人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年12月28日・29日/1918年度のチャップリン映画

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 あらためましてあけましておめでとうございます。新年最初の映画日記は昨年の終わりにチャップリン初期短編の締めくくりとして観直したファースト・ナショナル社移籍の年、'18年の中編2作で、移籍第1作の中編「犬の生活」と同年の次の中編「担え銃」の間にチャップリンアメリカの国務省の依頼で第1次世界大戦(アメリカは'17年4月から参戦)銃後の国債購入奨励宣伝映画「国債(Bond)」'18.Oct.4を製作、PR映画としてアメリカ全土の映画館でニュース映画と並んで番組の入れ替え時の中入り映画として公開されており、チャップリンらしい機知に富んだ連作コント形式で国債を買って第1次世界大戦の勝利に貢献しよう、という内容の小品短編ですが、これは「担え銃」の参考作として資料的価値があってもチャップリン自身の自発的作品とは言えないので、チャップリンの遺族が著作権を管理しているファースト・ナショナル社以降の作品でも正規盤DVDではファースト・ナショナル社時代の中短編集の特典映像扱いになっています。「犬の生活」と「担え銃」はチャップリン全作品中でもこれ以降続く金字塔的作品群の最初に位置する名作で、「犬の生活」「担え銃」に長編『偽牧師』'23を併せたチャップリン自身によるオムニバス映画『チャップリン・レビュー』'59でチャップリン自身による解説ナレーション、チャップリン作曲の音楽、特典映像つきで決定版が作られており、『チャップリン・レビュー』はテレビ放映頻度も高く作品単位の放映も多かったので、サイレント時代のチャップリンの初期作品というと後追い世代には先立つキーストン社時代、エッサネイ社時代、ミューチュアル社時代の短編よりも『チャップリン・レビュー』の3作から入った、というのがテレビ普及以降の世代では大半なのではないかと思います。長編『偽牧師』(もちろん大傑作)はさておき、'18年の中編2作は「犬の生活」で放浪紳士キャラクターのチャップリンのイメージを総合・刷新し、「担え銃」で戦争という最大の題材を対象にその悲惨と滑稽を笑いのめした風刺作品系列の集大成かつ最新版で、これまでの2巻もの短編から1巻増えた3巻の中編ながら悠に長編映画規模のスケールと、チャップリン自身の築いてきた水準すら凌駕する圧倒的な密度、ギャグの洪水、その質の高さ、面白さで「犬の生活」「担え銃」以前と以後のチャップリンのキャリアは分かれる、とすら目せます。ミューチュアル社時代までのチャップリンはさまざまな模倣者(フォロワー)を生み、短編喜劇映画の世界への直接的かつ絶大な影響を与えてきましたが、「犬の生活」「担え銃」以降チャップリン作品は模倣も影響も不可能な領域に進んだと言え、この2作からチャップリンは喜劇映画と主流(ドラマ)映画の両面で追従を許さない存在になりました。映画史上でも1918年時点で「犬の生活」「担え銃」を抜く完成度のものはなく、先駆者グリフィスの壮大な挑戦と成果を持ってしてもチャップリンのようなスマートな完成に達したものではなかったのを思えば、翌'19年にアメリカを始め各国で画期的な完成度を誇る映画が作られ始めた、その突破口にチャップリン作品の位置があったと言えるのです。
 筆者自身もおそらくくり返し観た回数がもっとも多い映画は「犬の生活」で、『チャップリン・レビュー』の巻頭作品だったからというのもありますが、何より映画自体の魅力がずば抜けている。チャップリン映画の人気投票をすると長編『キッド』'21や『黄金狂時代』'25、それこそ全長編に票が割れると思いますが、チャップリンの映画キャリアの真の分水嶺になったのはささやかな、しかし巨大な中編「犬の生活」でしょう。もし「犬の生活」がチャップリンのキャリアになかったら、と思うとチャップリン映画自体を見失ってしまうような作品だからこそ、「ささやかな、しかし巨大な」と矛盾した形容が該当するのが「犬の生活」で、それに較べれば以降のチャップリンの金字塔的作品群でさえ全作品中での比重は軽いとすら言え、前回ミューチュアル社時代のチャップリン作品をチャップリンのキャリアの中でその精製と凝縮を砂時計の漏斗部分に喩えましたが、そこから最初に落ちてきたのが「犬の生活」、次いで「担え銃」なのです。この2中編がチャップリンの全作品の重量を支える特別な地位にあるとするゆえんです。

