人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年11月4日~6日/サイレント時代のドイツ映画(2)

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 サイレント時代の映画史上でもグリフィスの『国民の創生』'15、『イントレランス』'16に続いて画期的作品になったのが、やはりグリフィスの『散り行く花』'19と同年に公開されたシュトロハイム『アルプス颪』'19(アメリカ)、ガンス『戦争と平和(戦渦の呪い)』'19(フランス)、そしてロベルト・ヴィーネの『カリガリ博士』'19(ドイツ)で、グリフィス作品の基本的な長編映画技法の確立と拡大・深化、シュトロハイムの徹底したリアリズムとタブーへの挑戦、ガンスの極端な実験性と壮大なスペクタクル性は以降のグリフィス、シュトロハイム、ガンス作品でも豊かな成果を生みましたが、それらと並んで甚大な影響力をドイツ本国はもとより西洋映画圏諸国ばかりか日本にももたらしたのが『カリガリ博士』で、中堅監督だったヴィーネは実質的にこの1作だけで映画史に名を残す監督になりました。日本では『カリガリ博士』の年1919年(大正8年)と言えば3月には『イントレランス』が公開されて大ヒットし国活映画社が創設され天活映画社を買収し、日本でも芸術映画運動が起こって「キネマ旬報」が7月に創刊され、8月には天活から帰山教正が日本初のコンテ割りシナリオを導入した『生の輝き』『深山の乙女』を公開します。翌1920年(大正10年)には大活映画社が谷崎潤一郎を文芸顧問に招いてアメリカ帰りのトーマス栗原が監督した『アマチュア倶楽部』が製作・公開され、『カリガリ博士』が日本公開された1921年(大正10年)5月の前月4月には、松竹社キネマ部が帝活映画社を合併した松竹キネマ社から第1回作品として、映画界では帰山教正、演劇界では小山内薫に師事した村田実監督による『路上の霊魂』を発表しており、『生の輝き』『深山の乙女』『アマチュア倶楽部』はその後散佚作品になっていますから実物が現存して全長版を観ることができる最古の本格的な日本の長編映画になっています。1920年前後は日本もかろうじて連ねる映画産出国の変革期だったので、前記の画期的作品群でも規模がコンパクトで心理サスペンス映画的なドラマ性を持ち、撮影・照明技法の示唆に富んだ『散り行く花』と『カリガリ博士』の直接の影響力は大きく、特に『カリガリ博士』は奇想と異常性によるサイコ・ホラー的側面で模倣作を多く生み出すことになり、ヴィーネ自身が大成しなかったのも成功作『カリガリ博士』の成功は見世物性に多くを負っていたことにある、と言えそうです。しかし当初映画社からフリッツ・ラングによる監督予定で企画が始まり、スケジュール上の都合で同僚監督のヴィーネに監督の座を譲ったラングですら『カリガリ博士』でのヴィーネの功績や成功には称賛を惜しまず、自作の方向性を転換させたので、ことドイツ映画史について言えばワイマール時代('19年~'33年)の最重要作品の筆頭に『カリガリ博士』が上がるのは、今後も変わらない映画史的評価になるでしょう。

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●11月4日(日)
『ハラキリ』Harakiri (監=フリッツ・ラング、Decla-Film'19.12.18)*87mins, B/W, Silent; 日本公開平成26年(2014年)8月2日 : https://youtu.be/EMaBzb243t8

