人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年12月1日~3日/初期短編(エッサネイ社)時代のチャップリン(1)

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 年末年始になるとチャールズ(チャーリー)・チャップリンの映画を観たくなるのは私だけでしょうか。チャップリンが本格的に主演・監督・脚本だけでなくプロデュースにも乗り出し、専用スタジオと専任スタッフを構えたのは中編「犬の生活」'18から始まるファースト・ナショナル社移籍から初長編『キッド』'21の大成功を経て、ユナイテッド・アーティスツ設立('23年)以降長編映画に専念してからなので、ファースト・ナショナル社移籍第1作「犬の生活」以前の短編時代のチャップリン作品~キーストン社時代('14年、出演・主演作品36編、うち長編1作、チャップリン主演・監督・脚本作20本)、エッサネイ社時代('15年~'16年、全15編すべてチャップリン主演・監督・脚本)、ミューチュアル社時代('16年~'17年、全12編すべてチャップリン主演・監督・脚本)の初期作品はチャップリン自身が版権を所有していないため'70年代のチャップリン晩年にチャップリン自身によって決定版レストア・ニュープリントのサウンド版が作られた全集も「犬の生活」以降の全作品にとどまっており、キーストン社、エッサネイ社、ミューチュアル社各社の時代の作品は世界各地に残されたさまざまな残存プリントによってまちまちな内容で出回っていました。今世紀になっても新たな完全版の作成や発掘があり、'71年にまとめられた研究家によるチャップリン作品の製作・公開データ以来キーストン社作品は長らく短編34編+長編1作とされていましたが、従来3作目に当たる「犬の為め(メーベルの窮境)(Mabel's Strange Predicament)」'14.Feb.9、4作目に当たる「夕立(Between Showers)」'14.Feb.28の間に実は本来の4作目「泥棒を捕まえる人(A Thief Catcher)」'14.Feb.19があり、同作のプリントが2010年に発掘発見されたことから、日本でも2012年には「チャップリンザ・ルーツ」としてキーストン社~エッサネイ社~ミューチュアル社時代のチャップリン全作品のレストア版ニュープリント上映が行われ、同年の12月末には同題の13枚組DVDボックスも発売されました。
チャップリンザ・ルーツ : http://elevenarts-japan.net/chaplin.html
 サイレント時代の映画、特にまだ短編映画が主流だった頃には手回し式の映写機が用いられ、短編映画は1巻か2巻ですが1巻は1,000フィート前後、これを手回し式だと1巻当たり15分~16分かかり、機械式だと最速10分程度になります。サウンド・トーキー時代になって機械式上映機で上映するとサイレント映画がやたらちょこまか人物が動いて見えるのはそのためで、また実際の映画も1分18コマ~24コマで再生されるのを映画ごとに意図してある場合があり、製作意図通りの回転数で上映・映像ソフト化するのはプリントからのデジタル変換化が進んだ'80年代以降でした(チャップリン生前のレストア版やハロルド・ロイド財団のロイド作品のニュープリントはほとんど例外的に製作意図通りの上映回転数に調整されたものでした)。DVDボックス『チャップリンザ・ルーツ』は日本国内盤では初めて手回し式上映機の速度に復原された映像ソフトになり、最良のプリントによる鮮明なレストア映像の上に従来のDVDでは20分だった短編が公開当時の30分あまりに再現されている決定版にもなっています。しかしチャップリンの人気は不完全なフィルムと適当な再生回転数で上映され、テレビ放映されて愛されてきたからで、筆者も最初に好きになって名前と顔を覚えた映画スターはテレビ放映で幼児の頃に観たチャップリンでした。チャップリンが本式に「チャールズ」・チャップリンと名乗るのはプロデュースを兼務したファースト・ナショナル以降なので、キーストン~エッサネイ~ミューチュアルにいたる初期チャップリンは「チャーリー」・チャップリンと呼ぶ方が適切かと思いますが、雇われ俳優として契約したキーストン社から、チャップリンの本領が形成されていくのがエッサネイ社~ミューチュアル社時代だったのは、この間の短編がいずれも並みの喜劇俳優なら長編ほどの豊富な内容と多彩な題材を持つ、アメリカ映画史上の名作・重要作ばかりであることからも感じられます。本当に1日1編だけで満足感があるのです。

●12月1日(土)
チャップリンの役者」His New Job (Essaney'15.Feb.1)*32min, B/W, Silent : https://youtu.be/z54d9ZxHrnI

