ハリウッドでの前作『条理ある疑いの彼方に』RKO'56の後、フリッツ・ラングに舞いこんだのはかつての母国、ただし敗戦によって分断された西ドイツからの監督依頼でした。しかもフランス、イタリアのプロダクションとの国際的大作が可能とあってはハリウッドで低予算映画ばかり20年もの間撮ってきたラングにはこれは魅力的な依頼です。戦前ドイツ時代にはラングは企画と脚本を自分で立ち上げることが許されていましたが、分業システムの進んだハリウッドではラング自身が企画・脚本から携わった作品は監督作品22作中『激怒』'36、『真人間』'38、『死刑執行人もまた死す』'43、『飾窓の女』'44、『緋色の街/スカーレット・ストリート』'45、『扉の蔭の秘密』'48にとどまりました。ラングはサイレント時代の1920年に書き上げて自分で映画化することがかなわずヨーエ・マイ監督によって1921年に、リヒャルト・アインベルクによってリメイクが1937年に作られていた『インドの墓地』をラング自身によって第1部・第2部の二部作の大作にする企画を実現します。カラー、本格的なインド・ロケによって大予算で作られたこの『大いなる神秘』二部作('58/各1時間40分)はドイツ国内の批評家の不評にもかかわらずドイツ語圏ばかりでなく世界的なヒット作となり、大衆娯楽映画でもあるので英語圏やアメリカ配給による国では二部作を2時間にまとめた英語吹き替えヴァージョンも公開されました。さらにラングは西ドイツ企画で「新マブゼ博士シリーズを作りたいからその第1作を、第2作以降は無理にお願いしない。内容はマブゼ博士が出てくれば何でも良い」と願ったりかなったりの依頼を受け、では1本だけとサイレント時代の『ドクトル・マブゼ』二部作('22)、トーキーによる『怪人マブゼ博士』'33とはマブゼ博士のキャラクターを借りた人物が出てくるだけで内容はまったくの新作『怪人マブゼ博士』'60を作ります。ラング70歳、視覚疾患はかなり進んでいたようで、フィルム撮影時代の映画は強烈な照明を必要としましたから監督歴40年のラングの眼疾もいたしかたなく、またラングはロサンゼルスに永住することを決めていたので(だから今回の3本も「ドイツ帰国作品」ではなくドイツ映画界への「復帰作品」になります)、これら西ドイツでの作品はロサンゼルスから出向してきて監督されました。新『怪人マブゼ博士』はこけら落としみたいなもので第2作以降は現地西ドイツの職人監督がシリーズを引き継ぎますが、ロサンゼルス在住のラングも第1作だけ撮れば十分だったでしょう。この後ラングの視覚疾患は進行し、晩年はほとんど失明していたそうですから偉大な映画監督の晩年としては痛ましいですが、最後の2作・3本を観るとやるだけやった幸福な映画界からの引退だったように思えます。
●6月9日(金)
『大いなる神秘 王城の掟』Der Tiger von Eschnapur / The Tiger of Eschnapur (西独CCC/仏レジーナ/仏クリテリオン/伊リッツォーリ'58)*101mins, Eastmancolor
・インフラの近代化を進めるインドの若き国王(ワルター・レヤー)がドイツ人建築技師を招く。建築技師は王宮に向かう路程で強盗からヨーロッパ人とインド人の混血美女(デブラ・パジェット)を救う。彼女は舞伎で、やはり王に見初められて王宮に専属するために招かれていた。王は恒例の虎狩りの儀式で彼女を守るなど直接間接に寵愛をアピールするがドイツ人技師と舞伎はとっくに恋に落ちており、さらに王宮の魔術鑑賞会で舞伎の侍女が事故死したのを技師が非難したことから技師は王の不興を買って技師と舞伎は駆け落ちする。王は遅れて到着した技師の姉夫婦の建築士夫妻にまず豪勢な墓を依頼する。