人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年11月1日~3日/サイレント時代のドイツ映画(1)

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 11月は久しぶりにサイレント時代のドイツ映画でも観ようと、つねづね戦前の映画評価の重要参考文献にしている筈見常夫『映画作品辞典』'54(弘文社アテネ文庫・昭和29年刊)、田中純一郎『日本映画発達史』'57(中央公論社昭和32年刊)に上がるサイレント時代のドイツ映画をほぼ網羅して観直すことにしました。残念ながらキリよく30日で観直しきれる本数というとフリッツ・ラングは最初の名作になる『死滅の谷』'21以前の5作で、同作と大作時代に突入してからの『ドクトル・マブゼ』'22、『ニーベルンゲン』'24、『メトロポリス』'27、『スピオーネ』'28、『月世界の女』'29は見送らざるを得ず、ムルナウも『吸血鬼ノスフェラトゥ』'22と『最後の人』'24のみになり、何よりハリウッドに招かれて『ロジタ』'23を撮り後半生をハリウッド映画界の巨匠としてまっとうすることになるエルンスト・ルビッチ(1892-1947)から選べなかったことです。参考までにドイツ時代のルビッチの代表作を上げると、
『出世靴屋』Schuhpalast Pinkus (1916, Comedy); https://youtu.be/XIAPIDAZU_4 (with English Subtle)
『楽しき牢屋』Das fidele Gefangnis (1917, Comedy); https://youtu.be/5oZQ2hrngiY
『呪の眼』Die Augen der Mumie Ma (1918, Horror); https://youtu.be/viwuKZYnfQ0 (English Version)
『男になったら』Ich mochte kein Mann sein (1918, Comedy); https://youtu.be/TXY67bI9Fns (English Version)
カルメン』Carmen (1918, Drama); https://youtu.be/i06MLZxSgRk (with English Subtle)
『花嫁人形』Die Puppe (1919, Comedy); https://youtu.be/hmAaO5i7DnE (with English Subtle)
『ベルリンから来た市長』Meyer aus Berlin (1919, Comedy); https://youtu.be/UHtOUhfTwOg (with English Subtle)
『牡蠣の王女』Die Austernprinzessin (1919, Comedy); https://youtu.be/0Eog9sMDaRA (English Version)
『パッション』Madame Dubarry (1919, Drama); https://youtu.be/H1g-qHOYBrM
『白黒姉妹』Kohlhiesels Tochter (1920, Romance); https://youtu.be/P8Vn1I_Wdi0 (English Version)
『寵姫ズムルン』Sumurun (1920, Drama); https://youtu.be/Pr9OVBo-ezA
『デセプション』Anna Boleyn (1920,Drama); https://youtu.be/3B9-JWxp5jQ (English Version)
『山猫リュシュカ』Die Bergkatze (1921, Comedy); https://youtu.be/oW9G7BJ8Fmk
『ファラオの恋』Das Weib des Pharao (1922, Drama); https://youtu.be/G_q2utPy3EU
