人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年1月31日~2月1日/日本の'20年代サイレント時代劇(2)

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 日本映画の'20年代サイレント時代劇をコスミック出版の10枚組DVDボックス『名作映画 サイレント劇場』収録作品で観る第2回は、サイレント時代の大作として日本映画史に名を残す日活の池田富保監督作品『建国史 尊王攘夷』と、データ以上の文献がないマキノ省三監督作品『百萬両秘聞』の『第一編』『第二篇』です。コスミック出版のボックスは謎のDVDメーカー・ディスクプランの原盤提供とあり、ディスクプランからは「日本名作劇場」のシリーズとして単品発売されていますが、国立日本近代美術館フィルムセンター所蔵フィルムとも日本のサイレント映画専門所蔵社のマツダ映画社所蔵フィルムとも異なるマスターが使用されているらしく、フィルムセンターにもマツダ映画社にも所蔵されていない作品すらあり、今回の『建国史 尊王攘夷』はフィルムセンターにもマツダ映画社(6,000本のコレクションがあるそうです)にも所蔵されておらず、また『百萬両秘聞』はマツダ映画社所蔵版とは異なる原盤が使用されているようで、2008年に「日本名作劇場」を出したきり実体不明のメーカー、ディスクプランがいったいどこからこれらの稀少マスターを掘り出してきたのかは謎に包まれ論議の的になっています。コスミック出版は実体のある活動中の書籍出版社ですが(書籍扱い流通でパブリック・ドメイン映画の良質な廉価版シリーズを発行しています)、ともあれ'20年代サイレント時代劇をまとめて観る機会などそれこそマツダ映画社の上映会かフィルムセンターの特集上映でも足を運ばない限りめったにないので、つぶさに楽しんでみることにします。

●1月31日(水)
『建国史 尊王攘夷』(日活太秦撮影所'27)*100min(オリジナル266min), B/W, Silent

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昭和2年(1927年)10月1日公開
監督・池田富保(1892-1968)
原作・池田富保
脚色・池田富保清瀬英次郎
撮影・松村清太郎、井隼英一 
出演・大河内傳次郎、尾上多見太郎、谷崎十郎、山本嘉一、岡田時彦、酒井米子、沢村春子、桜木梅子、徳川良子
○あらすじ(DVDパッケージより) 憂国の士・井伊直弼を主人公に、大老就任、尊王攘夷派と開国派の血闘、井伊の開国へと至る苦悩、それゆえに「桜田門外の変」で水戸浪士に暗殺されるまでを描く。チャンバラ活劇から喜劇的タッチまで、放縦にして重厚な池田富保の代表作。
○ストーリー(日本語版ウィキペディアより) 幕末、安政5年6月(1858年7月)、アメリカ合衆国の全権総領事タウンゼント・ハリスが神奈川沖に投錨した。幕府側の代表である井上信濃守(中村仙之助)、岩瀬肥後守(実川延一郎)と交渉するが、開国と友好を求めるハリスらに井上らは強硬姿勢を見せる。ハリスらは清国がイギリスに上海を乗っ取られた例を挙げ、友好の必要を説く。その報告が江戸城に伝えられると、幕府大老井伊直弼(大河内傳次郎)は、客観的な国力の違いから、命を張っても開国すべきだとの姿勢である。13代将軍家定(市川百之助)も病に伏せている。一方、水戸齊昭(山本嘉一)らは開国に反対であり、水戸藩士たちも同様である。水戸の巷で開国反対を説くヒゲの大男・関鉄之助(新妻四郎)がいる。正義漢で直情型の関は、有村治左衛門(尾上多見太郎)、森山繁之助(谷崎十郎)の仲間である。やがて、頼三樹三郎(岡崎晴夫)、鵜飼吉左衛門(中村時五郎)、梅田源次郎(三桝豊)ら危険人物たちを井伊直弼は次々に捕らえさせる、のちに安政の大獄と呼ばれる強硬手段に出る。なかでも梅田は、乳飲み子をかかえる病弱な妻おせつ(沢村春子)と別れる羽目になり、連行される梅田を、おせつは病身を押して道にまろびながらも追うのだった。有村らは、水戸齊昭に暇を乞い、井伊直弼を討つ決意を固める。有村は新しい刀を購って準備を進めるが、森山はシャイな関を芸妓遊びに連れ出し、芸妓のおあき(酒井米子)とくっつけようとする。安政7年3月2日(1860年3月23日)いよいよ、明日決行、夜には雪が降る。翌朝、江戸城桜田門で斬りかかる有村ら。いよいよ籠のなかから井伊直弼が現れる。井伊も命をかけて開国を推進する身、有村も命がけである。井伊は国賊と叫ばれるが、お互い思想が違うが、国を思う心は同じだと動ぜず、そんなに井伊の首が欲しければ、と雪の庭に座する。有村、関、森山たちは井伊の首を取り、勝鬨を挙げる。

