人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年10月1日~3日/アメリカ古典モンスター映画を観る(1)

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 今回からは9月に観た『フランス映画パーフェクトコレクション』同様、コスミック出版からの書籍扱いDVDボックスセット3組でアメリカの古典モンスター映画を観て感想文を書いていきたいと思います。基本的には10枚組で1セット1,500円~1,980円の廉価版リリースを10年来続けているコスミック出版のボックスセットは西部劇、戦争映画からミュージカル映画、史劇映画、海賊映画、冒険映画のパブリック・ドメイン作品を大量にリリースしてきて、価格の安さだけでなく絶妙な作品選択、稀少作品のさりげない収録(日本未公開・日本初DVD化、世界初DVD化多数も含む)と見逃せないシリーズですが、アメリカ古典モンスター映画のボックス・セットも3組発売しており、ユニヴァーサル・ホラー作品(完全ではありませんが)中心(『ゾンビの世界』では崩れますが)に編んだ『フランケンシュタインvs狼男』(9枚組)を皮切りに『ドラキュラvsミイラ男』(10枚組)をリリースし、最新の第3集はマイナー作品を多く収録した『ゾンビの世界』(10枚組)で、発売時に観直す作品、初見作品ともともども1作1作楽しみましたが、せっかく3セット揃ったので10月はアメリカ古典モンスター映画一気見をして楽しむことにしました。年代的には『フランス映画パーフェクトコレクション』と同時期の'30年代~'40年代映画ですが、映画の鋭さ、仕上がりではこれらのアメリカ大衆映画は芸術的フランス映画より一枚上手の観すらあり、それが戦前日本では「アメリカ製お化け映画」程度の扱い立ったのに今日のアメリカでは重要な文化遺産として高く評価されているのは皮肉でもあります。コスミック出版からのアメリカ古典モンスター映画のボックスセットは現在まで以下の3集がリリースされています。
『ホラー映画傑作集~フランケンシュタインvs狼男』2014年8月12日刊(9枚組)収録作品・1. フランケンシュタイン('31)、2. フランケンシュタインの花嫁('35)、3. フランケンシュタインの復活('39)、4. フランケンシュタインの幽霊('42)、5. フランケンシュタインと狼男('43)、6. フランケンシュタインの館('44)、7. 倫敦の人狼('35)、8. 狼男('41)、9. 謎の狼女('46)
『ホラー映画傑作集~ドラキュラvsミイラ男』2015年3月2日刊(10枚組)収録作品・1. 魔人ドラキュラ('31)、2. 女ドラキュラ('36)、3. 夜の悪魔('43)、4. ドラキュラとせむし女('45)、5. 吸血鬼蘇る('43)、6. ミイラ再生('32)、7. ミイラの復活('40)、8. ミイラの墓場('42)、9. 執念のミイラ('44)、10. ミイラの呪い('44)
『ホラー映画パーフェクトコレクション~ゾンビの世界』2017年6月23日刊(10枚組)収録作品・1. ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド('68)、2. 私はゾンビと歩いた!('43)、3. ゴースト・ブレーカーズ('40)、4. 歩く死骸('36)、5. 恐怖城('32)、6. 月光石('33)、7. ブードゥーマン('44)、8. 死霊が漂う孤島('41)、9. ブロードウェイのゾンビ('45)、10. ゾンビの反乱('36)
 ここではリリース順に『フランケンシュタインvs狼男』『ドラキュラ対ミイラ男』『ゾンビの世界』を観ていきますが、作品の成立背景、製作プロダクションからボックスセットの収録順とは多少順番を組み替えて観直すことにしました。――なお今回も作品解説文はボックス・セットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、アメリカ本国公開年月日を添えました。