 ――これらのうち国際的大ヒットになりハリウッドに招かれるきっかけになったのはどぎついエロティシズムと残虐性、エキゾチシズムで話題になった『パッション』と『寵姫ズムルン』で、ハリウッド進出後第1作の、
『ロジタ』Rosita (1923, Romance); https://youtu.be/6uwdJZn2djg (English Subtle)
 ――も歴史メロドラマですが、ルビッチの本領は次作のソフィスティケイテッド・コメディ『結婚哲学』'24から始まるので、ドイツ時代のルビッチの作風の多彩さは10作以上選ばないとわからない。一方ラングの『死滅の谷』までの作品は当時のドイツ映画の試行錯誤を如実に示すものとして最適な典型的になっており、作風確立前のラング作品を採ってルビッチは後日に回したのはそうした理由です。一般的にドイツの映画産業の出発は1914年のパグ・フィルム社設立とされ、1912年には4社共同の日本活動写真株式会社設立、1913年には日活向島撮影所が完成した日本映画界よりやや遅く、また第一次世界大戦によって輸出入の国際交流が断絶したため、本格的なドイツ映画の国際化はヨーロッパで講和条約が締結され、ドイツ共和国にワイマール憲法が公布された1919年~ヒットラーによるナチス政権発足から映画統制が敷かれる1933年までとされています。ドイツ映画界は1930年にサウンド・トーキー化が始まるので、サイレント映画の時代は戦前ドイツ映画の黄金時代と重なり、内陸国のドイツは輸出入産業が主でしたので、国際市場を狙って成功した作品を多く送り出したのもワイマール時代のドイツでした。今回観直している作品もその一部にすぎませんが、ルビッチ渡米前の諸作を除く代表的な作品はほぼ集めてみたつもりです。

●11月1日(木)
『プラーグの大学生』Der Student von Prag (監=シュテラン・ライ/パウル・ヴェゲナー、Deutsche-Bioscop GmbH'13.8.22)*85min, B/W, Silent; 日本公開大正5年(1914年)2月(58分版) : https://youtu.be/nNCRTR0VJL4

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 ドイツ映画に限らずヨーロッパ映画のほとんどがそうですが、劇映画には俳優が不可欠ですし、演劇の盛んなヨーロッパ諸国の映画の発祥には人気の高い舞台俳優をフィーチャーした映画という企画がありました。イタリア映画などは舞台劇の映画化か史劇がサイレント時代の主要なジャンルですし、気候に恵まれたイタリアでは大規模なオープン・セットの屋内ステージでも鮮明な撮影が可能だったためやたらと大規模な映画が作られ、内容はローカル色が強いため国際的ヒット作は限られましたが国内需要だけでも十分に元が取れていました。フランス映画もイタリア映画に近い発展を遂げていましたが、後年ヨーロッパ3大映画国(世界3大映画祭はヴェネツィア、カンヌ、ベルリンです)になるうちドイツが出遅れたのは戦争と国内市場の小ささのためでもあり、ハリウッド映画とイタリア、フランス映画の輸入で自国の映画生産がなかなか伸びなかったのも大きいでしょう。パグ・フィルム社設立による演劇・小説の映画化が軌道に乗る前の中小プロダクション散発時代のドイツ映画界初の、そして第一次世界大戦以後のワイマール時代以前随一の芸術映画として名高いのが本作、1913年のパウル・ヴェゲナー版『プラーグの大学生』で、現在残されているプリントは42分版から(推定全長)85分版までさまざまなヴァージョンがあり、各種輸入盤で出ているDVDも各社ごとに全部尺が違っています。これは魔術師スカピネリ(ヨーン・ゴトウト)から影(鏡に映る姿)と引き換えに大金を手に入れて高値の花の伯爵令嬢マルギット(グレーテ・ベルガー)を口説き落とそうとする主人公、プラーグの大学生ボールウィン(パウル・ヴェゲナー)の話に、主人公を慕って令嬢に嫉妬する花売娘リデュシュカ(リディア・サルモノワ)や令嬢の兄フォン・シュヴァルツェンベルク伯爵(ローザー・ケルナー)、令嬢の従兄で恋敵のワルディス男爵(フリッツ・ウェイドマン)ら副人物の動きを描いたシークエンスの長短によるもので、言うまでもなくこうした副人物らは主人公の伯爵令嬢への恋をあの手この手で妨害する役割です。本作はキネマ旬報創刊(1919年)よりも早い時代の映画ですのでキネマ旬報でのデータがなく、また当時は大手の配給会社がなかったので配給会社経由のデータも残されていないのですが、『日本映画発達史』によると大正3年(1914年)4月24日・電気館で公開され「風変わりな文芸映画として評判になった」と田中純一郎氏は記載しています。映画サイトからの簡略な紹介を引きます。
