人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年11月27日~28日/サイレント時代のドイツ映画(10)

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 ヨーエ・マイの『アスファルト』は2005年にイギリスのEureka!社の古典映画復刻シリーズ「Masters of Cinema」から7番目の作品として世界初DVD化されましたが、解説ブックレットのエッセイ「ヨーエ・マイの『アスファルト』に見るウーファ映画社のスタイルとサイレント映画の終わり」でイギリスの映画史家のR・ディクソン・スミスは映画のトーキー化ぎりぎりの時期のサイレント映画の円熟を代表する作品に、ムルナウの『サンライズ』'27、ルットマンの『伯林=大都会交響楽』'27、キング・ヴィダーの『群衆』'28、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』'28、パウル・レニの『笑ふ男』'28、スタンバーグの『紐育の波止場』'28、シェストレムの『風』'28、マルコ・ド・ガスティーヌの『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』'29、E・A・デュポンの『ピカデリー』'29、G・W・パプストの『パンドラの箱』'29、アレクサンドル・ドヴジェンコの『武器庫』'29、ハンス・シュヴァルツの『ニーナ・ペトロヴナ』'29、アンソニー・アスキスの『ダートムーアのコテージ』'29、アーノルド・ファンク=G・W・パプストの『死の銀嶺』'29を上げ、『アスファルト』をそれらに並ぶ作品としています。アベル・ガンスの『ナポレオン』'27やマルセル・レルビエの『金』'28、ジャン・エプスタンの『アッシャー家の末裔』'28を置いてフランス作品からマルコ・ド・ガスティーヌ(ドライヤーもデンマーク監督によるフランス映画ですが)を上げるなどやや批評家の好みが入ったリストながら、おおむね欧米での映画史観に沿ったリストで、ガスティーヌ、シュヴァルツ(ドイツ)、アスキス(イギリス)作品は日本未公開のため本邦では知名度が乏しく、筆者も未見ですが、サイレント時代の終焉近くは西欧圏(ソヴィエト、日本も含む)の映画水準は非常に高いもので、トーキー初期には抜群のスタイル感覚を持ったスタンバーグルネ・クレールら少数の監督が成功作を作り始めるまでサウンド映画は非常に不安定なものでした。たかだか11月に観た30本は必見級の作品ばかりとはいえ、これだけでサイレント時代のドイツ映画の全貌の見通しがつくとは言えませんが、'29年・'30年のドイツ映画を代表する作品と言うと今回の『パンドラの箱』『アスファルト』、次回の『淪落の女の日記』『日曜日の人々』はどれも外せない伝説的な名作で、21世紀のDVD時代になって抜群に良好な画質のレストア版で観直せるのも嬉しい作品群です。'90年代まではこれらもめったにない上映会で観るしかなかったのを思うとDVDやサイト上で手軽に観られる時代が来るとは思いもよりませんでしたが、その分昔は観るだけでも気合が入ったので、スクリーンで観た方ほどこの辺には思い入れが深いのではないでしょうか。なんとかまとまった感想文になるようがんばってみます。

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●11月27日(火)
パンドラの箱』Die Buchse der Pandora (監=G・W・パプスト、Sud-Film'29.1.30)*143min, B/W, Silent; 日本公開昭和5年(1930年)2月(90分版) : https://youtu.be/uxq3J4D1IqM (English Version)