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●10月1日(月)
フランケンシュタイン』Frankenstein (Universal Pictures'31)*70min, B/W; アメリカ公開'31年11月21日
監督 : ジェームズ・ホエール
主演 : コリン・クライヴ、メイ・クラーク、ボリス・カーロフ
・永遠の命を探求する科学者フランケンシュタイン。博士は取り寄せた死体を組み合わせ、ひとりの怪人を作り上げ、ある晩雷の力で命を与えることに成功するが……。ホラー映画の原点ともいうべき名作。

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 アメリカ国立フィルム登録簿第3回('91年度)登録作品。この文化財保存法は'89年に第1回が施行され、毎年25本ずつ発表10年以上経過した「芸術的、文化的、歴史的価値の高い」アメリカの映像作品を古典として国立図書館に永久保存していく法律ですから、第3回までには'81年までのアメリカ映画(映像作品全般)から75作が選ばれているので、本作『フランケンシュタイン』はアメリカ映画のベスト51位~75位圏にランクされる作品とたいへん高い認定がされた映画になります。この第3回には『キング・コング』'33も入っていますし、第1回には『オズの魔法使』'39や『博士の異常な愛情』'64、『スター・ウォーズ』'78、第3回に『2001年宇宙の旅』'68が入っていますが、怪奇/ファンタジー/SF系の作品はベスト100に到達する第4回の25本には1作もないので(アニメは第1回の『白雪姫』'37、第2回の『ファンタジア』'40の2本)、『フランケンシュタイン』と『キング・コング』がアメリカ映画を代表する古典モンスター映画とされているのはなかなかよくできた選考です。もちろんモンスター映画は通俗娯楽映画の典型的なジャンルですし、戦前の日本では『フランケンシュタイン』は「アメリカ製お化け映画」(田中純一郎『日本映画発達史』)という扱いでした(『キング・コング』は日本でも大ヒットしましたが)。しかしアメリカ映画の中に占めるモンスター映画の割合や歴史的重要性は無視できないので、トップ50までは入らなかったが次に25作を選ぶとこの2作は看過できないということになったのだと思います。この2作は純然たるモンスター映画ではあるけれど際物性や過剰な扇情性は稀薄で、神秘性や鮮烈なイメージを呼びさます神話性があり、痛切な悲劇性にあふれて格調の高さも抜きん出ており、同登録簿も回数を重ねるともっとベタなモンスター映画も選出するようになりますが、ベスト100までの段階で「芸術的、文化的、歴史的価値の高い」モンスター映画は本作と『キング・コング』になる、というアメリカ本国での評価はおそらく今日でも変わりないでしょう。キング・コングが摩天楼の天辺でフェイ・レイをつかんで戦闘機の攻撃に応戦するシーンは映画の神話的映像ですが、『フランケンシュタイン』でも少女と湖畔で相対するモンスターという映画50分目の決定的場面(この場面のスチール写真をLPジャケットにしたイタリアのレコードもあります)があり、題材的にも『キング・コング』は『ロスト・ワールド』'25からの発展なので『フランケンシュタイン』を意識していたとは思えませんが、三角形の構図(『キング・コング』では逆三角)、純真な女性と怪物(怪物の大きさに比例して、幼女と成人女性の違いはありますが)と決定的場面の類似は目立つので、モンスター自身が積極的な加害者ではなく無垢な被害者として悲劇を迎えるのも共通しています。また人工生命の怪物を作り出したり秘境の巨大動物を運んできたりするのは人間の浅慮と欲の浅ましさを描いてもいるので、ドラキュラや狼男、ゾンビなどではこうはいきませんし、透明人間やミイラ男ではトリッキーだったりグロテスクすぎます。もっとも本作はサイレント映画のプロローグ字幕代わりにスクリーン前の解説者が「これからお送りするのは前代未聞のショッキングなお話なので、プロデューサーに代わって一言お断りしておきます」と警告の前説から始まりますが、これはトーキー初期の怪奇映画の常套手段ですから見世物小屋の呼び込みみたいなものです。
