人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年12月25日~27日/初期短編(ミューチュアル社)時代のチャップリン(9)

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 今回の3編でデビュー2~3年目に当たるエッサネイ映画社でのチャップリン短編15編('15年~'16年)、デビュー3~4年目に当たるミューチュアル映画社でのチャップリン短編12編のご紹介は終わりです。筆者は続けて12月28日(金)にファースト・ナショナル社移籍第1作の中編「犬の生活(Dog's Life)」'18.Apr.14を、今日29日に第2中編「担え銃(Shoulder Armrs)」'18.Oct.20を観直し、'19年以降のチャップリン作品はまたの機会に譲りますが、映画日記の感想文に書く映画鑑賞とブログは2018年は本日12月29日で終えて年末年始休みに入りたいと思います。「犬の生活」「担え銃」は年始のブログ再開の映画日記第1回にご紹介・感想文を載せることにいたします。ミューチュアル社でのチャップリン短編の発表は12編の契約のうち'16年5月の「チャップリンの替玉」から'17年1月の「チャップリンの勇敢」まで毎月連続9編が製作・公開されたあと、残り3編は'17年4月に3か月ぶりの新作「チャップリンの霊泉」、2か月の間隔で6月に「チャップリンの移民」と発表されたあと、エッサネイ社からミューチュアル社への移籍ブランク以来に長く10月に「チャップリンの冒険」が発表され、ミューチュアル社との契約更新ではなく'18年度からのチャップリンはファースト・ナショナル社に移籍することも公表されて、ミューチュアル社最終作「チャップリンの冒険」は移籍に伴って予想されるさらに長い移籍後第1弾の新作までのブランクを惜しんで一種のミューチュアル社のチャップリンの千秋楽(フェアエル)作品として、内容がそれにふさわしいこともあってミューチュアル社のチャップリン短編中最大のヒット作かつもっとも有名な作品になりました。また完全主義者のチャップリンにとって幸いしたことは、'16年~'17年には映画界の趨勢が長編主流に移ったこともありそれまでの撮影・上映回転数が1分12コマ~20コマとまちまちだった手回し式映画カメラ・映画上映機から安定した撮影・上映速度が可能な機械式映画カメラ・映画上映機(1分16コマ/18コマないし20コマに設定可能)に切り替わりつつあったことで、それまで偶発的だった早送り、コマ落とし、さらに逆回転の手法まで意図的な使用が可能になり、何より映像自体が落ちついた安定感を得たことで演出にも観客にじっくりと細部まで味わわせる余裕ができたのが大きく、チャップリンの映画は裕福な予算で製作されたので短編喜劇映画でもいち早く機械式映画カメラを導入することができました。もっと低予算の喜劇映画では機械式映画カメラの導入が遅れたので、画質や上映回転数のムラでもチャップリンはライヴァルやフォロワーたちに差をつけたことになります。またドラマ映画の主流は長編映画に移っても喜劇映画は短編が歓迎される時代がチャップリン自身の監督した長編第1作『キッド』'21の大ヒット、続くハロルド・ロイドの『ロイドの水兵』'21以降の長編喜劇映画の成功まで続いたことで、「犬の生活」「担え銃」はもちろん、ミューチュアル社での「チャップリンのスケート」「チャップリンの勇敢」「チャップリンの移民」「チャップリンの冒険」などでもすでにチャップリンの中短編は長編に匹敵する構想と内容、構成を試していたと言えます。では、年内の映画日記、レギュラー分のブログ記事は本日付けで終わりです。それでは皆さま、よいお年を。

●12月25日(火)