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 日本語版ウィキペディアにも項目があるほどの著名作。キネマ旬報社『日本映画史』'76には1ページ弱、散佚映画の情報が詳しく重宝な戦前からの映画批評家・筈見恒夫の『映畫作品辭典』'54(弘文堂アテネ文庫)にも作品項目があるキネマ旬報日本映画年間第3位(田中純一郎『日本映画発達史』'65/'76では他の池田監督作品と並べて作品名のみの言及)。オリジナル266分(4時間26分)とは同年のフランス映画『ナポレオン』並みですが、100分の現存版は相当な短縮になります。しかし266分というデータはオリジナルの映写速度で、DVDの100分がトーキー以降の映写速度(1秒24コマ)だとすると事情は多少変わり、サイレント時代の映写速度は1秒18コマ~24コマと作品によってまちまちでした。DVDで観ると明らかに動きが速いので、仮に20コマ/sec.なら120分、18コマ/sec.なら134分になり、266分の半分の長さになります。日本映画のトーキー化はディスク式の試作『戻り橋』'29.6(マキノ映画、マキノ正博監督作品)、部分トーキー『ふるさと』'30.3(日活、溝口健二監督作品)など試行錯誤を重ねて本格的トーキー第1作『マダムと女房』'31.6(松竹、五所平之助)が作られますが全国の映画館では'35年(昭和5年)後半までトーキー上映設備が進まず、それまでは新作映画もサイレント、トーキーの場合もサイレント上映に対応できる内容の作品に作られました。'31年までのサイレント作品は'35年いっぱいまでは再上映の需要があったので、この移行期の5年間に短縮版が作られたと思われます。サイレント上映機材のままの民間上映向けの貸し出し用の需要もあったでしょう。そういう民間上映では細かい映写速度など気にしませんから、とりあえずざっくり半分の長さに短縮したのはあり得そうな話です。どだい4時間半の大作などそのままの長さで上映されるのは話題性のある初公開時だけで、『ナポレオン』(オリジナル5時間半)は当時日本未公開に終わりましたが本国でもすぐに再上映では2時間強に短縮され、日本で参考試写されたのも短縮版だったそうです。『ナポレオン』がフランシス・F・コッポラのプロデュースで復源4時間版で再公開されたのは監督アベル・ガンス逝去直前の'81年、復源版のスタッフがさらに粘り強く5時間半の復源版にこぎつけてイギリスでブルーレイ・ディスク化リリースしたのが2016年11月です。しかし『ナポレオン』はガンス自身のオリジナル版では当初8時間以上の長さで試写されたそうなので、最新復源版の5時間半ヴァージョンが本国初公開版の5時間半ヴァージョンと同一かどうかは確定できない、とブルーレイの解説ブックレットには記載されています。近代美術館フィルムセンターにもマツダ映画社にも所蔵フィルムがない『尊王攘夷』が観られるのは短縮版とはいえディスクプラン=コスミック出版版DVDしかないとなると(当然日活にもないのでしょう)、『雄呂血』や『狂つた一頁』のように製作・主演の阪東妻三郎や製作・監督の衣笠貞之助が個人保管していたように関係者の個人所蔵フィルムでも出てこない限りオリジナル全長版の発掘はなさそうです。ディスクプランは短縮版をいったいどこから見つけてきて、コスミック出版はどんな形態(ポジフィルムか、それともDVDマスターか)でディスクプランから原盤を借りてきたのでしょうか。とにかくこの作品もボックスセットの他の作品すべてと同じくクレジットタイトルやインタータイトル(字幕)は原盤フィルムのまま(正字・歴史的かな使いによる手書きデザイン文字)、マツダ映画社の所蔵フィルムのような伴奏音楽と解説音声(弁士解説)つきのリマスタリングはしておらず完全サイレントです。