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 イギリスのウォールワースで芸人一家に生まれたチャールズ・シドニーチャップリンは5歳で初舞台を踏みましたが、それはチャップリンの母ハンナの病状悪化のためで、翌年に極貧に陥った一家は父親が家を去り、ハンナとチャーリー、チャーリーの異父兄シドニーチャップリン(1885-1965)と3人の母子家庭で貸間を転々とした挙げ句に、さらに翌1896年、7歳のチャーリーと11歳のシドニーは母ハンナの発狂により孤児院に入ります。年長のシドニーは一足先に孤児院を出て芸人の道に進み、2年後の1898年に母ハンナの全快により母子は再会し、ロンドンで芸人生活を送りながら生活していくことになります。父チャールズ・チャップリン・シニアの37歳の逝去が知らされたのは翌1899年でした。シドニーとチャーリーは仕事を紹介しあいながら病弱で入退院をくり返す母を支えましたが、'06年にチャーリーは契約を失い失業してしまいます。代わりにその年に兄シドニーが人気劇団のチャーリー・メイナン一座からさらに人気劇団のフレッド・カーノ一座に引き抜かれ、翌'07年にチャーリーがシドニーの推薦でカーノ一座入団が叶ったのがチャップリンの出世コースになりました。たちまちカーノ一座の花形コメディアンになったチャーリーは青春や恋愛も謳歌し、'09年のパリ巡業に続く'10年のバーミンガム公演の大成功がアメリカのプロモーターの目にとまり、'10年夏に続き'11年にも北米・カナダ巡業を行います。この時のニューヨーク公演でチャーリー・チャップリンを初めて観たのが当時D・W・グリフィスと机を並べてエディソン社の映画監督をしていた、のちのキーストン社社主、マック・セネット(1880-1960)です。'12年春にイギリスにカーノ一座とともに帰国したチャーリーは、10月のカーノ一座のアメリカ公演でマック・セネットの推挙により映画プロデューサー、チャールズ・ケッセルと仮契約します。ケッセルはエディソン社から総合製作顧問にセネットを引き抜いて、喜劇映画専門の映画社キーストン社を設立したところでした。
 フレッド・カーノ一座との契約は'13年まで残っていたのでチャップリンのカーノ一座での最後の舞台は'13年12月だったとされますが、'14年2月2日公開の1巻ものの短編「成功争ひ(Making A Living)」、第2作の2月7日公開の「ヴェニスにおける子供自動車競争(Kid Auto Race at Venice)」,、第3作は2月9日公開の「メーベルの苦境(Mabel's Strange Predicament)」という具合に、キーストン社の1巻もの喜劇短編は配役に簡単な設定とセットを決めたら簡単な原案(シノプシス)だけで即興的に撮影し、編集と字幕で体裁をつけるような作りでした。すでにキーストン社には愛嬌のある巨漢コメディアンのロスコー・"ファッティ"・アーバックル、やぶにらみの変人ベン・ターピン、お転婆美人のメイベル・ノーマンドら人気スターが育っており、デビュー間もない24歳のチャップリンは彼らの助演か同格から始めて、キャリアら当然セネット製作または監督、セネット門下生の監督による作品から始まりましたが、11作目でチャップリン25歳の誕生日(4月16日)直後の'14年4月20日に公開された「恋の二十分(Twenty Minutes of Love)」がチャップリン初の原案・監督作になり、以降のキーストン社時代の短編は(必ずしもチャップリン単独主演ではなく、共同監督作も含みますが)チャップリン自身の原案・監督作になりました。唯一の長編『醜女の深情け(Tillie's Punctured Romance)』('14年11月14日公開)だけはキーストン社総帥マック・セネットによるアメリカ映画史上初の長編喜劇映画で、巨漢の舞台人気コメディエンヌのマリー・ドレスラー(1968-1934)主演、チャップリンは田舎の金持ちオールドミスのドレスラーをひっかける結婚詐欺師役です。
 キーストン社の'14年公開の短編34編、長編1作(2月~12月の11か月で!)だけですでにチャップリンは全米のスターになっていたのですが、ろくにシナリオも準備しなければ早ければ1日、長くても3日程度で短編映画を作ってしまうキーストン社の製作にチャップリンは飽き足らなくなっており、年間14本の契約でエッサネイ社に移籍します。キーストン社での週給150ドルはエッサネイ社での契約では週給1250ドルに引き上げられました。マック・セネットはアメリカ喜劇の父と言うべき偉人で、トーキー以降にも影響を持つさまざまな喜劇スターを育て上げ、映画に若い水着美人や警官を大量出演させてお色気や逆転劇にする、という発明もセネットのキーストン喜劇が始めたものです。チャップリンはセネット門下生の最高傑作になった映画人ですが、映画界入りするのも2、3年ためらったように当時の映画全般がそうだった、キャラクターや趣向のみに依存する製作方法よりも、自分の芸に磨きをかけて長いキャリアを築きたい望みがありました。
 エッサネイ社の移籍でチャップリンが手に入れたのはより入念な自作シナリオによる製作方針と、名カメラマン、ローランド・H・トサロー(1890-1967)との出会いです。エッサネイ社第1作「チャップリンの役者」から起用されたトサローは以降チャップリンが寡作時代に入っても専属カメラマンとして高給でチャップリンの懐刀となり、『殺人狂時代』'47までの撮影を担当し、『ライムライト』'52まで「撮影監修」名義で携わりました。この第1作は無名時代のグロリア・スワンソン(1899-1983)が撮影所の秘書役でエキストラ出演し、やぶにらみの変人コメディアン、ベン・ターピン(1869-1940)がチャップリンとコンビを組んで撮影現場を滅茶苦茶にする道具方役を演じています。ターピンはエッサネイ社からキーストン社に移ってブレイクした、チャップリンと反対の道を行った役者で、この「チャップリンの役者」はずっと丁寧に作られてはいるものの作風はキーストン社時代の作品の延長にあります。またこの移籍第1作だけはエッサネイ社のシカゴの撮影所で極寒の環境で製作されましたが、やはり気候の問題から次作以降はカリフォルニア郊外の撮影所で製作されることになりました。