チャップリンの霊泉」The Cure (Mutual, '17.Apr.16)*25min, B/W, Silent : https://youtu.be/rNfcjlhI61k

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 渾身の力作「チャップリンの勇敢」から3か月ぶりのチャップリンの新作は、ひさしぶりにチャップリンが有閑階級の紳士役で湯治地に騒ぎを巻き起こす風刺劇になりました。ここで描かれる西洋の湯治地は、日本の湯治のいわゆる温泉療養ではなく、鉱水を飲んで療養するというもので、冒頭から水盤を囲んだ湯治客たちがコップに鉱水をくんでしかめっ面で飲む光景が描かれるので、この鉱水というのは我慢して仕方なくしぶしぶ飲む程度の味のようです。そこに千鳥足のチャップリンがやってきて背景のホテルに入ろうとしますが、三面の回転ドアにジョン・ランドのホテルマンと湯治客兼マッサージ師(とあとで判明する)のエリック・キャンベルとぐるぐる回って押しあいへしあいになり、チャップリンはロビーに放り出されてその勢いで階段を駆け上がります。チャップリンの部屋にあご髭のホテルマン(アルバート・オースティン)が運んできた巨大なトランクをチャップリンが開けると、トランクの中は縦の戸棚になっていて酒瓶がぎっしり、チャップリンはさっそくコルク抜きを取り出して一杯あおり、ホテルマンは目を白黒させます。これで一応チャップリンアルコール中毒を治そうとやってきた湯治客だとはわかるのですが、アルコール中毒症状を治したい気はあってもお酒を止めたい気はさらさらないのもわかります。鉱水の水盤に案内されたチャップリンは一口飲んで隣の客の帽子に吐き、ふと美人の湯治客(エドナ・パーヴィアンス)と目があって平然と鉱水を飲みますが、すぐに胸が気持悪くなりホテルの自室にとって返し、まだいたホテルマンを一喝して追い出して酒瓶からがぶ飲みし、ようやく息をつきます。チャップリンはマッサージ室に向かい、更衣室で下着姿になります。一方チャップリンの部屋ではさっきのホテルマンがほろ酔い加減でチャップリンの部屋に仲間のホテルマンたち(ジェイムズ・ケリーら)を手招きしています。チャップリンは自分の前の客がマッサージ師のキャンベルにレスリングかと見まがうばかりの荒技を施術されているのに恐々、施術が終わるとレフリーよろしくキャンベルの手を取って上げて逃げ出そうとしますが、客を逃すまいとするキャンベルに追いかけられます。チャップリンの部屋では酔いどれたホテルマンたちに支配人(フランク・コールマン)が怒って、酒をぜんぶ捨てろと命じます。酔っぱらったホテルマンたちは次々と酒瓶を窓から放り投げ、酒瓶はすべて鉱水の源泉の池に沈みます。チャップリンがキャンベルに追われて逃げ回る最中に、鉱水ががぜんいける味になったのに気づいた湯治客たちは酒混じりとは知らず鉱水をがぶ飲みし、湯治地は酔っぱらいだらけになります。酔った湯治客の男たちに追いかけられたパーヴィアンスはチャップリンとばったり遭遇、チャップリンに助けられたパーヴィアンスは感謝しチャップリンに鉱水を渡し、チャップリンは鼻をつまんで飲みますが一杯やって歓喜の表情、そこにチャップリンが追い払った男が追ってきてチャップリン回転ドアでぐるぐる回って源泉の池に落ちます。翌朝。チャップリンは頭に氷の塊を乗せて二日酔いの頭痛の様子。ホテルの玄関前でパーヴィアンスと出会い、昨日の騒ぎは酒だったとパーヴィアンスと話し、禁酒を誓います。パーヴィアンスと腕を組んで歩き始めたチャップリンは気づかずにホテル前の舗道沿いの源泉の池に落っこちて、エンドマーク。「チャップリンの舞台裏」「チャップリンのスケート」「チャップリンの勇敢」と高峰が続いたあとのブランク再開作としては、ちょっと呑気な小品に再び戻った(「チャップリンの舞台裏」もエピソード的小品でしたが)ような作品ですが、「チャップリンの舞台裏」も裏方ものの集大成的作品だったのと同様に、本作もキーストン社の諸作、「アルコール夜通し転宅」「午前一時」などチャップリンの酔漢ものの集大成的作品として佳作になっています。