人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

2017年映画日記5月1日~5月3日/フリッツ・ラング(1890-1976)のサイレント時代(1)

 オーストリア生まれのユダヤ系ドイツ人映画監督フリッツ・ラング(1890-1976)はゴダールの『軽蔑』1963で本人役で出演したのが最後の映画界での仕事になりましたが、非常に印象に残る役柄でラングというとあの映画のイメージが強い人も多いのではないでしょうか。ラングはまた現役監督時代が当時の映画監督では抜きん出て長かったことでも特筆すべき人で、監督第1作『混血児』1919から最後の監督作『怪人マブゼ博士』1960まで長編映画40作近くを40年あまりに渡って世に送り出してきた人です。ラングの現役時代はサイレント映画からトーキー化、カラー化、ワイドスクリーン化など映画の方式も次々と変わり、20世紀前半の歴史の激動が第二次世界大戦をピークにして観客の嗜好にも大きな変化をもたらした時代でした。ラングはナチス政権成立を機にアメリカに渡ってハリウッド映画の監督になりますが、ドイツ時代同様アメリカ時代でも第一線監督であり続けたしぶとい映画人でした。第1長編『混血児 Halbblut』(1919, Lost)、第2長編『愛のあるじ』Der Herr der Liebe (1919, Lost)は今日フィルムが散佚していますが、第3長編から最終作までのすべての作品は現在でもしばしば上映され、また映像ソフト化されている点でも突出した存在です。サイレント期ラングの同時代人ではチャールズ・チャップリン、カール・テホ・ドライヤー、アベル・ガンスが1889年生まれ、フリードリヒ・W・ムルナウ1888年生まれ、ラオール・ウォルシュが1887年生まれ、ゲオルグ・W・パプストとエリッヒ・フォン・シュトロハイムが1885年生まれ、ラングよりやや若い監督にはエルンスト・ルビッチが1892年生まれ、ジョン・フォードキング・ヴィダージョセフ・フォン・スタンバーグジャン・ルノワールが1894年生まれという具合に大変な才能が競い合っていた時代で、特にラングの1歳年上がチャップリン、ドライヤー、ガンスというとトーキー以降のラングの現役感が際立って感じられます。ラングは決してサイレント時代の作品『メトロポリス』だけの人ではないのです。なおサイレント時代のフリッツ・ラング監督長編作品は次のようになります。上映時間は現存フィルムの尺数によります。
1. 混血児 Halbblut (独デクラ/1919, Lost)*フィルム現存せず
2. 愛のあるじ Der Herr der Liebe (独ヘリオス/1919, Lost)*フィルム現存せず
3. 蜘蛛 Die Spinnen 第1部:黄金の湖 Der goldene See (独デクラ/1919) 69min
4. ハラキリ Harakiri (独デクラ/1919) 87min
5. 蜘蛛 Die Spinnen 第2部:ダイヤの船 Der Brillantenschiff (独デクラ/1920) 104min
6. 彷徨える影 Das wandernde Bild (独マイ/1920) 67min
7. 一人の女と四人の男 (争う心) Vier um die Frau : Kampfende Herzen (独デクラ・ビオスコープ/1921) 84min
8. 死滅の谷 Der mude Tod (独デクラ・ビオスコープ/1921) 96min
9. ドクトル・マブゼ Dr. Mabuse, der Spieler 第1部 大賭博師・時代の肖像 Der grosse Spieler, ein Bild der zeit. (独デクラ・ビオスコープ=ウーコ/1922) 155min
10. ドクトル・マブゼ Dr. Mabuse, der Spieler 第2部 犯罪地獄・現代人のゲーム Inferno, ein Spiel von Menschen unserer Zeit. (独デクラ・ビオスコープ=ウーコ/1922) 115min
11. ニーベルンゲン ジークフリート Die Nibelungen: Siegfried (独デクラ・ビオスコープ/1924) 143min. (1st part)
12. ニーベルンゲン クリームヒルトの復讐 Die Nibelungen: Kriemhilds Rache (独デクラ・ビオスコープ/1924) 145min. (2nd part)
13. メトロポリス Metropolis (独ウーファ/1927) 124min/150min
14. スピオーネ Spione (独ラング=ウーファ/1928) 150min
15. 月世界の女 Frau im Mond (独ラング=ウーファ/1929) 169min

●5月1日(月)
『蜘蛛 第1部:黄金の湖』Die Spinnen : Der goldene See (独デクラ'19/Re.'99)*69mins, B/W, Color Tintid, Silent with Music : https://youtu.be/N6ElNhMd2bA