●12月28日(金)
「犬の生活」Dog's Life (First National, '18.Apr.14)*33min, B/W, Silent : https://youtu.be/GmheyLNKYCU

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 初期短編時代のチャップリン作品はまだキネマ旬報創刊(大正8年=1919年7月)前でもあり、キネマ旬報誌も網羅的に公開映画のデータを掲載する(近年ついに廃止してしまったようですが)になったのは大正13年('24年、外国映画のみ)~大正15年('26年/この年より外国・日本の両部門)に年間公開映画のベストテンを選出するようになってからのようです。幸いチャップリン短編は再映の機会もあり、ファースト・ナショナル社時代以降の作品は何度となくリヴァイヴァル上映されているので、解説があるかと思いきや『チャップリン・レビュー』として再公開された時の短い紹介しかありませんでした。これだったら、英語版ウィキペディアからの抄訳に負うところの多い日本語版ウィキペディアの紹介の方が丁寧で適切です。
[ 作品概要 ] 一連のチャップリン映画の中でターニングポイントに位置する作品であり、チャップリンの「放浪者」、いわゆる「チャーリー」のキャラクターが完全に確立された作品とみなされている。また、異父兄のシドニーチャップリンともこの作品で共演したが、映画で兄弟が共演するのはこれが最初だった。一方で不幸な事件(宣伝のためのスタジオ公開時、他社から企画がスパイされ問題になる)により、チャップリンが亡くなるまで維持された秘密主義が確立されたきっかけとなった作品でもある。タイトルの「A Dog's Life」は、「惨めな生活」を意味する英語の慣用句でもある。
[ あらすじ ] 放浪者(チャップリン)は職を得るために職業安定所に行くが、失業者仲間との争いに負けて職を得られなかった。その帰途、野良犬の群れにいじめられている一匹の犬を助け、「スクラップス」と名付け一緒に生活する。路地の屋台で盗み食いをしつつ生活を共にし、お金を持たず入った酒場で歌手(エドナ・パーヴァイアンス)と出会うが店を追い出される。その後、強盗(アルバート・オースティン)が紳士から盗んで埋めた財布をスクラップスが掘り当て大金を手にし、再び酒場へ。一度は財布を強盗に奪われるが二人羽織の策で取り戻し、歌手と犬と共に田舎で幸せに暮らすのだった。
 ――おおむねこれで間違いはないのですが、観始めてすぐに気づくのはこれまでの短編よりぐっと落ちついた映像ながら、テンポが速く、ギャグの豊富さギャグ自体が完結しているのではなく展開と密接に結びついているので加速感がすごいことで、ギャグも人目を避けての蹴りあいのような単純なものは排除されギャグ一つ一つが次のギャグに展開・拡大し一つのシークエンスを形成する、そのシークエンスが次のシークエンスに継承・発展すると、トータルなドラマ構成が「犬の生活」全編をまとめ上げている中に無数のギャグがドラマの進行上不可欠なものとして満載され、それらのギャグは無職の浮浪者チャップリンの生きるための戦いであり(シドニーチャップリンのソーセージ屋台からソーセージを盗む、トム・ウィルソンの警官を出し抜く、ヘンリー・バーグマンらと競ってチャールズ・ライズナーらが職員の職業斡旋所で職を獲ようと奮闘する)、わびしい生活の中で見つけてゆく生活の喜び(雑種犬スクラップスとの出会い、売れずに馘首される新人歌手パーヴィアンスとの出会い)であり、犬のスクラップス(チャップリンが名づける以前に、字幕で「純血の雑種犬――スクラップス」と紹介されます)が掘り当てた大金の入った財布をめぐるスリの男二人組(オースティンとバド・ジャミソン)との財布をめぐる、パーヴィアンスと愛犬との将来をかけた闘争です。この大金の入った財布はもともとオースティンが金持ちから盗んで路地端に埋めていたので、チャップリンが手に入れたのは盗品であり愛犬が掘り当てたといっても遺失物なのですから、これをスリのオースティンとジャミソンの二人組に奪い返され再び奪い返すのも泥棒からなら強奪していい理屈になり、チャップリンもオースティンらと50歩百歩の立場なのですが、この映画のチャップリンはミューチュアル社時代までの姑息で狡猾な面も強いアナーキックな放浪者ではなく、働きたくても職がない社会の犠牲者として描かれています。