人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年12月10日~12日/初期短編(エッサネイ社)時代のチャップリン(4)

イメージ 1

 エッサネイ社時代に限らずチャップリンは気に入ったスタッフは固定し、キャストも数作単位で起用して似たような配役でヴァリエーションを考案する座付け脚本家の面があって、前回のエッサネイ社第7作~第9作「アルコール先生海水浴の巻(By the Sea)」('15年4月29日公開)、「チャップリンのお仕事(Work)」(6月21日公開)、「チャップリンの女装(A Woman)」(7月12日公開)も親方格のチャールズ・インスレーにビリー・アームストロングの色男、マギー・レンジャーの色女にレオ・ホワイトの浮気男、マルタ・ゴールデンの浮気女をチャップリンエドナ・パーヴィアンスの主演コンビの周囲に配したものでした。第8作以来の2巻ものを月1作のペースも安定して、今回ご紹介するエッサネイ社第9作「チャップリンの掃除番」、第10作「チャップリンの船乗り生活」、第11作「チャップリンの寄席見物」はいずれもエッサネイ社時代の名作・佳作・異色作と名高く、ここでもビリー・アームストロング、チャールズ・インスレー、レオ・ホワイトの起用に続き数作以来のブド・ジャミソンに新顔でジョン・ランド、バディ・マクガイヤー、さらにのちアカデミー賞作品賞受賞作『シマロン』'31(RKO映画社作品の唯一のアカデミー作品賞受賞作)の監督になるウェズリー・ラッグルス(1889-1972)が出演しています。「チャップリンの掃除番」にはブド・ジャミソン同様数作ぶりにロイド・ベーコンも端役ながら出演しており、チャップリン作品にのちのヒット作監督になる2人も同時に出演していた初期の俳優時代の作品としての興味もあり、'15年といえばD. W. グリフィスのアメリカ映画史上空前の12巻の大長編『国民の創生(The Birth of a Nation)』('15年2月8日公開)が爆発的ヒット作になりアメリカ映画に本格的な長編映画時代が到来した年で、チャップリンのエッサネイ社移籍第1作「チャップリンのお仕事」が2月1日公開ですからまさに長編ではグリフィス、短編ではチャップリンアメリカ映画を制覇した年と言えて、そうした映画創成期の作品として'15年度のチャップリン短編の変遷はそのままアメリカ映画のさまざまな原型を含むものとして、チャップリン個人の作品歴を越えた、巨大な影響力を持つ映画の源泉と言うべきものになっています。

●12月10日(月)
チャップリンの掃除番」The Bank (Essaney'15.Aug.16)*25min, B/W, Silent : https://youtu.be/uABrF8hFXtw