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 ハワード・ホークスの『港々に女あり』'28やウィリアム・A・ウェルマンの『人生の乞食』'28のヒロインだったハリウッド女優のルイーズ・ブルックス(1906-1985)がパプストの新作のためにドイツに招かれたのがのちに「ルイーズ・ブルックスの奇跡」とまで言われるようになった本作と『淪落の女の日記』'29の2作で、外国語が話せなかったブルックスがドイツ映画に出演可能だったのは映画がまだサイレントで融通が効いたからです。またブルックスは'25年に映画デビューしていましたが、後世に名作と評判が残った『港々に女あり』も『人生の乞食』も男性俳優の方が主人公の映画でしたし、ブルックスはフラッパー・タイプの女優として売り出されましたがアメリカでの人気はブレイクとまで行きませんでした。そこでドイツからオファーがあり、'29年にはアメリカ映画界はトーキー化していましたがドイツ映画はまだサイレントだったのでブルックスが全面的に主役を張る映画をパプストが2作作った。ブルックスは翌'30年にはフランスで台詞と歌はフランス女優が吹き替えたトーキー作品に1本出演し、'31年には帰国して短編コメディやB級西部劇にぽつぽつ出演して'38年には引退してしまうのですが、戦後ににわかにパプストの2作(戦時中はドイツでは上映禁止、他の国ではトーキーの新作に埋もれてしまいました)がサイレント終焉期の傑作として注目され、しかもブルックスはカムバックしなかったのでサイレント時代の女優でも屈指の伝説的女優となったのです。本作の戦前の日本公開時の評判を伝える文献では、筈見恒夫氏の『映画作品辞典』'54には「世の中にあらゆる悪の芽をまき、男という男を堕落させた、パンドラの箱のごとき妖女ルルを、アメリカ女優ルイズ・ブルックスに演じさせた。ルルはロンドンの魔窟で殺人鬼によって悲惨な最後をとげる。パプスト独自のエロチシズムと鋭い描写にみちた作品である」と作品項目が設けられ、田中純一郎氏の『日本映画発達史』'57では「初期のアメリカ・トーキーは、レビュー、歌、音楽、ダイアローグの洪水であり、スクリーンからはありとあらゆる音響が絶えず流れ出して、劇場内は騒音で充満した。ところが、この洪水の中に、たまたまドイツ映画の『アスファルト』『パンドラの箱』『帰郷』などの無声映画や、いわゆるアヴァンギャルド映画が紹介されて、無声映画へのノスタルジアを感じさせ、ひいては無声映画揚棄する決心を鈍らせ、一時はトーキーとサイレントの並立論(二元論)が唱えられた」と公開時の輸入映画の趨勢を語る文中で解説されています。日本初公開時のキネマ旬報近着外国映画紹介を引いておきます。
[ 解説 ] ドイツ文豪フランク・ヴェデキンド氏の世界的名作『ルル』を「ジャンヌ・ネイの愛」「心の不思議」のG・W・パブスト氏が現代風にアレンジして演出したもの、主役ルルには特にアメリカよりルイズ・ブルックス嬢が渡欧して扮し助演者としてドイツ劇壇の名優フリッツ・コルトナー氏、フランツ・ホフマン・レーデラー氏、フランスより参加したアリス・ロバーツ嬢等が出演している。撮影は「プラーグの大学生(1926)」のギュンター・クランプ氏が担任している。(無声)
[ あらすじ ] 誰が父だか、誰が母だか、ルル(ルイズ・ブルックス)はそれを知らなかった。物心を覚えた時ルルには一人の養父シゴルヒ(カール・ゲーツ)がつきまとい暮らす所は酒場か踊り場に限られていた。そうしたルルがどういう成長をしたか。物語はルルがある大新聞の主筆シェーン博士(フリッツ・コルトナー)の寵い者となっているところから始まる。シェーン博士は名家の令嬢(デージィ・ドーラ)と再婚の婚約が成立したのでルルに別れ話を持ち出す。ルルはそれを承知せず別れる位なら自分を殺してくれと駄々をこねる。博士はルルの魅力にためらい決断がつかない中にうまうまとルルの術中に陥りどうしても結婚しなければならないような羽目に陥る。遂に博士とルルとの結婚式が挙げられる。しかし世評の悪いこととルルにうるさくつき纏う男達に博士はつくづく愛想をつかし自分の名誉を保つためにルルに自殺をすすめる、がルルはかえって博士を射殺し捕らえられる。