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・原題の「蜘蛛」とは「秘密結社蜘蛛団」と呼ぶべきか、中国系(?)美女の女ボス、リオ・シャ率いる犯罪強盗組織で、主人公のアメリカ青年冒険家ケイ・ホーグと秘宝のありかを巡って争うのが連作の基本になっている。文献によると『混血児』がインディオと白人の混血美女を妻にした男の痴情悲劇(セシル・B・デミルの第1長編『スコウ・マン』1914も混血女性と結婚した男が偏見に晒される話だった。流行だったのか)、『愛のあるじ』が隣家の女中に誘惑され報復に妻に不貞された男の破滅劇だったそうだから、宝の地図を瓶に隠して海辺の岩場に追い詰められた男が射殺される場面から始まる本作は前2作のメロドラマからアクション映画路線に転向した作品になる。ムードも無国籍映画に近い。ヨットレースの訓練中に流れる瓶を広った主人公、すぐに新たな冒険が社交界の噂になる。地図の指示通り気球に乗るとなぜかインカ帝国の末裔の住む隠れ里に着くが、主人公が来なければはた迷惑な蜘蛛団もついてこなかったろうに、と突っ込み所満載。インカ人の末裔たちに邪険にされ困った主人公は偶然大蛇に襲われている巫女ナエラを助けて、彼女の導きでお宝のありかを知る。一方蜘蛛団は現地人に捕まりリオ・シャは儀式の生贄にされる寸前。主人公はリオ・シャも助けるが、そこは蜘蛛団、お宝の場所にご同行願おうという話になる。フィルムのカラー染色が映える場面だが、お宝の場所とは砂金が滝のように流れる洞窟の中だった。狂乱して岩礁状の金塊を奪いあう蜘蛛団の方々。だが主人公は洞窟内のガスに気づいて脱出を計る。しかし遅し、蜘蛛団が持ち込んだたいまつがガスに引火して大爆発。さて数日後のロンドン、事の顛末を博物学者に語る主人公。巫女ナエラは今は主人公の愛妻になっている。生存者は自分だけで蜘蛛団は壊滅したはず、と主人公。そこに不審な女性客が来てすぐ帰る。まさか、と愛妻の休むテラスに駆けつけるとナエラは刺殺されていて、胸の上に蜘蛛団の犯行の印、タランチュラの死骸が置いてあった。愛妻の死を悲しんで抱き上げながらリオ・シャは生きていたのか!と怒りを新たにする主人公。第1部完。これが現在でも観ることができる一番古いフリッツ・ラングの映画で長編第3作。あんまりな内容に面食らうが、1919年といえば大正8年、感覚的には100年前の映画なのだからとやかく言えない。しかしチャップリンの『犬の生活』『担へ銃』は1918年、ガンスの『戦争と平和』は同じ1919年、さらに同じ年には『幸福の谷』『スージーの真心』『散り行く花』を含むグリフィスの六部作、デミルの『男性と女性』もあるしさらにシュトロハイムの『アルプス颪』が1919年ではないかと思うと情けない。しかしいきなり逃亡する男の憔悴した表情のクローズアップから入る冒頭のシークエンスだけはやたら良くできていたりする。本作がヒットしたので予定していた『カリガリ博士』はロベルト・ヴィーネに譲ることになった、とラング自身が証言したり取り消したりしたそうで(『蜘蛛』は本来第4部まで作られることになっていたという)やたらと陰謀ムードが強調される面は後年の作品につながるのだが作風はまだ確立前だろう。ちなみに本作は1978年にプリントが発見されるまで50年間消失作品と思われていたという。現行ヴァージョンは1999年に修復されたもの。それを思えば簡単に観られること自体がありがたいとすべきか。

●5月2日(火)
『ハラキリ』Harakiri (独デクラ'19/Re.'87)*87mins, B/W, Color Tintid Silent with Music : https://youtu.be/S1elxQb47ew