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 日本が舞台の、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』'04(これは新派歌舞伎で名を上げた川上音二郎貞奴夫妻の川上座がドーデ原作の『サッフォー』の新派歌舞伎化の1901~1902年にドイツを含む欧州公演に着想されたと言われます)を翻案した本作は'15年の『蝶々夫人』映画化のリメイクと言えるもので、日本と中国とインドと帝政ロシアを混同した美術や衣装、描写でも珍作として名高く、ドイツ本国公開当時に日本公開のための資料取り寄せ(売り込み)もあったようですが当時の公開は見送られました。やはりアメリカ上映版(国際版)が日本には送られてきたらしく原題は『Madame Butterfly / Harakiri』となっています。ラングのエキゾチック趣味が悲劇メロドラマで披露された作品としてこれも試行錯誤期のドイツ映画の傾向を示す興味深い怪作と言え、大正時代の日本の配給元は試写会すらせず送り返したようで当時のキネマ旬報近着外国映画紹介にはデータしか残っていませんが、平成26年にもなってラング初期作品の特集上映が行われた際に一応日本公開作とされごく短くキネマ旬報映画データベースに記録されました。以下のようなものです。
[ 解説 ] サイレントからトーキー初期に至るドイツ映画を代表する監督フリッツ・ラングの初期作品。オペラ『蝶々夫人』を翻案し、長崎を舞台に当時の東洋感を読み取れる作品。日本劇場未公開だったが、2014年8月2日、シネマヴェーラ渋谷にて上映された。監督; フリッツ・ラング、脚本; デイヴィッド・ベラスコ、原作; マックス・ユング、製作; エリッヒ・ポマー、撮影; マックス・ファッスベンデル/カール・ホフマン、出演; パウルビーンスフェルト/リル・ダゴファー/ゲオルク・ヨーン/マインハルト・マウル/ルドルフ・レッティンゲル
[ あらすじ ] 長崎を舞台に、美しい大名の娘・おたけさんの波乱万丈の人生を描く。
 ――本作も'80年代にオランダでプリントが発見されるまで散佚作品とされていました。現行ヴァージョンは'87年の修復版です。あらすじを追うと、西洋視察から帰国した父のダイミョー・トクヤワ(パウルビーンスフェルト)が令嬢オタケサン(リル・ダゴファー)に西洋の文物を贈ります。テディベアとか反物とか他愛のないものですが、それをプリースト(ゲオルク・ヨーン)がエンペラーに密告し、トクヤワはエンペラーの勅令でハラキリをして自害します。オタケサンは茶屋経営者のアラキ(エルナー・ヒプシュ)にプリーストの手下カラン(ルドルフ・レッティンゲル)の斡旋で侍女ハナケ(ケーテ・キュスター)ともどもゲイシャとして売られますが、日本駐在中のヨーロッパ某国の海軍青年将校オラフ(ネルス・プレン)と恋に落ち、水揚げ金で999日間だけゲイシャの身を解かれます。しかし青年将校は祖国に呼び戻されてしまい、元々の婚約者(ヘルタ・ヘデーン)と結婚します。オタケサンは将校との間に生まれた息子(ローネ・ニスト)を育てながらオラフの帰国を待ち、オタケサンを恋するワカトノ・マタハリ(マインハルト・マウル)が再婚を申し込んでも応じません。999日の期限もあとわずかの頃にようやく将校は新妻と再び日本に来ます。それを知ったワカトノ・マタハリは再びオタケサンに再婚を申し込みますオタケサンは将校の結婚を信じません。事情を打ち明けられた新妻はオタケサンを訪ねて事実を告げ、もうじきゲイシャに戻らねばならないオタケサンは絶望します。新妻は将校と相談し、子供を引き取りましょうと戻りますが、訪ねてきた夫妻に子供を託した隙にオタケサンはハラキリをして果てます。これもすごい話で、サディストの日本人美青年商社マン(早川雪洲)が放蕩家の有閑マダムに金を貸した代価に焼き印を捺し脅迫するデミルの『チート』'15がサイレント時代の国辱映画として名高いですが、同じ荒唐無稽な話でもロサンゼルスの日本人にはまだしも人種混交社会のリアリティがありました。『ハラキリ』の日本はセットはなかなか立派です日本に見えるかというと数世紀前の中国とインドとロシアが混ざったような異様な景観で、考証も女性の着物が左前なのを筆頭に甘く、キャストも全員ドイツ映画俳優が演じていることもあり、オタケサン役のリル・ダゴファーは'20年代前半のデクラ社のスター女優ですがどう見ても日本人女性には見えません。映画的虚構だからと寛容に見ても(そもそも女性まで切腹する設定も変ですが)、いったいこれはいつの時代の日本でしょうか。