人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年8月25日~27日/ カール・Th・ドライヤー(1889-1968)の後期作品(1)

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 デンマークの映画監督カール・テオドア・ドライヤー(1889-1968)は、サイレント時代の1919年に監督デビューし、サイレント時代に9作、サウンド・トーキー以降に5作と寡作ながら、短編8編を含めて全監督作品のフィルムが現存している、というサイレント時代からの監督としては稀有な存在です。ジャーナリストから映画界に入り、字幕製作・フィルム編集者を経て監督になったドライヤーには、サイレント時代には監督デビュー作『裁判長』'19(デンマーク作品)から『牧師の未亡人』'20(スウェーデン作品)、『サタンの書の数頁』'21(デンマーク作品)、『不運な人々』'21(ドイツ作品、2006年ロシア語版プリントから復原)、『むかしむかし』'22(デンマーク作品)、『ミカエル』'24(ドイツ作品)、『あるじ』'25(デンマーク作品)、『グロムダールの花嫁』'26(ノルウェー作品、1998年復原)、『裁かるゝジャンヌ』'28(フランス作品、1984年・2005年復原)の9長編があり、サウンド・トーキー以降は『吸血鬼』'32(ベルギー作品)、『怒りの日』'43(デンマーク作品)、『二人の人間』'45(スウェーデン作品)、『奇跡』'55(デンマーク作品)、『ゲアトルーズ』'64(デンマーク作品)の5作がありますが、このうちスウェーデンの製作会社から改竄された『二人の人間』をドライヤーは自作と認めていません(2003年の日本でのドライヤー特集回顧上映では特別上映)から、トーキー以降にはドライヤーは10年1作の極端な寡作家になりました。45年にも及ぶキャリアでは最初の10年のサイレント時代はそのまま初期とも言えるのですが、ドライヤーは第6作『ミカエル』を自分のキャリアの節目になった作品と見なしており、またドライヤー作品が初めて世界的なヒット作になったのが第7作『あるじ』で、トーキー以降の寡作を思えばサイレント時代半ばの転機で以降の後期ドライヤー作品が始まった、とこじつけてもいいと思います。『裁判長』や『サタンの書の数頁』からドライヤーの映画の特色は鮮やかなのですが、それを言えば全作品を観直さなければなりませんし、さすがにドライヤー映画を一気に観直すのはしんどい上に映像ソフト化されていない作品も数作あって無理なので、サイレント時代後期の3作品と、トーキー以降の4作品(ドライヤー非公認で、映像ソフトのない『二人の人間』は除く)にとどめました。ドライヤーの長編全14作から半数を観るなら、まずこの7作になると思います。

●8月25日(土)
『ミカエル』Michael (Decla-Bioscop AG'24.Sep.26)*86min, B/W, Silent; 日本公開2003/10/30 : https://youtu.be/3VhYAjo4hwA (Italiano Intertitle, Full Movie)

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[ 解説 ](キネマ旬報映画データベースより) デンマークの作家、ヘアマン・バングの自伝的小説「ミカエル」を、カール・Th・ドライヤーが自身の趣向を織り込んで映画化。著名な画家・ゾレと、彼が養子に迎えた青年画家、美しき公爵夫人との三角関係を通して、人間の欲望と愛憎を描く。2003年10月11日より、東京・有楽町朝日ホール、京橋・フィルムセンター、渋谷・ユーロスペースにて開催された「聖なる映画作家カール・ドライヤー」にて上映。
[ あらすじ ](同上) 著名な画家ゾレ(ベンヤミン・クリステンセン)の養子となった青年画家ミカエル(ヴァルター・シュレザーク)は、美しい公爵夫人(ノラ・グレゴール)に魅せられたあげく、ついにゾレを裏切りはじめる…。