[ 解説 ](allcinema.comより) H・H・エーヴェルスの怪奇小説を最初に映像化した、いわゆる"オカルト映画"の先駆的作品。プラーグの大学生ボールウィン(パウル・ヴェゲナー)はある日暴走する馬上の伯爵令嬢マルギット(グレーテ・ベルガー)を助け、彼女に恋をする。が、身分の違いから対等に付き合えぬ自分にはがゆさを覚えた結果、金貸しスカピネリ(ヨーン・ゴトウト)から大金を借りるのだが、抵当として鏡に映る自分を取られてしまう。手に入れた金で令嬢に交際を申し込みしばし至福の時を過ごすボールドウィンだったが、その時、鏡の中にいた自分自身がドッペルゲンガーとなって現れ街をさまよい始める。"おれは神でも悪魔でもないが、悪魔からお前と同じ名を付けられた。お前の行く所には最期までついて行く"の言葉と共に徘徊する分身に翻弄される彼は、やがて破滅へと追い込まれて行く……。この作品はその後26年、36年と二度リメイクされ、特に「カリガリ博士」のコンビC・ファイト、W・クラウスを共演させた26年版は今でも名作として評価が高い。
 ――パウル・ヴェゲナーもグレーテ・ベルガーもマックス・ラインハルトの劇団の人気俳優で名優と名高く、舞台映えするのは堂々たる恰幅でもわかりますし、サイレント映画ですから音声はありませんが声量も豊かな俳優・女優だったでしょう。また魔術師スカピネリによって分離された影は鏡から抜け出し、フィルムの二重写しによる一人二役、消滅トリック撮影などで主人公を翻弄します。映画書き下ろし原作者のハンス・スタイン・エーヴェルスの原案はポーの短編小説「ウィリアム・ウィルソン」1839、ミュッセの詩と「ファウスト」伝承を下地にしたものと指摘されますが(『ジキル博士とハイド氏』的でもあります)、着想としてわかりやすいのでラインハルト劇団の観客層のようなインテリ層ばかりではなく大衆的にもヒットし、批評もたいへん好評でした。1913年というとセシル・B・デミルの『スコウ・マン』やジョージ・ローン・タッカーの『暗黒街の大掃蕩』などアメリカ映画にも長編が現れ始め、最重要監督グリフィスも中編規模の「大虐殺」'12や「エルダーブッシュ渓谷の戦い」'13に進んでおり、フランスではルイ・フィヤードの長編連作『ファントマ』、イタリアではピエロ・フォスコの『カビリア』がこの年で、スウェーデンでは前年'12年にモーリス・スティッツレル監督、ヴィクトル・シェストレム主演の『黒い仮面』が出ています。そうした西洋映画全般の中では『プラーグの大学生』は作り物めいていて、しかも描く世界が狭いのには気にならずにはいられず、何より舞台劇の名優が映画という写実の中では年齢相応でなければ無理があるのが本作を古びさせています。当時の観客には演劇的な約束事として看過されたことですが、1926年にはもっと清新なキャストで再映画化されたのも当然なほど、本作の主人公とヒロインは大学生と妙齢の伯爵令嬢にはとても見えない太鼓腹の中年男と中年女性なので、舞台劇の名優だろうことは堂々たる所作で伝わりますが後世の観客には違和感を感じずにはいられず、映画の長編化にともなって、長編に限らず映画俳優は舞台俳優とは異なって容貌そのものがキャラクター(タイプ)になると映画界全体が気づき始めていた頃にこのキャスティングはドイツ映画の遅れでもあり、かえって花売娘や令嬢の兄役が年齢相応なのが主客転倒して見え、恋敵役の従兄の男爵も中年男っぽいですがこれは年長でも構わないとして、主人公の大学生と妙齢のヒロインが中年では困ってしまいます。