人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年5月26日・5月27日/フリッツ・ラング(1890-1976)のアメリカ映画(4)

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 ラング初の反ナチ・戦争サスペンス映画『マン・ハント』'41が佳作になったのはダドリー・ニコルズの脚本、主人公を演じるウォルター・ピジョンとナチ将校役ジョージ・サンダースのはまり役の快演もありますが、主人公に恋してしまう行きずりの私娼役ジョーン・ベネット(1910-1990)の可憐な演技がこれまでのラングにはなかった自然な情感で花を添えていたのによりました。渡米後すぐのシルヴィア・シドニー(1910-1996)主演の三部作もシドニーの魅力が光る映画でしたが作品としては図式的な人物配置にキャラクターが収まっており、『マン・ハント』のベネットのように図式からはみ出すほどではなかったのです。『マン・ハント』後のスパイ映画『死刑執行人もまた死す』'43、『恐怖省』'44も面白さでは負けず劣らずでしたが、どちらもヒロインを演じる女優は没個性で物語上必要なキャラクターから出ないものでした。ラング自身が映画で描くのは物語であり映画の登場人物は類型的でよし、とする傾向が『ケイ・ホーグの奇妙な冒険・怪盗蜘蛛団』'19の昔からあって、『マン・ハント』以前に人物造型が物語上の類型をはみ出たのは『死滅の谷』『リリオム』くらいで、『M』と『暗黒街の弾痕』がそれに次ぐ程度だったと思います。反ナチスパイ映画が2本続いてタイミング良い頃に当時流行の官能犯罪サスペンス(後にフィルム・ノワールと呼ばれるジャンル)の企画をジョン・フォードアカデミー賞受賞作『怒りの葡萄』の脚本家ナナリー・ジョンソンが製作・脚本を兼ねてラングに持って来ました。エドワード・G・ロビンソン(1893-1973)とジョーン・ベネット主演、ダン・デュリエ(1907-1968)共演の『飾窓の女』がそれで、『飾窓~』の出来に気を良くしたベネットの夫のプロデューサー、ウォルター・ウェンジャーがラングとともにダイアナ・プロダクションズを共同創設して企画、ユニヴァーサルで製作・配給されたのが『緋色の街/スカーレット・ストリート』です。ウェンジャーはもともとMGM社在籍時にラングをハリウッドに招いた人物で、『暗黒街の弾痕』のプロデューサーでもありました。『暗黒街~』の次作『真人間』はフリッツ・ラング・プロダクション企画のユニヴァーサル作品で、つまり『緋色の街~』はハリウッド時代のラングが『真人間』『死刑執行人~』とともに積極的に企画から立ち上げた数少ない作品になります。『緋色の街~』はポスターにも「The Great Stars and Director of "Woman in the Window"」と謳われている通りキャストとスタッフは『飾窓~』と同じ、脚本はダドリー・ニコルズ!と期待しない方がおかしい布陣で、現在この2作はエドワード・G・ロビンソンジョーン・ベネット両者の代表作であり、アメリカ時代のラング作品中フィルム・ノワールの古典という不動の評価を得ている怪作です。フィルム・ノワールとは怪作であるほどよろしいというジャンルなので、これほど人を喰った作品はラング作品でもそう多くはなく、真面目な観客(視聴者)なら怒り出すのではないでしょうか。ちなみに次にゲイリー・クーパー主演の反ナチ映画『外套と短剣』'46をワーナーで撮ったラングは再びウェンジャーとダイアナ・プロダクションズ企画のジョーン・ベネット主演作品『扉の蔭の秘密』'48をユニヴァーサルで製作しますが、同作がダイアナ・プロダクションズの第2作で最終作になりました。ウェンジャーとベネットの結婚が破局したからで、ウェンジャーはベネットの浮気現場を押さえて相手のベネットのマネージャーを銃撃、懲役4か月(笑)の実刑に服します。職場結婚破局すると仕事にも差し障りが出るものです。
*今回の2作はラング全作品中の頂点をなすハリウッド時代ならではの屈指・必見の傑作です。画質良好な英語字幕つきノーカット版のリンクを載せましたので、もし未見でいらっしゃったならお暇な折りにでもご覧ください。

●5月26日(金)
