人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン・誡(41)

 第5章。
 レストランの床にステッキが倒れ、シルクハットがひらりと落ちると床の上を転がってどこかのテーブルの下に潜り込みました。レストランの中の全員が----つまりムーミン谷の住民全員のうち、
・ここにいる人全員、と
・ここにいない人全員
 がハッとわれに帰りました。つい今しがたまで彼らは何だかめんどうくさい事態に関わりあっていたような気がしていましたが、つい一瞬、まるで閃光に打たれたかのように煩いの種は消えたのです。
 沈黙。ややあって、床にステッキが転がっているのは良くない、とヘムル署長が言いました。誰かが足をかけて転ぶかもしれない。そうですね、とスノークがステッキを拾いながら、でも何で誰もいないところでステッキが転がっていたのだろう、まるで空中から落ちてきたような現れ方をしましたよ、と気味悪そうに持ち上げました。スノークが何となく天井を見上げたので客席のトロールたちも何となく天井を見上げました。このくらいの怪異現象はムーミン谷では珍しくないことですが、それは後から話が伝わった場合こそ言えることなので、目の前で理解不能な何事かが起こった場合とは事情がだいぶ異なります。スノークは腰をかがめると数席離れたテーブルの下からシルクハットを拾いあげました。こんなのもある、とスノーク、まるでシルクハットとステッキだけ残して誰かが消えてしまったようにも見える。
 だったら脱衣所やコインランドリー、衣料品店は集団失踪の事件現場になってしまうよ、とヘムレンさん。コインランドリーって何ですか?とスノーク。話の流れから推察したまえ、とヘムレンさん。わかりました、とスノーク、服だけ残して着ていた者が消えているような設備ですね。おおむね正しいが、とヘムレンさん、煙草を喫いながらスポーツ新聞を読んでいる場合もある。
 誰かがシルクハットとステッキを落としていった、それは確かなんではないでしょうか、とスノークはヘムレンさんにはぐらかされながらも自説に固執しました。止めときゃいいのに、と偽ムーミン、それから偽フローレンは思いました。彼らは規格に合ったトロールではないので一瞬でムーミンママがレストランからムーミンパパの存在を記憶ごと抹消しても認識を保っていたのです。それに当然彼らもムーミンママの術中にはまったそぶりを続けねばならない必要がありました。さもなければ、彼らの存在も消されてしまいかねないからです。