イメージ 2

 原題通り銀行を舞台にしたチャップリンのエッサネイ社第10作「チャップリンの掃除番」は本来8月9日公開予定が検閲に引っかかり16日に公開が延びたそうですが、この作品は銀行強盗を撃退するチャップリン(実は夢オチ)という題材はともかく、強盗を手引きする銀行員(フレッド・グッドウィンズ)とセールスマン(ジョン・ランド)という内通者が描かれたあたりが引っかかったと思われます。ただし検閲によるストップを無視して9日に公開を始めた映画館も多かったため、現在では公式公開16日、実際の公開は9日とする文献が多く、また本作はエッサネイ社のチャップリンの諸作中では平均的なヒット作だったそうですが現在では初期短編時代のチャップリン作品中でも特に重要作と評価が高い一編です。本作はギャグの豊富さと展開の巧みさ、収拾の見事さで前々作・前作「チャップリンのお仕事」「チャップリンの女装」よりもさらに密度と完成度を高めたチャップリン映画が堪能でき、当時の観客には「チャップリンの新作短編は面白くて当たり前」という贅沢に慣れかけていたのでしょう。長編映画にはグリフィスに次ぐセシル・B・デミルという才人がいましたがグリフィスやデミルの長編ドラマ映画に較べると短編のドラマ映画が物足りなくなってきていたのは想像に難くなく、その点チャップリンの短編は喜劇映画でありながらドラマ性でもアメリカ短編映画の水準の最高の位置にあるものでした。少なくと月1作ペースの製作に落ち着いてからのチャップリン短編は喜劇映画としてだけでなくドラマ映画らしい内容を積極的に取り入れていたと思えます。エドナ・パーヴィアンスのレギュラー・ヒロインの定着がチャップリン作品を連作的に見せることで冗長な説明抜きに新作を重ねるのが可能になり、さらにレギュラー共演者の起用によって余分な描写を費やさずテンポ良く映画を進めるキャラクター・システムの経済性はチャップリンが本格的に始めたものと言ってよく、キーストン社のマック・セネットをこうした映画作りの先駆者として上げられますが、セネット喜劇はドラマ映画への指向は稀薄なのが良くも悪くもキーストン映画の軽やかさでした。本作は銀行の全景は映らず、撮影所のセットや配役で銀行らしい雰囲気を出していますが、すでにスター級の高給取りだったチャップリンはシナリオのために実際の地方銀行支店に取材したのではないかと思うくらい現実的な雰囲気が出ています。その辺りも含めたリアリティが、本作を公開当時より今日評価を高めることになった要因ではないでしょうか。
 本作はチャップリンが例の服装とがに股歩きで銀行に出勤してくる姿から始まります。掃除夫(ビリー・アームストロング)の背中をポンと叩き、憮然として大金庫のダイヤルを回すチャップリン。しかし金庫から取り出したのはバケツとモップで、上着を脱いだチャップリンは作業着姿です。掃除夫の上着に着替えたチャップリンはアームストロングと二人一組で掃除を始めますが、アームストロングとの掃除合戦は視覚的ギャグの連続なのでご覧になってのお楽しみとして、レオ・ホワイトの支配人やウェズリー・ラッグルスの出納係らの様子が描かれて、タイピストエドナ・パーヴィアンスが「For Charles with Love. Edna.」とプレゼントの包みに宛名を添えている。一方行員たちは出納係のカール・ストックデールに「今日は君の誕生日か」などと話している。チャップリンはパーヴィアンスが席を外した折に掃除に入ってパーヴィアンスの手紙を見て有頂天になり、パーヴィアンスが戻ってくると身体をくねらせて部屋を出ます。白い薔薇の花を調達してきて「For Edna with Love. Charlie.」とカードに宛名を書いたチャップリンはそっとパーヴィアンスの机に薔薇を置いてくる。パーヴィアンスは戻ってきて薔薇の花とカードに喜び、出納係のストックデール(役名はチャールズ)を呼んでプレゼントのネクタイの包みとカードを渡しますが、ストックデールはプレゼントには喜ぶものの薔薇の花のカードは「掃除夫のチャーリーだよ」とそっけなく、パーヴィアンスは薔薇の花をゴミ箱に捨てカードも破って捨ててしまいます。パーヴィアンスが去り、プレゼントのネクタイを結ぶストックデールに悔しげなチャップリン。持ち場に戻ると相棒のアームストロングがちょうどネクタイを直していたのでチャップリンは相棒に八つ当たりの蹴りを入れます。パーヴィアンスの事務室に戻り、薔薇の花をゴミ箱から拾って懐に未練がましくしまうチャップリン。銀行の裏口では、内通者の銀行員(グッドウィンズ)とセールスマン(ランド)に手引きされた強盗たち(ロイド・ベーコン、フランク・J・ストックウェル)の4人がピストルを手に準備を済ませ、あっという間に銀行内を占拠します。気づいたチャップリンはパーヴィアンスを真っ先に助け、次々と強盗たちをのしていきます。チャールズのストックデールは机の下にずっと隠れており、騒ぎが済んで支配人がチャップリンに感謝している最中に机の下から出てきて、支配人に裏口から去れ、と指されてすごすご去っていきます。チャップリンはパーヴィアンスに薔薇の花を再び捧げ、今度はパーヴィアンスは受け取って、チャップリンとパーヴィアンスは抱擁とキスを交わします。そこで画面はアイリス・インし、モップを抱いてキスしているチャップリン、という夢オチがつき、さらに抱擁してキスを交わしているストックデールとパーヴィアンスが目に入ります(ヴァージョンによってはこれは削られた版もあります)。このオチもギャグである反面話を夢物語にしなければならない事情があったと思われ、銀行強盗や列車強盗は西部劇では定番ですが時代劇だから許されたので、現代ものでリアルに銀行強盗を描くのは1915年にはまだタブーだった、スキャンダラスな題材だったとも考えられます。次作でもチャップリンは保険金目当ての犯罪を題材にしますが、喜劇映画短編としてのアプローチだったからこそようやく検閲を通ったとも言えるので、こうした危ないテーマ設定は『黄金狂時代』'25、『モダン・タイムス』'36、『独裁者』'40、『殺人狂時代』'47から『ニューヨークの王様』'57までチャップリン映画の特徴にもなるのです。

●12月11日(火)
チャップリンの船乗り生活」Shanghaied (Essaney'15.Oct.4)*27min, B/W, Silent : https://youtu.be/fWtSXX35ObI