怪僧(プリースト)などまるでラスプーチンのようなイメージですし、エンペラーの勅命で即自害とは徳川時代をイメージしたとしたら、とっくに西洋と交易のある日本ということになっているし、要するに漠然とヨーロッパ人の思い浮かべる日本のイメージから作り上げた架空の異国なので、ダイミョーとかワカトノとはヨーロッパ人の考える貴族の概念を日本語に当てはめただけでしょう。その割にはダイミョー令嬢オタケサンが怪僧の一存で茶屋にゲイシャに出される、よくわからない身分構造になっているのですが、森鴎外がドイツ留学して35年あまり経った1919年でも大衆向けの日本のイメージはこんなものだった、と納得して見れば面白い作品です。散佚した初期2作『混血児』『愛のあるじ』の悲劇メロドラマ作風の想像もつきます。『蜘蛛』になくて『ハラキリ』にあるのは屋内セットの左右対称の構図で、日本間だから左右対称が決まりやすいというのもありますが、ラングの作風が確立した『死滅の谷』以降の作品には左右対称の構図が緊張感を高める局面で符丁のように出てきます。珍品の怪作には違いありませんが実物を観て初めてホッとするスリリングな1作でしょう。ちなみにダイミョー・トクヤワの切腹は字幕タイトルだけで、オタケサンのハラキリも短刀をかざしたカットに外交官夫妻が駆けつけると倒れている、という具合に直接は描かれません。ラングにはサイレント後期の大作『スピオーネ』'28にも日本人外交官のハラキリ場面(こちらはかなり具体的な切腹が描かれます)が出てくるので(もう昭和3年なのに)、観較べる面白さもあります。

●11月5日(月)
『蜘蛛 第2部:ダイヤの船』Die Spinnen:Der Brillantenschiff(監=フリッツ・ラング、Decla-Film'20.2.6)*104mins, B/W, Silent; 日本未公開 : https://youtu.be/N6ElNhMd2bA

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 前作『ハラキリ』のフリッツ・ラングの次作はデクラ社に配給元のデクラ=ビオスコープ社が製作も協力したカール・マイヤー脚本の企画『カリガリ博士』が予定されていましたが、『蜘蛛:黄金の湖』'19が好評で好成績を上げたため同作は『蜘蛛 第1部:黄金の湖』とし、シリーズ化して『蜘蛛 第2部:ダイヤの船』『蜘蛛』が企画され、『カリガリ博士』と同月公開のスケジュールが組まれたためラングは脚本段階までの協力で『カリガリ博士』の監督をデクラ社の同僚、ロベルト・ヴィーネに譲ることになりました。ドイツ映画史上の画期的作品になり国際的な話題作・ヒット作となって'20年代ドイツ映画の方向性を決定した表現主義映画『カリガリ博士』の監督の座を逃したのはラングには痛恨だったようで、脚本を枠物語の体裁にしたのは自分のアイディアだとか、『カリガリ博士』は成功したがヴィーネは次作『ゲニーネ』'20では失敗したとか悔し紛れのコメントを残しています。これには『蜘蛛』が第2部以降4部作を企画して製作されたのに『カリガリ博士』の登場による観客の嗜好の変化もあってか第2部で打ち切られたのもあり、ラングがようやく表現主義映画の傑作をものして『カリガリ博士』の遺恨を晴らしたのが『死滅の谷』'21なので、ラング映画の第1期は『死滅の谷』の達成までが指標になり、それまでの作品は試行錯誤期のラング作品として先の読めない面白さがあります。ただし映画それぞれの出来はまちまちなので、『蜘蛛』第2部の今回は蜘蛛団にサンフランシスコの中国系アンダーグラウンド・マフィアが絡み、インドやフォークランド諸島まで世界を巡る仏像に仕込まれたダイヤモンド探しで正義の味方の国際的冒険家ケイ・ホーグ(カール・デ・フォークト)がやたらと忙しい映画です。