 本作くらいの著名作ともなるとあらすじを記すまでもなく、詳しい紹介がすぐサイト上で読むことができますが、製作費26万2,000ドル、興行収入1,200万ドルというのはとんでもない超特大ヒットで、前年'30年の時点でアメリカ映画歴代ヒット作の第1位がトーキー初期のミュージカル映画の趣向でヒットした興行収入500万ドルの『シンギング・フール』'28で、のち製作費400万ドルの『風と共に去りぬ』'39がロング・ヒットして戦後の'46年の時点で興行収入2,000万ドルですから、通常プロダクション規模で製作された本作がいかに異例の大ヒットだったかがうかがえます。ユニヴァーサル社はかつてロン・チェイニー主演の製作費125万ドルの大作『ノートルダムの傴僂男』'23で興行収入350万ドルの特大ヒットを出し、同作のヒットがユニヴァーサル社の怪奇映画路線を開くことになり、トーキー時代に入ってチェイニー映画の監督トッド・ブラウニングによる『魔人ドラキュラ』の企画を立ちましたが主演予定だったチェイニーの急逝のため舞台劇でドラキュラを演じていたベラ・ルゴシを起用し、'31年2月公開の同作は大ヒット作品になりました。トーキー時代の本格的なユニヴァーサル社のホラー映画は同作が始まりで、本作はその2弾企画にして『魔人ドラキュラ』をしのぐヒット作となったのです。本作はブラム・ストーカー原作の『ドラキュラ』1897による『魔人ドラキュラ』同様ロマン派詩人シェリーの夫人メアリー・シェリー(1897-1951)のゴシック小説の古典(1818年刊)の映画化という文芸映画的側面もあり、時代設定は少し前の現代ですが舞台設定はイギリス貴族を主要人物にした東欧某国の田舎の村ヴァサリアで、アメリカ映画では外国を舞台にするのはよくある設定ですが、その加減もリアリズム映画からうまく距離をとっています。映画はつい2、3年前までサイレントでしたから'30年代初頭のサウンド・トーキー映画は音の処理が不自然なものが多いのですが、本作はその点でも成功していて、とってつけたような歌の場面がないのはもちろん音楽もSEも最小限に抑えているのが映画を古びさせておらず、構図やカット割りも安定してむしろ静謐なほどで、室内セットではゆったりした左右のパン(柱や台をまたぎます)、屋外セットではゆったりしたドリー撮影がありますが、実験室内の長いショット、村祭りや村の群集を分けて娘の遺体を抱いて歩いてくる父親をとらえた長いショットなど映像はドキュメンタリー的なリアリティがあるのが見所です。夜景に怪物が逃げ込んだ風車小屋が、殺到した暴徒たちが放ったたいまつが投げ込まれて炎上するクライマックスも、実物大セットと遠景のミニチュア撮影の切り替えの区別がつかない巧妙なモンタージュで、風車小屋内で炎に包まれる怪物の側と暴徒化した村人側の両方から描いており、夜景に燃え上がり崩れ落ちる丘の上の風車小屋のショットもサイレント時代には似た前例がありますが(ラオール・ウォルシュの『リゼネレーション』'16の夜の船上パーティー中に燃え上がる遊覧船など)、トーキー映画のリアリティの質感ではこの映像のインパクトはより強烈なので、怪物の造型始め本作は一見しただけで忘れられないイメージに満ちた映画です。本作へのオマージュになっているスペイン映画『ミツバチのささやき』'73という名作もありました。怪物の登場は映画開始からちょうど30分なのもこの時代の映画ならではのペース配分で、意味ありげな映画の下げは本作で物語は完結したとも、そうではないとも取れるようになっており、後者の解釈を取って続編が製作されますが、第1作だけあって本作は単独作品としての完成度が非常に高く完璧な仕上がりと言っていい映画です。続編製作まで4年を置いたのはさすがに本作ほどの作品には納得のいく続編のアイディアがすぐには出なかったということでしょう。

(Front Cover of LP "AREA/Event '76", Cramps CRSLP 5107, 1977)

