人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年8月30日~31日/ カール・Th・ドライヤー(1889-1968)の後期作品(3)

 ついつい前回はドライヤーの前作『怒りの日』'43について「個人の嗜好を超えた傑作」と大上段な言い方をしてしまいましたが、各種映画評投稿サイトを見るとドライヤーの『怒りの日』、『奇跡』'55、『ゲアトルーズ』'64の3作は案外「面白くない」「好きになれない」ばかりか「反感を覚える」という感想も多いのです。そうした率直な感想もあるだろうな、と思える要素がドライヤーの映画には確かにあって、筆者自身が今回観直したドライヤー作品の中でいちばん製作年度の早いドイツ作品『ミカエル』'24について反感混じりの感想文を書きましたが、つい数日前観直したばかりなのにそのあと『あるじ』'25、『裁かるゝジャンヌ』'28、『吸血鬼』'32、『怒りの日』と観て来て、この小文を書いている時点では『奇跡』『ゲアトルーズ』も観直しましたが、少なくとも『怒りの日』まで観ると『ミカエル』を観直した時に感じた違和感や反感が狭い見方だったと痛感しました。温和なコメディ・ホームドラマの『あるじ』も含めて、ドライヤーの映画には観る人に抵抗感を抱かせる面が大きく前面に表れています。それは現代の平均的な日本人観客にとっての美的感覚だったり、倫理観だったり、宗教感覚への反感だったりするのですが、それが性や青春や暴力を甘味料や香辛料にした映画のように装飾的なものだったら、趣味嗜好によって好悪で選り分けても構わないと思います。ジョセフ・フォン・スタンバーグルネ・クレールの映画などは純粋に審美性だけで成り立っていて、その審美的達成度だけが見所ですから逆に好悪で観るだけ野暮でもあります。しかしドライヤー映画となると、はっきり作り物めかした『裁かるゝジャンヌ』や『吸血鬼』ばかりでなく、観客の日常的感覚を逆撫でするような生々しい切迫感があるので、好悪が先立ってしまい観る人各自の嗜好に合わせて映画を裁断してしまいがちになります。19世紀末生まれのデンマーク人ドライヤーの生身の映画が21世紀初頭(筆者が最初に観たのは30年以上前ですが)の日本人の日常的感覚から懸隔があるのは当然で、自国の過去の映画でさえ異文化の産物であるように、ドライヤーの映画はおそらくほとんどの国で徹底して現代の文化から遠いものになっていると思われます。それが旧共産圏のプロパガンダ映画だったり、逆に反共プロパガンダ映画だったりという具合に時代的な現象を反映したものであればそういったものは現在でも形を変えて存在しますし、時代の倫理的制約を踏み越えた映画は商業公開されないのは世界各国どの文化圏でも同じで、数十年経ってようやくそれが当時の倫理的制約以上の表現をなしとげていたのが判明する、という例がある程度です。自己のドライヤー・プロダクションを設立した『吸血鬼』以降の極端な寡作('29年~'64年の35年間に長編4作!)は作りたい映画だけ作ったドライヤーがその時々に作り得たぎりぎりの企画で、この寡作は彫心鏤骨の結果というよりもむしろ当時ドライヤーが実現できる企画がいかに少なかったか、自国デンマークでさえ広く受け入れられた映画監督ではなかったと見る方が事情に即しているでしょう。ドライヤーと溝口健二を表彰し続けたのはイタリアのヴェネツィア国際映画祭でしたが、多作でメジャー映画会社のヒットメイカーだった溝口健二ほどには、独立プロ監督ドライヤーが自国で随一の大家とされていたとは思えないのです。

●8月30日(木)
『奇跡』Ordet (Carl Theodor Dreyer-Filmproduktion'55.Jan.10)*120min, B/W; 1955年ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞・1956年ゴールデン・グローブ賞最優秀外国語映画賞受賞 : 日本公開1979/2/10 : https://youtu.be/-uQEPjRog84 (Trailer)