『蜘蛛』2作は第1部が単独で『黄金の湖』として日本劇場公開されたものの、第2部『ダイヤの船』は公開が見送られたようで、初期のラング作品は第3作『黄金の湖』以外の『混血児』'19、『愛のあるじ』'19、『ハラキリ』'19、『ダイヤの船』に『彷徨える影』'20、『彼女を巡る四人の男』'21までが日本劇場未公開で、次の『死滅の谷』'21、『ドクトル・マブゼ』(第1部'21、第2部'22)からは順調に日本劇場公開されたと記録されています。もっとも『ドクトル・マブゼ』は第1部と第2部を合わせて短縮した編集版だったそうですが、合わせて4時間半以上の大作では仕方ないでしょう。『蜘蛛』の場合は第1部から第2部まで間が空いたので、特に前作を引き継ぐ内容でもありません。引き続き登場するのはケイ・ホーグの他にホーグの師の博物学者テルファス博士(ゲオルク・ヨーン)、蜘蛛団の男装の女ボスのリオ・シャ(レッセル・オルラ)、その腹心のスパイの四本指のジョン(エドガー・パウリ)といったところで、『黄金の湖』でホーグの愛妻になったインカの巫女ナエラ(リル・ダゴファー)は前作の結末でリオ・シャに殺されてしまったので当然出番はありません。
 本作で新たに登場するのはサンフランシスコで蜘蛛団と抗争したり協定したりとややこしいチャイニーズ・マフィアのボス(マインハルト・マウル)、映画経過30分後ようやく現れてケイ・ホーグへの依頼主になるダイヤ王テリー(ルドルフ・レッティンガー)、蜘蛛団とチャイニーズ・マフィアに誘拐されてしまう令嬢エレン(テア・ツァンダー)、インドからフォークランド諸島に送られて隠された秘仏「ダイヤの船」の秘密を握るヨガ行者アル・ハブ・マー(フリードリヒ・キューネ)、という具合ですが、陰謀大好きラングの映画の特徴が『黄金の湖』以上に表れて、サンフランシスコの深夜の集団高層ビル強盗から始まる本作はとにかく登場人物と場面転換が多いのです。蜘蛛団とチャイニーズ・マフィアの抗争がダイヤ王テリーの依頼とテルファス博士の示唆によるケイ・ホーグの秘宝「ダイヤの船」捜索に絡まってくる手順もあちこち枝葉が多く、欲張りすぎて観客(視聴者)が置き去りにされるほど映像の情報量が多いのですが、それが面白さと豊さになってはおらず無闇に錯綜して整理のつかないまま映画の進行とともに疲労感ばかりがつのり、しかも今回は1時間44分の長丁場で第1部より35分長い、1.5倍もあります。『黄金の湖』はインカ帝国の古代神殿の巨大セットを舞台に映像も適度に開放感のあるものでしたが、『ダイヤの船』の仏像探しは地下の洞穴で狭苦しいものです。蜘蛛団の男装の女ボス、リオ・シャは前作に続いて出てくるが前作の巫女ナエラに相当するヒロインはいないし、誘拐されて人質に捕られるダイヤ王テリーの令嬢エレンがヒロインになるかというともともとホーグとのロマンスもない上に、悪党全滅のあとでオマケのようにエレン救出劇がつけ足されているだけなので映画の体裁のためだけに出てくるような役割です。悪党集団は見分けのつかないほどこれでもかと出てきますが同じような活劇シーンがくり返されるばかりと、第1部から良い所を引いて悪い所ばかりを増幅させたような具合で、褒めるとしたらレストア修復映像の画質と美しいシーン染色しかなく、4部作が予定されていたシリーズなのに洞窟内の毒ガス噴出に巻かれてリオ・シャも落命してしまいます。本作のヒット次第では遺体は替え玉とか実は双子の妹がとか続けようもあったでしょうし、第3部・第4部はまた別の前後編にする構想だったかもしれませんが、本作公開から3週間後に公開された『カリガリ博士』の大ヒットからドイツ映画の流行は変化して『蜘蛛』のような冒険活劇は時流遅れになります。よって次作は『蜘蛛』とも『ハラキリ』からも予想もつかないような作品になりました。第1部はなかなかテンポ良く面白く観られましたが、第2部はケイ・ホーグやリオ・シャのキャラクター造型など第1部で済ませたからといわんばかりに性格描写がおざなりで前作の観客以外にはきつく、日本劇場公開が見送られたのも仕方ないという気がします。

●11月6日(火)
カリガリ博士』Das Cabinet des Dr. Caligari (監=ロベルト・ヴィーネ、Decla-Bioscop'20.2.26)*74min, B/W, Silent; 日本公開大正10年(1921年)5月13日(67分版) : https://youtu.be/BGdUG7TgCxA