[ 解説 ](日本盤インフォメーションより) 耽美的に描かれる、芸術家の愛と孤独と死 。豪華な邸宅の中で繰り広げられる、画家と彼の庇護する青年への愛、そして死。 ドライヤーの耽美的側面と運命論的な指向が強烈に現れ、監督自ら重要な作品と認める傑作。 ドライヤーの無声映画の中でもとりわけ耽美的なこの作品は、芸術家の愛と死を主題とし、また原作小説にある明確な同性愛の主題も原作にかなり忠実に描いている。ドイツのスタジオで製作されたこの映画の映像は、1920年代半ばのドイツ映画の美的傾向を如実に示しており、室内場面を中心として進行する室内劇映画の特徴は、その後のドライヤー作品において決定的な役割を演じるものとなる。大きな彫刻や絵画、立派な家具調度品に囲まれた室内の空間は、この映画そのものをあたかも美術映画のようなものにすらしているともいえよう。 主人公の画家・クロード・ゾレを演ずるのはデンマークの映画監督ベンヤミン・クリステンセンである。このキャスティングはドライヤーの望んでいたものであった。初期のデンマーク映画史において重要な役割を演じたクリステンセンをドライヤーは尊敬しており、俳優でもあったクリステンセンを芸術家の役で使うことで、この役柄に要求される芸術家としての真実を明確にしようと試みた。ミカエル役には当時新進俳優だったヴァルター・シュレザークを起用した。また、ノラ・グレゴールやグレーテ・モスハイムのような人気俳優も主演させている。さらにこの映画で撮影を行った名カメラマン、カール・フロイントが俳優として、画商の役で主演しているのは興味深い。芸術家の愛と孤独と死を描いたこの映画は、ドライヤー自身が自分の作品の中でもとりわけ気に入っていた作品であり、ここには彼の耽美的側面と運命論的な指向が強烈に現れている。

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 ドライヤーのサイレント時代の名作のひとつとされている本作は今日意外な面から再評価を受けており、名高いアメリカの古典映画復刻レーベル、キノ・ヴィデオ(Kino Video)社から2003年~2004年にかけて「Gay-Themed Films of The German Silent Era」シリーズの3本として、リヒャルド・オズヴァルド監督作品『Different From The Others(Ger: Anders als die Anderen)』'19、ウィリアム・ディターレ監督作品『Sex in Chains(Ger: Geschlecht in Fesseln)』'28と並んで初DVD化されました。オズヴァルド作品は映画史上初の同性愛者映画(男性同性愛)、しかも同性愛問題専門の精神科医が脚本を監督と共作し、映画内でも精神科医自身が自分自身の役で登場して講演会で「同性愛は病気でも異常でもない」と説く、という本格的に同性愛の認知のための啓蒙を意図した映画ですが、映画はカミングアウトした主人公が社会的な地位を失い自殺して終わります。ドライヤー作品もディターレ作品も悲劇に終わっているのは偶然ではなく、ドイツには同性愛を反社会的犯罪として禁止する刑法157条があり、1871年制定のこの刑法が廃止されたのは1994年のことでしたから、映画で同性愛者を肯定的に描くこともできなかったのです。ちなみに刑法157条では同性愛とアナル・セックス、獣姦をひとまとめに禁止しています。オズヴァルド作品の講演会場面は学説止まりとしてはよしとしても、実践したら犯罪とされたのです。現代イギリス最高の映画監督テレンス・デイヴィスの第1作『三部作(「子供たち」'76、「聖母と子供」'80、「死と変容」'83)』が日本に紹介された時に、ゲイを公言するジャーナリストがアメリカ映画の『トーチソング・トリロジー』'88に較べてゲイの描き方が悲惨すぎる、と批判したのを覚えていますが、リヴァプールで生まれ育ったデイヴィスの自伝的作品の『三部作』はイギリスの地方都市の庶民階級はゲイを抑圧し疎外する社会であることをはっきり描いていた作品なので、それを映画監督自身のゲイへの偏見であるように批判するのはお門違いです。話を戻すとキノ・ヴィデオ社が「ドイツのサイレント時代のゲイ映画」とした3作中、ディターレ作品こそ庶民の話ですがオズヴァルド作品、そしてこの『ミカエル』はともに同性愛者の芸術家の話で、オズヴァルド作品はヴァイオリニスト、『ミカエル』は画家という具合で、本作はフリッツ・ラング夫人でドイツ時代のラング作品の脚本家テア・フォン・ハルボウとドライヤーが原作小説を共同脚色したものですが、画家という設定は原作準拠だとしても、高名な画家とその弟子の美青年と公爵夫人との三角関係とは、どうも図式が透けて見えるのです。