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[ 解説 ](キネマ旬報近着外国映画紹介より) デンマークの村を舞台に、現代では奇跡は起りえないと信じながらも、なお伝説の再現を待ちつづける人々を描く。製作はエーリク・ニールセン、監督は「吸血鬼」のカール・テオドール・ドレイエルで、カイ・ムンクの戯曲『言葉』を基にドレイエル自ら脚色。撮影はヘニング・ベントセン、音楽はポール・シーアベック、編集はエーディト・シューリュセル、美術はエーリク・オースが各々担当。出演はヘンリク・マルベルイ、エミル・ハス・クリステンセン、プレベン・レルドルフ・ライ、カイ・クリスチャンセン、ビアギッテ・フェザースピール、アイナー・フェーダーシュピールゲルダ・ニールセン、オーヴェ・ルー、ヘンリー・スケアー、アン・エリザベット、スサンネなど。
[ あらすじ ](同上) 1930年頃のデンマーク。ボーエン農場の家長モルテン・ボーエン(ヘンリク・マルベルイ)は、妻に先だたれたが3人の息子や孫たちにかこまれて悠悠たる老境を過ごしていた。彼は一代で農場をたて、信仰心あつく、人々の信頼を集めていたが、信仰が奇跡をもたらすと信じる彼を冷笑している者もいた。長男のミケル(エミル・ハス・クリステンセン)は神を信じようとはせず、次男のヨハネス(プレベン・レルドルフ・ライ)は神を信じすぎ、自分をキリストと信じていた。三男のアーナス(カイ・クリスチャンセン)は、モルテンとは宗教で対立する仕立屋ペーター(アイナー・フェーダーシュピール)の娘アンネ(ゲルダ・ニールセン)に恋していた。モルテンにとって、救いはミケルの嫁で、2人の孫娘(アン・エリザベット・ラッド、スサンネ・ラッド)の母であるインガ(ビアギッテ・フェザースピール)だけだった。インガはボーエン家のささえで、夫と養父の対立を気づかい、今生まれようとしている3人めの子供がモルテンの願い通り男の子であることを祈っていた。彼女はモルテンを説得して、アーナスのアンネへの求婚を認めることに成功するが、ペーターはこれを拒絶した。怒ったモルテンがアーナスの家にのりこんだ頃、ミケルが電話で、インガが産気づき、母子の生命が危い難産になりそうなことを知らせてきた。ヨハネスの不吉な予言通り、一時、助かると思われたインガは子供ともども死んでしまう。悲しみにつつまれたインガの葬式。ペーターはアンネをつれて和解を申し出た。インガの枢のふたが閉じられようとした時、奇跡が訪れようとしているかのように、正気に戻ったヨハネスが帰ってきたのだった。

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 配給会社のフランス映画社の尽力で、ほぼ四半世紀後とはいえようやく日本公開されたドライヤー・プロダクション時代以後のドライヤー作品。時代はベルイマンの名声絶頂期でしたし、本作公開がもっと話題になってドライヤー・プロダクションの前後作『怒りの日』『ゲアトルーズ』も日本公開されていればなお良かったのですが、やはりフランス映画社が同時期に日本初公開したルノワールの『ゲームの規則』'39ほどは注目を集めなかったようです。それでも本作はキネマ旬報昭和54年度外国映画ベストテン7位(1位『旅芸人の記録』、2位『木靴の樹』の年です)を獲得しており、フランス映画社がドライヤー後期の未公開作品3作から『奇跡』を選んだのは順当で、『奇跡』も妥協のないドライヤー作品ですが情け容赦のない愛憎劇『怒りの日』『ゲアトルーズ』に較べると内容にふくらみがあり、『あるじ』以来のホームドラマ作品で親しみやすく物語が含蓄に富んでいるので、もっとも幅広い観客層にアピールする間口の広さがあります。しかし本作が批評家の高評価ほど観客に受け入れられなかったのはデンマークの田舎の農村のプロテスタント・コミュニティーを背景にした異文化性への抵抗感が邪魔をしたと思えるので、生活感覚にまで根づいた異国の宗教性に対する日本的な嫌厭感と無理解は旧来型の独裁共産主義体制の反宗教主義に匹敵するものがあって、投稿映画評サイトでは本作を「キリスト教の宣伝映画」と難じている感想も見かけます。この映画の原作戯曲(『言葉』'25)は現代デンマーク文学の名作として日本語訳も出ていますが、原作者のカイ・ムンク(1898-1944)はプロレタリア文学系の劇作家かつ牧師で、第2次世界大戦中にナチス占領下のデンマークで抵抗運動を貫き、ゲシュタポに拉致され虐殺された(遺体は路傍に遺棄されていたそうです)硬骨の人で、プロテスタント信仰と真のプロレタリア共産主義の理想の統一に生涯苦渋していた牧師作家兼政治活動家だったといいます。