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 まず言ってしまうと本作自体は大した映画ではありません。この映画は本作で一躍名を上げた脚本家カール・マイヤー(本作ではハンス・ヤノヴィッツとの共同脚本、決定稿はノンクレジットで企画段階で監督予定だったフリッツ・ラングによる改訂版)、セット美術の舞台装置家ヘルマン・ヴァウムと表現主義画家アルフレート・クビーン、主演俳優のヴェルナー・クラウス(カリガリ博士)、コンラート・ファイト(眠り男チェザーレ)、リル・ダゴファー(ヒロイン)らの貢献に多くを負っており、ラングの『死滅の谷』'21やマイヤー脚本作の『朝から夜中まで』『裏階段』'21、ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』'22や『最後の人』'24、パウル・レニの『裏町の怪老窟』'24などが『カリガリ博士』を超えるドイツ表現主義映画の真の達成を示しており、G・W・パプストの『喜びなき街』'25や『心の不思議』'26、E・A・デュポンの『ヴァリエテ』'25の頃には表現主義映画の誇張した趣向よりも心理的なリアリティを追求する方向に変わっている、というのがのちの評価で、『カリガリ博士』最大の功績は国内市場の小さい輸出国ドイツでいかに他国の映画にない奇抜な着想の映画を作るか、その成功例として『プラーグの大学生』'13以来の、ワイマール時代では初の際立った作品になったことで、前年のラングの『蜘蛛 : 黄金の湖』も国内ではヒット作、国際市場でもそこそこ商業的成功作でしたが、『黄金の湖』は大予算をかけたハリウッドの秘境冒険映画をドイツでも作ってみせた映画だったので、ドイツ映画としてのオリジナリティや独自の方向性を示した作品とは言えませんでした。『カリガリ博士』がやってのけたのは適度に奇抜なアイディアで奇想と異常性によるサイコ・ホラー的側面を持ち、その内容に沿った室内セットで奇抜な美術・照明・撮影に工夫を凝らしてコンパクトでインパクトの強い映画を作る手法で、これは今日にいたるまで低予算映画の手法として応用の効く映画作りの新たな発想でした。サイレント時代には俳優やスタッフは外国語が喋れなくても筆談や通訳者がいれば大丈夫だったのでドイツ映画界は北欧映画界と人事交流があったので、ドイツ表現主義映画はこの手法を近代演劇の強力な伝統を持つ北欧(スウェーデンデンマーク)の内省的かつ神秘的な側面を強調した室内劇的な悲劇ドラマ映画(シュティッツレル、シェストレム、クリステンセン、ドライヤー監督作など)の傾向から摂取したという指摘も説得力がありますが、実際には北欧映画が一歩リードする形で同時進行的に発展していたのでしょうし、オーストリア=ハンガリー帝国を含む広大なドイツ文化圏は生産力では北欧映画にはるかに勝っていたので、国際市場でもドイツ映画の革新運動はドイツ映画界全体の質的向上として見られ、数人の優れた監督に支えられた北欧映画界は単発的な作品単位、監督単位で稀に注目されるにとどまったと考えられます。ロベルト・ヴィーネ(1873-1938)は脚本家出身で'13年から映画人として活動を始め、'15年に監督デビューして生涯に52本の監督作品、65本の脚本作品がありますが、メロドラマ監督から表現主義映画の監督に転身した『カリガリ博士』以降は『ゲニーネ』'20、『秘めたる情熱』'20、『罪と罰』'23、『キリストの一生』'23、『芸術と手術』'24が日本公開されたくらいで、中では『罪と罰』、コンラート・ファイト主演の『芸術と手術』、日本未公開のホフマンスタール原作=リヒャルト・シュトラウスのオペラ版の映画化『ばらの騎士(Der Rosenkavalier)』'26がヴィーネ作品中の佳作とされますが、いずれも『カリガリ博士』の監督の参考作程度の位置づけです。キネマ旬報の近着外国映画紹介はすでに「表現派映画」という言葉が使われていて、日本初公開後の追加データかもしれませんし、映画のタネを割ってしまっている紹介ですが、短いものですので引いておきます。