イメージ 3

 船主(ウェズリー・ラッグルス)が保険金目当てに船長(ブド・ジャミソン)に出航した船を難波させる、そのためには乗組員が必要だ、と無理矢理さらわれてきた船員(原題の「Shanghaied」はそういう意味があります)がビリー・アームストロング、パディ・マクガイヤ(前作「チャップリンの掃除番」にも銀行員の一人で出演)、レオ・ホワイト、そして船主の娘エドナ・パーヴィアンスが内緒でつきあっていたボーイフレンドのチャップリンで、沖に出て手頃なところで船が爆破されるとは知らずにチャップリンたちはこき使われます。一方、しつけの厳しい父親に反発したパーヴィアンスは「船出します」と置き手紙して家出し、爆破する船に娘が密航してしまったと気づいた船主のラッグルスはボートで船を追います。いつの間にやらちゃっかり船員たちのリーダーに収まったチャップリンと船内で再会したパーヴィアンスはこれはいいやと喜びますが……と、これまた保険金目当ての自作自演事故と本来ならやばい題材を軽々と笑い飛ばしたのが本作「チャップリンの船乗り生活」で、これもエッサネイ社第7作「チャップリンの海水浴」(海水浴は出てこず、海に面した公園が舞台ですが)以来のハリウッドのマジェスティック撮影所での製作ながら、本当に船上撮影を行っているのがミソで、溺れた船員のショット、海に落ちた船員を釣り上げるショットなど船を側面から海上撮影したショットも多用されており、全編はほぼ強制労働ギャグの連発なのですが船のデッキ上の場面がほとんどなので、これは絵コンテ・レベルでシナリオが描かれていないと撮れない映画になっています。一見他愛ない内容ながら題材的には相当際どく、しかも撮影困難という課題をわざわざ課したかのような設定で、8月公開の前作から2か月空いた新作なのも製作期間の長さを感じさせます。そう何度も船を出すわけにはいきませんからシナリオの練りこみとリハーサルを重ねた上で実際の撮影はせいぜい日中に数日かと思われますが、ご覧いただければ目を見張らずにはいられないほどタイミング命のアクションによるギャグの連続で、これは撮影所での仮リハーサルを積んだとしても本当の船上ではNGなしには済まなかったでしょう。面白い題材の割に展開はアクションばかりでドラマ性の点では「チャップリンの掃除番」より後退し、結末も無難にまとめて尻すぼみの観がなくもがなですが、本作も題材面では当時の検閲基準ではこれ以上踏み込めなかった事情がありそうですし、何より撮影困難な条件をことごとくクリアしてこれまでにない船上労働コメディを撮る、という課題は見事にこなしています。本作「チャップリンの船乗り生活」を観た同時代の映画人はこの撮影技術水準だけでも仰天したのではないでしょうか。もちろんそれは淀みのない演出全体についても言えることです。

●12月12日(水)
チャップリンの寄席見物」A Night in the Show (Essaney'15.Nov.20)*24min, B/W, Silent : https://youtu.be/Qnp1RM6ixq8

イメージ 4

 再び1か月の間隔で公開されたエッサネイ社第12作「チャップリンの寄席見物」はチャップリンがフレッド・カーノ一座で得意芸にしていた「Mumming Birds」という演目を下敷きにしたもので、チャップリンはカーノ一座のアメリカ公演ではこれを「A Night at an English Music Hall」というタイトルで上演していたそうです。演劇芸としての「Mumming Birds」は観ることができませんが、アメリカ公演タイトル「A Night at an English Music Hall」からこれはもともとメタ演劇の趣向だったのが想像でき、メタ演劇を再現した本作は二重の意味でメタ映画になっているややこしさがあり、チャップリンは貴賓席の紳士ミスター・ペスト(感染病)と桟敷席の酔っぱらいの庶民客ミスター・ロウディ(騒ぎ屋)の二役を演じ、同一画面にこそ映りませんがペスト氏とロウディ氏は同じミュージック・ホール劇を観ている設定です。いわば一種のリアクション芸を見せるのが本作の趣向で、ミュージック・ホールの芸は「本物の」ウィンナー・ワルツ(とウィンナーのように太ったメイ・ホワイトが出鱈目に踊る)、蛇つかい女(メイ・ホワイト二役)、火食い男(ジェイムズ・ケリー)と他愛ないものばかりですが、ペスト氏はいちいちとんちんかんな反応をして周りの客(エドナ・パーヴィアンス、フレッド・グッドウィンズ、フィリス・アレンら)や目の前のオーケストラ団員(ジョン・ランド、パディ・マクガイヤ、チャールズ・インスレーら)に顰蹙を買い、ロウディ氏は始終馬鹿騒ぎをして桟敷席の庶民客(ウェズリー・ラッグルス、レオ・ホワイトら)を総立ちにさせます。そういえば月1作ペースが確立した「チャップリンの女装」辺りからタイトル・クレジットは作品名に加えて「Featuring Charles Chaplin.」とチャーリーではなくチャールズ、と強調するようになっており、キーストン社時代はずっと、エッサネイ社でも当初はキャスティング・タイトルにはチャーリー・チャップリン名義でしたから、俳優「チャーリー・チャップリン」兼監督ではなく監督「チャールズ・チャップリン」兼主演、という作家意識の方を強調したくなってきたということで、本作「チャップリンの寄席見物」のような自己言及、メタ映画的作品に向かったのもそうした自覚の表れだったのでしょう。火食い男に慌てたロウディ氏が防火ホースで桟敷席から放水し、ステージばかりか貴賓席のペスト氏もずぶ濡れになってこの短編は終わります。本作だけ取って鑑賞しても仕方ないような作品ですが、こういう異色作もあえて作ったあたりがチャップリンのへそ曲がりな側面で、のちのバスター・キートンの短編「キートンの即席百人芸」'21は明らかに本作の換骨奪胎です。ちなみにミスター・ロウディを演じるチャップリンはミスター・ペスト役(こちらはいつものチャップリンに近い)と同一俳優とは思えず、メイクや表情ばかりでなく顔の骨格まで違って見えるほどで、この演じ分けには驚嘆せずにはいられません。