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●10月2日(火)
フランケンシュタインの花嫁』Bride of Frankenstein (Universal Pictures'35)*75min, B/W; アメリカ公開'35年4月19日
監督 : ジェームズ・ホエール
主演 : コリン・クライヴ、ボリス・カーロフ、アーネスト・セジガー
・前作「フランケンシュタイン」で風車小屋で焼死したはずの怪人は、地下道で生きていた。科学者プレトリウスは、怪人に花嫁を与えるために、ふたたびフランケンシュタイン博士を巻き込んでいく……。

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 前作は科学者フランケンシュタイン博士の結婚式の日がクライマックスになっていましたが、本作のタイトルの花嫁はずばり怪物の方に人造人間の女を作って花嫁にして生殖させようというとんでもないアイディアで、一応本作までは「メアリー・シェリー原作」と名銘っていますが原作から設定を現代化した前作と違ってキャラクターだけ借りた完全オリジナル脚本と言ってよく、その辺をつなげるために映画冒頭に嵐の晩に居間でくつろぐシェリー夫妻と親友バイロンシェリー夫人の『フランケンシュタイン』について語りあい、メアリー・シェリーが「実はあの話には続きがあるの」と言うのが前置きになっています。本作は映画版『フランケンシュタイン』を受けた(プロデューサー、監督、主要キャストも共通)前後編の後編に上手く作ってあり、以降『フランケンシュタインの復活』'39と『フランケンシュタインの幽霊』'42、『狼男』'41と合流シリーズにした『フランケンシュタインと狼男』'43と『フランケンシュタインの館』'44という具合にシリーズ全体の設定を踏まえながらも2作単位で前後編をなすように続編が作られました(実際には『~の復活(原題『フランケンシュタインの息子』)』で三部作にしたとも見なせますが、『~の復活』を受け継いで完結させた『~の幽霊』が作られ、さらに狼男とのクロスオーヴァー版でリニューアルされた案配です)。物語本編は前作の終わりの風車小屋焼き討ちからすぐに続き、犠牲者となった少女の両親が村人が引き上げた後の焼け跡で「骨まで焼けたか確かめないと気がすまねえ」と父親が降りていったところ風車小屋の地下水路から生きていた怪物が出てきて溺死させられる。上がってきた手をつかんだ母親は怪物の手だったので悲鳴を上げ、そのまま地下水路に投げ込まれます。今回の怪物は焼き殺されそうになった直後なので非常に攻撃的です。フランケンシュタイン男爵家の女中頭が村にさまよい出てきた怪物を目撃し、最初は誰もが疑いますがついに犠牲者が出て、村を上げて山狩りになります。怪物は銃撃に応戦しながら村はずれに来て、近くの小屋から流れるヴァイオリンの音色に聴き惚れます。怪物は窓辺に寄り、小屋の中でヴァイオリンを弾いていた老人は気配で気づいて、どうぞお入り、と怪物を招き入れます。老人は盲目で長い間村はずれにひとり暮らししており、口がきけないのかね、と怪物をいたわって怪我の手当てをし、神が友を与えてくださった、と怪物を同居させ、怪物は老人からかたこと程度の会話を学びます。一方、フランケンシュタイン博士のもとにプレトリウス博士と名乗る科学者が訪れ、プレトリウス博士も独自の方法で人造人間を作る研究を進めていること、おたがいの成果は不完全だから共同で研究を実現しないか協力を求められます。そして再び捕らえられ、獄中で拘束されるも鎖を引きちぎって脱走中にプレトリウス博士に保護された怪物は、プレトリウス博士とフランケンシュタイン博士が共同で作り上げた「花嫁」と対面しますが……。