[ 解説 ] 欧州大戦後、ドイツ映画復興の第一声をあげた作品で、奇怪なカリガリ博士が眠り男チェザーレを操る殺人事件の数々は、精神病患者の妄想であった。という表現派映画の第一作。無声。
[ あらすじ ] 二百年前北イタリアで、カリガリ(ヴェルナー・クラウス)という医者がチェザーレ(コンラート・ファイト)という夢遊病者を使用して意のままに殺人を犯さしめた。という記録によって心狂える令嬢ジェーン(リル・ダゴファー)と一青年フランシス(フリードリッヒ・フェーエル)との妄想を描いたもの。
 ――これを枠物語にして映画で描かれる一連の怪事件は「精神病患者の妄想」に組み立て直したのが企画段階で監督予定だったフリッツ・ラングなので、脚本家のマイヤーとヤノヴィッツのオリジナル脚本は真犯人カリガリ博士の処刑で終わるプロットで、マイヤー側の言い分では映画会社側の改変によって社会的メッセージが薄められたと不服があり、ラングは改変はデクラ=ビオスコープ社ではなく自分の監督判断による改稿であり、オリジナル脚本は社会悪糾弾のメッセージ色の強い拙い脚本で使いものにならなかった、と発言しています。ラングの言い分はもっともなのでカリガリ博士に社会悪を体現させても勧善懲悪映画ではつまらず、何のための異様なセット美術やメイク、衣装、照明・撮影か効果が薄れてくる。本作の日本公開の際にすでに前年に『アマチュア倶楽部』'20で映画製作に関わっていた谷崎潤一郎は『カリガリ博士』の美術面の成功を認めながら、異様な美術に応じて俳優の演技はもっと作為的であるべきではないか、と難を洩らしていますが、谷崎より若い世代の佐藤春夫や大正の芸術・文学青年には『カリガリ博士』は映画も芸術足り得る実例と熱烈に迎えられたので、それも企画段階でのラング改稿の脚本とスタッフ招集でほぼ作品は決まった部分が大きいでしょう。谷崎が指摘する俳優の演技も想定したのは能や歌舞伎のような演技の徹底的な様式的非現実性だったと思われ、そういうものではない非現実的演技ならば実際にはシーンごとの演じ分けは行われているので、これはクラウスやファイトが優秀な俳優であるとともにヴィーネの演出も本作品には一貫性があるのを示します。ただし作品の限界や荒唐無稽さは、本作を成功させたのと同じ枠物語と異様な題材、異様な美術にもあるので、この枠物語の枠の中なら何でも放りこめる都合の好さがあって、早い話現代アニメの異世界ファンタジー設定と同じレベルの安直さに陥りやすい。『死滅の谷』や『朝から夜中まで』、『最後の人』や『裏町の怪老窟』らドイツ表現主義映画は枠だけあって中味はないぎりぎりの線で勝負をかけることになったので、『カリガリ博士』は今では中学生の投稿小説並みの陳腐さでしかない内容の映画でもあります。今ではどころか当時でもすぐにそうなったので、大正時代の日本ですら『カリガリ博士』を真似たような大衆小説や同人誌小説がすぐに現れることになります。ドイツ映画はパプストやデュポンらリアリズム意識を持った監督が力作を発表し始めるまで『カリガリ博士』ブランドの猟期映画が有力な輸出品目になるので、ルビッチは表現主義には乗らずアメリカに招かれてそのままハリウッド映画の大家になってしまいますし、ラングも『死滅の谷』で表現主義に決着をつけた後は独自の大作主義に向かいます。ムルナウパウル・レニら才能ある監督も表現主義時代が終わるとハリウッドに渡りますし、『カリガリ博士』=ドイツ表現主義映画のすべてではありませんが、映画史に限らず芸術・芸能の歴史にはそれ自体は必ずしも重みはなくても、何かの大きな展開点を担う役割を負って登場する作品があることがままある。そういう作品は作品価値というより一種の事件や発明なので、映画自体の根本的価値に安っぽさがあっても低予算映画の発明の一点だけ取っても本作の映画史的意義は絶大です。またその意味では本作は意図せず最初に映画にキッチュな価値を持ちこんだ作品です。さすが敗戦国ドイツ=オーストリア=ハンガリー帝国の頽廃文化の産物だけあるではありませんか。