だからスリが金持ちから盗んだ大金入り(結末でチャップリンとパーヴィアンスは田舎に農地を持ち所帯を構え、愛犬スクラップスは仔犬の母親になります)の財布をチャップリンが偶然手に入れ、泥棒から奪い返すのは宝くじにあたったようなものであれば、観客もそれを受け入れて観るので、社会の不公平の是正として自然に描かれることになります。ため息が出るほど美しい本作は世界初のチャップリン論('20年刊)の著者ルイ・デュリックが「映画史上初のトータルな芸術作品」と感嘆かつ絶讃し、おそらく翌'19年にグリフィスの『散り行く花』を含む小品長編6連作、シュトロハイムの『アルプス颪』に始まるアメリカ映画の格段な向上、ガンスの『戦争と平和(戦渦の呪い)』'19を始めとするフランス映画の刷新と興隆、カール・Th・ドライヤーの監督デビューと北欧映画の円熟への注目、フリッツ・ラングF・W・ムルナウの監督デビューに象徴されるドイツ映画の革新が始まるのもチャップリンの「犬の生活」「担え銃」が突端を開いたと思われるのです。
 また「犬の生活」はチャップリンとパーヴィアンス、愛犬との純粋な愛の映画としても際立っており、『キッド』ではすでに残酷な現実原則に引き裂かれる愛が描かれており、パーヴィアンス引退後の『黄金狂時代』や『サーカス』'27、『街の灯』'31から『ライムライト』'52でも同様で(例外的に『モダン・タイムス』'36がありますが、これは純粋な愛は人間性の喪失から対比的に描かれています)、唯一無邪気な愛の映画は晩年の余技的な遺作『伯爵夫人』'66きりとも言えるので、しかも『伯爵夫人』はチャップリン自身は監督・脚本に徹し、ソフィア・ローレンマーロン・ブランドカップルを描いたコメディ作品です。自分自身が出演しなくなった時ようやく「犬の生活」の無邪気さ、しかし描けるものは富裕階級の遊興譚になっていたというのも皮肉な話です。「犬の生活」の主役というべきスクラップス役の雑種犬マットはあまりにチャップリンになついたため、撮影終了後多忙なチャップリンから引き離されてノイローゼから絶食状態に陥り、翌月息を引き取ったそうで、昨2018年は「犬の生活」公開100周年であるとともにスクラップス逝去100周年でもあります。『チャップリン・レビュー』版でチャップリンが作曲しサウンドトラックにつけた音楽も素晴らしいもので、ミューチュアル社時代の短編の版権は'32年にRKO映画社に売却しても「犬の生活」以降のファースト・ナショナル社時代以降の作品の版権は手放さず、没後にも遺族に託したのは、本作からこそが自分の真の作品という自負があったからに違いありません。

●12月29日(土)
「担え銃(爆笑突撃隊、チャップリンの兵隊さん)」Shoulder Arms (First National, '18.Oct.20)*44min, B/W, Silent : https://youtu.be/cTc3iqKV2SM : https://youtu.be/aWrDsQMnnaU

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 戦争の悲惨と滑稽を描いた作品は第2次世界大戦後には続出しますが、第1次大戦から第2次大戦間は悲愴さの強調されこそすれ愛国主義的な思潮の方が強く、戦勝国にとっては勧善懲悪的な英雄主義、敗戦国にあっては国策的な反省と文化の建て直しから戦争自体の不毛さ、滑稽さの痛感からその真の悲惨さを指摘した作品はめったになく、巻き添えを食った東欧諸国においては『兵士シュベイクの冒険』『山椒魚戦争』『ある戦いの記録』などの文学作品が生まれましたが、ドイツにあってはブレヒトに戦争は庶民階級には貧困と頽廃をもたらすものでしかないという痛烈な批判的視点があったくらいでした。グリフィスの『イントレランス』'16やトーマス・H・インスの『シヴィリゼーション』'16はアメリカ参戦前にヨーロッパ戦線の激化に対するキリスト教的な観点からの抗議をこめたものでしたが、現実原理としてはアメリカは国際市場での地位確保のために翌年にはヨーロッパ戦線に正式に参戦するので、市場と領地の拡大のための手段としての戦争、という戦争の政治的性格が有史以来最大の規模で行われたのが第1次世界世界でした。チャップリンアメリカ在住のイギリス人としてアメリ国務省の依頼で戦勝のために戦時公債を買おう、というPR用短編映画は作りますが、本音はもちろん「担え銃」の方にあり、戦争なんて政治的手段は愚の骨頂であることをぎりぎりの手段で風刺コメディに仕立て上げた綱渡り的作品です。しかもチャップリンはこの危険な賭けに完全な成功を収めました。本作も、日本語版ウィキペディアの解説が要領よくまとまっているので、引用しておきましょう。