 昔観て感動した映画を観直して、んー?というのはけっこうあって、それでもそれなりにどこに感動したかは確かめられ、本作はカール・フロイントとルドルフ・マテの戦前ドイツ2大カメラマンが撮影を分け合っており、それというのもフロイントが主人公の半ばパトロンの親友の画商ルブラン氏役でなかなかの役者ぶりを見せているからですが、ドイツ映画界の国際的大プロデューサーのエーリッヒ・ポマーの製作だけあって一流中の一流スタッフがドライヤーの映画に参加しているのだから審美的にはもう無敵です。ドライヤー自身が指名したというデンマーク映画界の先輩監督、クリステンセンもいかにも風格ある中年の芸術家といった風貌ですし、若さを失った自覚によってナルシシズムの投影のように美青年との精神的一体化を求めているのもよく伝わってきます。しかし本作がそれを悲劇に持って行くプロセスはどこかそらぞらしい部分があって、感情移入をさせないドラマというのもありでしょうが、タイトル・ロールにまでなっている美青年ミカエルが大して魅力的に見えないので、主人公のミカエルへの執着もミカエルと公爵夫人の恋も映画が進むごとに説得力がなくなってきます。美青年かはさておいてもミカエルの軽薄さはいかんともし難く、それが悲劇を招くことになるのですがこのあたり、共同脚本家のハルボウがやりやがったなという感じで、重厚なフリッツ・ラングなら夫人ハルボウのわざとらしい脚本をこれでもかというくらいくどく見せて落とし前をつけるのですが、同じ重厚でもドライヤーの演出は激情は押し殺して端正に描いていく方ですから結局ミカエルの若いから仕方ない愚かさに賢明な主人公が翻弄された具合に見えてしまう。ハルボウ脚本をそのまま描いてしまったことになるので、ここで主人公なりミカエルなり伯爵夫人なり画商なり、感情移入は不要としても視点人物の一貫性も崩れてしまって、結局何を言いたかった映画なのか焦点があいまいな、名作と言える要素は十分ありながら好きになれるか面白かったかも微妙、という印象が残ります。ドライヤーはロベール・ブレッソンと並んで神格化されている映画監督ですしドライヤーの映画を観るほどの人でしたら難じる意見はまず出ませんが、本作に関して言えば観直した感想は、後半1/3の無理な展開でガタガタになっていて、10年後にはヒットラー政権に賛同してユダヤ系の夫ラングと離婚したから悪く言うのではありませんが、その原因はテア・フォン・ハルボウ脚本にあるのではないかと思う次第です。

●8月26日(日)
『あるじ』Du skal aere din hustru (Palladium Film'25.Oct.5)*108min, B/W, Silent; 日本公開1926/12/3 : https://youtu.be/Ny5dK2wavrA (English Intertitle, Opening Scene)

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[ 解説 ](キネマ旬報近着外国映画紹介より) 最近少壮監督として欧州映画界に認められたデンマークのカール・テオドール・ドレイエルが"性格描写の習作"と銘打って発表した映画で、台本はドレイエル氏とスヴェン・リンドム氏とが合作したものである。「霊魂の不滅」出演のアストリッド・ホルム夫人、ジョン・マイエル氏、マチルド・ニールセン夫人が出演している。諷刺的な小品映画としてまた久し振りのデンマーク映画として珍しいものである。無声。
[ あらすじ ](同上) 冷たい肌をつんざくような風の吹く北国の物語。とある一家のあるじであるお父さん(ヨハンネス・マイヤー)は我侭者で自分さえよければ女房(アストリズ・ホルム)も子供(カリン・ネレモセ)も構わないという調子でした。お父さんは自分だけ暖かい飲物を飲み、おいしいものを食べて、お母さんがどんなに疲れていようともまずいものを食べようとも平気でした。子供はお父さんの傍らにはおびえて寄りつきません。それを見兼ねたおばあさん(マチルデ・ニールセン)は一計を案じて、お母さんを実家に帰し、子供にも話して当分お父さんの世話を少しもして上げないことにしました。お父さんはすっかり困り切って仕舞って、お母さんというもの、子供というものがどんなに自分の為に尽くしているかという事を沁み沁みと悟りました。そしてお父さんはお母さんやおばあさんに心の底から詫びる気持ちになりました。疲れ切っていたお母さんの顔に明るい頬笑みが見えました。子供も喜び勇んで学校へ行きました。おばあさんもニコニコでした。寒い寒い北国の家は雪に埋もれんばかりでした。けれども此の一家の暖かい暖炉のまわりには春のような団らんがありました。
