人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年2月24日~25日/溝口健二(1898-1956)のトーキー作品(5)

 大作『元禄忠臣蔵』前後篇(昭和16年・17年)の製作・封切り後、昭和17年は企画が浮かんでは流れ、ようやく昭和18年初夏に松竹による日華親善映画の企画が上がり、原作執筆を依頼した小説家らとともに溝口、および依田義賢氏ら溝口組スタッフは公用の取材旅行として上海の政情視察に招かれます。これは上海占領中の日本の軍事的優位をジャーナリズムに喧伝すべく政府の意向によるもので、文学者や各界著名人も現役活動中の多くの文化人がほぼ強制的に徴用され、帰国後に翼賛的な所感を求められたものでした。溝口は将官待遇でなければ嫌だと『元禄忠臣蔵』で受賞した文部省特賞を根拠に上げ、案内役の軍人に「あなたが将官では少佐の私は部下ということになってしまうので、実質的には将官待遇いたしますから正式な軍位は勘弁してください」と頭を下げさせ、依田氏はいくら何でも子供っぽいではないかと恥ずかしかったそうですが、映画人としてのプライドから出た言動だろうと一応弁護しています。上海視察で原作小説は出来上がりましたが結局その映画化は流れ、昭和19年6月公開の代目河原崎権十郎主演作『団十郎三代』、同年12月公開の河原崎長十郎主演『宮本武蔵』、昭和20年2月公開の花柳章太郎主演『名刀美女丸』の敗戦末期3作はいずれも川口松太郎脚本で1時間前後の小品になりました。また昭和20年2月には溝口、田具坂隆、清水宏マキノ雅弘共同監督の『必勝歌』もありますが、こちらは露骨な国威国策発揚・戦争プロパガンダ映画として作られたものでDVDもその旨注意書きして発売されています。『団十郎一代』は失われた映画になっているようですが、依田氏は川口松太郎脚本の小品3作を「よくまとまった作品」と評しています。溝口自身は戦後の談話で『宮本武蔵』を時局柄撮らされた作品とし、「皆撮らされたんだ。僕や小津君なんかよく逃げ切ったものじゃないかな」と語り、『名刀美女丸』も「これも何も言うことはないな」と流しています。小津がぎりぎりに『父ありき』'42で済ませたほどには溝口が翼賛映画から逃げ切れたとは思えませんが、時局から離れて観れば『宮本武蔵』『名刀美女丸』が一応虚構の世界で完結している作品になっているとしてもそれはたまたま紙一重とも思わせるもので、溝口というのはつくづく危なっかしい巨匠という感じがします。

●2月24日(土)
宮本武蔵』(松竹京都撮影所/松竹'44)*55min, B/W; 昭和19年12月28日公開 : https://youtu.be/oUi0Ae04n6M

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○製作・マキノ正博、原作・菊池寛、脚色・川口松太郎、撮影・三木滋人
○あらすじ 吉岡一門との果し合いを終えた宮本武蔵(河原崎長十郎)は父源一郎(生島喜五郎)の仇のために剣法の指南を乞うてきた野々宮信夫(田中絹代)と又一郎姉弟にきびしい稽古をつけることになった。しかし又一郎は父の仇左本蔵人、孫四郎の兄弟と助勢の佐々木小次郎(中村翫右衛門)によって返り討ちとなる。信夫から又一郎を殺したのは佐々木小次郎と知らされた武蔵は一年後、豊前小倉の細川家に仕える小次郎と対決、彼を倒すのであった。信夫は武蔵に従おうとするが武蔵は真の兵法の道を求めて彼女の前から去っていく。原作菊池寛
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)