飾窓の女』The Woman in the Window (米RKO'44) : https://youtu.be/wOQeqcPocsQ (with English dialogue subtitles)*99mins, B/W

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犯罪心理学専攻の大学助教授ウォンリー(エドワード・G・ロビンソン)の楽しみは親友の地方検事(レイモンド・マッセイ/1896-1983)と医師ソーンダイク博士の3人でクラブのラウンジで晩酌することで、妻と子供たちが実家に夏休みに向かうのを見送った晩も検事と医師に「ひさびさの独身生活なんだから女遊びくらいしたらどうだ」と冷やかされる。3人は画廊のショーウィンドーに飾られた美女の絵を話題にし、あんな女が相手だったらなあと笑う。先に友人たちが帰り、しばらく一人で飲んでクラブを出た助教授は帰り道に話題の絵に見とれているとガラスにその女性本人(ジョーン・ベネット)が映る。彼女は自分がモデルの絵を見る人を眺めに時折来るのだと言い、気に入ってくれたなら他の絵もあるから、と尻込みする助教授を自分のアパートに誘う。美女のアパートでお酒をふるまわれながらご機嫌でデッサン帳を眺めていると突然中年男が乱入、一方的な格闘で絞め殺されそうになった助教授にとっさに女はハサミを渡し、助教授は中年男を刺殺してしまう。女は中年男と偶然知りあって囲われ者になり、素姓はおろか本名も知らないという。つまり女とこの男の関係は誰も知らないなら、と助教授は死体を遺棄することにする。おっかなびっくり車を取りに行き死体を郊外の藪に棄てて一件落着、美女ともこれきりと思いきや翌日に地方検事から大実業家の失踪の話題を聞き、遺体の発見に次いで実業家のボディーガードの前科者から脅迫されている、と美女から電話がかかってくる。名前も明かしていないのにどうして連絡先がわかった?と助教授が訊くと「あなた新聞に載ってるわよ」新聞を見ると顔写真つきで教授昇進のニュース。心臓が良くない、と医師に相談すると劇薬を処方され、地方検事には君は犯罪心理学専攻だろうと遺体発見現場に誘われる羽目になる。一方脅迫者(ダン・デュリエ)はしつこく金を要求し、教授は次の交渉で毒殺するんだ、と劇薬を女に渡すが駆け引きではかなわず失敗して調達できる現金は全部巻き上げられてしまう。このベネット対デュリエの駆け引きシークエンスは20分近い長さでねちっこく、前作『恐怖省』にもチョイ役で出ていたがあんちゃん風悪党演技を演らせるとデュリエの名優ぶりがすさまじい。駄目だったわ、とベネットから電話を受けた教授は致死量の劇薬を飲んでしまう。他方深夜の路上で職務質問されたデュリエは警官を振り切って逃走しようとして射殺され、ベネットは銃声を聞き野次馬をかき分けて脅迫者の死を目撃し教授に急ぎの電話をかけるが……。この後賛否両論(賞賛多数)のオチが待っているのだが、このオチを良しとする人もこの映画だからこそ許すので、犯罪サスペンスではあるがヒロインは別に悪女ではないし(ヒロインと脅迫者がつるんでいるわけではない)、主人公の運悪く教授に昇進する助教授も死体遺棄はするがやったのは正当防衛でヒロインと情事すらしていない。ひょんなことからパトロンの死を隠蔽する羽目になる囲われ美女と妻子持ちの共犯犯罪コメディで、ブラック・ユーモアになるのは当然だし、デュリエ演じる脅迫者は悪党だが悪党がこすい悪事をするのは検事(このマッセイも名演)が犯罪を捜査するのと同じで職業に貴賎はない。原作小説があるのを知って最近初めて読んだが小説はマジな犯罪サスペンスだった(映画の日本公開に合わせて翻訳されたので表紙がロビンソンとベネットと凶器のハサミそのままなのが可笑しい)。エドワード・G・ロビンソンは本作と同年ビリー・ワイルダーの傑作『深夜の告白』でも保険会社の探偵役で名演を残しており脂が乗りきった存在感。撮影のミルトン・クラスナーともどもスタッフ、キャスト共通で次回作を作ろう、とベネットの夫ウェンジャーが乗り出し、ラングも企画から参加し、次はジャン・ルノワールの『牝犬』'31のリメイク(というか同じ原作小説)を『マン・ハント』のダドリー・ニコルズの脚本で、ととんとん拍子に話が決まったに違いない。そして悪意の効いた悪夢のような『飾窓の女』の悪夢が現実になったのが次作『緋色の街/スカーレット・ストリート』なのだった。