トリック撮影は過剰にならない程度にこなれており、基本的には切り返しショットのない構図で人物の出入りを追わない限りカットは変わらず、カメラは少しパンするだけですが、基本的にはワンカットに2人~3人以上の人物のいる構図はないので過不足感はありません。先に上げた他国の同時期の映画と較べるとどうしてもこぢんまりとして見えるのは題材からも仕方ないでしょう。また、本作の成功がドイツの映画製作者に意識させたのは映画に人工的な怪奇やミステリアスなムードを持ちこむことで他国の映画とは違った特質を出せる効果だったに違いなく、これは当時のフィルム感度ではロケーション撮影の条件に乏しいドイツ映画界にとって一石二鳥の妙案だったと思われるので、本作の歴史的役割は非常に大きかったのが第一次世界大戦後のドイツ映画の傾向からもわかります。

●11月2日(金)『他人とは違って』Anders als die Andern (監=リヒャルト・オズヴァルト、Richard Oswald-Film, Berlin'19.6.30, banned in '20)*50min(Fragment & abridged), B/W, Silent; 日本未公開 : https://archive.org/details/youtube-oEMeNthlvRQ

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 ドイツ本国では公開翌年の1920年に上映禁止指定を受け、現存する50分版はシナリオとフィルム断片、スチール写真で欠損した部分を補ってある(おそらく全体の1/3相当が欠損していると思われる)本作は今日意外な面から再評価を受けており、名高いアメリカの古典映画復刻レーベル、キノ・ヴィデオ(Kino Video)社から2003年~2004年にかけて「Gay-Themed Films of The German Silent Era」シリーズの3本として『Different From the Others』の英題で、カール・Th・ドライヤー監督作品『Michael(Ger: Michael)』'24、ウィリアム・ディターレ監督作品『Sex in Chains(Ger: Geschlecht in Fesseln)』'28と並んで初DVD化されました。1914年監督デビュー、ヒットラー政権を避けてハリウッドに逃れ1949年までに生涯114本の監督作があるリヒャルト・オズヴァルト(1880-1963)監督作品の本作は、映画史上初の同性愛者映画(男性同性愛)、しかも同性愛問題専門の精神科医が脚本を監督と共作し、映画内でも性医学者自身が本名で登場して講演会で「同性愛は病気でも異常でもない」と説く、という本格的に同性愛の認知のための啓蒙を意図した映画ですが、映画はカミングアウトした主人公が社会的な地位を失い自殺して終わります。主演はドイツのサイレント時代を代表する俳優コンラート・ファイト(1893-1943)で、オズヴァルト自身の独立プロダクション(監督デビュー5年で相当な地位をドイツ映画界で築いていた証左です)による本作はタイトルにも『Anders als die Andern: 175』と真っ向から現行の刑法175条の違憲性を訴えた映画で、この刑法175条は同性愛を鶏姦(肛門姦)、獣姦と等しく禁止する条令で1872年に施行され1994年に廃止されるまで続き、囚人たちはピンクの逆さ三角形の印のついた囚人服を着せられ禁固刑に処せられたそうで、ワイマール時代はおろか戦後ドイツでも東西ドイツ統一からさらに数年過ぎないと廃止されなかったのですから公開翌年すぐ上映禁止指定なのもやむを得ず、監督オズヴァルト(ユダヤ系でもありました)も主演のコンラート・ファイトもハリウッド亡命者になりましたが、ナチス政権下ではファイト主演のほとんどの'20年代作品が上映禁止指定を受けたほどで、ナチス政権の方針は「頽廃芸術禁止」でしたから'20年代ドイツ映画の名作の数々は「頽廃芸術」とされたということになります。