●12月2日(日)
「アルコール夜通し転宅(チャーリーの夜遊び)」A Night Out (Essaney'15.Feb.15)*33min, B/W, Silent : https://youtu.be/sNR2XdmJ6f8

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 エッサネイ社第2作「アルコール夜通し転宅(チャーリーの夜遊び)」のタイトル「アルコール(アルコール先生)」は大正時代にチャップリン作品が日本公開された時、キーストン社時代のチャップリンが酔っぱらいの役を演じることが多かったことからついた愛称で、キーストン社時代で典型的な酔っぱらい役短編には第3作「犬の為め(メーベルの窮境)(Mabel's Strange Predicament)」'14.Feb.9、第14作「半日ホテル(Caught in the Rain)」'14.May.4があり、ミューチュアル社に移っての第4作「午前一時(大酔)(One A.M.)」'16.Aug.7で大傑作を生み出しますが、「午前一時」はチャップリンの一人芝居で大成功したので、ホテルの101号室のチャップリンが酔っぱらって向かいの107号室に二度に渡って間違えて入ってしまい、107号室のレストラン店主夫妻(ブド・ジャミソン、エドナ・パーヴィアンス)に飲み友達のベン・ターピンともども叩き出される、という本作はたった2巻ながら似たような場面が反復されるため各種の現存プリントに混乱が多く、『チャップリンザ・ルーツ』版が今後の定番になるでしょうが本来はどうだったかわかりません。ここで重要なのは放浪者キャラクターよりもブルジョワ・キャラクターに扮したチャップリンの有閑ブルジョワの描写(演技・演出)がキーストン社ではなかった痛烈な皮肉がこもっていることと、キーストン社時代のメイベル・ノーマンドを除けば(ノーマンド作品ではチャップリンはノーマンドの相手役でした)、チャップリン映画最初のレギュラー・ヒロインになるエドナ・パーヴィアンス(1895-1958)初登場作品という点に尽きるでしょう。チャップリンはパーヴィアンスを最多の30作でヒロインに起用し、チャップリンの出演しない(監督・脚本のみの)メロドラマ長編『巴里の女性』'23が実質的な引退作になりました。チャップリンは『救ひを求める人々』'25で見出した新鋭監督ジョセフ・フォン・スタンバーグの監督でパーヴィアンスのカムバック作『A Woman of the Sea』'26をチャップリンのプロデュースで製作しましたが、チャップリン自身の判断で未公開作品になりフィルムも失われています。'27年にフランス映画『E ducation de Prince』に出演してパーヴィアンスは完全に引退し、戦後の『殺人狂時代』『ライムライト』ではノンクレジットの端役でカメオ出演しています。

●12月3日(月)
チャップリンの拳闘」The Champion (Essaney'15.Mar.11)*33min, B/W, Silent : https://youtu.be/2HeGWGfkAUc

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 エッサネイ社第3作「チャップリンの拳闘」こそがその後のチャップリン映画の下地になる画期的な短編で、キーストン社時代に築いた一文無しの浮浪者役を出発点としながら、まずボクサー犬(ブルドッグ)を友としようとなけなしのソーセージを分けてやろうとする冒頭から浮浪者の孤独がおかしみを持って描かれますし、ブルドッグ連れで歩いていると蹄鉄を踏む(吉兆の証)、ふと見るとチャンピオン・ボクサーのトレーニング相手(スパークリング・パートナー)募集の貼り紙を見つける。そこでエドナ・パーヴィアンスと知りあい、練習相手から公式戦の相手に抜擢されてチャンピオン相手に勝利し、パーヴィアンスにキスを受けるまでがレオ・ホワイト(チャンピオンのパトロンの伯爵役)、ベン・ターピン、チェスター・コンクリン(観客席の売り子役)らゲスト・コメディアンたちとのドタバタを含めてギャグまたギャグで展開します。もちろんブルドッグにも要所要所に見せ場を作ってあり、これが「犬の生活」の原型でもあるのは言うまでもないでしょう。パーヴィアンスの生かし方が本格的になるのはまだこれからですが、今日チャップリン映画として思い浮かぶ作りは(本作はちびたタキシードにシルクハット、ドタ靴にステッキのヴィジュアルを強調してはいませんが)ようやく揃ってきた観があります。キーストン社ではこの丁寧な製作はできなかったものです。