禁酒法の成立は'23年ですが、この頃から飲酒・アルコール依存症は社会的問題になっており、そうした法案の制定がそろそろ持ち上がってきていたので、本作に限らずチャップリンの酔っぱらいものは決して飲酒を謳歌するものではありませんが、喜劇映画の題材にするのもタブーになってしまう前にここらで酔っぱらいものの作品にはチャップリンなりの総括をしておきたかったのでしょう。それを思えばミューチュアル社時代に自作のこれまでの作品系列を整理しておきたかったチャップリンの計画性がよくわかります。また有閑階級の生態を描いた作品としては後年の短編「のらくら(The Idle Class)」'21に引き継がれるものです。ここまででミューチュアル社との契約満了は残り2編。そしてその2編は本格的にファースト・ナショナル社移籍後の作風を予告する作品になりました。

●12月26日(水)
チャップリンの移民」The Immigrant (Mutual, '17.Jun.17)*24min, B/W, Silent : https://youtu.be/ycLOeCLJ9V0

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 前作公開月であり本作の公開'17年6月の直前である'17年4月に第1次世界大戦に参戦したアメリカは、20世紀に毎年100万人もの移民を迎えていましたが、参戦と前後して移民制限法案を可決、英語の読み書きのできない移民を許可しない方針に出ました。これは第1次世界大戦開戦以来戦争難民の移民が増加したのに対応したもので、労働者として役立たない(英語ができない)移民を認めない、という実利的な理由からでした。チャップリンはこれまで文盲の浮浪者役を多く演じてきたように、アメリカ社会の識字率が決して高くないことを知っていたイギリスからの移民I世でしたし、チャップリン自身は芸人として読み書きの教育を受けてきましたが、そうした必要がなければ文盲に終わったかもしれないイギリスの下層社会の出身です。本作の製作にチャップリンは90巻もの撮影をし、不眠不休で4日間をかけて編集した(一説には40巻とも言われますが、いずれにせよ破格の超過撮影です)、これはエッサネイ社のパロディ時代劇作品「チャップリンカルメン」の時の100巻の宴会的超過撮影とは事情が違うでしょう。本作は明らかに長編映画を指向していて、本来長編映画になり得るものをエピソード単位に抜粋圧縮して短編にまとめたような飛躍があり、その高い表現意欲から来る訴求力と密度が本作を名作にしているのですが、ファースト・ナショナル社移籍以降であれば本作は最初から中編規模の映画を目指して製作されたと思われます。しかし本作の題材はこれ以上踏みこめば移民制限法への抗議となり、そうした掘り下げは暗示にとどめてまとめるには短編にせざるを得なかったとも思われるので、チャップリンとしてはこの形に落ち着けずには発表できなかったのでしょう。映画は移民船のデッキじゅうに船酔いでのびている移民たちの姿で始まります。甲板のふちに手をかけて海に乗り出してよろよろしているチャップリンの後ろ姿。吐いているのか……と見るやチャップリンが振り向くと、釣り上げた魚を手に満面の笑みを浮かべています。ロイドやキートンらもさかんに真似た錯覚ギャグです。チャップリンの手から跳ねた魚は船酔いでのびている移民の男のひとり(ジェイムズ・ケリー)の鼻をかじります。チャップリンは船の揺れにぴょんぴょん跳んで船酔いを防ぎますが、甲板中は移民たちが耐えきれず吐き始めます。ハッチの後ろにぐったりとエドナ・パーヴィアンスとその母(キティ・ブラッドベリ)が寄り添っています。