●5月27日(土)
『緋色の街/スカーレット・ストリート』Scarlet Street (米ユニヴァーサル'45) : https://youtu.be/JYx47ew1_zM (with English dialogue subtitles)*103mins, B/W

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・真面目な中年銀行員クリス(クリストファー)・クロス(エドワード・G・ロビンソン)が、と役名だけで笑えてくる。綴り(Chris)はもじってあるが「Criss Cross」(註*)といえばセロニアス・モンクの代表曲だし(1951年初録音)、クリストファー・クロスとくれば(笑)。それだけアメリカ本国では本作がポピュラーなわけで、現在パブリック・ドメイン作品なのもあるが輸入盤の種類が半端ではない。ちょっと調べただけでも30社あまりのメーカーからDVDが出ている。戦中作品『飾窓の女』が昭和28年日本公開されたのに対し本作は商業公開されないまま時折16mmプリントの自主上映がされるにとどまり、2000年に日本盤初DVD化、2003年にNHK-BSで放映されたがマスター状態は悪かった。2007年にデジタル・リマスターされて以降のリリースはすこぶる良い。日本盤のリマスターDVDは廃盤でプレミア状態だが輸入盤なら1000円以下で買える。聴覚障害者対応に英語字幕スーパーつきの輸入盤もあるが、本作は高校生程度の英語学習していればセリフが聞き取れるくらい会話が平易。『恐怖省』あたりだとそうはいかない。輸入盤の多数ある『クライム・ミステリー(フィルム・ノワール)傑作選DVDボックス』類には本作と『都会の牙』"D.O.A."、『流砂』"Quicksand"、エドガー・G・ウルマーの『恐怖のまわり道』"Detour"、サミュエル・フラーの『裸のキッス』"Naked Kiss"あたりは定番で入っている。おかげでうちにも4枚ある。さて内容は、勤続25周年祝いを受けて雨上がりの帰路についたクロスは若い男(ダン・デュリエ)に路上で殴られている美女(ジョーン・ベネット)を傘をかざして助けて以来自称「女優」の彼女に乞われるままに金を貢ぎ、豪勢なアパートを借り、捜査中に消息不明になり死亡認定された刑事だった妻の前夫の生命保険に手を付け、会社の金にまで手を出すが、実は「女優」の彼女は街娼で若い男はそのヒモだった。殴ると撫でるの塩梅で女をメロメロに操るヒモ役のデュリエがまたしても名演。クロスは家では妻の尻に敷かれ日曜に絵を描くのだけが趣味だったが、絵なら売れるんじゃないかと思いついたヒモはクロスの絵を女に貢がせ売りに行ったところ、ニューヨーク美術界の権威に認められ彼女が描いた絵ということにしてしまう。新人天才美人画家の評判で絵は瞬く間に高値になり個展が展かれ、妻からあんたの絵は盗作だったんだろと罵倒されてクロスも気づくが、ヒモから影で知恵をつけられた女は生活のために売ったと泣きつき、結局クロスも彼女名義でも絵が高く評価されたと喜んでしまう。事態はクロスの妻の前夫の生存で一変する。実は妻の前夫は汚職で追い詰められており、事故を装って失踪していたが再び金に困って重婚をネタにクロスをゆすりに来たのだった。クロスは離婚のチャンスと考え自宅の保険金の隠し場所を教えて前夫を家に引き入れて妻を押しつけて愛人宅に急ぐが、女はヒモといちゃついているところだった。ショックを受けてクロスが立ち去るとバレたじゃないかとヒモと女は口論になり、ヒモが出て行ったのと入れ違いにクロスが戻ってくる。妻とは別れたから結婚してくれ、と懇願するクロスにあんたみたいな汚いジジイ、と女は開き直って罵倒し、激情したクロスはそばにあったカクテル用のアイスピックで女を刺殺する。酔っ払ったヒモが帰ってくると我に返ったクロスは密かに現場から逃げ、ヒモが犯人として逮捕される。クロスは着服がバレるが会社から告訴はされずクビにされるにとどまる。女性画家殺しの公判でヒモは女の絵はクロスが描いたと主張するがクロスは否認、日頃目撃されていた女への暴行にクロスの証言が後押しして死刑が確定し、ヒモは最期まで悪態をつきながら死刑執行される。