人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年2月27日・28日/アラン・レネ(1922-2014)の初期4長編(後)

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 アラン・レネの長編劇映画は初期4作がとにかく論争を呼ぶ話題作で同時代のヨーロッパの映画監督にも少なからず影響力を誇った作品だったので、第5作『Je t'aime, je t'aime』'68が出品予定だった同年のカンヌ国際映画祭の映画人のストライキによって開催中止の不運に見まわれたあと(『Je t'aime, je t'aime』がレネ作品中の傑作とされるようになったのは21世紀以降でした)、ブランクをおいた第6作『薔薇のスタビスキー』'74、第7作『プロビデンス』'77、第8作『アメリカの伯父さん』'80は時事的題材をあつかい商業的成功を収めて観客・批評家からは平易な作風への転換を歓迎されるも初期のレネ作品を注目していた映画人・批評家からは落胆の声が上がるようになります。再びレネ作品が厳しい映画人・批評家からも賞賛されるようになったのはことさら現代性を強調せず軽みが超俗的な風格を感じさせるようになった『メロ』'86以降で、以降レネは、21世紀になっても『六つの心』2003でヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞・監督賞受賞、『風にそよぐ葦』2006では「カイエ・デュ・シネマ」誌の年間ベスト1作品に選ばれ、遺作『愛して飲んで歌って』2014は同年2月のベルリン国際映画祭アルフレッド・バウアー賞を受賞し、3月26日フランス公開を前にレネは91歳の高齢で逝去(3月1日)しました。短編ドキュメンタリーの監督として戦後間もない1946年から映画に携わったレネの出世作になったのは短編ドキュメンタリー「ヴァン・ゴッホ」'48でアメリカのアカデミー賞短編賞を受賞していますから、間に多少のブランクはあっても実に65年以上に渡って現役の第一線映画監督として活動し続けた幸福な映画作家だったのが特に晩年の悠々自適な作品群からは伝わってくるので、いまだに長編劇映画の初期4作のみを特別視するのは公平を欠く気もするのですが、公開時に即現代映画の古典かつ問題作としてその後も語り継がれる作品になったのは前回・今回の4作で、レネの映画が何よりそのスタイルの斬新さ・見事さに見所があるとすれば、それを見て取るのにもっとも適しているのが1作ごとに異なった実験性がある初期長編になるのも一応妥当と思われます。レネには「現代人すべてが観るべき映画」とまで評された別格というべき中編ドキュメンタリー作品「夜と霧」'56があり、衝撃的な傑作「夜と霧」の重みに較べると同作のスタイルとテーマの発展の上にあるヴァリエーションと感じさせる初期4作の劇映画は劇映画たる粉飾ゆえに訴求力や切迫感では「夜と霧」にはおよばないのではないか、とも思わせられるのですが、逆に「夜と霧」を劇映画に発展させてどんな作品が作り得るかを律儀にレネがそれを追求した成果が初期の劇映画長編と言えるので、ドキュメンタリー作品から劇映画に進んだ際にどのような創造力が働いたかを見るにもレネの優れた資質と手腕が確かめられます。「夜と霧」未見の方は、この30分の中編映画が「現代人すべてが必見」と呼ばれるゆえんを(全編の無料視聴リンクがないので)断片なりともご覧ください。
Nuit et brouillard (Argos Films, 1956.1.31)*32min, B/W : https://youtu.be/wTBwpKB16gA (Trailer) : https://youtu.be/3Wx3wkgZuf0 (Footage) : https://youtu.be/KQ2VtZ1P1SU (Ending)

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●2月27日(水)
『ミュリエル』Muriel ou le Temps d'un retour (Argos Films, Alpha, Dear'63.7.24)*111min, Color*日本公開昭和49年4月23日