つまり駆け落ちした二人を捕縛したら男は処刑、舞伎は新調した墓に埋葬するつもりなのだった。砂嵐の中で馬を乗り潰して、進もうとするが恋人たちは砂嵐に埋もれてしまう場面でエンドマークではなく「続く--さらなる危機へ、さらなる愛へ、さらなる希望へ、乞うご期待」と字幕がかぶって第1部は終わる。他にも初めて王宮に上がった舞伎の御披露目の舞踊やら技師が地質調査中に迷いこんだレプラ患者を隔離した巨大地下洞などこまごま枝葉はあるのだが、大筋はこうなる。いくら原作シナリオが1920年初稿とはいえまるでサイレント時代のまんまのムードで1958年の映画を作っているのがすごい。さらに第2部ではもっとすごくなるのだ。後出のスチール写真をご覧あれ。
●6月10日(土)
『大いなる神秘 情炎の砂漠』Das indische Grabmal / The Indian Tomb (西独CCC/仏レジーナ/仏クリテリオン/伊リッツォーリ'58)*102mins, Eastmancolor
・嵐が止んで通りかかったキャラバン隊に助けられた二人は街中に隠れるがすぐに正体がバレて密告され別々に幽閉される。王に悟られず何とか処刑前に弟の幽閉場所を突き止め救出せんと焦る姉夫婦。一方、王の腹違いの兄皇太子は王位を狙って弟弟の失楽を画策、舞伎に神の審判を仰がんと僧侶たちを焚きつけコブラとの舞いに挑戦させる。舞伎は王に技師の釈放を条件にこの挑戦を受けてコブラと踊る。これが本作最大のハイライトになっている。ようやく踊り終える間際に装身具に足をとられて転倒する舞伎にコブラが飛びかかるが王が岩でコブラの頭を潰して助ける。ほらみろ王妃失格じゃないか、と兄皇太子の目論見通りクーデターが起こる。弟王の軍勢と兄皇太子の軍勢で内戦状態の大混乱の中で技師は地下牢を脱出し、レプラ患者たちも地下からうようよと王宮に迷いこみ、兄皇太子は地下水脈で溺死し、技師と姉夫婦と舞伎との再開も果たされ、王とも和解して技師と舞伎、姉夫婦は仕事を終えてドイツに帰国する。DVDのパッケージ解説には(英エウレカ社"Masters of Cinema"版、2011年)「20世紀中葉に西洋人監督の製作したインド映画としてルノワールの『河』、ロッセリーニの『インディア』、パウエル&プレスバーガーの『黒水仙』と並ぶ」と紹介されているが嘘つけ(笑)。実際にインド・ロケして現地の巨大建築なども写しているが街中や王宮内などはスタジオのセットなのがバレバレというか、そもそもこれはドラマチックな虚構のインドであって『河』や『インディア』や『黒水仙』のように現実のインドを描こうとした映画ではないのは設定やストーリーからも明らかで、有名なコブラとのダンス場面などあまりのあられもないサービスぶりに嬉しくなってくる。舞伎のデブラ・パジェットは名演だが女優の名演ではなくダンスの名演で、この場面は『メトロポリス』'27で偽マリアが酒場でプロレタリアートを煽動するストリップまがいのダンス場面を連想させる。映画の終わりに大洪水を起こすのも『メトロポリス』『怪人マブゼ博士('33年版)』、雪崩だが『彷徨よえる影』'20でやっているが、シナリオの成立は本作の方が早いからラングの好みなのだろう。女は踊りで勝負する、大洪水でドラマは終わる。単純明快で古臭い上に是非が問われるセンスだが、事は現実原理ではなくフィクションの世界の効果でしかない。ハリウッド映画を20年間手がけてアメリカ人観客の嗜好を酌みながら映画作りをしてきたがラングがのびのびと荒唐無稽にフィクションに徹することができたのは結局西部劇3本だったように本作はサイレント回帰というよりもラングの本音だったのだろう。このインドは現実のインドではなく面白いことばかり起きるユートピアなのだ。素晴らしいスチール写真があるからコブラとのダンスがどんな具合かご覧ください。これが映画の醍醐味でなければ他に何があるというのだろう。