クロスは縊死自殺を図るが果たせず、女とヒモの幻覚や幻聴にうなされ、ホームレスとなって公園や救世軍施設をさまよい何度となく事件について自首するも狂人の妄言としかあしらわれない。画廊のショーウィンドーに1万ドルで飾られたクロス作の女の肖像画を窓越しに購入する婦人の前をクロスが虚ろな目つきで通り過ぎて、映画全編に変奏されてきた主題曲「My Melancholy Baby」(1912年作、本作の時点ではビング・クロスビーによって1941年に再ヒット)が高まる。悪女に憑かれた主人公の零落ぶりはスタンバーグマレーネ・デートリッヒ初主演作『嘆きの天使』'30のエミール・ヤニングス演じる初老の教師を思わせる(弓削太郎の渥美マリ千秋実主演『夜のいそぎんちゃく』'70は同作の翻案)。原作小説は知らないがルノワールの『牝犬』は妻を軸に汚職隠しのため失踪した前夫と愛人に翻弄される現夫の対比が重視されていて、『牝犬』が原作に忠実なら本作の改変ぶりはすごい。ラングは後にやはりジャン・ルノワール作品でジャン・ギャバン主演、ゾラ原作の『獣人』'38を『仕組まれた罠』'54としてリメイクしているが、プロデューサーがルノワール作品に惚れ込んで進めた企画でラング本人は『獣人』におよばない作品に終わった、と発言している。蒸気機関車の客室内の殺人と電気式列車客室では置き換えに無理があった。しかし『牝犬』と『緋色の街~』では気づかない人もいておかしくないくらい人物配置の遠近法が違う。そういえばニコルズはモーパッサンの『脂肪の塊』を原作に『駅馬車』を書いた人だった。配役がロビンソン、ベネット、デュリエで撮影も同じカメラマンでも、また情け容赦のなさはいつも通りのラングでも、陰惨かつ身も蓋もない悪夢の度合いで『飾窓の女』と『緋色の街/スカーレット・ストリート』は完璧な対照をなしている。まるで最初から2作セットで構想されたみたいだが、大戦末期にこんな映画を作っていた、また需要があったと思うと恐ろしい。『My Melancholy Baby』はモンクが参加したチャーリー・パーカーディジー・ガレスピークインテットが1950年にスタジオ録音もしている。モンクは1941年のビング・クロスビーの再ヒットの直後にジャム・セッションのライヴでも同曲をやっているが、「Criss Cross」初録音の時期を併せると本作はセロニアス・モンクも観ている。モンクが観ているならビ・バップ全盛当時のニューヨークのジャズマンはみんな観ている。『飾窓~』も『緋色の~』も西海岸ハリウッドのスタジオで撮影された虚構のニューヨークで(ハリウッドのセットは全世界を捏造していたわけだが)、それをニューヨーク現地の観客が観るとさぞかし突っ込み所満載だったに違いない。

註*「Criss Cross」については1949年に同名映画(ユニヴァーサル製作、ロバート・シオドマク監督)があります。原作はアメリカ作家ドン・トレイシーの同題の犯罪小説でジェームズ・M・ケインのデビュー長編小説『郵便配達は二度ベルを鳴らす』と同年の1934年刊。映画の日本公開は昭和31年で邦題は『裏切りの街角』です。バート・ランカスター主演でダン・デュリエも準主役級でキャスティングされており、ヒロイン(イヴォンヌ・デ・カーロ)をめぐる三角関係劇ですが監督がドイツからの亡命監督シオドマクですからラングからの影響は大きいでしょう。同作は『蒼い記憶』1995(監督=スティーヴン・ソダーバーグ)としてリメイクされました(リメイク版の原題は『The Underneath』)。"Crisscross"ならば一般語としては名詞または動詞で"十文字"というだけですが、「Criss Cross」を『裏切りの街角』としたシオドマク版の邦題は内容をよく突いており、フィルム・ノワール最盛期の製作だけに多くの佳作に埋もれがちなシオドマク作品(代表作は『幻の女』'1944、『らせん階段』'45)で、フィルム・ノワール自体がホークスとヒューストンの一部の作品を除いて現代の日本ではマニア向けと目されているジャンルですが、公開時には普通の娯楽映画として広く親しまれた作品だったでしょう。『裏切りの街角』も音楽はミクロス・ローザだったりして、ラング作品同様ユニヴァーサルのB級映画どまりではもったいないのです。