ルルを取巻く養父、博士の息子で秘書のアルヴァ(フランツ・ホフマン・レーデラー)、ルルを恋する伯爵夫人(アリス・ロバーツ)、力業の芸人ロドリゴ(クラフト・ラッシュ)等これを知って共謀しルルを裁判所から逃走させ、とある港に隠れ住み、日夜賭博にひたり放縦無頼の生活を送る。侯爵(ミシェル・フォン・ニューリンスキー)と名乗る女衒はルルの前科を探りこれを以て脅迫しルルをエジプト人に売ろうとする。この事件が中心となってルルの同志に裏切り争いが起こり警官隊の追跡となりルルは進退極まって男に変装しアルヴァと養父とともにロンドンへ高飛びする。ロンドンの生活は困苦そのものであり食べるパンもなく着る夜具さえもなく雨漏りの屋根裏に寵って悲劇の訪れを無為に待っている。遂に決心したルルは生活のために自らを売るために街に出る。これを怒るがどうにも手段のないアルヴァ、これを喜ぶ狡猾な養父、外は霧の深くたれこめたクリスマスの夜である。ルルは一人の男の手を取って家へ連れこむ。ところがその男こそは当時ロンドン市街を恐怖にさせていた殺人鬼ジャック・ザ・リッパー(グスタフ・ディースル)で、ルルはその男のために殺される。あまりの運命の転変に茫然自失しているアルヴァは通りかかる救世軍の列についてそれに救いを求めトホトボと霧の街の中に吸い込まれるように消えていく。
 ――フランク・ヴェーデキント(1864-1813)の戯曲『地霊』1896と『パンドラの箱』'04はアルバン・ベルク(1885-1935)の未完の遺作で現代音楽オペラの傑作『ルル』'28-'35の原作でもあり、ベルクは『ルル』の中にサイレント映画を挿入する構想を持っていましたから(現行上演では省略されます)パプストの映画版『パンドラの箱』も観たのではないかと思われますが、原作からの脚色は映画『パンドラの箱』とオペラ『ルル』では相当違っており、大半の主要人物の末路が異なっています。ベルクによるオペラ版『ルル』の方が2作の原作戯曲から多くの場面を生かしており、映画『パンドラの箱』はサイレント映画としては大作ですが原作戯曲から人物と基本プロットを借りた自由な脚色が目立ち、オペラ版に親しんだ方にはあっけなく見えるかもしれません。キネマ旬報のあらすじにも相当省略がありますが、原作戯曲やオペラ『ルル』は映画『パンドラの箱』よりはるかに筋の曲折に富み、人物も多数です。もちろんこれは音楽劇であることと映像作品であることに目的の違いがあるので、パプストがハリウッド女優を呼んで同年10月公開の『淪落の女の日記』と対をなす構想で製作したのは間違いないルイーズ・ブルックス主演の2作は、かつて『喜びなき街』'25ではアスタ・ニールセンとグレタ・ガルボの対照を使っても行き届かなかった部分、明確な性的衝撃力を持ったリアリズム映画を試みたかったのだと思います。レズビアンの登場人物は原作由来でパプスト自身はそこまで意図しなかったかもしれませんが、もともとボーイッシュで両性具有的な美貌のブルックスが演じる天然の誘惑的存在は人間の本能的な性への暗い堕落願望まで描き出しており、シュトロハイムやシェストレムら少数の例外的映画監督しか描けなかった次元に踏みこんでいます。『淪落の女の日記』では検閲でシナリオを改竄せざるを得なかったと言われているように、本作もシナリオ段階ではもっと過激な性的暗示描写が含まれていたかもしれず、登場人物の役割や関係に飛躍が散見されるのは映画化できなかった部分を割愛したのでこうなった、と見られるわかりづらさがあちこちあります。それをサイレント映画らしい古い幼稚な話法、と誤解してしまうと全体的な完成度の驚異的な高さを見逃してしまうので、映画の倫理コードぎりぎりまで迫ってなお描けない部分は観客の想像力に委ねてあり、そこはちゃんと見れば誤解しようがないほど具体的な喚起性があります。パプストのブルックス主演作品2作はともに磨き抜かれた演出と映像で甲乙つけ難いサイレント映画究極の大傑作ですが、より広い社会的視野とテーマの深化では『淪落の女の日記』、直截なインパクトと鋭角的なテーマでは『パンドラの箱』と、あとは好みの次元にあるでしょう。だからと言ってパプスト作品とはまったく違うハリウッドでの『港々に女あり』『人生の乞食』も素晴らしい映画ならブルックスも魅力的なので、現役時代に人気が二流女優でとどまったのも、片手にあまるほどの代表作で伝説的女優になったのも、いかにも『パンドラの箱』のヒロイン女優らしい気がします。