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 レネの長編劇映画でも本作の日本公開は本国公開の11年後、フランス本国ではレネのカムバック作品と話題を呼んで試写段階から前評判も非常に高くヒットした新作『薔薇のスタビスキー』(フランス公開'74年5月)の日本公開(昭和50年5月)に先立って埋め合わせのように公開され、あまり話題にならない旧作公開に終わったようです。キネマ旬報ベストテンにも入りませんでしたが、昭和49年の外国映画ベストテンの1位~5位は1位フェリーニ『アマルコルド』、2位ベルイマン『叫びとささやき』、3位トリュフォーアメリカの夜』、4位ヒル『スティング』、5位ボグダノヴッチ『ペーパー・ムーン』で6位にブニュエルブルジョワジーの密かな愉しみ』、という具合で、いずれもヒットした話題作ですが、これなら上位に『ミュリエル』が入ってもいいんじゃないかと思えてきます。ただし本作は本国フランスでさえ公開時には観客やジャーナリズムの評判が非常に悪く、その代わりレネと同世代の映画監督は熱心に本作を擁護し絶賛した経緯があり、特にトリュフォーが本作をヒッチコック作品の全面的な引用にあふれて成功した作品とし、ゴダールも年間ベストテンで選んだ1位のブレッソンジャンヌ・ダルク裁判』、5位のロジェ『アデュー・フィリピーヌ』に次ぐ7位(フランス映画はこの3作のみ)に選び、さらにトリュフォーゴダールを輩出した「カイエ・デュ・シネマ」誌は1965年に戦後フランス映画ベストテンを発表しますが、1位ブレッソン『スリ』、他はジャン・ルノワールマックス・オフュルスジャン・コクトー作品が占める中、'60年代監督の作品は6位ゴダールの『カラビニエ』、7位レネ『二十四時間の情事』、9位レネ『ミュリエル』、10位ロジェ『アデュー・フィリピーヌ』が入りましたから「カイエ」誌はゴダール作品中もっとも不評だった『カラビニエ』、一般的にはほとんど注目されなかった無名監督のデビュー作『アデュー・フィリピーヌ』とともに『ミュリエル』を擁護しようという姿勢が見られます。フランス以外の欧米の批評家もトリュフォーゴダールの絶賛から慎重に『ミュリエル』に接し、本作が中年未亡人が昔の恋人を休暇に招くというごく現実的で日常的な設定のドラマでありながら『二十四時間の情事』『去年マリエンバートで』よりもさらに難解で複雑な作品になっており、これまで音声に非常に多彩な技巧を凝らし、モノローグかナレーションか実際の対話かわからないヴォイス・オーヴァーの手法を短編ドキュメンタリー時代以来得意としてきて長編劇映画の前2作でその頂点を示したレネが、本作ではごく日常的な対話以外には音声は現実音とテーマ歌曲しか使わず、映像は断片的な現在形のショットの頻繁なモンタージュからなり背景を説明するフラッシュバックやフラッシュ・フォワードもなく、登場人物の設定や人間関係もすべて会話から推察していくしかない。しかも登場人物のほとんどが秘密を抱えていて部分的に徐々に明らかになっていくために映画前半は登場人物たちの間に何が起こって映画がどこに向かっているのかわからない本作が本質的な革新性では前2作よりさらに一歩を進めたもので、そうした性格ゆえに観客やジャーナリズムと同世代の映画監督には大きな評価の違いが生じた、と解釈しました。本作はそれから徐々に'60年代映画の重要作と見なされるようになってきたので'74年にようやく日本公開もされたのですが、トリュフォーゴダールが本作を擁護したのも'63年に着手・撮影され'64年5月フランス公開となったトリュフォーの第4長編『柔らかい肌』がヒッチコック作品の技法を全面的に取り入れた映画だったこと、'60年5月には撮影完了し年内封切りを予定されながらもアルジェリア戦争批判を理由に第4長編『女と男のいる舗道』'62.2より遅い'63年1月まで公開延期されたゴダールの第2長編『小さな兵隊』との関わりもあったと思われ、やはりアルジェリア戦争後遺症の青年が次第に映画の焦点となっていく『ミュリエル』に先立って公開された『小さな兵隊』が興行的惨敗を舐めたように『ミュリエル』も興行的不振に晒されれば、『柔らかい肌』の興行成績もトリュフォーの長編第2作『ピアニストを撃て!』'60.11よりさらに振るわず、さらにゴダールの長編第5作『カラビニエ』'63.5は記録的不振のため1週間で上映打ち切りとなり、リヴェットやロメール、ドゥミの第1長編の不評、シャブロル作品の急激な観客動員数の激減とあわせて、これらの作品の悪評と興行的失敗からフランスの映画ジャーナリズムはヌーヴェル・ヴァーグの新人監督に執拗な攻撃を始めるようになります。本作が日本公開された頃にはそれらの'60年代監督たちも中堅監督と認められるにいたっていたので『ミュリエル』は注目される問題作にはならなかったのですが、本国での悪評と興行不振が日本公開を遅らせたのが本作を日本でも大きな反響を呼んだ前2作とは比較にならないほどあまり観られていない作品にしてしまったのは残念で、本作は前2作からさらに一歩を進めた傑作と言えるものです。これも公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
