した歴代バンドの未発表ライヴ音源オムニバス『Vol.2 HIROSHI伝説』(だててんりゅう、頭脳警察、裸のラリーズ、ほか)を2004年にリリースしており本作とは重複しないトリオ編成のだててんりゅうのライヴ・テイクが1曲聴けますが、これは「ウラワ・ロックンロール・センター秘蔵音源復刻シリーズ」として安全ばんどやPANTA発掘ライヴを出していた頭脳警察や安全ばんどの関係者によるCaraway Recordsと違って、だててんりゅうオフィシャル・サイトのディスコグラフィでも落とされている通り、隣雅夫には未認可によるもののようです。「Underground復刻シリーズ」そのものが法外な価格、収録アーティスト認可の形跡がないことから疑わしいリリースでしたが、『HIROSHI伝説』は楢崎裕史自身は公認、各バンドには非公認なのでしょう。しかし隣雅夫、楢崎裕史、中村好孝のギターレス・トリオ時代が1971年~1981年のだててんりゅうの活動でも最初のピークだったのは違いないと言えそうで、CDのインサートでも「このアルバムは、故・中村好孝(1981・没)に捧げる。」と隣雅夫が記しています。中村好孝が2代目ドラマーになったのが1972年9月、楢崎裕史が頭脳警察加入のため脱退したのが1973年10月ですから、このトリオ編成によるラインナップは正味1年だけ続いたものでした。
この『1971』はスタジオ録音とはいえ演奏全体が音割れしていて、ヴォーカルやベースにまでファズがかかったような状態なのでTrack 1~3の歌詞はほとんど聴きとれませんが、この3曲だけでもアナログLPのAB面に相当する分量があります。1972~73年の時点でこれが発売されていたら日本のロックはどうなっていただろうと慄然とするような演奏です。楽器編成はオルガン・トリオでエマーソン・レイク&パーマーというよりも、使用キーボードはオルガンだけなのでEL&P以前にキース・エマーソンが在籍していたバンド、ザ・ナイスに近く(ナイスはピアノも使っていましたが)、キーボード・トリオは当時プログレッシヴ・ロックに分類されていましたし、オルガンが縦横無尽に駆け回り、頻繁なリズム・チェンジや変拍子、ベースやドラムスとのインタープレイがあるといった点でも一応だててんりゅうはEL&Pや当時のEL&P影響下のプログレッシヴ・ロックのバンドとの共通点から見ることもできます。6/8拍子のインタープレイはグレッグ・レイクのいたキング・クリムゾンの「21Century Schizoid Man」を連想させますし、リズム・ブレイクからキーボードのアルペジオやバンド一丸となったユニゾン・プレイになる展開などはイエス、クリムゾン、EL&Pなどのアルバムを聴きこんで、学んでいないということはないでしょう。
しかし曲想や全体に満ちた殺気、切迫感はイギリスのプログレッシヴ・ロックはもちろん当時の日本のバンドでもそれこそ交友のあった裸のラリーズや村八分くらいにしか類例がないもので、歌詞が聞き取れなかったり演奏全体が割れてしまっている音質もかえって音楽の凶暴性を際だたせています。当時はまだ日本のロックでは英語詞で歌うか日本語で歌うかでバンドの姿勢が問われていた時代でしたが、ヴォーカルの楢崎裕史は迷わず日本語詞で歌っているのに(しかも京都アクセントもあって聞きとれません!)日本語ヴォーカルの響きまで音楽の凶暴さをいや増しています。楢崎裕史のヴォーカルはこうしたスタイルの音楽以外では歌とすら呼べないようなものでしょう。それは隣雅夫のオルガン、中村好孝のドラムスも同じで、アルバム最大の20分に及ぶ大作Track 3ではディストーションのかかったオルガン、ベース、ドラムスがガレージもパンクもメタルも超えてほとんどノイズかインダストリアル・ミュージックの域に達しています。同時代のチェコスロバキアのキーボード・バンド(1970年~1981年活動)、コレジウム・ムジカムのキーボード奏者マリアン・ヴァルガもほとんどノイズ・ミュージックに近づいた爆音を出していましたし、本家キース・エマーソンもライヴではフィードバック音を暴走させていましたが、隣雅夫はエマーソンもヴァルガも関係なく自分の発想でだててんりゅうのスタイルにたどり着いていたようです。これは楢崎裕史のヴォーカルとベース、中村好孝のドラムスのトリオ編成だからこそ到達したスタイルでもあって、音響実験的なTrack 4、楢崎裕史のシンガー・ソングライター的な面がフォーク・ロック期のボブ・ディランに似た曲想で現れているTrack 5も好ましい曲ですが、やはり本作『1971』はTrack 1~3の3曲に尽きるアルバムでしょう。ちなみにジュリアン・コープの『ジャップロック・サンプラー』では、本作はコープ選ジャップロック・ベスト・アルバム50の32位につけています。
(旧稿を改題・手直ししました)