●11月28日(水)
アスファルト』Asphalt (監=ヨーエ・マイ、UFA'29.3.11)*93min, B/W, Silent; 日本公開昭和5年(1930年)1月30日(115分版)キネマ旬報ベストテン(外国無声映画)1位 : https://youtu.be/kojCjACQcEY

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 DVD添付の解説ブックレットで映画史家のR・ディクソン・スミスは本作をカール・グルーネの『蠱惑の街』'23、パプストの『喜びなき街』'25、ブルーノ・ラーンの『街の悲劇』'27に連なるドイツ'20年代映画の「街角もの」の系譜の作品としていて、これは早くから定説になっているようです。ラーンの『街の悲劇』はパプスト作品に主演したアスタ・ニールセンをヒロインの娼婦役にした映画ですし、『喜びなき街』でスウェーデン映画界出身のグレタ・ガルボ(1900-1995)と主演を分けあったデンマーク映画界出身のアスタ・ニールセン(1881-1972)はガルボより19歳も年長で『街の悲劇』当時は40代半ばですから、ヒロインを演じるには相当の年配で、娘役などはもう無理だったでしょう。スミスが上げた以前に『彼女を巡る四人の男』'21、『朝から夜中まで』'21も「街角もの」の早い例でしょうし、ワイマール共和国以前の第1次大戦中のドイツ=オーストリア圏でも特に意識せずそうした作例はあるのではないかと思われますが、'20年代の街角映画は都会を性と金への誘惑に満ちた悪徳の世界と描いているからジャンルと目されているので、戦争中には愛国心が賞揚されますから、そうしたネガティヴな都会を描くことはタブーだったとも考えられます。せいぜい都会と田舎を対比して描く程度の風刺しかできなかったのではないか。また天候の良い地にハリウッドを築いたアメリカ、イタリアやフランスに対して、ドイツはイギリス同様天候に恵まれない国なので映画はまだフィルム自体の感度が高くなかったサイレント時代では特に屋内セット撮影に偏向していたので、屋外ロケ映画は困難で『彼女を巡る四人の男』や『朝から夜中まで』の市街はオープン・セットです。『蠱惑の街』や『喜びなき街』が話題になったのも前者の無字幕映画、後者の画期的リアリズムよりもむしろ実際のウィーンの街並みでロケーション撮影された世相風俗ドキュメント的な興味があったので、ハリウッドの撮影所は広大な敷地に世界各国の大都市(もちろんニューヨークがもっとも多用されました)、地方都市や荒野からジャングルまでオープン・セットで原寸大再現する、というとんでもないインフラを設備していましたし、ウィーンやベルリンもロンドン、パリやローマ同様ハリウッドの中に再現されていましたが、やはりエキストラや街路、店々まで本物というと観光映画的価値が出てきます。早い話、ずっと後年のアメリカ映画ですが『ローマの休日』'53が本当にローマ・ロケでなくハリウッドでのローマ再現オープン・セットだったらありがたみも薄れてしまうので、第2次大戦後のイタリアのネオ・レアリズモ映画の世界的評判も戦後ローマの市街ロケがまず興味をそそったのが大きいでしょう。'60年代フランスのヌーヴェル・ヴァーグしかり、とテレビ普及以前の時代では映画ではロケーション撮影が売りになり、またテレビによる実写映像の濫造に対してかつての映画のロケーション撮影は実に入念に映像設計され、実際にその街を知る人にも肉眼で見る風景と映画に切り取られた映像では衝撃的な認識力の革新が感じられるようなものだった、と思えます。話が広がりすぎたところで本題の『アスファルト』に戻ると、戦前の日本公開時の評判を伝える文献では、筈見恒夫氏の『映画作品辞典』'54には「大都会の雑踏の中で万引女がつかまる。若い警官は護送の途中、遂に女の魅力に抗し切れない。