[ 解説 ] 心地よい小さな幸福に対する皮肉がこめられた、"幸福の文明"とでも名づけられる一種の不快をしみこませたアラン・レネ監督作品。製作はアナトール・ドーマン。脚本・台詞は、「黒人の女」の作者でレネの短篇「夜と霧」にも協力したジャン・ケイロル、撮影はサッシャ・ヴィエルニー、音楽はハンス・ヴェルナー・ヘンツェが各々担当。出演はデルフィーヌ・セイリグ、ジャン・ピエール・ケリアン、ニタ・クライン、ジャン・バチスト・チェレ、クロード・サンヴァル、マルティーヌ・ヴァテルなど。
[ あらすじ ] エレーヌ・オーガン(デルフィーヌ・セイリグ)は未亡人で、養子のベルナール(ジャン・バチスト・チェレ)との二人暮しで、ドーヴァー海峡に面した町ブローニュに住んでいた。平穏だが孤独な毎日の生活をおくるエレーヌは、ある日、かつての恋人アルフォンス(ジャン・ピエール・ケリアン)に会いたい衝動にかられ、彼の居所を探しあてて手紙を書いた。アルフォンスはエレーヌが十六歳のときの初恋の相手だったが、第二次世界大戦の勃発によって、二人はひきさかれた。現在、バーのマネージャーをやりながらこれといってあてがなかったアルフォンスは、エレーヌの手紙を受け取ると、姪だという若い女フランソワーズ(ニタ・クライン)を連れて彼女の家にやってきた。実は、フランソワーズはアルフォンスの情婦だった。エレーヌの強い希望で、二人はその日から彼女の家で暮すことになった。エレーヌは、情夫のド・スモーク(クロード・サンヴァル)の手引きで骨董店を経営している。息子のベルナールはアルジェリア戦争から帰還して以来、"ミュリエル"についての悲しい思い出のために打ちひしがれており、恋人のマリー・ドウー(マルティーヌ・ヴァテル)の傍にいるときだけ、わずかに心の安らぎを見出していた。アルフォンスとの再会に、エレーヌは何を求めたのだろうか? 彼を再びわがものにすることか、自分の生活を引きしめることか、それとも現在の生活から脱出しようとしたのか――彼女自身にも判らなかった。それは、アルフォンスがなぜ彼女のところへやってきたのかが判らないのと同じことだった。二週間という間、エレーヌは客たちをもてなしながら、情夫のド・スモークと会い、友人たちを招き、カジノに通う金策に神経をすりへらしながら、彼女の生活を続けていた。一方、アルフォンスとフランソワーズ、ベルナールとマリー・ドウーらも、自分たちの生活を続け、家の外と内を行ききした。たまにお互いがぶつかり合うことはあっても、彼ら自身のドラマは何の結びつきもなく、まじわり合うだけだった。
 ――トリュフォーが言うほど本作がヒッチコックに由来する映画とは思えませんが、レネの長編としては初めてのカラー作品である本作はごく卑近で日常的な舞台背景であることもカラー作品としての必然性と効果を感じさせます。本作の登場人物たちは劇映画らしく普通に名前を持ち、日常的な生活を営んでいる人々で、そうした意味では極端な虚構性を押し出した実験的作品の前2作から一転して初めてレネが作った劇映画らしい劇映画とも言えるのに、映画全編に渡る無人称視点の短い同時進行ショットのモンタージュはプロットを明示しストーリーを運ぶのとは異なる機能を果たしているのが感じられ、同時生起的に複数の主要人物に何が起きているかを伝えてはくれても人物同士の関係からドラマがどう発展していくかは予想もつかないものになっています。また短い断片的ショットは冒頭のデルフィーヌ・セイリグ演じるヒロインの一連の動作に顕著なようにしばしば人物の身体を部分的に分割するので、セイリグはのちにトリュフォーも『夜霧の恋人たち』'68のヒロインに起用しますが、本作冒頭の素早いカット割りには女性の身体の各部分(特に脚)を強調して見せるような印象があり、レネはフェティシズムは稀薄な映画監督と思われるのでレネ自身はヒロインの身体的存在感と速度を意図したモンタージュと思われますが、ヒッチコックの映画にも女性の身体へのフェティシズムを読み取るトリュフォーにはこれが映像的快感だったと思われる。『柔らかい肌』からあとのトリュフォーの映画は女性の脚へのフェティシズムが目立ちます。