人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年5月17日~5月20日/フリッツ・ラング(1890-1976)のアメリカ映画(1)

 作家は処女作にすべてがあるとよく言われますが、フリッツ・ラングの監督第1作『混血児 (Halbblut)』1919は散佚作品で現在では観ることができません。しかし同年には早くも長編第3作で翌年の第5作と二部作をなす『蜘蛛』があり、今日でも観られる最古のラング作品でもあり最初の大作でもありますからこれを処女作と見做してもいいですし、ラングならではの最初の傑作になった長編第8作『死滅の谷』1919こそ処女作としても、また作風確立後の最初の野心的大作『ドクトル・マブゼ』二部作(1921-1922)を本格的な処女作としてもいいでしょう。さらに大傑作となったトーキー第1作『M』1931を第2または第3の処女作とも言えますし、今回から順次観ていく1936年~1956年のハリウッドでの監督作品22作の皮切りになった『激怒』『暗黒街の弾痕』『真人間』の3作もいずれもアメリカ映画の監督としてのフリッツ・ラングの処女作といえるものです。ラングはMGMの招きでアメリカに渡ったのですが、同社との作品は『激怒』きりになり、次の『暗黒街~』も1作きりでユナイト、次の『真人間』もパラマウントで単発と製作環境は一定しませんでした。しかし今では同一主演女優(シルヴィア・シドニー、1910-1999)を起用したこの渡米直後の3作は三部作と見做されており、ドイツとは製作システムのまったく異なるハリウッドでラングがいかに柔軟に個性を発揮できたかを示すものとなっています。製作会社が異なる3作なのに同じ女優を起用したのも当時の契約システムでは異例で、フリーランスの単発契約の立場を逆手に取ったからこそシルヴィア・シドニー三部作は成り立ったものと言え、ハリウッドのメジャー映画企業の中でインディペンデンス的な製作から始まったのはまだしも、ほとんど1作ごとに映画会社を渡り歩くのがアメリカ時代のラングの特異なキャリアを築くことになります。多くの映画人がスタッフ、キャストともに基本的には長期の一社専属制だった時代に、20年もの間フリーランスで順調に監督作品を送り出した例はラングの他そう多くは見られないのです。そしてフリッツ・ラングのハリウッド映画作品は格づけとしては低予算のB級のジャンル映画(企画もの)として製作され、それも最初の三部作から始まっていたことでした。

●5月17日(水)
『激怒』Fury (米MGM'36)*92mins, B/W
(French Poster)

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・出稼ぎ先から婚約者(シルヴィア・シドニー)の待つ郷里に戻る途中の男(スペンサー・トレーシー)に通りがかりの田舎町で指名手配中の児童誘拐犯の嫌疑がかけられ、街中に噂が広まりリンチが計画されて留置場に市民が押し寄せ暴徒化して警察署が放火され全焼する惨事が起こる。本物の誘拐犯が捕まりリンチ計画者22人が謀殺(第1級殺人、死刑相当)犯として起訴される。実は主人公は警察署全焼寸前に脱出して生きており、このまま復讐のために裁判の結審・刑の執行まで隠れようとするが、連絡を取っていた弟の様子から婚約者に生存がバレてしまい婚約者の説得で裁判の中止のために迷ったすえ判決当日に裁判中に姿を現す。何とも複雑な気分にさせられる社会派スリラー映画だが、観直してプロデューサーがジョセフ・L・マンキウィッツと初めて気づいて仰天する。MGM側の映画用オリジナル原作をラングとシナリオ専属ライターが共同脚色したものだが『M』の集団ヒステリーのテーマを(本作は主人公は冤罪、暴徒はリンチを実質的に実行と逆になっているが)引き継いでいるのは言うまでもない。リンチ犯特定のためにニュース映画の上映が行われたり、主人公が匿名でイニシャル入りの婚約指輪を検察に証拠郵送したりする発想はいかにもラングらしい。三部作中本作はアメリカ国立フィルム登録簿選定作品と本国での評価はもっとも高く、公開当時の批評は良かったものの興行成績は振るわなかった典型的な問題作で、ウィリアム・A・ウェルマンの冤罪リンチ西部劇『牛泥棒』1942(これも国立フィルム登録簿選定作品)に似ているがもっと憎悪が強い。挑発的で激しいテーマはラングのアメリカ映画第1作として思い切った内容に襟を正すが、あまりに冷酷な切り口に公開当時の不人気もうなずける。主人公が生きていてもリンチ被告団は殺人未遂じゃないかとか、主人公のやり口も偽証にならないかとか観ながらすぐ気になるが、そこらへんも含めてどっちに転んでも後味の悪い映画になったのは仕方ない気がする。