――「カルメン」の現代化というべきメロドラマを、主役ベティ・アーマンの肉感的魅力とヨオエ・マイの老巧な演出の冴えで見せて、サイレント末期に圧倒的な当りをとった」とあり、田中純一郎氏の『日本映画発達史』'57では「ベルリンの警官と若い女賊の交渉を扱ったもので、女賊に扮した女優ベティ・アマンの官能的魅力が評判となった」と作品項目を設けて解説されています。ヨーエ・マイはドイツ映画の第1世代のヴェテラン監督で'10年代には自分の製作プロダクションを持っていましたから、本作はマイ・プロダクションとドイツ最大手のウーファ映画社との製作提携でウーファが配給し、ウーファの伝説的国際プロデューサーのエーリッヒ・ポマーのプロデュースの下、セット・デザイナーやカメラマンはマイの弟子フリッツ・ラングの大作で鳴らしたトップクラスのスタッフが揃い、他にも関わったスタッフはウーファの前身デクラ社の『カリガリ博士』『巨人ゴーレム』'20にも関わってあるという、まさに'20年代ドイツのサイレント時代の総力集結の観があります。弟子のラングが『ドクトル・マブゼ』'22以降『ニーベルンゲン』'24、『メトロポリス』'27、『スピオーネ』'28、『月世界の女』'29と3時間~5時間級のスペクタクル大作の監督になったのに対し、マイの大作時代は『ヴェリタス』'19、『インドの霊廟』'21で頂点を極めたあと大作路線はラングに譲ったとばかりにメロドラマへと作風転換して表向き地味になったようですが、それがサイレント末期にはその堅実なメロドラマが俄然光って見えたのは時代が一周回ったかのようで、『アスファルト』のスタッフがほとんど全員ラングのフィクション性の高い大作を支えてきたクルーだと思うと本作の地に足のついたリアリズム性は、オープン・セット内に再現されたベルリン市街の巨大セットにしてもラング作品とは方向性のまったく異なるものです。『帰郷』もメロドラマの名作でしたがまだドイツのローカル・カラーがありました。本作になると同時代のアメリカ映画と感覚的にもモダンで粋な大都会ドラマとしても遜色なく、むしろ主演女優のファッショナブルな魅力は十分アメリカ映画と競っています。日本では当時東京でいちばん若者の町、浅草で大ヒットしたそうですが、多くのモダン・ガールが本作のベティ・アマンの髪型やファッションを真似したのではないでしょうか。そういう人気を得たドイツ映画は戦前でも戦後の現在にいたるまでもほとんどないのではないでしょうか。
[ 解説 ]「ヴェリタス」「世界に鳴る女」等のヨーエ・マイ氏が監督したウーファ特作映画でロルフ・ファンロー氏の原作を同氏及びフレッド・マヨ氏、ハンス・スツェケリー氏等が脚色した。主演者は「メトロポリス」のグスタフ・フレーリッヒ氏、新進のベティ・アマン嬢で「野鴨」「ライン悲愴曲」のアルバート・シュタインリュック氏「ヴォルガ」「ニーベルンゲン」のハンス・アダルベルト・シュレットウ氏等が助演している。撮影は「ニーベルンゲン」に腕を振ったギュンター・リッタウ氏が担任。「帝国ホテル」「鉄条網」のエリッヒ・ポマー氏が製作している。(無声)
[ あらすじ ] ベルリン警察の警部ホルク(アルバート・シュタインリュック)とその夫人(エルゼ・ヘラー)の息子アルバート・ホルク(グスタフ・フレーリッヒ)は交通整理の警官として働いていた。或夜一日の任務を終えた彼は街の騒動を見つけてその場に駆けつけた。一人の若い女(ベティ・アマン)が宝石店からダイヤモンドを盗んだと騒がれている。アルバートは女の雨傘の先に隠されたダイヤを発見した。女は貧困の末罪を犯すに至った不幸な人間として自分を装ってはいたが、実は「ダイヤモンドのメリー」という女賊だった。だがそれと知らぬアルバートは彼女の言葉を信じ、哀れに思って警察へ連れていく前に女の家へ寄って身分証明書を持って来るように計らってやる。女は彼を自宅へ入れるや手管をもって彼をあやつってしまう。ちょうどその頃、パリの町を騒がせた銀行盗賊は或る銀行の金庫を襲い数百万フランを奪い去った。パリにいては危険の多い事を悟ったその盗賊は飛行機でベルリンへ逃げた。その盗賊はメリーの情夫(ハンス・アダルベルト・フォン・シュレットウ)だった。