人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ラリー・ヤング Larry Young - ザ・ムーントレーン The Moontrane (Blue Note, 1966)

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ラリー・ヤング Larry Young - ザ・ムーントレーン Moontrane (Woody Shaw) (Blue Note, 1966) : https://youtu.be/LnIWn2kqHsY - 7:21
Recorded at The Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey, November 10, 1965
Released by Blue Note Records BST84221 as the album "Unity", August 1966
[ Personnel ]
Larry Young - Hammond B-3 organ, Woody Shaw - trumpet, Joe Henderson - tenor saxophone, Elvin Jones - drums

 ラリー・ヤングのアルバム『ユニティ』は全6曲の収録曲中書き下ろしのオリジナル曲が4曲、既成曲2曲のカヴァーはスタンダードの「朝日のようにさわやかに」と、ホーンの2人は休んでオルガン(ベース・ペダルによるベース・パート兼務)とドラムスのデュオによるセロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム」で、オリジナル曲はジョー・ヘンダーソンが1曲、ウディ・ショウが3曲を提供しています。ヤングは'60年代にプレスティッジ・レコーズに3作、ブルー・ノート・レコーズに6作のアルバムがあり、'70年代は活動のペースが落ちたとはいえ4作のアルバムがありますが、有名無名曲をカヴァーしたり参加メンバーのオリジナルを採用したりしてもアルバム収録曲の少なくとも半数は自作オリジナル曲を演奏しているので、1曲もヤング自身のオリジナル曲を含まないヤング自身のアルバムは『ユニティ』だけのようで、本作はブルー・ノート側からブルー・ノートの主力グループ、ホレス・シルヴァークインテットの最新のホーン・メンバー2人をフィーチャーしてほしい、という要望があったと思われます。ホーン2人の休んだヤングとエルヴィンのデュオ曲があるのはその埋め合わせとは言いませんが、リーダーのヤングと格上のエルヴィンを立てた曲も入れてバランスを取ったのでしょう。筆者は長いことアルバムのエキゾチックなオープニング曲「ゾルタン(Zoltan)」はヤングのオリジナル曲だとばかり思っていましたが、これもウディ・ショウの提供曲だったと気づいては忘れるのくり返しで、「ゾルタン」は他のヤングのアルバムのヤング自身のオリジナル曲と曲想が似ているから勘違いしていたのですが、ヤングのオリジナル曲を1曲も含まない代わりにショウの提供曲3曲のうちヤングの作風と似ている曲をアルバム冒頭に配置するのはいかにもアルバム作りの小癪なブルー・ノートらしい仕掛けです。
 ヤング、ヘンダーソン、ショウの若手メンバー3人が揃って尊敬していたのがジョン・コルトレーンで、ヤングはプレスティッジ時代のアルバムでコルトレーンに捧げた名曲「トーキン・アバウト・J・C(Talkin' About J.C.)」を書いており、これはブルー・ノートに移籍して真っ先に起用されたギタリストのグラント・グリーンのアルバム『Talkin' About』'65で再録音されました。『Talkin' About』のドラムスは当時グリーンも心酔していたジョン・コルトレーン・カルテットの重鎮ドラマー、エルヴィン・ジョーンズだったのでエルヴィンも気を好くし、グリーン、ヤング、エルヴィンの3人は4枚のアルバムで共演します。グリーンは以降もエルヴィンと共演しますが、『ユニティ』はヤングがエルヴィンと共演した5枚目にして最後のアルバムになり、今回はオルガン・ジャズには珍しいギター抜きの2ホーン・カルテットのアルバムになりました。ヘンダーソンは当時コルトレーン派の新進テナーと目されていましたし、ショウはコルトレーンとの共演はありませんがコルトレーンのバンドがクインテットだった頃のメンバーでコルトレーンの親友エリック・ドルフィーの流動的なバンドのメンバーで、ドルフィーのアルバムへの参加がレコーディング・デビューでした。ブルー・ノートではホレス・シルヴァークインテットで組むことになったヘンダーソンとショウですが、ショウは作曲の才はヘンダーソン以上にあり、この「ザ・ムーントレーン」はMoontraneでありMoontrainではないように、コルトレーンをイメージして書かれた曲です。いかにも新世代ハード・バップといった曲想の溌剌とした曲で、'65年のコルトレーンはすでにフリー・ジャズへの傾倒を明らかにしていた時期ですが、'65年時点で発売されていたコルトレーンのアルバムはまだ前年の'64年録音のもので、エルヴィン・ジョーンズコルトレーンのパートナーシップがまだ円滑に働いていた頃のものでした。翌'66年以降に発売される'65年録音のコルトレーンのアルバムははっきりと従来型のジャズを解体しようという意図が現れているので、エルヴィン・ジョーンズとしては'64年までのコルトレーン・カルテットに憧れている若手メンバー3人との本作の録音は内心複雑なものがあったかもしれず、本作の1か月前に録音されたコルトレーンの新作『Om』はホーン奏者3人を増員して経文から始まる30分1曲の集団即興演奏の完全なフリー・ジャズ作品でしたし、本作の2週間後に録音されるアルバム『Meditations』はフリー・ジャズの若手テナー奏者と、さらにエルヴィン以外にもう一人フリー・ジャズの若手ドラマーが起用された2テナー・2ドラムス・セクステットになり、そのレコーディングの後で'60年以来のカルテットのピアニストのマッコイ・タイナーが脱退、後任ピアニストにコルトレーンの妻アリスが参加、マッコイと同期でカルテットの重鎮だったエルヴィンもついに'66年2月にはコルトレーンのバンドを辞めてしまいます。『ユニティ』の発売はその後になりました。コルトレーンの急逝は'67年7月でした。「ザ・ムーントレーン」は月蝕に入ったのです