これで1時間40分ものシリアスな幕末歴史映画というのは、観る前から敷居の高さを感じて尻込みする人も多いのではないでしょうか。主演が大河内傳次郎(1898-1962)なのも果たして熱心な時代劇愛好家以外にはアピールするかどうか。むしろ大勢いる外国のサイレント映画マニアなら1927年、歴史実話大作、4時間半のキーワードで「日本の『ナポレオン』か?」と興味を示してくれるのではないでしょうか。それなら半分程度の短縮版でも見所はあるはずです。時代的にも1927年といえばサイレント時代の円熟が極まった時期で、世界的に数々の傑作が作られています。同じ日活の伊藤大輔の『下郎』や大河内傳次郎主演の『忠治旅日記』三部作もこの年でした(第二篇がキネマ旬報日本映画年間ベストテン1位、第三篇が4位)。この『忠治旅日記』は長い間フィルム散佚作品と思われていましたが1991年に広島県の民家から第三篇が発見され、今やサイレント映画の古典として世界各地の映画祭で上映され国際的に認知されている傑作です。この第三篇より当時上位の票を集めた(『忠治~』は三部作で票が散ったかもしれません)のが『尊王攘夷』で、大河内傳次郎人気もあったでしょうし『忠治~』三部作の総計上映時間に匹敵する大作なのも評価に加算されたと考えられます。第三篇(と第一、二篇の断篇)しか残っていない『忠治~』三部作よりも全編の半分の短縮版が残っている『尊王攘夷』の方が一見有利に見えますが……。
 開巻一番波濤とともに字幕「黒船だ!」逃げまどう人々、家財道具を積んだ大八車、砲兵隊の出陣、「戦争だ!」、星の数が4列しかない星条旗がひるがえる船上のペリー館長とハリス総領事、報告を受ける大河内傳次郎井伊直弼、ハリス総領事との会談、気勢を上げる開国絶対反対の尊王派、英仏連合軍による清国侵略を引き合いにアメリカとの同盟と引き換えの開国を迫るハリス、と本作冒頭はなかなか快調に進んでいきます。安全保障条約を餌に弱小国を衛星国に取りこんできたアメリカの手口はなるほどこういうものだったのか、これが後にはソヴィエトや中国、アラブ諸国の脅威から守ってやるぜの安全保障軍事外交に変化していくわけだなと歴史のお勉強にもなります。このあたりまではけっこう面白い。映画が歯切れ悪くなってくるのは開国派と攘夷派で国政が分裂し事実上の内戦状態が勃発していくあたりからで、映画は当初開国派の井伊の観点で進んでいきますから観る側も何とか攘夷派と折り合いをつけようという井伊の気持になって観る。ところが急進派を取り締まる井伊の政策が進むと映画は井伊に弾圧された攘夷派の方に同情的になっていく。あらすじで言えば「なかでも梅田(攘夷派の水戸藩の壮士)は、乳飲み子をかかえる病弱な妻おせつ(沢村春子)と別れる羽目になり、連行される梅田を、おせつは病身を押して道にまろびながらも追うのだった」というあたりです。だんだん井伊直弼フランス革命でいえばロビスピエール化してきて(なんと『ナポレオン』との偶然の一致)、この『尊王攘夷』はかなりグリフィスの『イントレランス』'16を意識していると思われ、開国派と攘夷派の和睦をテーマに始まったように見えるのに、映画のかなり早い段階から同じグリフィスでも南北戦争と敗戦後の南部の混乱を描いた『国民の創生』'15になってしまう。つまり進歩派の北部が保守派の南部を虐げたという歴史観に変わってしまい、グリフィスは後の『アメリカ』'24で北部の立場から南北戦争を正当化する作品を作りますが、『国民の創生』では諸悪の根源(!)リンカーンが映画のちょうど折り返し地点で助監督ラオール・ウォルシュ演じるジョン・ウィルクス・ブースに暗殺されます。それから敗戦後の南部の混乱が描かれて奴隷制度の廃止で野放しになった黒人を取り締まれ(!)と話はどんどん暴走していくのですが、1915年のアメリカではこの映画は歴史的大ヒット、サイレント時代通算3位のヒット作になったのです。『尊王攘夷』はリンカーンになれなかったロビスピエールのような井伊直弼が暗殺されて終わってしまうので、これが前後編の前編という意味の半分ではなくて映画全編がこれが結末になっている。井伊直弼を意に反して圧制的政策に向かわなければならなかった悲劇的政治家として描けばそれでも一貫性があったはずですが、井伊の立場から映画が始まっていながら話はどんどん尊王攘夷派壮士たちへと同情的に進んでいく。