こうした賞賛はルイス・ブニュエルブレッソン修道院映画『罪の天使たち』'43を観て反抗的なヒロインが懲罰に先輩修道女の足に接吻を強いられる場面を絶讃したのを思い出させるので、トリュフォーの賞賛も本作のスタイルやスタイルから生じる映像に偏しているきらいがある。一方『小さな兵隊』『カラビニエ』の監督であるゴダールは、もともと長編第1作『勝手にしやがれ』'60を撮る企画がまわってきた時に『二十四時間の情事』のあと何を作ったらいいのかというくらいレネに心服していたそうですし、「夜と霧」『二十四時間の情事』がレネの戦争映画だったようにゴダールの戦争映画である『小さな兵隊』を作った経験があり、しかも『ミュリエル』公開の半年前まで3年間も上映許可が下りず公開されても不評で興行不振だった、戦争映画第2作となる2か月前の新作『カラビニエ』は輪をかけて悪評惨敗だったと、『ミュリエル』を賞揚するのがせめてもの映画ジャーナリズムへの抵抗だったと思えます。本作は現実的で等身大の人物たちのドラマであり、血のつながらない義母と息子、義母の昔の恋人、義母と息子それぞれの日常的な人間関係からなるドラマですが、背後関係がわからず現在形だけで進んでいく。しかもそれがあまりに頻繁なので各ショットのモンタージュは現在形であっても実質的にフラッシュバックやフラッシュ・フォワードを形成していますが、中盤からヒロインの養子の青年がアルジェリア戦争('54年~'62年)の徴兵経験に悩まされているのが押し出されてきます。青年が恋人に語り、義母にごくわずかに洩らすのは同世代の6人の兵士と拷問死させてしまったアルジェリア民族の少女で「ミュリエル」と呼んでいた少女の死への罪障感であり、フランス政府とフランスの市民社会への不信であり、それは義母や町の人々はもちろん恋人にすらも懸隔と疎外感を感じさせ、ミュリエルを拷問死させた仲間の兵士だった青年が帰郷し何の罪障感も抱いていないのを知って爆発します。映画のクライマックスで義母の昔の恋人は現在は詐欺師同然の人物であることが暴露され、それを始めに人物関係のほとんどが崩壊します。この映画の手法はほとんどエドガー・G・ウルマーの『恐怖のまわり道』'45やハワード・ホークスの『三つ数えろ』'46のようなミステリー映画なのですが、『恐怖のまわり道』のように巻きこまれ型被害者、『三つ数えろ』のように私立探偵に単一に視点が統一されておらず、またそれぞれの人物が視点人物になってもいないため観客が映画から何を読み取るかは『二十四時間の情事』『去年マリエンバートで』よりもややこしい映画になっている。セイリグ演じる中年未亡人のヒロインを主人公とすれば家庭・人間関係崩壊に直面した女性を描いたフェミニズム映画とも観ることができます。確かなのは『二十四時間の情事』『去年マリエンバートで』は脚本の文学性に多くを負う映画という側面が否定できませんが(また脚本をレーゼ・ドラマや舞台劇に置き換えられることも考えられますが)本作はやはり優れた脚本を感じさせながらも映画としてのみ実現可能だった作品と感じられるので、1時間半ほどだった前2作より一見シンプルな内容の『ミュリエル』が執拗なまでのカット数によってもっと長い映画になったのも映画としての必然性を感じさせます。また一種の様式性を感じさせる前作より本作はこの手法から生まれる豊穣なヴァリエーションを予期させるものであり、完成度の高い前2作よりはるかに視界の開けた印象を感じさせます。

●2月28日(木)
『戦争は終った』La Guerre est Finie (Europa Film, Sofracima'66.5.11)*116min, B/W*日本公開昭和42年11月15日

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 前作『ミュリエル』は『去年マリエンバートで』同様フランスとイタリアの合作で、ヴェネツィア国際映画祭国際批評家協会賞主演女優賞をデルフィーヌ・セイリグが受賞しましたが、フランス国内で観客・ジャーナリズムに非常に反感を買った作品だったのは先に書いた通りになるそうです。本作は「夜と霧」以来レネ作品を製作してきたアナトール・ドーマンアルゴス・フィルムから離れてフランスとスウェーデンの合作で製作された作品で、カンヌ国際映画祭批評家連盟賞とルイス・ブニュエル賞、ルイ・デリュック賞、シュザンヌ・ビアンケッティ賞、ニューヨーク映画批評家賞外国映画賞を受賞し、数々の受賞を受けて本国公開から2年後には日本公開され、キネマ旬報ベストテン第3位と『去年マリエンバートで』と並ぶ高い評価を受けました。