●6月11日(日)
『怪人マブゼ博士』Die 1000 Augen des Dr. Mabuse / The Thousand Eyes of Dr. Mabuse (西独CCC/伊CEIインコム/仏クリテリオン'60)*99mins, B/W
・『大いなる神秘』二部作は国際的大作にふさわしく大ヒットしたがドイツ国内の映画批評家やインテリからはラング堕落の象徴みたいに忌み嫌われた。外国では批評家からも受けが良くヨーロッパ諸国でフリッツ・ラング回顧上映会が開催されてラングもマメにプロモーションを兼ねて舞台挨拶に応じた。その時主催者や観客から感じた次作への期待感がラングをやる気にさせたのだろう。本作はアメリカの大実業家をめぐる怪事件から大実業家を籠絡し核兵器開発を推進、世界政治を攪乱しようとするドクトル・マブゼ二世の陰謀が暴かれるまでを描いた怪奇サスペンスで、過去の『ドクトル・マブゼ』'22と『怪人マブゼ博士』'33のマブゼ博士を踏まえたマブゼ二世像が懐かしくもあれば1960年版マブゼともなればの偽札作りや株価操作どころか原水爆まで手を出すか、とキューブリックの『博士の異常な愛情』'64一歩手前のブラック・ジョークまで迫っている。原題は『マブゼ博士の1000の眼』で手下の男女スパイたちを24時間監視カメラで統率しているハイテク・マブゼを象徴するタイトルであり、'33年版マブゼの原題『マブゼ博士の遺言書』が遺言を通じて閲覧者がマブゼ博士に憑依され犯罪計画を実行するのを指していたのと対をなすが、『1000の眼』の監視システムではさらに強制的なニュアンスが働いている。ちなみにオリジナルの'22年版マブゼは『大賭博者マブゼ博士』で経済システムと貨幣価値、公共ギャンブルの攪乱者(『愛の戦士レインボーマン』の「死ね死ね団」より50年も早く同じことをやっていた!)としてのマブゼ博士だった。マブゼ再び、というのは西ドイツの映画会社からの提案でもあってラングはマブゼ二世の第1作を監督し、続編は1964年まで毎年1作、4本がドイツ在住の監督によって作られる。ラングは本作だけ作ってロサンゼルスの自宅で逝去まで永住した。内容は過去の自作の焼き直し、出来は往年の作品よりは当然緩いが、アンコールで古い歌をしみじみ聴かされるような味がある。ルノワールの脱走もの『捕らわれた伍長』'65の味わいにも似ている。以上サイレント作品13作(戦前ドイツ)、トーキー29作(戦前ドイツ2作、フランス1作、ハリウッド22作+匿名共作1作、戦後西ドイツ3作)の現存するフリッツ・ラング監督作品を未DVD化の匿名共作1作を除いてすべて再見いたしました。当然初見の作品も数本あって(『死滅の谷』以前の初期サイレント作品など)、また大半が30年あまり前に学生時代に観たきりだったりBS放映で観て記憶があいまいだったりして年代順に毎日観ると観応えありました。輸入盤を含めて少し探せば現存するフリッツ・ラングの映画は全作品がDVDかBDで入手できます。実は映像ソフトで全作品集められたのがまず驚きだったくらいです(サイレント時代の13作はどれも2000年代以降のリリースでした)。11月には『死滅の谷』がエウレカ社から最新リマスター版で発売されるようなので(現行のキノ・ヴィデオ社版はトリミングやヴァージョンに問題あり)それも今から楽しみです。何だかんだ言ってもラングの映画は拷問級の超大作『ドクトル・マブゼ』『ニーベルンゲン』であろうとチープなB級作品だろうと「ああ映画観たなあ」と確かな満足感を与えてくれるのです。