[ 解説 ](日本盤インフォメーションより) 家族の日常の心理的葛藤をきめ細やかに描き、リアリズムの本質を確立させた人気作。主要な国々で公開され、ドライヤーの名前を国際的に知らしめた作品。「あるじ」は、市井の人々の家庭生活を背景として家族の日常の心理的葛藤をきめ細やかに描いた作品で、ドライヤーが作った映画の中でも、とりわけ大変親しみやすい作品として知られている。1925年、「ミカエル」を仕上げた後、ドイツから故国デンマークに戻ったドライヤーは、デンマークの新興の映画会社パレージウムでこの室内劇映画を製作した。コペンハーゲンの慎ましい家庭生活を大変リアルに描いた点で、この作品は映画観客の大いなる関心を引き、ドライヤー作品の中でも最も大衆的な人気を獲得することとなった。デンマークの作家スヴェン・リンドムの芝居 <暴君の失墜> を映画化したこの作品は、原作の芝居にある喜劇的要素を幾分生かしながら、夫が失業中の家庭を室内劇的な手法で描いてゆく。 コペンハーゲンのあるアパートにフランセン一家が暮らしている。妻のイダは一日中働きずめである。失業中の夫ヴィクトルは何かにつけて妻に不平不満をこぼしている。家の手伝いに、かつてはヴィクトルの乳母であったマッス婆さんが時々やってくる。マッス婆さんがヴィクトルの態度や言葉を注意しても、彼は全く意に介さない。精神的に疲れ果てた妻のイダは、しばらくの間実家の母親のもとに身を寄せることにする。妻が不在の間、フランセン家を取り仕切るのはマッス婆さんの役目となる。ヴィクトルを赤ん坊の時から知っているマッス婆さんは、ヴィクトルを手厳しく扱い、これまでは家のあるじとして暴君のようにふるまっていた彼を甘やかそうとしない。次第にヴィクトルは家庭の中で妻のイダがいかに自分や家族のために一生懸命働いてきたかを実感し始める……。

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 ドイツで芸術家の悲劇を描いた芸術映画を撮った次には母国デンマークホームドラマ、しかも本国のみならずアメリカでも『Master of the House』サブタイトルは原題の直訳で『Thou Shalt Honor Thy Wife(汝の妻を敬え)』との訳題で封切られ大ヒット作となった本作は、アメリカ経由で英語タイトル版が日本公開されたので『あるじ』となりました。アメリカ流のタイトルならば『亭主再教育』とでもすべきでしょうが、それではデンマーク映画らしくないので一見威厳のあるタイトルになったのでしょう。実はアメリカ版タイトルも十分ひねりが効いていて、「Master of the House」と言えば普通世帯主、たいがいは男性の家長を想像しますが、実際の映画を観ると家長ぶっていた亭主関白な夫が、妻と老婆の乳母の計画で妻が里帰りし、替わりに家政婦に来た頭の上がらない乳母の老婆の厳しいしつけにあって自分の無能を思い知らされ、本当に家庭を支えていた家長は妻だったと痛感して心を改める、という内容です。監督デビュー作『裁判長』から人間の罪と信仰を問う重厚で厳しい作風で一貫してきて、この後の映画もだいたいそんな風なのがドライヤーの映画なのですが、本作は勝手知ったるデンマークが舞台なのでいつもの脚本だけではなく美術、もともと本業だった編集も手がけ、この手の内に入った映画づくりも本作をリラックスした、狙いのよく定まった仕上がりに結びついたと思われます。前作『ミカエル』も室内劇的な趣向の強いもので、映画の大半は主人公の画家の邸内で展開されましたが、この『あるじ』ではホームドラマだけにさらに室内劇として徹底しており、この時点では予想できなかったことですがサイレント最終作『裁かるゝジャンヌ』'28、後年のホームドラマ『奇跡』'55、室内劇『ゲアトルーズ』'64への原点が『ミカエル』から『あるじ』への手法面での推移からうかがえるような気がします。