次の朝アルバートの許に一個の小包が届く。その中には彼が昨夜メリーの部屋に落として来た警察の身分証明書があり、シガーの箱まで添えられていた。屈辱に耐えかねた彼はメリーの所へ「贈物」を返しにいく。しかしその時メリーの心には或る変化が起こっていた。若い警官の純情が彼女の心に触れたのである。彼女は彼を愛し始める。そして彼が怒りと絶望に慓えながら女の前に立った時、彼女は昨日自分がほんの気まぐれにした事が自分と彼を永久に結びつけてしまった事を感じた。その時パリから帰って来た彼女の情夫が現れる。二人の男の間に激しい格闘が起こった。ついにアルバートは正当防衛で男を殺してしまう。気魂たえだえに彼はすべて父に打ち明ける。老警部にとって義務の一念は父性愛より強い。彼は自分の手で息子を縛り検事局へ引き立てていく。公判の最中、法廷にメリーが現れて彼の無罪を証明する。しかしそれと同時に彼女は身の素性を明かさなくてはならなかった。アルバートが自由の身となった時、彼女は牢獄に引かれて行くのであった。
 ――という具合に、本作は警官と万引常習女の大都会メロドラマなのですが、当時『浅草紅団』などで戦前の東京一のいなせな繁華街・浅草のストリート・ギャングものなどを書いて人気を博していた川端康成は本作のベティ・アマン(1907-1990)に惚れこみ、「僕達の知つてゐる女は皆、アマンと較べると、たちまち女でなくなつてしまふ。……アメリカ映画の薄つぺらなお転婆娘達も、たちまち女でなくなつてしまふ」とまで激賞しています。ドイツ生まれのアマンは'26年にハリウッドで映画デビューし、帰国して代表作になった本作以降はヒッチコックの新婚コメディ『おかしな成金夫婦』'32の豪華客船中の有閑マダム役が知られている程度で、エドガー・G・ウルマーのインディーズ映画『忘れられた罪の島』'43が引退作だそうですから現在ではルイーズ・ブルックスに較べてもぐっと知名度は低いでしょうが、本作が日本でキネマ旬報外国映画ベスト1(キネマ旬報ベストテンは'33年まで読者投票、'34年~現在は批評家投票です)の人気作品になったのはアマンの人気で、3位に前作『帰郷』'28がついたのは監督ヨーエ・マイ(実際はこのJoe Mayという芸名は英語綴りですから、母国音原則主義の批評家にはジョー・メイと書く人もいますが)の実力でしょう。本作は普通のメロドラマですが豪華スタッフと大がかりな市街ロケまでして普通のメロドラマなのが『伯林=大都会交響楽』のような斬新だろ前衛だろ映画とは違う良いところで、冒頭の鮮やかなベルリン市街のモンタージュも浮いていません。グスタフ・フレーリッヒも『帰郷』の中途半端に軽薄誠実な友情色男から親孝行で朴念仁の警官役で適度に渋みが効いており、泣き落とししながらこっそり化粧直ししてアマンがフレーリッヒを誘惑にかけるシークエンスはちゃっかりしたコメディ演出(出頭のため着替えに寝室に入ったアマンが出てこないので、フレーリッヒがおずおずと呼んで返事がないので入るとアマンが下着姿で寝ている)で、これもロマンティック・コメディと言えば言えるのではないでしょうか。フレーリッヒの両親役の俳優たちもいかにも木訥な初老の夫婦の味が出ており、この両親では親孝行にもなろうと納得いくものです。子供のいる夫婦が「母さん」「お父さん」と呼びあうのは日本だけ、と言いますが、この映画の老夫婦は「Mutter」「Vater」と母さんお父さんと呼びあっています。結末は主人公を救う証言をしたために監獄へ牽かれていくヒロインに主人公が走り寄って抱きしめてキスを交わし、「いつまでも待ってる、最愛の人」と字幕が出てヒロインの後ろ姿を見送る主人公で終わりますが、ドイツ映画と言えば『プラーグの大学生』や『カリガリ博士』だった頃からこのロマンティック・コメディでホームドラマ風味もある街角メロドラマにいたるまで、ドイツ映画もずいぶん練れてきたものです。松竹メロドラマみたいだなみたいな気もしますが、当時は松竹の現代劇の方が日本映画の主流の時代劇よりあか抜けていたわけで、『パンドラの箱』みたいな衝撃的傑作ではありませんがこういうしみじみとした映画もいいなあ、と思えるのです。