 本作は日本未公開・日本盤DVD未発売なのであらすじを追うと、映画の冒頭には刑法第175条の解説と、それが数千人の運命を踏みにじってきた悪法であるかが説かれて本編が始まります。人気名ヴァイオリン奏者パウル・ケルナー(コンラート・ファイト)はコンサートに感激して弟子入りしてきたクルト(フリッツ・シュルツ)を愛しながら世間には同性愛者であることを隠しています。《パウルチャイコフスキーダ・ヴィンチミケランジェロオスカー・ワイルド、ルドヴィッヒII世ら同性愛に呪われた芸術家の夢にうなされ、家族からも見合い結婚を勧められるが拒否します。》ですが仲睦まじくクルトと腕を取り合って散歩しているのを悪党ボレック(ラインホルト・シュンツェル)に目をつけられて脅迫され、口封じのための金をくり返し要求されるようになります。《パウルはクルトへの個人授業を避けるようになり、パウルに心酔するあまり気に病むクルトを心配した家族はクルトの姉エルゼ(アニタ・バーベル)をパウルに訪問させ、繊細なエルゼはパウルを愛するようになります。》学生時代、同寮の親友との同性愛関係が教師に発覚し、退学処分になった過去を持つパウルは苦しみ、同性愛専門の精神科医(マグヌス・ヒルシュフェルト、本作の企画・脚本家の性医学者)の受診を受け、エルゼを伴い医師の講演会を聴講します。同性愛者は男女問わず性の同一障害でそれ自体は異常でも病気でもない、と数々の実例を上げて説く医師の講演と、《パウルを理解して受け入れ、恋人にはなれなくても最愛の友人になりますと励ますエルゼ》にパウルは奮起し、脅迫者ボレックにこれ以上脅すなら、訴えると迫ります。ボレックはせせら笑い、自分を訴えるならパウルを刑法175条違反で訴えると脅迫しますが、覚悟の上でパウルはボレックを訴え、裁判でボレックは脅迫罪で有罪になりますが、パウルも同性愛者と認めたことで175条違反により禁固1週間の判決が下されます。《パウルは遂に自分が同性愛に呪われた芸術家の烙印を捺されたのに絶望し、クルトは家出して行方不明になり酒場の流しのヴァイオリニストになります。》刑期を終えたパウルは世間からはスキャンダラスな白眼視される存在となり、エージェントからコンサートツアーの中止と契約の破棄を伝える文書が届きます。失意のパウルは父からの「汚名は自らの手で濯ぐべし」との絶縁の手紙を受け取り、服毒自殺を遂げます。《パウルの葬儀に姿を現したクルトはパウルの一族から敵視されますが、エルゼはパウルを死に追いやったのはあなたたちです、とパウルの一族を一喝します。クルトは自分もパウルの生き方を選ぶ、と姉に告げて》映画は終わります。映画史上初の同性愛者を描いた映画としての重要性によって公開85年あまりを経た今世紀になってから非常に注目と評価が高まったのは、1919年時点での性同一障害への解明と当時の西洋文化の中の同性愛タブーを如実に描いているからで、同性愛がプラトニックなものでさえ肛門姦や獣姦と同様の性的異常嗜好と見られていたのは興味深く、同性愛同様にアナル・セックスや獣姦はそれ自体には犯罪性はないのですから(無理強いなら虐待ですが)、早い話刑法175条は、当時の目的はそれらの性癖を持つ市民を狂人と見なし、摘発して社会から隔離する意図だったことになります。ドイツは心理学・精神病理学が発達した国でしたが、学者たちが人間性の領域として人権の幅を広げようとしたのを司法警察下では人間の犯罪性を割り出すことに利用したので、市民とは自分に関わりない限り法治国家の庇護下で法の側に立つ興味本位なずるい存在ですから、社会的には少数者である同性愛者は法的にも歴史的にも宗教的にも嫌悪されます。ユダヤ教時代の原始キリスト教に由来するエホバの証人(ものみの塔)の教義では同性愛者はサタンの下僕です。1919年の時点で本作の製作・公開がどれほど大胆な企てだったかを考えると、不完全版にせよ本作の発掘の意義の大きさにはため息が出ます。