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 情報局国民映画参加作品『元禄忠臣蔵』もアヴァン・タイトルでいきなり「護れ/興亜の兵の家」とかましてくれた作品でしたが、今回のアヴァンもどかんと一発「討ちして/止まん」と来ます。本作を初めて観たのは学生時代にアテネ・フランセ文化センターのシネクラブ上映でしたが、一体何を期待して観に来てしまったのだろうと気が遠のいていくような身の置き場所のない感覚に襲われたものでした。その時は何の予備知識もなく、安い入場料でめったに上映されない(外国映画の場合も上映権が切れていたり日本未公開だったりする)映画が観られるのでまだ溝口の映画はテレビで観た『西鶴一代女』『祇園囃子』『近松物語』『楊貴妃』『赤線地帯』にフィルムセンターで観た『浪華悲歌』『祇園の姉妹』くらいしか知らなかったと思いますが、まだ学生だったので「溝口健二監督作品『宮本武蔵』1944年」というだけでやばい内容の想像がつくわけはありません。1944年の日本映画、しかも時代劇というだけで覚悟がつくようになったのは日華事変('37年7月)後'38年~太平洋戦争敗戦('45年8月)直前までの戦史と当時の映画製作政策との関連を理解できるようになってからです。そうした意味で、いきなり「討ちして/止まん」で始まる本作は映画について考えさせられ、蒙を開いてくれたきっかけになった作品でもありました。当たり前ですが商業映画は審美的(芸術的、作品的)基準でのみ成り立ってはおらず、迫られたにせよ迎合したにせよ時代的制約を完全に振り切って成り立つものではほとんどあり得ないと一応頭ではわかっていても普段映画を観る時にはついついどんな作品でも面白い映画かどうかに気をとられていて、面白いつまらない以前に自分の日常的な尺度では測れないような異文化の産物に向きあっている可能性の方が高い事態であることを忘れがちになる。わかりやすく日本映画と外国映画、劇映画とドキュメンタリー、サイレントとトーキー、B/W作品とカラー作品の線引きなら誰もが一目で鑑賞の尺度を切り替える目安をつかめるのですが、本作のようにいきなり「討ちして/止まん」と斬りこんでくる国策映画を観る尺度は現代の映画観客のほとんどが持ちあわせようがないのではないか、ということです。宮本武蔵は今でも青年マンガの主人公になっていてやはり超越的な人物像に描かれている。この超越性というやつが問題で、武蔵の場合は何でも包める便利な風呂敷のようなものですから、本作の武蔵は日本的な兵法の精神の精髄の権化として描かれます。まず映画冒頭の果たし合いのシーンが途中で次のシーンに移ってしまう。普通こういうシーンは決着まで描かれますし、観客だってどう勝ち負けがついたのか期待します。ところが本作では果たし合いが行われたのを示すだけが目的なので、当然果たし合いに勝った武蔵は数日後?どこからか?悠然と歩いてきます。この男は歩く兵法の粋なのであって人の暮らしなどは超越しているのです。『元禄忠臣蔵』前後篇で重厚な大石内蔵助像を演じた前進座座長の河原崎長十郎社会主義支持の前進座でも極左極左で戦後'60年代末には毛沢東主義支持者として日本共産党前進座ともに除名されたほどの人ですが、本作では門切り型どころではない武蔵役にさすがの名優も役不足も持て余し気味です。