ナチス占領直前にスウェーデンに逃れたドライヤーがゲシュタポによるカイ・ムンク虐殺に無関心だったはずはありませんし、プロレタリア劇作家ムンクが農民文学として書いたという原作『言葉』(映画は原作戯曲を非常に忠実に映画化しています)がキリスト教の宣伝作品が真意とは考えられず、これは素朴なプロテスタント信仰を生活倫理とする村の人々が、宗派の違い(同じプロテスタントでも無数に違いがあります)を超えて不寛容から和解に進むプロットにプロレタリア革命への暗示があり、そこで起こるメシア妄想障害者の治癒と、一家の中心だった嫁の死からの蘇りという二重の奇跡に革命と信仰との統一を仮託したドラマであるということが一応は言えそうです。前作『怒りの日』は戦後の'47年にヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を与えられましたが、カトリックが反ナチ・反ファシズムの旗印を掲げ共産主義支持の下で積極的な抵抗運動を果たしたイタリアでは『怒りの日』の抵抗的意図は明らかだったでしょうし『奇跡』の政治的寓意も同様で、それ自体は普通の理解なので映画の評価を上げも下げもしなかったと思います。遅れてヴェネツィアに出品された戦時中の旧作『怒りの日』が先の賞を受賞し、新作『奇跡』がグランプリである金獅子賞を与えられたのは大仰に言えば、日常的環境から一気に極限状態に置かれた人間の運命を描く力そのものが高く評価されたと思われます。
 溝口健二の『西鶴一代女』が監督賞を与えられたのが'52年のヴェネツィア国際映画祭(同年の金獅子賞は『禁じられた遊び』)で、これは新東宝作品でしたが溝口は大映専属になった翌'53年の『雨月物語』では銀獅子賞(同年は金獅子賞受賞作なしのため事実上グランプリ)、'54年の『山椒大夫』でも銀獅子賞(同年の金獅子賞は『ロミオとジュリエット』)と、初の同映画祭3年連続受賞監督になります。'55年のグランプリがこの『奇跡』なので、ドライヤーとのニアミスが幸いしたとも、'56年には溝口は急逝してしまうので'55年に溝口がヴェネツィア出品作品があって渡欧していたら伝説的な『裁かるゝジャンヌ』の巨匠の新作『奇跡』を観て、さらに面談する可能性もあったと思うと悩ましくなりますが、溝口の『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』を同じ敗戦国であるイタリアでは戦争経験の反映抜きに観たとは思えませんし、そこにエキゾチシズムを超えた普遍性と強烈な訴求力を認めたからこその受賞だったでしょう。溝口より10歳年長のドライヤーが溝口よりさらに徹底した1シーン・1カットの映画を作るようになったのは溝口とは別の考えからたどり着いたとしても、両者がともに限界まで追いつめられた、極限状態にある人間のドラマを描く映画監督であり、それを言えば恋愛映画、スリラー映画や犯罪映画、戦争映画はみんなそうですが、ドライヤーや溝口の映画ではエゴイズム、罪、反抗、贖罪などの要素がじわじと真綿でクビをはじめとする締めるように迫ってくる。決して観客にカタルシスを与えるとは言えない結末に向かって収斂していきます。その結果登場人物の能動性が欠け、観客の感情移入を許さない突き放したドラマにもなる、という大衆性の稀薄な作風になりがちです。ドライヤーも溝口も基本的にはメロドラマの映画監督なのですが、映画は観客が普通メロドラマに期待するのとは違った方向に向かって進むので、登場人物たちへの共感よりはもっと映画全体を見渡す見方をしないと見所自体を見逃してしまいます。『奇跡』の1シーン・1カットは長いショットではありますがほとんどが室内なのでゆったりした左から右へのパンで撮られ、人物はロングで、場面への入退場はドアから入ってくる、出ていく、という具合で、パン以上の長いトラヴェリング・ショットはなく、トラヴェリングが必要なほどの人物の移動はカットを割っています。そうした手法で全編が描かれているため切り返しショットによって登場人物たちの視線が交差する映像は一切ありません。