 ――あらすじ中の《》内の部分はフィルム欠損のためスチール写真とフィルム断片、シナリオから起こした字幕で埋め合わされた部分で、パウル家やクルト家の人々は静止画像と字幕でしか現行版の復原版50分版プリントでは登場しません。ヒロインであるクルトの姉エルゼはスチール写真と字幕でしか登場せず、主人公の自殺後の葬儀場面のクライマックスも棺に横たわるパウルの亡骸の前でうなだれるクルトと弟の肩に手を添えるエルゼのスチール写真にパウルの実家へのエルゼの糾弾、クルトの述懐の字幕説明が続いて終わってしまうので、おそらく1/3以上が失われてしまったこの50分版は本来の姿を半分も伝えていないでしょうが、発禁映画になったのが幸いしたか画質は非常に良好な状態ですし、ヒルシュフェルト博士の講演会の場面は原盤自体が博士自身の講演会用資料に基づくのか、性倒錯者の写真の解説つき展示が主になっている構成で、何十枚という数のさまざまな様態の同性愛者の写真が映されます。本作の残存していて良かったシークエンスでもあればこれはヒルシュフェルト博士の図版豊富な著書でも代用が効く場面でもあり、ドラマ部分ではアイリスを多用して人物以外の背景・セットをなるべく映さないような工夫があり、これは独立プロダクション製作のためセットらしいセットが作れなかったための苦肉の策でもあれば、主人公が常にアイリスの影の中に閉じこめられている心理的抑圧の表現にもなっており、それだけに主人公不在か集団中の実家で見合いを勧められるシーン、クルト家のシーン、エルゼからの愛の告白やクルトの家出シーンなどが欠損しているのは、主人公パウルの運命だけをたどるなら現存の50分で語り尽くされているとはいえ、登場人物間の関係や社会的実在感をつかむには隔靴掻痒の観があります。卑劣な脅迫者と対決する主人公という、主人公の社会的秘密の暴露だけが問題になってしまって、日本で言えば『破戒』のようなものになってしまっている。テーマは脅迫(主人公の抱える秘密)であって同性愛者の生き方ではなく、そこが5年後のドライヤーの『ミカエル』の深みに及ばない点です。『プラーグの大学生』のパウル・ヴェゲナーの大振りの演技の舞台劇っぽさと較べて本作のコンラート・ファイトの演技は自然に映画らしく抑制の効いた、微妙な仕草や表情に豊かな表現力を感じさせる映画らしい内面性を湛えたものになっていて確かな映画意識の進展が認められますが、主人公の運命を追うメインの部分だけでも残っているのが奇跡的とは言え幹だけ残って枝葉のない木では枯れ木に近いので、本作もスチール写真、フィルム断片、字幕補足による修復復原版で全容を想像するしかありません。渡米後のオズヴァルトは娯楽映画を監督するかたわら『シマロン』'32のウェズリー・ラッグルズ監督作品やマイナー映画社移籍後のバスター・キートン主演短編の製作をしていたそうですし、安定した商業映画監督だった(そうでなければ35年間に114本も作れません)そうですが、こういう監督の映画史的な画期作が当たり前のように埋もれているところにサイレント時代の映画の恐さがあります。

●11月3日(土)『蜘蛛 第1部:黄金の湖』Die Spinnen : Der goldene See (監=フリッツ・ラング、Decla-Film'19.10.3)*69mins, B/W, Silent; 日本公開大正10年(1921年・月日不明、尺数不詳) : https://youtu.be/N6ElNhMd2bA

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 フリッツ・ラング(1890-1976)は第1長編『混血児 Halbblut』(Decla-Film'19.4.3, Lost)、第2長編『愛のあるじ』Der Herr der Liebe (Decla-Film'19.9.26, Lost)は今日フィルムが散佚していますが、最初の傑作となった第8作『死滅の谷』Der mude Tod (Decla-Bioscop'21.10.6)、前作の国際的成功に乗って併せて4時間半になる大作で以降のサイレント時代のラングの大作主義を決定づけた第9・10作『ドクトル・マブゼ 第1部 大賭博師・時代の肖像』Dr. Mabuse, der Spieler; Der grosse Spieler, ein Bild der zeit. (Decla-Bioscop=Uco'22.4.27)、『ドクトル・マブゼ 第2部 