●5月18日(木)
『暗黒街の弾痕』You Only Live Once (米ユナイト'37)*86mins, B/W

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・前作とともに戦前の公開当時からむしろ日本で高い評価を即座に受けたのは『激怒』が昭和12年5月13日、本作が翌6月3日(キネマ旬報昭和12年度外国映画9位)と集中的に公開されたのもあるが、サイレント時代からの大監督がナチス政権亡命者になりアメリカ社会の暗黒面を描いた、という話題性が先立ったとしても先見性を誇れる。シルヴィア・シドニーヘンリー・ハサウェイの名作『丘の一本松』1936で人気が高く、本作は同作でも共演したヘンリー・フォンダが前科3犯の前科者役で主演を務めるのも本作の評判を高めたか。保釈された前科者は待っていた恋人と結婚し更正しようとするが些細な事で馘首され、しかも銀行強盗の容疑者になってしまう。逮捕され死刑判決を受け執行寸前に真犯人が判明して冤罪が証明されるが、処刑寸前に急報を告げに来た神父を事情を知らずに殺害して妻の助けで逃走し、追い詰められて夫婦ともども警官隊に射殺される。この作品が犯罪者カップルの破滅で終わる逃避行もの映画の元祖になるらしく、シドニーの可憐さはいいしフォンダもいつもそつなくうまいのだが、フォンダの演技はいつも腹八分目で意識しない衝動やコントロールできない暴力性・破滅性に乏しい感じがする。催涙弾を使った銀行強盗場面が犯人がガスマスクを被っているため観客もフォンダが冤罪なのか実際に犯人なのかわからない引っ張り方や、逃走した真犯人の車が沼から犯人の遺体ごと引き揚げられるシーンなどこの映画が先駆をつけたアイディアで、ラングがドイツ時代(たぶんサイレント時代)から暖めてきたネタがアメリカの犯罪映画でようやく映像化できたのだろう。『激怒』でも本作でもアメリカ都市の車社会が映画の内容と不可分で、これはドイツ時代にはほとんどなく移動手段は列車だったが、ドイツ時代に手を変え品を変え列車を描いていたようにアメリカ映画では車を描く。たぶん同時代の平均的アメリカ映画よりもはっきり車を物語の軸に据えているのではないか。そういうカンの良さがラングのキャリアを長続きさせたように思える。まとまりの良さ、取っつき易さなどの明快さとラングの作風の良い面を楽しめて冷たさ、重さ、ぎこちなさがほとんど目立たないことでもアメリカ時代の犯罪映画のラング作品でも広くお薦めできる。もっとエグい傑作は別にあるが、それはそれ。ちなみに邦題『暗黒街の弾痕』はどんなものか。原題"You Only Live Once"の直訳「人生は一度だけ」が要点を尽くして哀切ながら、『暗黒街の~』のインパクトも悪くないので悩ましい。

●5月19日(金)
『真人間』You and Me (米パラマウント'38)*93mins, B/W

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・MGM、ユナイトからパラマウントと来るといきなり軽い都会派のイメージの会社カラーとラングの作風のギャップにどうなるかと思うが、『激怒』と同じ原作者の原案になる作品で『暗黒街の弾痕』と同じく前科者の更正を題材とした作品ながら「真面目に働いて更正するのも何かと大変だけれど、再犯はさらに重罪だし犯罪そのものが真面目な勤労よりもっと引き合わない。更正して真面目に働くに越したことはないよ」という内容のコメディなのだった。主人公の前科者(ジョージ・ラフト)は前科者雇用に寛大なモリスさんのデパートに勤務して可憐な女店員(シルヴィア・シドニー)と恋に落ち結婚するが、執行猶予中を理由に妻から職場では結婚を匿しておこうと言われた通りにする。主人公は昔の仲間から始終強盗の共犯を誘われては断っていたが、ある日タンスから妻の前科の記録書類を見つけて落胆し強盗の話に乗ってしまう。デパートの終業後仲間と強盗に忍び込むとモリスさんと妻が事情を察して待ち構えており、モリスさんは奥さんから話を聞きなさい、明日も職場で会おうと寛大に帰ってしまう。主人公の妻は夫を含む前科者一堂に強盗した場合の分け前を黒板に計算してみせ、強盗して逃げた場合の一人分の取り分は数日分の給料より少ないのを前科者たちに納得させる。仲間のうち現役強盗でいちばんしつこかった男は犯罪者同士の仲間割れで殺されて主人公たちも縁が切れ、映画は主人公夫婦が赤ん坊に恵まれて終わる(『暗黒街の弾痕』も逃走中に赤ちゃんが生まれるが、ヒロインの姉に預けられる)。『激怒』と『暗黒街の弾痕』が冤罪でつながり、『暗黒街の弾痕』と『真人間』が前科者でつながるものの、『真人間』と『激怒』では性善説性悪説でまったくつながらないように見える。性善説といっても犯罪は引き合わないというだけではないかと言われそうだが、合理性で納得するのは人間の理性を信用することだから性善説と考えていい。映画の冒頭はキャッシュ・レジスターで始まり、次いでショールを万引きした夫人をシドニーがレジはこちらです、と引っ張っていく場面になり、映画のラストは主人公が閉店後の店の棚から香水の瓶をポケットに入れ、ちょっと迷った後レジにお金を入れて領収証を書いて産院の妻に香水をプレゼントして終わる。可憐な恋人と結婚したら実は妻も前科者だった、というあたりがコメディとしておかしいし、寛大なデパート社長がどこまでも寛大なのがいかにもコメディで当時のコメディ映画の水準以上でも以下でもない感じだが、『激怒』に『暗黒街の弾痕』と来てあと1作となったらこんな他愛のないコメディがあってもいい。ラング自身もそのつもりだったに違いない。