原作とシナリオは誰だと言えば監督・池田富保本人なのです。池田の没年は'68年ですから(つまり本作製作の40年後です)'30年代の日本の大東亜共栄圏提唱と日中戦争~太平洋戦争、さらに日本敗戦後のアメリカの占領政策朝鮮戦争~'60年の安保条約への歩み、また'70年安保を控えた反アメリカ的風潮のうちに亡くなっているので本作の歴史観に矛盾を感じなかったかもしれない。しかしこの歴史観の是非以前に映画自体が一貫性を欠いています。『国民の創生』ですら統一国家以前のアメリカの南部国民の視点に徹していることで映画としては首尾一貫しており、グリフィス自身の原作・脚本による(『国民の創生』は南部出身作家の原作小説によるものでした)次作『イントレランス』は人類の不寛容の歴史を糾弾するものになった。『尊王攘夷』は井伊直弼の開国政策と攘夷運動の壮士たちを平行して描いて『イントレランス』的に始まりながら、いつの間にか(『国民の創生』で白人自警団、クー・クラックス・クランがそう描かれたように)攘夷派を正当化して、日本人のアメリカへの文化的憧憬と政治的反感を反映したような矛盾をはらんだ作品になってしまった印象を受けます。何かおかしいぞ、どうなるんだろうと思っていたらおかしなまま終わってしまって退屈しなかったし長くは感じませんでしたが、あるいはオリジナル4時間半版ではもっと井伊直弼の苦汁が描きこまれていたのかもしれませんが、それでもやはり結末まで観て釈然としないままだったと思うのです。

●2月1日(木)
『百萬両秘聞 第一篇』 (マキノ・プロダクション御室撮影所'27)*57min(オリジナル110min), B/W, Silent

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公開昭和2年(1927年)10月29日
監督・マキノ省三(1878-1929)
原作・三上於菟吉
脚色・山上伊太郎(1903-1945)
監督補・松田定次(1906-2003)、鈴木桃咲(桃作、1901-1941)
撮影・松浦茂
出演・嵐長三郎(春水主税)、山本礼三郎(若井善太郎)、尾上松緑(塚屋吉兵衛)、市川小文治(通り魔の半次)、松浦築枝(藤尾)、住乃江田鶴子(妾お染)、鈴木澄子(天花院お花)
○あらすじ(DVDパッケージより)「日本映画の父」マキノ省三が仕掛けた時代劇版ミステリー。幽霊野という荒野にのぞむ老夫婦の家を一人の若侍春水主税が訪れ、荒野へ旅立つ。そしてこの若侍を追う盗賊通り魔の半次。その夜、夫婦の息子も訪ねて来て、若侍が幽霊野に旅立ったと聞くや自らも荒野に向かう。荒野の先、古塚に百万両が眠る絵図があるという話で……。

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 公開データによれば本作『百萬両秘聞』は『第一篇』『第二篇』に続いて12月1日公開の『最終篇』があります(尺数不詳)。実際この『第二篇』のタイトルは『百萬両秘聞 后篇』となっており、どうも『第一篇』『第二篇』『最終篇』の三部作を合わせて『第一篇』『后篇』の前後篇にした短縮編集版とおぼしい。つまり『第一篇』はタイトル字幕もそのまま生かし、実際は『第二篇』の前半までを使ってあるから後編は『第二篇』としないで、また後編は『第二篇』後半と『最終篇』の総集編だからどちらのタイトルも使わないで『后篇』とした。現存版の『百萬両秘聞』はプリントに正確に即せば『百萬両秘聞 第一篇』『百萬両秘聞 后篇』の前後篇になるのです。だから『第一篇』オリジナル110分・残存57分、『第二篇』オリジナル85分・残存67分というのは正確な表記ではなく『第一篇』オリジナル110分+『第二篇』オリジナル85分+『最終篇』オリジナル?分→現行版=短縮前後篇編集版『第一篇』57分+『后篇』67分とするべきで、現行版が総計124分なのに対しオリジナルは三部作の『第一篇』『第二篇』だけでも195分あり、これも現行版はトーキー速度(24コマ/sec.)換算で124分だとしたら20コマ/sec.の場合149分、18コマ/sec.