犯罪地獄・現代人のゲーム』Dr. Mabuse, der Spieler; Inferno, ein Spiel von Menschen unserer Zeit. (Decla-Bioscop=Uco'22.4.27)以前にも、第3作~第7作の模索期と言うべき時期があり、製作・公開順に『蜘蛛 第1部:黄金の湖』(Decla-Film'19.10.3)、『ハラキリ』(Decla-Film'19.12.18)、『蜘蛛 第2部:ダイヤの船』(Decla-Film'20.2.6)、『彷徨える影』(May-Film'20.12.25)、『彼女を巡る四人の男』(Decla-Bioscop'21.2.3)、これらはサイレント時代末期にフィルムが行方不明になり'70年代末~'80年代に60年近くを経てようやく東欧や南米諸国でプリントが発掘されたものでした。ラングはフランスを経て'36年から20年間はハリウッド映画の監督になり、最後の3作はドイツ映画でしたが'60年の監督作を最後に引退してからはゴダールの『軽蔑』'63年に出演後は完全にハリウッドで引棲し、生涯40本ほどの監督作で20世紀最高の巨匠映画監督の一人と生前に評価は定まりましたが、映画賞とはほとんど無縁で晩年は失明して亡くなっており、生前にはこれら初期作品を観直す機会はなかったでしょうし、後世の観客もラング沒後に初めて実物を観られるようになったのがこれら初期作品です。文献によると『混血児』がインディオと白人の混血美女を妻にした男の痴情悲劇(セシル・B・デミルの第1長編『スコウ・マン』1913もインディアンの混血女性と結婚した男が偏見に晒される話でした)、『愛のあるじ』は隣家の女中に誘惑され報復に妻に不貞された男の破滅劇だったそうですから、最初の2作は破滅メロドラマとくくっていいようです。初期ラング作品の面白いのはワイマール時代初期('19~)のドイツ映画の試行錯誤をラング作品だけでもたどれることで、ルイス・ブニュエル(1900-1982)が映画監督になることを決意したという、大正12年('23年)3月の日本公開時も即名作の評判を取ったドイツ表現主義映画の傑作『死滅の谷』までのラング作品は1作ごとに趣向を変えてドイツ映画の方向性を模索している点で、ラングの初期作品では『死滅の谷』以前にはこの『黄金の湖』のみが大正10年('21年・月日不明)に公開されただけで話題にならなかったので国際的ヒット作『死滅の谷』までは日本公開されなかったのですが、キネマ旬報は創刊3年目だったので近着外国映画紹介にごくあっさりした紹介があります。当時は『蜘蛛 第1部』ではなく単発の長編映画『黄金の湖』として公開されたのも知ることができます。また原題が『The Golden Lake』とされていることからも字幕タイトルを英語にしたアメリカ上映版(国際版)だったのも推定されます。引いておきましょう。
[ 解説 ] アメリカを舞台にした作品。無声。
[ あらすじ ] ケイ・フッグ(カール・デ・フォークト)と云うヨットのチャンピオンがあった。一日セイリングの帰途海上で一つの瓶が浪間に漂うのを拾い上げると中から地図と共に遺書が出た。之を知ったスパイダー組の女団長リオ・シャ(レッセル・オルラ)は無限の黄金を一攫として得んとフッグの先を越してインカ族の住する南部アメリカに向かった。此を知ったフッグも直ちに南米に向かった。彼等は互いに宝庫を探り当てんと努めた。軽気球によってインカ族の住居を発見したフッグはパラシュートに依って敵地に来て、一名の少女が将に毒蛇に襲われんとするを危うく助けた。尚も奥深く進み見ればリオ・シャは既にインカの為犠牲にされんとして居た。シャの手下はシャを助けんとしてインカの巣窟に侵入し黄金に眼を呉れて居る間に溺死してしまった。危うく逃れたフッグは黄金は得る事が出来なかったが自ら救った少女ナイラ(リル・ダゴファー)を得たのであったが一人逃れたリオ・シャの嫉妬の為ナイラはスパイダー組の手にたおされた。