 おそらくその原因にはフィルムも物資統制下に入ったのでしょう。記録では同年6月の前作『団十郎一代』も65分と短い映画だったようですが本作は55分しかない。タイトルは「討ちして/止まん」と「松竹映画」「宮本武蔵」「(スタッフ)」「(キャスト)」の5枚だけです。昔観たプリントではスタッフ、キャストの各1枚(たった1枚ずつ!)すらカットされて「討ちして/止まん」「松竹映画」「宮本武蔵」いきなり本編だった記憶があります。スタッフやキャストのクレジット・タイトルもないのか、とあ然とした強烈な印象があるので、今回観た版ではクレジット・タイトルあるじゃないかと少々拍子抜けしました。とにかく本作は脇道に逸れる余地がないので父の仇討ちのために兵法の師範を乞いたい、という田中絹代姉弟に「仇討ち如きのために兵法が会得できるか!」と一喝し、すいません純粋に剣の道だけのために習います、と懇願されるとあっさり師範を引き受けます。ところがそこそこ腕も上がった頃に弟の方は父の仇の兄弟に斬られてしまう。兄弟の雇ったボディーガードが佐々木小次郎で、兄弟に女は斬らぬ、と制止させ、田中絹代に「武蔵に佐々木小次郎が斬ったと伝えよ」と暗に決闘を申し入れます。おいおい仇は小次郎じゃなくて左本兄弟だろ、と突っ込む間もなく早くもシーンは1年後、決闘と田中絹代の父と弟の仇の兄弟への仇討ちがあっけなく済んで、武蔵は田中絹代に兵法の道を極めねばならぬ、というような別れの文句を告げて去っていくのですが、この置き去り感は観客にとっても半端ないもので、船でやってきた武蔵に待ちくたびれてはやった小次郎が波打ち際にばしゃばしゃと走ってきて刀の鞘を投げ捨てるのですが、武蔵「小次郎敗れたり!」小次郎「!?」武蔵「鞘をば海に捨てるとは命を捨てたも同然!」というようなやりとりをして砂浜でカッと対峙し、勝負は一振りで済んでしまいます。ロングショットの長回しは本作ではますます徹底を極めており、浜辺のシーンなどはオープンセットでしょうがセットでも本作はオープンセットで演じられるシーンがほとんどなので溝口作品にしては開放感があるのは怪我の功名でしょう。室内シーンを撮れなかったのは今回照明に予算をかけられなかったからとも取れるからです。本作の兵法精神至上主義は軍人また銃後の心構えを説いたに違いなく、国策翼賛映画なのはそうした面ですが、あまりに単純で他愛ないのでこれではいくら何でも紙芝居めいて、お伽の国の武蔵になってしまっている。溝口、と言わずこれは松竹京都撮影所の国策翼賛ノルマのための手抜きの産物で、宮本武蔵は恰好の題材だったというだけのことです。そこで溝口いつもの映像文体は手抜きの口実のようなものになり、たぶんフィルムのNG率のほとんど出ないような編集方法が採られた。つまりNG部分の再撮影なしにOKテイクの部分だけ採ったので冒頭から結末まであちこちが抜けているような映画になったが、それは映画なりの省略法ということで押し通しているのが本作の短さと飛躍の多さだと思います。弟が左本兄弟に斬られるシーンなど手前で殺陣が行われ奥に田中絹代が配された構図なのに田中絹代は弟が佐々木小次郎に殺害された、と武蔵に報告する。もちろん小次郎の背後に左本兄弟がいるという前提ですがそのあたりの説明もありません。本作公開が昭和19年12月28日、次作『名刀美女丸』公開が昭和20年2月8日なのも、本作は溝口が撮るだけ撮って編集は丸投げしたのではないかと思われてなりません。

●2月25日(日)
『名刀美女丸』(松竹京都撮影所/松竹'45)*65min(オリジナル67分), B/W; 昭和20年2月8日公開 : https://youtu.be/QgNiYv_yu8I

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○製作・マキノ正博、企画・牧野満男、脚本・川口松太郎、撮影・三木滋人