 ――アイディアは面白く、前作の直後から始まるのも大胆で良いのですが、さすがに全編が緊密な仕上がりだった前作と較べると構成の緩み、展開の中弛みや不均衡が散見するのは、本来のテーマ(禁断の実験、怪物の悲哀)にさらに新たなテーマを加えて複雑化した以上仕方ない破綻でしょう。面白いのはヒッチコックがセルズニック・プロ時代にユニヴァーサル社に貸し出されて作った『逃走迷路』'42に、冤罪で指名手配中の主人公が山奥の一軒家でひとり暮らしの盲目の老紳士に匿われる場面が本作に由来すると思われることで、それを言えば実験中・手術中の研究室や手術室は意図的に斜めに傾いた構図で映され、研究一段落や手術終了後は構図が水平に戻るのも同じ監督ながら前作にはなかった趣向で、カメラマンは前作と本作は別ですがこの構図はカメラマンの交替によるものよりも演出による指定でしょう。この斜めの構図もヒッチコックより先とも、サイレント時代にはOKだったのがトーキーでは一旦NG(不自然)だったのがまた蘇ってきたとも言えるものです。結末はまた派手にやってくれるもので、本作はフランケンシュタイン博士どころではないマッド・サイエンティストのプレトリウス博士(このマッドな博士が「種から作った」人造人間たちをフランケンシュタイン博士に披露するのも見せ場になっています)の方が話の主役になっているのも面白さとテーマの分裂の両方を招いていますが、この奇天烈度(ついに姿を現した「フランケンシュタインの花嫁」の容姿もお笑い一歩手前です)からすれば結末もこのくらい派手で釣り合いがとれた具合でしょう。芸術性の高い前作からぐっと大衆的怪奇映画に近づいた本作も第10回('98年度)のアメリカ国立フィルム登録簿登録作品になりました。第10回までで同登録簿の登録作品は250本ですから、'88年までの膨大なアメリカ映画中『フランケンシュタイン』と『フランケンシュタインの花嫁』の2作がアメリカ映画ベスト250入りしたのはちょっとしたものです。『~の花嫁』の方も良いところがあるとはいえ映画としての品格は比較にならないのですが、明快なモンスター映画らしさの好作ではありますし、先に「派手」とだけ触れた結末はB級ギャング映画またはフィルム・ノワール的に派手かつ科学的に派手なのでモンスター映画に科学的に派手さがあるのは泥くさい土着的モンスターの映画が多かった中、先駆的でもあり、盲目の老人から言葉を教わった伏線が結末で生かされているあたりもなかなかです。初見ならもちろん観直しても思い切ったエンディングだなと観客の気分を呆気に取らせる爆発力があり、怪物が鎖を引きちぎって脱獄してくるのはいいが手錠はどうやって外したなどと細かい疑問も野暮だという気がします。本作を観るとやれやれこれで本当の終わりか、『フランケンシュタイン』前後編観たなあ、という気分がするのですが、続編も好評なら当然次作も作られるのでした。

●10月3日(水)
フランケンシュタインの復活』Son of Frankenstein (Universal Pictures'39)*99min, B/W; アメリカ公開'39年1月13日
監督 : ローランド・V・リー
主演 : ベイジル・ラズボーン、ボリス・カーロフベラ・ルゴシ
フランケンシュタイン博士の息子が亡き父の城に戻る。彼は父親の手紙を発見し、廃墟に眠っていた怪人を再生してしまうが……。怪奇映画には欠かせないB・ルゴシも競演した「フランケンシュタインの花嫁」の続編。

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 花嫁の次はとユニヴァーサル社もよく考えたもので、本作の原題は「フランケンシュタインの息子(Son of Frankenstein)」で今回は父ヘンリー・フランケンシュタイン博士が亡くなって領地と城を相続にやって来たウォルフ・フォン・フランケンシュタイン博士が主人公です。シャーロック・ホームズ映画でホームズ役が当たり役のベイジル・ラズボーンが息子フランケンシュタイン博士なのも後生には受ける要素になっていて、映画は村議会でフランケンシュタイン博士の息子がやってくるぞ、領地の御曹司だから歓迎せねばならんところだが村ではフランケンシュタイン家への憎悪が強いからなあ、ともめています。続いて列車の車中。息子フランケンシュタイン博士とその妻、幼い息子が乗っていますが、妻は陰気な気候な所ね、と早くも嫌な予感を募らせ、落ち着いていいじゃないか、かえって気晴らしになるさとフランケンシュタイン博士。