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・原題は『Harakiri』そのまま。本作も'80年代にオランダでプリントが発見されるまで消失作品と思われていた。現行ヴァージョンは'87年の修復版。原作は『蝶々夫人』で西洋視察を終えたダイミョー・トクヤワが帰国して娘のオタケサンに西洋の文物を教える。それを怪僧がエンペラーに密告しトクヤワはエンペラーの命令で自害する。オタケサンは茶屋にゲイシャとして売られるが日本駐在中のヨーロッパ某国の海軍青年将校と恋に落ち、水揚げ金で999日間だけゲイシャの身を解かれて祝儀を挙げる。だが青年将校は祖国に呼び戻されてしまい、元々の婚約者と結婚する。オタケサンは将校との間に生まれた息子を育てながら帰国を待ち、オタケサンを恋するワカトノ・マタハリが再婚を申し込んでも応じない。999日の期限もあとわずかの頃にようやく将校は新妻と再び日本に来る。それを知ったワカトノ・マタハリは再びオタケサンに再婚を申し込むがオタケサンは将校の結婚を信じない。事情を打ち明けられた新妻はオタケサンを訪ねて事実を告げ、もうじきゲイシャに戻らねばならないオタケサンは絶望する。新妻は将校にオタケサンと話してきた、子供を引き取りましょうと戻るが、再び訪ねてきた夫妻に子供を託した隙にオタケサンはハラキリして果てる。これもすごい話でサディストの日本人美青年商社マン(早川雪洲)が有閑マダムを脅迫するデミルの『チート』1915がサイレント時代の国辱映画として名高いが、同じ荒唐無稽な話でもロサンゼルスの日本人にはまだしも人種混交社会のリアリティがあった。『ハラキリ』の日本はセットはなかなか立派だが全員ヨーロッパ人俳優が演じていることもあり、オタケサン役の女優さんは美人だがどう見ても日本人女性ではない。それは映画的虚構だからと寛容に見ても(そもそも女性が切腹する設定も変だが)いったいこれはいつの時代の日本なのか。怪僧などまるでラスプーチンのようだしエンペラーの勅命で即自害とは徳川時代をイメージしたものなのか、その割にはとっくに西洋と交易のある日本ということになっているし、要するに漠然とヨーロッパ人の思い浮かべる日本のイメージから作り上げた架空の異国であって、ダイミョーだとかワカトノだとかもっともらしいのはヨーロッパ人の考える貴族の概念を日本語に当てはめただけだろう。その割にはダイミョー令嬢オタケサンが怪僧の一存で茶屋にゲイシャに出される(笑)よくわからない身分構造になっているのだが、森鴎外がドイツ留学して35年あまり経った1919年でも大衆向けのエキゾチック・ジャパンはこんなものだった、と納得して見れば面白い。フィルム消失で観ることのできない『混血児』『愛のあるじ』もだいたいこんな情痴ドラマだったのかな、と想像もつく。『蜘蛛』になくて『ハラキリ』にあるのは屋内セットの左右対称の構図で、日本間だから左右対称が決まりやすいというのもあるがラングの作風が確立した『死滅の谷』以降の作品には左右対称の構図が緊張感を高める局面で符丁のように出てくる。珍品の怪作には違いないが実物を観て初めてホッとするスリリングな1作。また、サイレント後期の大作『スピオーネ』1928にも日本人外交官のハラキリ場面が出てくるので(もう昭和3年なのに)、観較べるのも面白い。

●5月3日(水)
『蜘蛛 第2部:ダイヤの船』Die Spinnen : Der Brillantenschiff (独デクラ'20/Re.'99)*104mins, B/W, Color Tintid, Silent with Music : https://youtu.be/N6ElNhMd2bA
・『蜘蛛』第2部の今回は前回と話につながりはなく、蜘蛛団に中国系アンダーグラウンド・マフィアが絡みインドやフォークランド諸島まで世界を巡る仏像に仕込まれたダイヤモンド探しで正義の味方ケイ・ホーグが忙しい。調べてみると『蜘蛛』2作は第1部が単独で『黄金の湖』として日本劇場公開されたものの第2部『ダイヤの船』は公開が見送られたらしい。初期のラング作品は『黄金の湖』以外は『混血児』『愛のあるじ』『ハラキリ』『ダイヤの船』に『彷徨える影』'20、『一人の女と四人の男』'21までが日本劇場未公開で、次の『死滅の谷』'21、『ドクトル・マブゼ』(第1部'21、第2部'22)からは順調に日本劇場公開されたと記録されている。もっとも『ドクトル・マブゼ』は第1部と第2部を合わせて短縮した編集版だったそうだが合わせて4時間半の大作では仕方あるまい。『蜘蛛』の場合は第1部と第2部に間が空いた上に合計2時間53分、しかし第1部と第2部の独立性が強く合わせて短縮版を作るにも不向きだった。この第2部、とにかく登場人物と場面転換が多い。欲張りすぎて観客(視聴者)が置き去りにされるほど映像の情報量が多いのだが、それが面白さと豊さになってはおらず無闇に錯綜して整理のつかないまま映画の進行とともに疲労感ばかりがつのり、しかも今回は1時間44分の長丁場で第1部の1.5倍もある。『黄金の湖』はインカ帝国の古代神殿の巨大セットを舞台に映像も適度に開放感のあるものだったが『ダイヤの船』の仏像探しは地下の洞穴で狭苦しい。蜘蛛団の女ボス、リオ・シャは前作に続いて出てくるが前作の巫女ナエラに相当するヒロインはいないし、見分けのつかない悪党集団はこれでもかと出てくるが同じような活劇シーンがくり返されるばかり。第1部から良い所を引いて悪い所ばかりを増幅させたような具合で、褒めるとしたらレストア修復映像の画質と美しいシーン染色しかなく、4部作が予定されていたシリーズなのに毒ガスに巻かれてリオ・シャも落命してしまう。まあ本作のヒット次第では遺体は替え玉とか実は双子の妹がとか続けようもあるが、1920年2月公開の怪奇映画『カリガリ博士』の大ヒットからドイツ映画の流行は変化して『蜘蛛』のような冒険活劇は流行らなくなる。よって次作は『蜘蛛』とも『ハラキリ』からも予想もつかないような作品になった。第1部はなかなかテンポ良く面白く観られたが、第2部はリオ・シャのキャラクター造型など第1部で済ませたからといわんばかりに性格描写がおざなりで独立性にも欠け、当時日本劇場公開が見送られたのも仕方ないという気がする。
(リンクはDVDと同一ではありません)