○あらすじ 刀匠・大和守清秀(柳永二郎)の許で働く若い刀鍛冶桜井清音(花柳章太郎)は恩師と仰ぐ小野田小左衛門(大矢市次郎)が内藤要人に殺されたためその仇を討つべく名刀を作り出す決意をする。小野田の娘笹枝(山田五十鈴)も陰ながら彼を支える。ある夜弟弟子(伊志井寛)と共に一心不乱に刀を作る彼の仕事場に烏帽子姿の笹枝の幻が現れる。やがて刀が出来上った。折りしも鳥羽伏見の戦いで賊軍の一人となっていた内藤を見つけた清音と笹枝は、鍛えあげた新刀で見事に仇を討つのであった。
(津村秀夫『溝口健二というおのこ』長崎一編・溝口健二監督作品総リストより)

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 溝口は本作も前作『宮本武蔵』同様「何も言うことはないな」と流していますが、こちらは松竹もDVDで再発売しているくらいで観どころの多い小品佳作になっています。武蔵を演じた河原崎長十郎には気の毒ですが、名作『残菊物語』の花柳章太郎は今度も作品に恵まれたと言って良いでしょう。本作の翌々週2月22日公開の翼賛映画『必勝歌』は溝口、田具坂隆、清水宏マキノ雅弘共同監督の作品ですが、冒頭(ヒロインが父に剣の稽古をつけてもらっている場面)と結末の仇討ちのクライマックス以外は室内セット撮影がほとんどを占める本作を観ると溝口は晴れの日は『宮本武蔵』を撮り、雨ないし曇りの日は『名刀美女丸』を撮っていたのではないかとも思われ、失礼な推測ながら『宮本武蔵』は編集丸投げでも同じ結果だったろうと見えるような仕上がりですが、本作は音声編集やオプティカル編集まで監督不在では進まなかったと思われる凝った箇所がいくつもあります。鍛冶場に烏帽子姿の山田五十鈴が二重焼きで重なる場面など特にそうで、ちゃんと山田五十鈴の視線や動作が花柳章太郎伊志井寛とシンクロしたかけあいをしており音声も鍛冶を打つ音が三拍子に響いています。脚本の方もなかなかよくできており、主人公が銘って献上した新刀を帯刀して入城した恩人・小野田小左衛門が乱入者を取り押さえるがその時の斬りあいで刀が折れてしまう。噂が城主の耳に入って武士の魂を折られるとは何ぞと恩人は謹慎を受ける。切腹して詫びようとする主人公をヒロインが止める。恩人は「殿の覚えが宜しい」という立場の内藤要人の臣下に呼び出され口利きの代わりに娘を嫁にと要求される。小左衛門は即座に「お断り申す。娘を質に取りなし願うほど落ちぶれてはござらん!」と去ろうとするが内藤要人が激昂して小左衛門を背後から斬り捨てる。「小野田様を殺したのは私をも同然」とまたまた自害しようとする主人公をそうではない、私はこれから京へ上り内藤の行方を探します、あなたは父の仇を打つ刀を銘ってください、とヒロイン。主人公を鞭撻する刀匠の大和守清秀。京都の寺で主人公からの巻紙の手紙を読むヒロイン。「銘てども銘てども成果なしに候」ヒロインからの巻紙の手紙を読む主人公。励ましの手紙にますます自暴自棄になり酒場で落ちこんでいる主人公を「兄貴、師匠が呼んでる、仕事場に戻ろうよ」と揺り起こす弟弟子。ところが浪士たちを匿っていた清秀邸は浪士取り締まりの役人に荒らされ、清秀は仕事場で切腹して瀕死の状態。「わしに代わってお前が仕事場を継げ。人は一代、だが刀は末代まで遺るぞ。小野田小左衛門の為に銘つのではない。勤皇一筋の為に銘つのだ」多少強引な筋立てとはいえ非常にテンポ良く進みます。