また感情移入を誘うメロドラマほどクローズアップは多用されますが、『奇跡』で唯一のクローズアップはクライマックスの告別式のシーンで急死した母に対面した少女のクローズアップだけで、この少女がメシア妄想症から正気に帰った叔父とともに母の蘇生を祈る時だけ少女のバストショットのクローズアップが映ります。これは感情移入に誘導するためというよりも視点人物すらなしに進んできたこの映画がこの時だけは少女を視点人物にしたので、死んだ母の蘇生を疑わない唯一の立会人がこの少女だということです。台詞やト書きを原作戯曲に忠実に映画化すると言っても映画としての映像化はどのようにも演出可能なので、この映像手法は『怒りの日』で確立したものにせよホームドラマ『奇跡』の達成はめざましいもので、かつてのやはり家庭の中心である嫁を描いた『あるじ』の30年後に本作が製作されたのはテーマの追求、深化とともに途方もなく気の長い一貫性を感じさせます。そして9年後の次作『ゲアトルーズ』がドライヤーの遺作になるのです。

●8月31日(金)
ゲアトルーズ』Gertrud (Film-Centralen-Palladium'64.Dec.19)*112min, B/W; 1965年ヴェネツィア国際映画祭国際批評家連盟賞受賞 : 日本公開2003/10/12 : https://youtu.be/7m6gPBen4cs (Final Scene)

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[ 解説 ](キネマ旬報映画データベースより) デンマークの映画監督、カール・Th・ドライヤーの遺作にして、集大成とも言えるドラマ。2003年10月11日より、東京・有楽町朝日ホール、京橋・フィルムセンター、渋谷・ユーロスペースにて開催された「聖なる映画作家カール・ドライヤー」にて上映。
[ あらすじ ](同上) 弁護士である夫(ベント・ローテ)との夫婦生活に失望した妻・ゲアトルーズ(ニーナ・ペンス・ローデ)は若い作曲家(ボード・オーヴェ)に愛情を求める。しかし、その想いが理解されることはなく深く傷ついた彼女は……。
[ 解説 ](日本盤インフォメーションより) 愛を求めて苦悩する女の姿を通して、魂の渇望を描いた、 カール・Th・ドライヤーの遺作にして、集大成。 弁護士の夫との結婚生活に失望したゲアトルーズは、若い作曲家に愛を求める。だがその想いは理解されることがなかった。深く傷ついた彼女は……。 空間構成と陰影の様式美に溢れた、芸術的な作品。 1964年に発表されたドライヤーの「ゲアトルーズ」は、従来の映画美学とは根本的に異なった様式によって展開される、現代映画芸術概念の展開の端緒を作った記念碑的作品である。ここには劇映画の芸術が持つ可能性のもっとも純粋な形があり、現代映画が実は古典的劇芸術の本質と一致していることが明白に示されている。すなわち、登場人物の人生の光景のいくつかの場面が演じられ、彼らの語る言葉によって、観客は場面上には見えない時間と空間を想像的に体験していくのだ。 原作はスウェーデンの作家ヤルマール・セーデルベルイの同名舞台劇。主人公ゲアトルーズ(ニーナ・ペンス・ローデ)は著名な弁護士カニング(ベント・ローテ)の妻。夫カニングはもうすぐ国務大臣に任命されようとしているが、ゲアトルーズは夫に満足していない。そのような状況の中で、彼女の前に若い作曲家エアラン(ボード・オーヴェ)が現れる。彼女の愛は一時的に、この作曲家のほうに向かう。次の日の夜、かつてのゲアトルーズの許婚者であった著名な詩人ガブリエル(エッベ・ローデ)が久々に外国から戻り、祝賀会が催される。カニングがスピーチをしている間、気分が悪くなったゲアトルーズは席を外す。そのあと彼女はエアランの伴奏で歌を歌うが、その途中で倒れてしまう。翌日エアランが自分を愛していないことを知ったゲアトルーズは、彼と別れる。そして彼女はパリで勉強をするために、夫のもとを去る。 セーデルベルイのこの舞台劇に、ドライヤーはエピローグを付け加えた。このエピローグにおいて、ドライヤーは数十年後の年老いたゲアトルーズを見せる。彼女は、愛がすべてであり、自分は愛を体験したのだと語る。 ドライヤーは室内劇的な舞台空間を選ぶことで、現実の中にある劇にとって不必要な事物を取り払い、映画空間を必要最低限の空間にまで純化する。