 特に『奇跡』と本作は見かけのムードでは家庭的(ドメスティック)と神秘的(ミスティック)というくらい違うものの、かいがいしい嫁を核心にしたハッピーエンドのホームドラマと思って見れば基本アイディアは同じと言えるので、監督デビュー作『裁判長』でも主人公は老裁判長ながら核心にあるのは女性の受難劇だったので、コメディとして描かれていますが『あるじ』も妻の受難がいかに解決されるかの映画で、『裁かるゝジャンヌ』はジャンヌ・ダルクの受難劇そのものですしヒロインが魔女裁判にかけられる『怒りの日』'43、ヒロイン映画の『奇跡』、『ゲアトルーズ』とドライヤー映画の女性映画としての側面はヒロインが危機に陥る『吸血鬼』'32にも及ぶので、それを言えば『ミカエル』は伯爵夫人の視点からは見るのが難しい映画なので、美青年ミカエルに執着する主人公の中年画家が女の腐ったような奴という映画だったと見ればかなり無理のある後半の展開も案外筋が通っているのかもしれません。感想文を書いていると妙なことに気づくもので、女性脚本家のハルボウが主人公の中年画家を更年期過ぎの女性の若い男狂いのようなキャラクターに描いたのは十分あり得るので、そうなると『ミカエル』後半はあれで良かったという見方もあるでしょう。ただしドライヤーは『ミカエル』の後ではもっと普通の市民の、一見ありふれた生活に目を向けたくなったからこそホームドラマでしみじみしたコメディ作品の本作を作ったに違いないく、晩年の名作『ゲアトルーズ』は正統的に女性が主人公でも『ミカエル』に近い破滅的な恋愛映画ですが、その前の『奇跡』が『あるじ』の系譜にあるのは前述の通りなので、作品歴の充実、一貫性、無駄のなさでは「最高なのはドライヤーだと思う」と大島渚が発言していたのを思い出します。しかしコメディ作品をただ1作だけ作った映画監督というのも珍しいのではないでしょうか。

●8月27日(月)
裁かるゝジャンヌ』La Passion de Jeanne d'Arc (Socie'te' Ge'ne'rale des Films'28.Apr.21/'28.Oct.25)*96min, B/W, Silent; 日本公開1929/10/25 : https://youtu.be/d3Q6FVhqLY0 (French Intertitle, Full Movie)

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[ 解説 ](キネマ旬報近着外国映画紹介・キネマ旬報映画データベースより) デンマークで「あるじ」を作ったカール・テオドール・ドレイエル氏がフランスで製作した映画で、知名の文学者ジョゼフ・デルティル氏の協力を得てドレイエル氏自らシナリオを執筆、そして監督したものである。主役ジャンヌを演ずるのは舞台の名女優ルネ・ファルコネッティ嬢であるが、それを助けてコメディ・フランセーズ座のE・シルヴィエン氏がコォションに扮して出演するほか、「征服されし人々」「ヴェルダン 歴史の幻想」のモーリス・シュッツ氏、「ヴェルダン 歴史の幻想」のアントナン・アルトー氏、等が出演している。キャメラはルドルフ・マテ氏が主となってそれに当たった。よって本映画は欧米、特に欧州諸国に於いては希有の芸術映画として絶賛を博したものである。日本初公開版は火事によりオリジナルネガが消失したためドレイエル自身が再編集したバージョン。オリジナル版は長らく幻のフィルムとなっていたが、1984年にポジフィルムが発見された。1929年度キネマ旬報ベスト・テン第7位。(無声)
[ あらすじ ](同上) 映画は、既にオルレアンの乙女ジャンヌ(ルネ・ファルコネッティ)がフランス国内に侵入して来た英軍を追い返すが、自らは英軍の手に陥ちてルーアンに捕虜となっている所から始まる。ルーアン城を治める英軍の総督ウォーウィック(カミール・バルドウ)は、かえってジャンヌのために被った傷手を恨みに思いその復仇の念に燃えていた。で、ウォーウィックはジャンヌによってビショップの地位を追われた事からジャンヌに敵意を抱いているコオション司教(ウジェーヌ・シルヴァン)を味方にひき入れた。コオション等はジャンヌを寺院の一室に呼び出して嚇しつすかしつ彼女に難問を持ちかけ彼女から彼女を罪に落とすのに都合のいい言葉を引きだそうとした。が、この男装の、髪を短く刈った、そして足を鎖で繋がれた娘は、一重に神にたより、神に敬虔な言葉を以て答えた。そしてコオション等の企みは先ず一頓座した。が、次で彼らはジャンヌを悪魔の子として拷問にかけた。