 それからひたすら刀を銘つ、折れた、また銘つ、曲がった、をくり返し「兄貴もう駄目だ、打ち手をもう一人雇ってくれ。これをし損じたらもう鋼がないよ!」「雇った腕で刀が銘てるか!」火入れをしながら打ち手も兼ねる主人公、そこに二重焼きで重なったヒロインが主人公を見つめて、自分も鎚を取って銘ち始める。ようやく弟弟子も起き上がって鎚を銘つ音が三拍子になる。ヒロインの幻が消えても三拍子の鎚音は続き、朝が来て焼き入れをする主人公と弟弟子。藁束で試し斬り、「出来たぞ!」。京の寺、「お嬢さまに客人でございます」「清音ね!」「お嬢さま、刀でございます」と、オプティカル合成など映像的にはサイレント映画臭いのですが現実音(といっても明らかにダビングによる効果音ですが、作中での現実音という説得力はあります)の効果的な活用によってちゃんとサウンド映画になっている。本作もいつもの長回しの溝口映画で人物の切り返しカットなどなく、'30年代作品と較べると原則1シーン・1カットの徹底も『残菊物語』以降の手法が続けられているのですが、フィルム散佚作品をいくつも挟むので本作ばかりと断定はできないものの前作『宮本武蔵』ではとりあえず撮りましたというような散漫さはなく、なければならないカットがちゃんと入っている。当たり前のようですが映画は観ていて適切に情報が伝わってくる時に心地良く観ていられるので、溝口のような映画撮影法では案外観客がそのシーンから観てとりたい情報がくみ取りきれない場合が生じがちで、映画全体が長いとなるとそれが累積されていってしまうきらいがあります。本作は1シーンごとは長いのですがシーンごとの内容が次のシーンを呼び込むだけの説得力が十分あって、さらにまたシーンの飛躍に説得力のある省略法があるため前述したように多分に作り物めいた強引さはありますがテンポが溝口映画としては久しぶりに快調になっている。今回の観直しで観てきた作品で言うと『浪華悲歌』『祇園の姉妹』『愛怨峡』以来のテンポの良さです。『宮本武蔵』も悪くはないのですが予算不足とフィルム不足であるべき演出すら駆け足気味で端折った仕上がりの観が否めませんでした。国策映画としては刀匠の遺言「人は一代、だが刀は末代まで遺るぞ。小野田小左衛門の為に銘つのではない。勤皇一筋の為に銘つのだ」その刀で見事山田五十鈴が仇討ちを達成し(ヒロイン手づからの仇討ちへの抵抗感は、作中では内藤要人が薩長戦争の賊軍に加わった、という事情から賊軍鎮圧、征伐の正当化も加わります)、故郷へ向かう馬車の中で「皇道の為に銘った刀で悲願を成し遂げられました。どうかお嬢さま守りの刀として一生お腰に置いてください」「あなたも一生私と一緒にいてください」「……」照れる主人公、エンドマーク、と珍しいくらい爽快な仇討ち時代劇映画になっている。また昭和20年2月には報国精神翼賛映画としての万世一系の勤皇信奉映画の台詞だった「勤皇一筋」がこの一種の芸道ものの変奏である技術者映画では単に「人は一代、刀は末代」の具体例の一例でしかないので、後世になってみれば時代劇映画の台詞として作品世界の内部で完結しているため翼賛要素としては響いてこないという怪我の功名になっています。『宮本武蔵』が意図せずしてお伽話になってしまっているのなら本作は最初からお伽話のつもりで作られているので、山田五十鈴の生霊が合成で鍛冶打ちの手伝いに出現してもそういう映画なんだなと納得して観てしまう。そこら辺の割り切り方が溝口には珍しく明快で、本作を、さすがに戦後20年あまりははばかられたかもしれませんが、現代の観客から観ればなかなかの小品佳作と観応えのある1作にしています。マキノ雅弘製作の共同監督作『必勝歌』への参加を例外とすれば(これは連名監督4人のうち製作者でもあるマキノの作品でしょう)、この『名刀美女丸』が敗戦前の最後の溝口映画で、戦後最初の作品は新藤兼人と小津組の脚本家野田高梧の共作オリジナル・シナリオで女性弁護士役の田中絹代が主演の女権主張の民主主義アピール作品『女性の勝利』が昭和21年4月に公開されます。日本の映画監督の戦後第1作は溝口に限らずだいたいそうした民主主義促進映画でした。