登場人物は会話を続けるが、目と目を合わせることはほとんどなく、まさしく俳優が舞台上で観客に対して向かっているように、そのような意味で<演技>をする。登場人物たちの姿勢、身振り、空間内での位置は、あたかも映像による動くレリーフ、もしくは彫刻のような造形感にあふれている。絶え間なく語られる言葉には、現実感や日常性が削がれたような、ひどく人為的な抑揚が込められている。ドライヤーはあらゆる意味で、この映画の演じられ、語られる光景を、演劇的なものにした。映画と演劇の対立、映画史においては映画がいかに演劇的な足枷から逃れられるかが、議論されてきた。ドライヤーは一見、そうした映画史の方向とは反した世界に入って行ったように見える。しかし、「ゲアトルーズ」のこの上ない美しさは、この映画をいかなる大スペクタクル映画以上に密度の濃い、慎ましく、静寂に満ち、それでも大いなる内なる情熱を秘めたものにしている。

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 日本盤DVDインフォメーションはほとんど解説紹介を踏みこえて映画評をやってしまっていますから、おおむねはそちらに譲ります。原作戯曲は1906年の発表(初上演1907年)といいますから、イプセンストリンドベリによる北欧主導の演劇改革が円熟期を過ぎた頃の作品に当たります。北欧映画がサイレント時代の早い時期からリアリズム指向があり、生産力は国勢なりにささやかながらもヨーロッパ映画中でも高い水準を示していたのは近代演劇国としての文化的背景があったためで、サイレント映画がまだイタリアでは史劇、フランスでは活劇中心だった頃にスウェーデンデンマークではリアリズム市民劇が早くも現れ、映画的表現としては象徴主義的手法が折衷されており、そうしたヨーロッパ諸国の映画を総合するようにドイツから誇張の激しい表現主義映画のスタイルが生まれたのが'20年代初頭までのヨーロッパ映画の流れで、ドライヤーの監督デビュー作『裁判長』'19と3年がかりの第2作『サタンの書の数頁』'21は当時の世界映画の最前線のスタイルでもあればデンマーク映画の典型でもあったわけです。'19年はグリフィスが『イントレランス』'16の負債のために画期的な『散り行く花』を含む長編6作を製作・公開した年であり、グリフィス門下生シュトロハイムの監督・主演第1作のアメリカでは異色のリアリズム映画『アルプス颪』も同年で、グリフィスへのフランスからの返答と言うべきアベル・ガンスの大作『戦争と平和(我弾劾せり)』が公開された年でもあり、厳粛な老裁判長が自分の私生児である娘を裁くことになる市民悲劇の小品『裁判長』はいかにも柄は小さいながら沒後の伝記的研究によって、自殺した母の私生児に生まれて孤児として育ったドライヤーの個人的なテーマの託された作品だったのが知られるようになりました。日本でも6年制義務教育の施行が明治40年(1907年)で、大正4年(1915年)にようやく児童の小学校通学が90%に達した(つまり明治31年=1898年以前生まれのほとんどの日本人が小学校過程の義務教育を受けていない)と思うと、1889年生まれの孤児ドライヤーがジャーナリストになり、映画会社に入社するまでの苦学は想像を絶します。ドライヤーの映画が裁判の古文献に基づいた『裁かるゝジャンヌ』、原作小説からは概要を借りただけの『吸血鬼』を数少ない例外として北欧文学の原作小説、戯曲の映画化作品なのは青年時代まで長く続いた勉学の苦学の反映とも思え、ドライヤーにとって血肉となった作品を映画化してきたのがドライヤー作品の主流をなしてきたとも言えそうです。いかにもドイツ的なドイツ映画『ミカエル』'24ですら原作はデンマーク作家の1902年刊の小説であり、『あるじ』'25は1919年の戯曲初演を観劇して以来の企画だったそうですから、監督第7作まで万全な製作環境を待っていたドライヤーの慎重さがわかります。