ロシア系移民が派手に吐き、その吐きっぷりにさすがのチャップリンも催しそうになります。字幕「夕食時間」粗末な長テーブルが二列だけの食堂で移民たちはパンとスープだけの食事中ですが、船の揺れのためにチャップリンの前には皿が届きません。パーヴィアンスが食堂に来たのを見てチャップリンは席を譲って食事を諦めます。さらに揺れがひどくなり、チャップリンは甲板で5人の移民たちたちとチンチロをしています。チャップリンは大勝ちし、賭博に加わって無一文になった男(スタンリー・サンフォード)は眠っているパーヴィアンスの母のポケットを切り取り財布を盗んで財布をかたに賭博に戻ってきますが、今度はトランプ賭博でチャップリンが大勝ちします。男たちはケンカになり周囲の移民たちまで巻き添えを食いますが、チャップリンは逃げ切ってくるとまたオースティンが吐いているので方向を変えると、泣いているパーヴィアンスと顔をあわせます。母が財布をなくしたの、というパーヴィアンスにチャップリンは賭博で儲けた紙幣をパーヴィアンスのポケットに突っこんで感謝されます。字幕「自由の国に到着」胸元に荷札を下げた移民たちが自由の女神像と対比されます。ロープが張られ、先に通されたパーヴィアンス母娘と待たされたチャップリンは離ればなれになります。字幕「その後……空腹で一文無し」レストランの前で通行人が落としたコインをふらふらのチャップリンが拾います。チャップリンはレストラン内で喪章をつけたパーヴィアンスに再会します。チャップリンはパーヴィアンスと食事をしますが、ポケットをさぐると穴が空いていてコインがない。別の客が店内でチャップリンの落としたコインを使って給仕(エリック・キャンベル)への支払いに使っています。給仕はチャップリンのテーブルを通る時に会計皿からコインを落とし、チャップリンは拾い上げて会計しようとしますが、キャンベルはコインを歯で噛んで曲げ偽コインだと突き返す。パーヴィアンスの会計の時に一緒に済ませるとチャップリンは切り抜けますが、その時給仕たちが寄ってたかって一人の客(ジョン・ランド)をボコボコにして放り出します。何事かと訊くと手持ちの金が10セント足りなかった、と支配人(フランク・コールマン)に教えられる。いよいよ恐々とするチャップリンに、私は画家ですが、と客の紳士(ヘンリー・バーグマン)が訪ねてきます。お二人をぜひモデルに絵を描きたい、よければ明日からでも通っていただけないかという申し出にチャップリンとパーヴィアンスは顔を見合わせて快諾し、画家の支払いのチップ分をチャップリンは自分とパーヴィアンスの支払いにあて、画家から別れ際に2ドルを前借りしたチャップリンはパーヴィアンスを抱いてキスして結婚届け出窓口の中に入っていき、エンドマーク。と、これは細部を肉づけしていき橋渡しになるエピソードやシークエンスを加えれば、本来移民のチャップリンとパーヴィアンスの出会いと別れ、再会とハッピーエンドにいたる中編、いっそ長編向きの題材です。しかしミューチュアル社でのチャップリンの契約は短編だったので、第1次世界大戦参戦と移民制限法可決の生々しいうちにこれはぜひチャップリンが描いておきたい作品だったのでしょう。ここにはもう喜劇映画でありながらも本格的なドラマ指向が抑えきれないチャップリンがおり、ミューチュアル社での規模での映画作りに収まりきらない意欲がこぼれています。飛躍の大きい二部構成ですらここでは欠陥にはなっていません。

●12月27日(木)
チャップリンの冒険」The Adventurer (Mutual, '17.Oct.23)*26min, B/W, Silent : https://youtu.be/aQ7jxCC1ot8