可弱なジャンヌは打続く面責のためにその場に失神した。ジャンヌは重い病にとりつかれた。が、斯くの如くにしてジャンヌに自然の死を与えるのがウォークウィックの意志ではなかった。彼は医師を招いて彼女に手当を施した。次いでサン・ルーアンの基地に引き出された時、ジャンヌは命を全うしたい心から誓絶の署名をした。彼女の命は先ず助かった。今後、彼女は獄舎でパンと水とだけで生きて行く事となった。そして髪は切り取られた。が、この時ジャンヌは自分が卑怯な行いをした事を悔いた。そして誓絶を取り消した。斯くていよいよジャンヌに最後が来た。ジャンヌは広場で焼かれる事に決まった。人々はそれを見に集まった。ジャンヌはマッシュウ(アントナン・アルトー)のせめてもの心づくしにと彼女の前にさし出した十字架を見つめながら焼かれて行った。群衆の間に大きな感動があった。人々はウォーウィックの兵士達と争った。が、兵士達は人々を追い返した。ジャンヌを焼いた薪の上には高く煙の柱がたちのぼっていた。

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 カール・Th・ドライヤーと言えばこの1作、というほどの一世一代の代表作になっているこの『裁かるゝジャンヌ』は公開当時から映画史上屈指の大胆な実験的手法による衝撃的作品として世界的に高い評価を受け、サイレント時代末期の映画ながら映画のサウンド・トーキー化以降も監督ドライヤーには無許可に世界各国で再編集版、サウンド版(音楽・ナレーション入り)に改変されながら歴史的名作として上映され続けてきた作品ですが、公開時は製作会社が社運を賭けた大スペクタル歴史映画として大予算をかけて製作したため批評家の評価は抜群なのに観客動員は不入りで興行的には大失敗し、外国への売り込みからほどなくして製作会社も倒産してしまったため、海外版はますます勝手な再編集版が横行することになったという因縁の名作でもあります。しかも1981年になってデンマークで初'28年4月公開版のデンマーク語版のドライヤー自身の編集によるオリジナル・ネガプリントの全長版が発見され、'28年10月のフランスでの初公開フランス語版はフランスの検閲でデンマーク語版オリジナルからかなりの箇所がカットされたという記録、さらに公開版オリジナル・ポジフィルムは'28年12月にドイツのフィルム倉庫火災で焼失してしまったために'29年に世界配給されて、以降'81年まで流通していたのは予備テイクのカットからドライヤー自身が復原したもので、オリジナルとは別ヴァージョンだったのが判明しました。別ヴァージョンと言っても同じアングルからのテイク1、テイク2といった違いの予備テイクからですからほとんど違いはないのも判明しましたが、日本公開されてキネマ旬報ベストテン入りしたのは『あるじ』同様に英語の字幕タイトルのアメリカ輸出版であり、50年間観客が観てきた『ジャンヌ』は基本的にこの別ヴァージョンからしばしば再編集され、サウンド版に改変されたものになります。中には再編集中に欠落してしまった部分をドライヤーが別ヴァージョンでも使わなかった残存フィルムから補った版もあったそうですが、それも1981年のオリジナル・デンマーク語版ネガフィルム全長版で一掃されることになりました。ただし'81年に発見されたオリジナル版が慎重にデュープ・プリントが録られ、公式にはフランス作品なのでフランス語字幕が復原されて上映されるようになったのは'84年で、このオリジナル版は日本では近代美術館フィルムセンターが非商業上映しましたが商業上映は'94年の特別上映が初めてで、また'90年代のVHSヴィデオ、レーザーディスク時代はまだ旧版の再編集版プリントを原盤にしていた映像ソフトが発売されていました。それはともかくもともと芸術的評価が非常に高かった本作は新作同然の最上品質のオリジナル・ネガフィルム全長版によるニュープリントで観られるようになったことからさらに研究と再評価が進み、'70年代までは映画史上のベストテン投票ではサイレント映画で選出されるのはチャップリンの『黄金狂時代』'25、エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』'25と決まっていたのですが、チャップリンが'77年に亡くなり'80年代には当時の共産圏も'90年代の本格的な民主化移行の兆しを見せてソヴィエト映画史最高の革命プロパガンダ映画の傑作『戦艦ポチョムキン』もやや評価を相対化せざるを得ないとなると、『黄金狂時代』と『戦艦ポチョムキン』はおいといて、と評価を急上昇させたのがドイツ映画界の巨匠F・W・ムルナウがハリウッドに招かれてドイツ映画界から連れてきたスタッフで作った第1回アカデミー賞作品賞芸術作品部門受賞作『サンライズ』'27とこの『裁かるゝジャンヌ』で、ともにサイレント時代末期の作品であることでもサイレント映画の最高の達成を示したもの、と認められるようになりました。