の場合166分になり、単純に『最終篇』を含めた長さを1.5倍と仮定すれば294分弱で4割強の短縮版ですが、20コマ/sec.なら約半分の短縮版、18コマ/sec.なら6割弱の短縮版とまずまずなのでサイレント映画はややこしいのです。上映データに映写速度の記録が残されており公開時の速度に合わせてデジタル・マスターが作成されていれば理想的なのですが、そこまで精密に復源作業が行われているものは映画史的な芸術的重要性が高いとされている作品に限られているのが現状です。しかし映画の醍醐味は玉石混交の楽しさにもあって不人気映画は雑な画像でしか観られないのでは味気ないではありませんか。またそうした作品の特定化は先入観を生む副作用もあって、オリジナル・プリントの精査や手間をかけたリマスターがされプレス枚数も少なく価格も高い映像ソフトばかり出していて過去のカタログはほとんど廃盤で馬鹿高いプレミアがついているようなメーカーから出ている作品は一種のブランド商品化する現象もあります。スコリモフスキの映画を観ていたら「女はバカばかりで美人か不細工かの違いだけだ」という危険な台詞が出てきてポーランドの諺だそうですがスコリモフスキの映画もブランド商品的扱いを受けている内に入り、そうしたブランド商品扱いされない映画はそれだけで平凡な作品と見なされてしまう。ドライヤー、ムルナウ、ラング、ルノワール、溝口、ブニュエル、小津、ブレッソンヴィスコンティロメールトリュフォーアンゲロプロスファスビンダー(生年順)などなど単品でもやたら高かったり高価なセット発売されている特別待遇(原盤権が高い理由もあるかもしれませんが)の監督の映画がブランド化して埋もれた監督の埋もれた映画が廉価版でポロッと出ていても廉価版発売がかえってどうせ大した映画じゃないんだろうという先入観を生んでしまう。もっと大衆的な映画の世界でも格付けがあって、「最低のウォルシュやホークスでも最高のヒューストンより上」とか「最低のルビッチやヒッチコックでも最高のワイルダーより上」呼ばわりして喜ぶマニア層がある。もっとわかりやすく狭いと日本映画は外国映画(もちろん外国映画=西洋映画だけ)よりつまらない、モノクロ映画は観てられない、サイレント映画は駄目、退屈と簡単にかたづける。ポーランドの諺並みの冗談を本気で言っているようなものです。
 さてようやく牧野省三自身の監督作が出てきました。この頃には名義をプロダクション名のカタカナ表記に倣ってマキノとしていたようです。マキノ省三(1878-1929)は本格的な映画のトーキー化直前に病没していますが、最初の監督作品が1908年、320本目の監督作が急逝の前年'28年ですから日本のD. W. グリフィス(1875-1948、監督デビュー1909年、生涯監督数520本中トーキー以後2作、引退'31年)とキャリアが比較されるのももっともで、独立プロから当時の2大映画社(日活・松竹)のうち日活の撮影所長を就任した後再び独立、子息のマキノ雅弘(1908-1993、監督デビュー18歳、20歳の作『浪人街』'28でキネマ旬報年間1位、生涯監督数261本、引退'72年)は牧野プロ解散後大映の前身・第一映画社のトーキー監修者になり監督復帰後戦前は日活、戦後は東宝から始めて東映に移籍後は東映映画の路線を決定する重鎮となった人で、親子2代で大手5社、特に省三は日活、雅弘は東映の基礎を築いた人です。マキノ雅弘監督作品は散佚作品こそあれ多数の名作が残されているが牧野省三監督作品は観るのが難しい。現存作品が少なすぎるばかりかそれもほとんど短縮版や欠損版で、牧野の指揮(プロデュース)で膨大に製作された門下生による牧野プロ作品が散発的にせよ相当現存しており、そちらに小品が多い分短縮や欠損の損傷が比較的少ないため牧野プロ作品の真髄はむしろ牧野本人の損傷作品より門下生たちの現存作品の方が堪能できる。そういう年代物ならではのジレンマがあるので芸術派の雄として日本映画をリードした村田實(1894-1937、監督作品44作・現存作品2本)とは異なるニュアンスながら現代の観客には全貌がつかめない映画監督です。