父の研究は素晴らしいものだったが助手の失敗で無残な失敗に終わり、怪物を生んでしまった、その怪物ももう生きてはいないが、世間じゃ今では10人中9人がフランケンシュタインとは父の名ではなく怪物の名前だと思っている、と主人公がぼやいていると、車掌の声が「フランケンシュタイン!」と告げます。降りると「フランケンシュタイン」駅。村人たちがあの事件以来この村への観光客もさっぱりだ、フランケンシュタイン家のせいだ、んだんだとブーブー言いながらフランケンシュタイン一家を待ち受けています。さすがに気圧される主人公。村長が近づいて握手を拒み、ご子息一家に罪はないが村民感情がこれでね、なるべく外出なさらんように、ちなみに今は城は荒れ放題でイーゴリという奴が住みついておるようです、と告げます。そのイーゴリは『魔人ドラキュラ』'31のドラキュラ役者ベラ・ルゴシが演じており、絞首刑になって首の骨を折り死亡宣告を受けたが蘇生してしまい、刑法上2度死刑にはできないので村の嫌われ者になりながら生きている、という怪人です。このイーゴリが『~の花嫁』のラストの跡地で埋まっていた怪物を見つけ、城に連れ帰ってフランケンシュタイン博士に父の研究を確かめたくないのか、と迫り、博士は父の残した研究記録を頼りにフランケンシュタインを蘇生させてしまうが……という話です。いわば父ヘンリー・フランケンシュタイン博士の代の『フランケンシュタイン』『~の花嫁』に対するメタ映画、セルフ・パロディ的な味があり、メル・ブルックスの『ヤング・フランケンシュタイン』'74がフランケンシュタイン映画シリーズとユニヴァーサル・ホラー全般へのパロディながら大枠はこの(原題)「フランケンシュタインの息子」から取っているのはフランケンシュタインの怪物再生のアイディア自体がパロディ的だからです(ちなみにパロディ作品『ヤング・フランケンシュタイン』も2003年度アメリカ国立フィルム登録簿の登録作品になりました)。
 ――ユニヴァーサル社のフランケンシュタイン映画は8作が作られましたが、後半4作は『~と狼男』'43、その続編で狼男ばかりかドラキュラ、せむし男も加わる『フランケンシュタインの墓場』'44、ドラキュラがメインの『ドラキュラとせむし女』'、喜劇コンビのアボットコステロ主演のパロディ作『凸凹フランケンシュタインの巻』'48ですし、本作の続編でベラ・ルゴシのイーゴリが主人公といえる『フランケンシュタインの幽霊』'42では本作で死んだはずの怪物(人間の100倍寿命があり、血圧が上300に下が200、脈拍毎分150だそうです)がまたまた実は、という話ですが怪物役はボリス・カーロフではなくなります。イーゴリと怪物の連作としては『~の復活(~の息子)』と『~の幽霊』はつながっていますが、本作の終わり方は第1作、『~の花嫁』、『~の復活(~の息子)』の三部作の方がすっきりしたのではないかとも思え(今回こそは絶対死んだだろうという最期ですし)、それでカーロフも次作は出演しなかったのではないかと推察されます。次作『フランケンシュタインの幽霊』もルゴシの怪演と、今度は怪物を蘇生させに初代フランケンシュタイン博士の次男、つまり本作の主人公の弟(やはり科学者)を訪ねる話で初代フランケンシュタイン博士の幽霊が出てくる(!)けっこう面白い作品で、『~の復活』『~の幽霊』はイーゴリ連作でもあれば2作まとめて「(初代)フランケンシュタイン(博士)の息子たち」でもあるので、プレトリウス博士も『フランケンシュタインの花嫁』1作きりの強烈キャラクターだったのに怪人イーゴリで2作とは少々くどい気がしますが、この頃にはベラ・ルゴシの主演企画が減ってきたので『魔人ドラキュラ』の功労者ルゴシにフランケンシュタインものの狂言回し役でも主演作品を振ろう、ということだったのでしょう。『~の復活』『~の幽霊』のイーゴリ連作、『フランケンシュタインと狼男』『フランケンシュタインの墓場』の怪物対狼男連作は観てしばらくするとイーゴリもの2作、狼男もの2作の区別がつかなくなるのに難がありますが、一旦『フランケンシュタインの復活』までを三部作とすればまず上乗で、本作冒頭でも主人公がぼやいている通りこの辺りから作中でも怪物自体を指してフランケンシュタインと呼ぶようになってきたのです。