 ドライヤーは『奇跡』の次作をカラー作品で作りたかったそうで、また『ゲアトルーズ』の企画はフォークナーの『八月の光』か四福音書のキリスト伝と平行して検討され、実現可能なものとして『ゲアトルーズ』をB/Wで先に製作したそうで、『八月の光』とキリスト伝をカラー作品で映画化する企画は先送りになりましたが、本作を遺作として4年後ドライヤーは79歳で逝去しました。長寿でキャリアの長い映画監督ならドライヤー以外にも思い当たりますが、サイレント時代ただ中から75歳まで作品があり、後半生35年の間には『吸血鬼』『怒りの日』『奇跡』と本作の4作しかない、しかもいずれもが10年に1作という名作、とは尋常ではなく、ドライヤー・プロダクションのこの4作はB/Wフィルム時代の映画でも映像の「白さ」で際立っています。カラー映画ではもっとも強い色は黒ですが、B/W映像では白ほど強い色はないので、この「白」は『裁かるゝジャンヌ』のクローズアップ技法に伴って発見され、同作と同じカメラマンのルドルフ・マテが白いガーゼをフィルターにして撮影した『吸血鬼』で積極的な手法になり(同作では吸血鬼の手下は小麦粉に埋もれて死にます)、近世デンマークが舞台の魔女狩り映画『怒りの日』ではコントラストの強い映像で現れますが、ホームドラマ『奇跡』では室内劇的趣向は『怒りの日』と同様ですがこれほど白いB/W映画はちょっとないくらい白く、『吸血鬼』とは違う一見素朴なリアリズム映画なのでその白さに気づくのは映画がしばらく過ぎて、狂人の次男が行方不明になり家族全員で野原に探しに行き、風に揺れる白い草原や晴れた空の白い雲を映すあたりです。室内劇『ゲアトルーズ』の白さはやはり戸外でヒロインが愛人の若いピアニストと密会する場面で背景の白さで気づき、以降は室内場面もほとんどが白いのがわかり、1シーン・1カットも『怒りの日』『奇跡』以上に徹底していてヒロインが過去の婚約者の詩人と再会し、過去の思い出を語り合うシークエンスは10分以上の長いショットが続きます。この映画でヒロインをめぐる男性は大臣職就任を控えた現在の夫、若手ピアニストの愛人、過去の婚約者だった詩人の3人と学生時代からの友人アクセルですが、原作戯曲は不案内ですが約30年後にアクセルと再会して晩年の予感から生涯を回顧し、自分の生涯は愛こそがすべてだったと語るエピローグはドライヤー自身による追加場面で、本作が『怒りの日』のテーマを継承した作品であることを示します。若いピアニストはひどい男で、社交パーティーで上流階級夫人を落としたことを吹聴し、駆け落ちの提案を即座に断るような軽薄な奴だと判明するのですが、もはや夫を愛しておらず若いピアニストへの愛も一方通行だったと知ったヒロインは現在の生活を投げ打ち、旧友アクセルが心理学履修のため留学するパリにともに留学することを決めます。夫からも愛人からも高慢な女と罵られますが、ヒロインにとって純粋に大切だったのは自分自身の愛の感情だったので、過去に婚約者の詩人への愛が消えたのも愛を犠牲としても詩作への精進に覚悟する婚約者の決意を知ったからで、今や功成し遂げた詩人が今では人生に空虚感しか抱いていない、とヒロインに打ち明けてもヒロインは慰めしか与えません。『怒りの日』の田舎牧師未亡人ヒロインは魔女審問に対して悪魔との取引を認めて死を選ぶ、という激越な方法で秩序に抵抗しましたが、『ゲアトルーズ』のブルジョワ女性はブルジョワ上流階級のサークルから決別することで虚偽の愛を拒否するので、人間性の不寛容と罪のテーマは『裁かるゝジャンヌ』から(『吸血鬼』は違いますが)一貫したドライヤー映画のテーマなので、『奇跡』は宗教性、『怒りの日』や『ゲアトルーズ』ではヒロインの頑なさで共感を阻む要素に満ちている、と言えます。しかし映画の真実性ではこれほど徹底したものはないので、この感情移入を拒否した視点人物不在の1シーン・1カット手法の強度は極端に白い色彩設計によってなおのこと厳粛さを増しています。『八月の光』をドライヤーがカラー作品で製作する機会は余命4年では実現できなかったのですが、アメリカ20世紀文学でも難解さ・複雑さ・構想の広大さでは屈指の同原作にはこれまでの10年1作以上のインターヴァルを必要としたに違いなく、未完に終わった企画に『八月の光』、そしてキリスト伝があったというだけでドライヤーは生涯現役意識を持ち続けていた証座になるでしょう。『ゲアトルーズ』のヒロインは嫌な女ですが、徹底した生き方を貫いたヒロインであることは否定できません。この映画はそういうヒロインを描いて完璧な作品です。これはつまり、75歳の遺作にいたってもドライヤーが観客への強烈な挑戦を挑んでいたことの例証に異なりません。