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 ミューチュアル社でのチャップリン作品12編の最終作の本作がミューチュアル社作品中でも最大のヒット作となったのは4か月ぶりの新作という観客のチャップリンの新作への待望感の大きさ、それまでのミューチュアル社でのチャップリン作品の大好評ぶりがうかがえ、脱獄囚ものというキーストン社的な軽い(現実事件では大変なことですが、コメディにしやすいという意味で軽い)趣向に永遠の放浪者チャップリンのイメージをふくらませた、のちの『偽牧師』'23の雛型に当たる作品です。キーストン社時代の短編から『偽牧師』では大きな質感の違いがありますが、その橋渡しとして本作があると見ればチャップリン作品の系列的発展が見てとれます。ミューチュアル社第1作「チャップリンの替玉」以降ほとんど全ミューチュアル短編に出演してきたヘンリー・バーグマン、アルバート・オースティンはその後もほとんどチャップリン映画専属俳優になり(オースティンは『街の灯』'31、バーグマンは『モダン・タイムス』'36まで)、巨漢の仇役でなぜかいつも右足先にギプス姿(ギプスを取ると何の不自由もない様子なのは、裸足のマッサージ師になる「チャップリンの霊泉」で確認できますが)のエリック・キャンベルは本作を遺作に、'17年12月20日に購入したばかりの高級車を飲酒運転してタクシーに衝突、享年37歳で事故死しました。オースティンは冒頭だけタクシーの運転手役のチャップリンの一人芝居小品「午前一時」を含めてチャップリンのミューチュアル短編全作品、バーグマンとキャンベルも「午前一時」以外の11編に出演していますから、事故がなければキャンベルも引き続きチャップリン映画の常連俳優になっていたでしょう。映画の冒頭は居眠りする看守(フランク・コールマン)の後ろで砂地が揺れて縞の囚人帽のチャップリンが頭を出し、看守の銃口が目の前なのでギョッとして再び砂地に潜る場面から始まります。別の場所から出たチャップリンは看守が居眠りしているすきに海岸の断崖をよじ登って逃走し、追跡する看守を振り切って海に飛びこみます。チャップリンは看守たちに手こぎボートで追われますが、水着に着替えようとしている男のボートから水着を盗んで海岸に泳ぎつき囚人服から水着に着替えます。一方、近くの海岸ではエドナ・パーヴィアンスとエリック・キャンベルがデートしていますが、母(マルタ・ゴールデン)が溺れてる!とパーヴィアンスが海に飛びこみます。何でゴールデンが溺れているのか飛躍がありますが、水着姿なので遊泳していた、娘のパーヴィアンスと婚約者(らしい)キャンベルは母の遊泳についてきた、ということなのでしょう。キャンベルはおろおろ助けを呼ぶばかりでパーヴィアンスも母まで泳ぎつけず溺れかかり、対岸からその様子を見つけたチャップリンは海に飛びこみ、パーヴィアンスと母親の中間まで泳ぎついてまずパーヴィアンスを助けて岸まで上げ、再び飛びこみ母親を助けて岸に登る梯子まで母親を担ぎ上げますが、母親を受けとめたキャンベルはチャップリンを梯子から蹴落とします。母親を介抱してひと安心したパーヴィアンスは助けてくれたチャップリンが上がってこないので不審に思い海を見ると、気絶したチャップリンが漂っています。パーヴィアンスは湾岸警備員を呼んでチャップリンを助けさせます。もちろんキャンベルはとぼけたままです。パーヴィアンス家で目覚めたチャップリンは傍らの執事(アルバート・オースティン)を見て捕まってしまったかと一瞬愕然としますが、執事はお目覚めですとパーヴィアンスを呼び、パーヴィアンスは恩人チャップリンを歓迎して体調回復まで館への滞在を勧めてもてなします。執事から一家のタキシードを借りて紳士に着替えたチャップリンをキャンベルは当然快く思わず、隠れて二人はいがみあいます。パーヴィアンスはますますチャップリンに親しみを寄せ、帰宅した父(ヘンリー・バーグマン)を地方判事です、と紹介します。ヨットを出していたら遭難のご様子が見えまして、と握手していたチャップリンはぎょっとしてバーグマンを凝視し、バーグマンはどこかでお会いしましたか?