ただしドライヤーの代表的傑作と言っても、本作はこれ1回限りの特殊な手法の作品なのは注意する必要があります。
 こういう映画となると黙って観て、話はそれからとしか言いようがないので、上記の本作がたどってきた数奇な歴史も含めて、日本語版ウィキペディアには英語版の作品解説の翻訳をベースにした、ちょっとした特集記事並みの本作の解説項目があります。映画の成立史やドライヤーが本作で試みた前代未聞の実験的手法、その成果などはこの感想文で書いても日本語版ウィキペディアの『裁かるるジャンヌ(1928年の映画)』の項目と客観的には大差がないか、ごく些末な解釈の点で異なる程度なので作品解説的な方面に興味を持たれた方はそちらをご覧ください。日本語版ウィキペディアで触れられていないのは、本作は興行的大失敗からドライヤーを寡作に追いやる結果になり(映画のトーキー化という問題も挟んだので、次作『吸血鬼』'32までは4年のブランクが生じ、以降ドライヤーは10年1作ペースの極端な寡作家になりました)、また映画批評家・観客からも観るたびに編集違いのある上映フィルムに出くわして、また決して一般的にアピールする映画ではなく異様な映画には違いないので、名作であるとともに「呪われた映画」の筆頭格に上げられていた、ということです。映画はジャンヌ・ダルクの処刑が決定する裁判の最終日に限定されていますが、これはひとりの若い女性革命家が拘置され尋問され続けた挙げ句転向を勧められるもジャンヌは極刑を覚悟に非転向を表明して処刑される、という心理的集団リンチ、拷問映画で、ジャンヌの処刑に抗議する民衆が暴徒化して処刑場に押し寄せますが憲兵によってなぎ倒される、立たされて縛られたジャンヌは炎に包まれて焼死する、と映画は容赦ありません。このまま終わってしまいます。天使たちがジャンヌを天国にいざなうような映像がエピローグにつけ足されるようなこともなく、即物的に政治・宗教犯のリーダーと目されたジャンヌへの一方的な恫喝的尋問とジャンヌの苦悩と苦痛が異様なアングルによる極端なクローズアップの連続で描かれていく、徹底した「顔」の映画です。タイトル字幕製作・フィルム編集者から映画キャリアを始めたというドライヤーだけにこの映画は顔のアップ映像と台詞タイトル字幕が交互に出てくるだけ、とも言ってよく、サウンド・トーキー以降の映画はもちろんサイレント映画の編集としても常軌を逸しています。延々登場人物の顔のアップに長台詞で長いカットを続けていたのは'60年代後半から'70年代半ばのイングマール・ベルイマンでしたが、ベルイマンが隣国の監督ドライヤーにヒントを得ているにしても効果はまったく違ったもので、ベルイマンの顔のクローズアップの長回しが音声の台詞を伴うため水平的なものとすれば、ドライヤーはサイレント映画でこれをやったため表情のクローズアップに次ぐ台詞タイトル字幕は鋭角的に垂直な切断効果を上げています。本作では詩人・俳優だったアントナン・アルトー(1896-1948)が重要な役で出演していて、アルトーアベル・ガンスの『ナポレオン』'27で暗殺されるマラー役、主演作にはアルトーが出来に不満を抱いて上映妨害を煽動したというジュルメーヌ・デュラックの『貝殻と僧侶』'26もありますが、本作でのアルトーはクローズアップで容貌が観られることもあり、アルトーの本格的な統合失調症の発症は'36年ですが薬物常用がきっかけでもあるので本作撮影時にはどうだったかわかりませんが、眼の光が常人離れしていて、主演女優ファルコネッティ以外ではもっとも印象に残ります。歴代のキネマ旬報ベストテンには首を傾げる作品も多く入選していますが、批評家の後押しがあったとしても昭和4年に本作が7位入選(当時は読者投票、ちなみに『サンライズ』は昭和2年に1位)というのは大したものでしょう。たとえそれがアメリカ向け英語字幕タイトル再編集版だったとしてもです。