スウェーデンデンマークのように年間新作映画本数30本台、ポーランドチェコスロバキアの年間20本台のような国の方がまだ映画の廃棄率が低く、国家製作のソヴィエトなら検閲通過作品ならほぼ保存されていて、最大の映画大国アメリカではサイレント映画の現存率20%台、アメリカに次ぐ独伊仏のうち内陸国のドイツ映画は輸出率が高い分だけかなり現存、自国文化へのプライドが高いイタリアとフランスでも相当現存しているのに較べ戦前日本の国産映画廃棄率の高さは気前が良すぎるほどで、トーキー以降の新作でもがんがん廃棄されていたのが日本映画の展望を困難にしており、過去に豊かな映画遺産が乏しい印象を広げてしまっていることから「どうせ日本映画」「価値のあるのは新作のうちだけ」という映画観が連綿と続くことになります。『路上の霊魂』'21や『逆流』'24、『雄呂血』'25、『狂つた一頁』'26、『怒苦呂』'27、『十字路』'28、『浪人街』'28、『忠治旅日記』'28、『若き日』'29、『東京行進曲』'29は2018年にも世界中で観られているけれど2010年年代の新作映画で現在から90年後あまりの2108年にも観られている映画があるかと想像するとどうでしょうか。日本人は昔の映画なんか観なくて海外のマニアだけが観ている状況は現在どころではないのではないでしょうか。肝心な本題、本作『百萬両秘聞』の内容に触れないままに愚痴ばかりこぼしてしまいましたが、冒頭述べた通り実はこの前後篇(オリジナルは三部作)は独立した内容の連作ではなくオリジナル三篇通して1本の長編映画の作りです。大作長編をオリジナルでは三篇、短縮版総集編では前後二篇に分けているので、マツダ映画社版ではすっきり1本の長編にまとめています。総集編で全長2時間強の長さもマツダ映画社版のように伴奏音楽と弁士解説つきのサウンド版なら前後篇を合わせた方が観やすいので、今回観たのは完全サイレントの前後篇分割版ですが、感想文なら1本の長編として書くことになります。そういう次第で感想文は『第二篇』、フィルム通りに呼ぶなら『后篇』に譲ります。なんだか逃げ腰ですいませんが、映画もかなりの難物なのです。

●2月2日(金)
『百萬両秘聞 第二篇』(マキノ・プロダクション御室撮影所'27)*67min(オリジナル85min), B/W, Silent

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公開昭和2年(1927年)11月18日
監督・マキノ省三(1878-1929)
原作・三上於菟吉
脚色・山上伊太郎(1903-1945)
監督補・松田定次(1906-2003)、鈴木桃咲(桃作、1901-1941)
撮影・松浦茂
出演・嵐長三郎(春水主税)、山本礼三郎(若井善太郎)、尾上松緑(塚屋吉兵衛)、市川小文治(通り魔の半次)、松浦築枝(藤尾)、住乃江田鶴子(妾お染)、鈴木澄子(天花院お花)
○あらすじ(DVDパッケージより)「百萬両秘聞」後編。隠された百万両を求めて旅をする春水主税と半次。そしてこの男二人に絡む二人の女が宝探しをよりスリリングにしていく。主演の嵐長三郎は嵐寛寿郎を名乗る前の芸名である。

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 嵐寛壽郎(1902-1980)、通称アラカンが芸名・嵐長三郎だった時代の主演作で藩主の任命で行方不明の百万両の壺を探して旅する若侍の春水主税役。実際はやはり百万両の壺を狙う通り魔半次役の市川小文治(1893-1976)とのダブル主演で、まずはほぼ10歳年長で歌舞伎役者の家系出身の市川がスタイルも決まった所作も眼光もどう見ても嵐より役者が上なので、主役のはずの若き嵐寛が食われてしまっているのが面白い。脚本の山上伊太郎マキノ雅弘監督の『浪人街』'28、『首の座』'29で2年連続キネマ旬報年間ベスト1を穫った精鋭脚本家(牧野プロ解散後は片岡千恵蔵嵐寛寿郎プロを経て日活に入社するもヒット作なく、徴兵されフィリピン戦地で不明、戦死認定)。人気時代劇作家の原作ありとはいえ主人公と競り合い、時には共闘し、時には刀斬り合い、何となくウマがあい、心技体明らかに主人公より兄貴格という魅力的なライヴァル悪党に肩入れした脚色で、それを市川がきちっと踏まえて演じています。嵐寛の主人公・主悦は地の利に詳しいから任命されたので、僻地の幽霊野で暮らしている老父母を見舞いがてら百万両の壺のありかを記した地図が隠された木を探しに幽霊野の林を捜索する。