といかぶります。女中部屋では女中が恋人の看守を連れこんでいます。一方別室で新聞を読んでキャンベルは脱獄囚チャップリンの手配写真を見つけてバーグマンに知らせに出ていきます。入れ替わりに入ってきたチャップリンは手配写真を発見、あわててペンで修正に取りかかります。キャンベルがバーグマンを連れてきてチャップリンの前でどうです、と見せますが、ぽかんとするバーグマン。写真には頬髭、あご髭だらけの顔写真で、チャップリンはすごい髭面ですな、と澄ましています。ちょうど判事宅に大勢の来客があり、チャップリンは手配写真の話題から救われますが、一家の恩人チャップリンに感謝と歓迎の会が始まります。チャップリンとパーヴィアンスは歓迎会から抜け出して二人きりになろうと女中部屋へ入ります。女中が慌てて看守を戸棚に押しこみ出ていきますが、チャップリンは戸棚を開けてしまい二人とも逃げ出します。ロビーではダンス大会がはじまっており、チャップリンは逃げたいのに逃げられません。刑務所には脱獄囚チャップリン発見の報が入ります。二階バルコニーでパーヴィアンスとアイスクリームを食べていたチャップリンはアイスクリームを落としてしまい、パーヴィアンスの母のドレスの背中に落下します。悲鳴を上げて背後のキャンベルに平手打ちする母、夫の判事もキャンベルに立腹します。そこに警官隊到着、邸内での追っかけがあって逃げてきた玄関先でパーヴィアンスとばったり顔をあわせたチャップリンは、追いついてきた刑務所長に握手しパーヴィアンスに紹介し、パーヴィアンスが助長と握手しているすきをついて逃げ出して、エンドマーク。と、本作は脱獄囚の変装逃走コメディとして満足のいく快作で、エッサネイ社では2、3編ごとに入れ替えてきたキャストをミューチュアル社では第1作から最終作まで固定したチームワークが大成功したのも、本作では特に一貫してチャップリンの仇役を演じてきた髭の巨漢キャンベルの卑劣な恋敵役の好演が素晴らしく、梯子から海へチャップリンを蹴落とす場面など実に決まっています。事故死していなければ以降のチャップリンのサイレント時代の作品にもバーグマンやオースティン同様永く重用された個性と思うと、ミューチュアル社時代=キャンベル仇役時代という見方もできるだけに大きい役割を果たしてきた俳優でした。本作は全体が流れるような運びでギャグを満載・連発し一気に見せる見事さを誇る一方、一貫したテーマの面では分散した観があり、自由を求める脱獄囚の逃亡コメディなのか、上陸階級に入りこむ偽紳士の風刺コメディなのか、事故救出をきっかけにしたパーヴィアンスとの恋敵を出し抜くロマンス・コメディなのか、性格の異なるテーマを継ぎあわせたところがあります。本当に逃走が目的ならばパーヴィアンス母娘を助ける余裕などなく、心底からの悪人ではないので助けたとしても判事邸で衣類を拝借したらさっさと逃走すべきで、脱獄囚である以上パーヴィアンスに惹かれて慕われても留まれば留まるほど危険なのですが、映画は渋滞なく次から次へと進むのでチャップリンのそうした迷走にテーマの不統一を感じさせず、成り行き上そうなったという具合に見せている。ミューチュアル社でのチャップリン作品の名作傑作は「チャップリンの放浪者」「チャップリンのスケート」「チャップリンの勇敢」「チャップリンの移民」など強烈なテーマの統一による訴求力がありましたし、「午前一時」「チャップリンの質屋」「チャップリンの舞台裏」「チャップリンの霊泉」などの小品・佳作でもそうでした。おそらくチャップリンはミューチュアル社最終作はテーマ面の訴求力は下がっても最後は力作ながら軽快軽妙なもの、流露感があってとにかく盛りだくさんに面白いもの、と割り切ったのだと思います。またこういう構成であれば短編としても満腹感があり長編相当の観応えもあるので、そうした作品として中心的なテーマの稀薄さを感じさせない成功作になっています。