 ――タイトルの「蜘蛛」というのはサンフランシスコのチャイナタウンに潜む中国系美女の男装の女ボス、リオ・シャ率いる犯罪強盗組織で、主人公のアメリカ青年冒険家ケイ・ホーグと秘宝のありかを巡って争うのが第2作『第2部:ダイヤの船』に続くシリーズの基本になっています。失われた第1、第2作の破滅メロドラマ路線から一転して、本作は宝の地図を瓶に隠して海辺の岩場に追い詰められた男が射殺される場面から始まる冒険アクション映画路線の作品になります。ムードも無国籍映画に近いもので、サンフランシスコ~日本航海のヨットレースのトレーニング中に流れる瓶を広ったケイ・ホーグは、すぐに新たな冒険に乗り出したのが社交界の噂になります。地図の指示通り気球に乗るとなぜかインカ帝国の末裔の住む隠れ里に着きますが、ホーグが宝の地図の瓶などひろって来なければはた迷惑な蜘蛛団もついてこなかったろうに、と突っ込み所も満載です。インカ人の末裔たちに邪険にされ困ったホーグは、偶然大蛇に襲われている巫女ナエラ(デクラ社のヒロイン女優リル・ダゴファーで、この後のラング初期作品や『カリガリ博士』'20のヒロインも勤めます)を助けて、彼女の導きでお宝のありかを知ります。一方蜘蛛団は現地人に捕まりリオ・シャは儀式の生贄にされる寸前です。ケイ・ホーグはリオ・シャも助けますが、そこは蜘蛛団、お宝の場所にご同行願おうという話になります。ここはフィルムのカラー彩色が映える場面で、お宝の場所とは所々純金の像が据えてあり、砂金が滝のように流れる洞窟の中でした。狂乱して仲間割れし、岩礁状の金塊を奪いあう蜘蛛団のギャングたち。その時、ホーグは洞窟内のガスに気づいて脱出を計ります。しかし遅し、蜘蛛団が持ち込んだたいまつがガスに引火して大爆発を起こします。さて数日後のロンドン、事の顛末を博物学者テルファス博士(ゲオルク・ヨーン)に語るケイ・ホーグ。巫女ナエラは今はホーグの愛妻になっています。生存者は自分だけで蜘蛛団は壊滅したはず、とホーグ。そこに生存していたリオ・シャが訪ねて来ます。あの時助けてくれた感謝を伝えにきた、というリオ・シャはナエラの若妻姿を見て「愛は憎しみで返すよ!」とケイ・ホーグに啖呵を切って去り、庭の藤椅子で休むナエラにホーグはつき添い、すぐ戻るよとパイプを取りに行きますが、曇りガラス越しの窓をよぎる影にまさか、と愛妻の休むテラスに駆けつけるとナエラは刺殺されていて、胸の上に蜘蛛団の犯行の印、タランチュラの死骸が置いてあります。愛妻の死を悲しんで抱き上げながら蜘蛛団への怒りを新たにするケイ・ホーグ。第1部完。これが現在でも観ることができる一番古いフリッツ・ラングの映画で長編第3作です。あんまりな大時代な冒険映画に面食らいますが、1919年といえば大正8年、100年前の映画ですからとやかく言えません。しかしチャップリンの『犬の生活』『担へ銃』が1918年、ガンスの『戦争と平和』は同じ1919年、さらに同年には『幸福の谷』『スージーの真心』『散り行く花』を含むグリフィスの六部作、デミルの『男性と女性』もあり、さらにシュトロハイムの『アルプス颪』も同年と思うとドイツ映画の遅れがじれったくなります。しかしいきなり逃亡する男の憔悴した表情のクローズアップから入る冒頭のシークエンスなどはやたら良くできていたりしますし、大量のエキストラ、巨大セットの豪華さなどでは『プラーグの大学生』や『他人とは違って』より各段に大予算のメジャー映画の風格があり、国際的成功を狙った大作感があるのは確かです。本作がヒットしたので『第2部:ダイヤの船』を撮り、デクラ社がラングの監督で企画を進めていた『カリガリ博士』はロベルト・ヴィーネに譲ることになった、とラング自身が証言したり取り消したりしていますが(『蜘蛛』は第4部まで企画されて、第2部で打ち切りになりました)、作風はまだ確立前にせよやたらと陰謀ムードやタイム・リミットが強調される面は後年の作品につながる面でしょう。引退直前の'58年の2部作『大いなる神秘 王城の掟』『大いなる神秘 情炎の砂漠』はラングが脚本をヨーエ・マイ監督に提供した'21年作品('37年にもリメイクあり)のセルフ・リメイクでしたが、次の引退作『怪人マブゼ博士』'60ともどもラングは冒険と陰謀の世界に戻って終わりたかったようで、本作に描いた世界はラングなりに丹精をこめたに違いないのです。