やっと見つけたと思ったら謎の和歌しか書かれていない。そこに一足先に待ち構えていた市川演じる通り魔半次が地図をよこせと迫り、主悦も刀を抜くが構えからしてどう見ても劣勢。そこに主悦の老父が突然現れ「これでも大事な一粒種でして……/お見逃し下せえ」あざ笑って刀を収める半次「とんだ命拾いをしたな」で、和歌に導かれて次の地、また見つかった手がかりの導きで次の地と転々する主悦に半次がつきまとい、時には出し抜くのですが、主悦の上司の家老のお妾お染が実は半次の昔の女で半次の便宜を図ったり、藩主家のお花も恋人藤尾のいる主悦に惚れるがこのお花もとんでもない毒婦だったりと、そのうち家老も主悦が百万両の壺を見つけてきたら裏切る魂胆だったり、お妾お染と半次の仲も騙しあいじみてきたりと、主人公の主悦を含めて誰に百万両の壺が渡る道理があるのかわからなくなってきます。唯一恋人藤尾だけが企みなどまったくない純情可憐な乙女らしいのですが、毒婦お花が可憐を装って振る舞う演出がメイクや着物までうり二つなので今出てきているのは藤尾だっけ、お花だっけと台詞字幕に呼びかけの名前がないと紛らわしくて混乱します。特に女ふたりになるシーンで、お染は年増だからわかりますが並んでいるのがお花か藤尾か区別がつかず、流れとしてはお染とお花が藤尾を陥れようとしているらしいがでは今出ている若い娘はどっちだ?と、これは日常的に着物を着た男女を見慣れていない現代日本人の感覚の鈍化のせいで、お花と藤尾どころか宿屋で同じ浴衣でくつろぐ主悦と半次さえ台詞か表情のクローズアップがないと区別がつかなく見える時もある。着こなしだけで人物の個性の違いを表しているはずなのにその着こなしの違いがわからない、と外国映画の外国人俳優の区別がつかない田舎のおばあちゃんみたいな鑑賞力に陥ります。そもそもキャラクターを魅力的に、話を面白くするためにとはいえ百万両の壺を手に入れる目的が忠義のため(主人公主悦)・私利私欲(通り魔半次)と明確に対立しているうちはいいですが、上司の家老が悪代官だったり悪女ふたりが絡んでくると「百万両の壺」は「マルタの鷹」みたいになってくる。つまりこれを手に入れる目的は他人を出し抜くためだけなので、興味本位や好みで肩入れしたい登場人物がいるとしても気持まで同化して観るのは無理です。前回観た牧野プロ作品『小雀峠』『影法師』より感覚や技法の面で後退しているとは思いませんが『小雀峠』『影法師』は情感の焦点がはっきりしている作品でした。プロット自体はシンプルなのに作品の規模が大きく展開が複雑なため映画が混雑しています。藤尾とお花(鈴木澄子、1904-1985)の区別がつかないのは嵐寛と市川の区別がつかなくなる以上の問題で、物語上では藤尾は受難のヒロインですが本当のヒロインは見かけは清楚な美貌の毒婦お花の方で、本作は口をきわめて絶讃しても(しませんが)あまり観る人はいないでしょうし観る人はこのくらいでは怒らないと思いますが、お花が脇差(短刀)でグサッと殺る突然で仰天する殺人シーンと、お染がやばそうだなと観ていると案の定平然とやってのける毒婦ふたりのでかい見せ場があります。誰を殺すか、どうやばいかは観てのお楽しみ。お花役の鈴木澄子は牧野プロを『忠魂義烈 実録忠臣蔵』'28の出演後離れ、新興キネマに移ってから'30年代に怪談映画の「化け猫女優」として一世を風靡します。本作の鈴木澄子の殺しのシーンは見事な撮影でシチュエーションも凝っていて、全編を通してひときわ輝いている場面です。
 ただ本作は監督補に後にマキノ雅弘に誘われ戦後東映映画の大ヒット監督になる松田定次、早逝したものの牧野プロ末期に他社に移籍し'30年代の時代劇監督として地道に活躍した鈴木桃咲(桃作)がおり、マキノ省三は翌年の牧野プロ総力結集の大作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』のプリプロダクションで助監督たちを割り振り地方ロケの先行撮影にも入っていたようですからオリジナルでは三部作で総計5時間近かったと推定される本作は全カットにマキノが立ち会う製作体制は取れず、第二班監督、第三班監督という具合に役者がかぶらないシーンは平行して中抜き撮影していったのではないか。