[ 作品概要 ] 公開当時、チャップリン映画史上最高の興行収入を打ち立て、また第一次世界大戦を戦った兵士の間で「チャーリーは戦場で生まれた」と言わしめるほど愛された。構想当初は戦争の喜劇化について周囲に反対されたが、喜劇と戦争という悲劇に近似性を見出していたチャップリンは製作への信念を曲げることなく製作を敢行した。一方でチャップリンは、自身がかねてから抱いていた反戦思想と大戦への協力に積極的ではないチャップリンを非難する当時の世論との板挟みとなり、製作末期に並行して作られた『公債』ともども、言われなき非難に対抗するための作品であったとも言える。戦争映画ではあるが戦死者は一人も出てこず、また巧みに自身の反戦思想を取り入れている「チャップリンの流儀による戦争映画」である。
[ あらすじ ] チャーリーは新兵教練でぎこちない動きを繰り返して練兵係軍曹に叱られっぱなし。教練が終わると、疲れたチャーリーは早速テントの中の寝台に飛び乗って眠りにつく。西部戦線に出征したチャーリーは、砲弾や狙撃弾が飛び交い、雨が降れば水がプールのように溜まる塹壕内の生活で戦友(シドニー・注目)らとともに苦楽を共にする。ある時は故郷から届いたリンバーガーチーズをドイツ側の塹壕に投げ込んで恐慌に陥らせ、またある時は敵陣への突撃の際にたった一人で13人のドイツ将兵を「包囲して」捕虜とした。やがてチャーリーは戦友とともに危険な斥候任務に志願して、敵の勢力地域内へ潜入する。戦友は運悪くドイツ兵に見つかって銃殺されそうになるが、木に化けていたチャーリーが助けに入ってドイツ兵を翻弄する。ドイツ兵の追跡を逃れるさ中、チャーリーは荒廃した自宅にたたずむフランス娘(エドナ・パーヴァイアンス)を助けて一緒に一軒の家屋に逃げ込む。そこに戦線視察中のドイツ皇帝(シドニー二役)一行が到着。チャーリーは助けたフランス娘や、再び捕まって連行されてきた戦友と謀ってドイツ兵に化け、ドイツ皇帝一行をそっくり捕虜として味方の根拠地に連行、味方に大いに賞賛された。……しかし、西部戦線での出来事はすべてチャーリーが見た夢であり、チャーリーは戦友たちにたたき起こされて目を覚ますのであった。
 ――本作はチャップリンが徴兵逃れをしている(チャップリンはイギリス国籍なので帰国すると徴兵義務がありましたが、実際には帰国せずとも書類審査で身長・体重不足により不合格となっていました)、反戦主義者である(実際そうでしたが)という非難をかわすための作品としての性格も持つので、映画の後半は案外風刺の手を緩めた英雄譚になっています。またチャップリンは徴兵前は子沢山の家庭の亭主なのが映画冒頭のシークエンスで撮影されましたが、これは完成作品からはカットされ、DVD『チャップリン短編集』の特典映像にそのシークエンスが収録されています。しかしチャップリンは戦友たちに故郷から手紙が届くがチャップリンには手紙が来ない、というシーンの方を生かしたので、これはやはり所帯持ちではない孤独なチャップリンの方が効いています。映画前半は塹壕掘り、馬鹿馬鹿しい訓練、水浸しの宿舎と悲惨かつ滑稽を極めた場面が連続し、本作公開の翌11月に大戦は終結しますが、そのタイミングの良さがなければ本作は後半のヒロイックな展開・夢オチという収拾にもかかわらずもっと根本的な反戦主義的側面が問題視されたかもしれません。戦争には威厳も道義もなく、本作でも後半はそうなるように真の勇気や信念、決断が迫られる時もあるでしょうが、それは戦争ではない普段の人生でもあるのは言うまでもありませんし、それゆえ夢オチで締めくくられるまでもなく後半の武勇伝は兵隊ごっこのような馬鹿馬鹿しさが漂うのです。本作をもっとも理解し、愛したのは虚脱感を抱えて生還してきた帰還兵だちだったと言われます。本作の精神を継承した映画(必ずしも喜劇でなく)が多く作られ、むしろ主流を占めるようにすらなるのは、さらに露骨な政略戦争によって多大な犠牲者を出した第2次世界大戦後になるのです。