そのくらいしないと10月29日、11月18日、12月1日で三部作、さらに次作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』の封切り予定日が翌昭和3年(1928年)3月14日ですから間に合わなかったでしょうし、それでも広告代理店の介在抜きには企画自体の実現も困難な現在の映画界では考えられない製作・上映ペースです。全長約5時間を前後篇に短縮分割編集した現存版は『第一篇』ではいろいろあって結局本気で利害の対立した主悦と半次が1対1の決闘でにらみ合ったところで「終」、『后篇』は決闘をすっ飛ばしてすでに別行動を取っている主悦と半次の様子がカットバックされ、何だかんだでまたこの二人は壺の発見までは協力しあうことになり、それがお染の思惑から悪徳家老に漏れて主悦は裏切り者、半次は盗賊として命を狙われる身となり嫌でも共闘する羽目になります。これが半次に壺を盗ませたいお染と主悦に惚れてしまったお花にどう働き、主悦の恋人藤尾がどう肩身が狭くなるかこの短縮総集編は上手く整理しているとは言えず、映像的にも沼田紅緑の『小雀峠』、二川文太郎の『影法師』にはあった統一感がなく、また今回の『尊王攘夷』の監督・池田富保牧野省三が日活撮影所所長時代に撮った『実録忠臣蔵』'21(大正10年・日活版)で俳優デビューしたのが映画界入りのきっかけでそのまま日活で監督に転じ、戦後は東映で俳優に戻った牧野プロ以外の牧野門下生とも言えますし、ひとりの映画監督の映像的美意識は内容の混乱に拘わらず全編に感じられるものでした。4時間半~5時間の映画をほぼ半分に短縮編集してあるのは『尊王攘夷』も『百萬両秘聞』も変わりません。『影法師』も2時間半ある前後篇を半分の長さにした短縮編集版でした。しかし編集によって生じただけではない映像感覚の不統一が『百萬両秘聞』にはあり、撮影のクレジットはひとりのカメラマンだけですがそれはマキノ監督班のカメラマンであって第二撮影班、第三撮影班はどうだったか。全体はマキノ省三の監督作品だとしても短縮編集によって良く言えばシーンごとの独立性が高く、悪く言えば寄せ集めで調子にムラがあり、変化は富んでいるのにエピソードの順序を入れ替えてもあまり大差のないような大作になった印象を受けます。オリジナル全長版ならつぎはぎ感も目だたず第一・第二・最終篇と分けた効果もあったかもしれません。主人公主悦と通り魔半次の腐れ縁道中始末、毒婦お染とお花の策謀など光る見せ場があちこちあるのに見せ場に集中していかない遠心的な進み方をしていくので楕円的な構成と言えば巧緻なようですが、それが狙いだとしたらこの合本短縮編集版では多元的な効果を上げて成功しているとは見えない難点があります。主悦と半次、お花とお染のそれぞれに焦点があり、しかも悪代官的家老や受難の可憐な乙女の藤尾がいてそれらを全部組みこんだ結果、進行ばかりか結末も何だか曖昧なものになっている。半端な勧善懲悪が図式をひっくり返しているとも言えないし何に収斂させたかったのか投げ出してしまったような結末です。牧野省三の口癖は「映画は、一・"スジ"、二"・ヌケ"、三・"ドウサ"」だったそうですが本作は筋に凝りすぎて収拾がつかなくなっている気味が短縮編集版にはある。この現存版だって十分面白いのですが面白く観ながらも感想となると上記の通り疎略な面が相当目立つのです。では積極的な魅力はとなれば男女ふたりずつ、主悦・半次、お花・お染のキャラクターが活かされている場面で、要約すれば本作は悪知恵と騙しあいのアクション映画ですから悪くて狡い人物ほど生き生きとしているので、筋立てはその方便でしかありません。牧野省三はそんなことは先刻ご承知で一スジ二ヌケ三ドウサと言っていたはずですが、本作の筋の工夫はエピソード単位の発想で演出の意識もエピソード単位のため映画全体の流れがよく見えない、今観ているシーンが映画全体のどの辺りに来ているのかわからない構成になっていて、プロデューサーも兼ねるマキノの監督ならば脚本の決定権もあるので脚本家に責任ありとは言えないでしょう。この盛りすぎをプロデューサー的大作主義またはスター主義と見るか、純粋に創作意欲の発露と見るかでは見方が異なるようでいて、案外どちらも変わらないような気がするのです。