キネマ旬報のこの年の外国映画ベストテンは5位までが1位ポンテコルヴォ『アルジェの戦い』、2位アントニオーニ『欲望』、4位ジンネマン『わが命つきるとも』、5位ゴダール気狂いピエロ』で、日本映画は1位は小林正樹『上意討ち 拝領妻始末』、2位が今村昌平『人間蒸発』、3位は岡本喜八『日本のいちばん長い日』、4位が成田巳喜男『乱れ雲』、5位に増村保造『華岡青州の妻』と、何というか映画の時事的評価など水物という気が強くします。本作はフランスの国民的歌手・俳優のイヴ・モンタンを主演に起用し、スペイン内戦以来の政治活動家のジレンマを描いたもので、いわばフランスの観客には距離を置いて観られる内容になっている。技法としては『ミュリエル』を引き継いでおり、『ミュリエル』が不評でフランス公開が振るわず日本公開も見送られたため日本では本作が過大評価された気味が大きいと思われるので、早く公開されてもっと高く評価されるべきだった『ミュリエル』にかかっていたレネへの期待が本作『戦争は終った』にくり越された印象があります。政治的に緊迫した状況に置かれた主人公という設定でもごく日常的で卑近な市民生活から大きなカタストロフを引き出した『ミュリエル』より本作には作為的な政治ドラマ性があり、技巧的には『ミュリエル』を引き継いでいるとはいえ時事的な話題性のある問題作を意図した分、映画としてはそれ以上の広がりに欠いているとも言えるので、『ミュリエル』と『戦争は終った』はレネの作品としては2作まとめて新たな技法を試みた作品と言えますが、当時『ミュリエル』を遠ざけていた世論からは『去年マリエンバートで』以来のレネ作品として歓迎されたとしても、『戦争は終った』自体は『ミュリエル』におよばないものに思えます。昨年マルセル・カルネの『夜の門 -枯葉-』'48をひさびさに観直して、同作はカルネの映画ではあまり好評ではなかったそうですしカルネともあろう監督がと思うような稚拙なスクリーン・プロセスの使用もあり、またメロドラマと戦後的テーマである戦争責任者への追及がうまくかみ合っているのか外してしまっているのか日本人観客にはよくわからない。フランスで不評だったのはたぶんそこらへんがしくじったのだろうと思われる作品でしたが、同作がほとんど映画デビュー作に当たるというイヴ・モンタンの好演で情感にあふれ十分に楽しめる映画でした。元レジスタンス・グループの闘士のモンタンが戦時中の密告者と邂逅し告発するのが『夜の門』の戦争・政治映画的側面でしたが、そういや昔観た時まったく関連性に気づかなかったレネの『戦争は終った』もイヴ・モンタンが演じる政治活動家の彷徨を描いた映画だったな、ほぼ20年を隔てた作品だけれどレネやモンタンが『夜の門』を意識せずに『戦争は終った』を作るわけはないので、また観直す時に確かめてみようと思っていたのです。それでどうだったかと言えば、この2作は予想していたような、『夜の門』の主人公がさらに政治活動家として20年後に『戦争は終った』の主人公になるにいたった、とはまったく見えません。全然別種の映画です。モンタンは色男ですから本作でも女にモテますが、国内外の映画賞をどっさり受けたのは最初の2長編を褒めそやしておいて『ミュリエル』を黙殺した映画ジャーナリズムの埋めあわせのような評価と思えてならない。『ミュリエル』でフランス政府へのアルジェリア戦争批判をこめてバッシングを食らったレネが『戦争は終った』ではスペインのフランコ軍事独裁政権へのレジスタンスを描いて今度は広く賞賛されるというのは、レネとしては一貫しているとしてもジャーナリズム評価の日和見を感じずにはいられないので、しかも『ミュリエル』で使われた技法が本作では主人公に焦点を絞ったためにずっと平易に見えるものになっているのが標準的な映画技法からはこれでも先進的に見えるとしても、レネの作品系列からは技法的にもテーマの面も収束の方向に向かいつつあると思われるのがこの『戦争は終った』です。本作も公開当時のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ 解説 ] ホルヘ・センプランの脚本・台詞を「去年マリエンバートで」のアラン・レネが監督した、スペイン内乱以来、二十五年間、反フランコ派の地下運動をしている中年の革命家の、三日間の動きを描いたもの。撮影はサッシャ・ヴィエルニー、音楽はジョヴァンニ・フスコが担当した。出演は、「グラン・プリ」のイヴ・モンタン、「沈黙」のイングリッド・チューリン、「まぼろしの市街戦」のジュヌヴィエーヴ・ビジョルド、「昼顔」のミシェル・ピッコリなど。製作はアラン・ケフェレアン。
[ あらすじ ] 一九六五年四月十八日、日曜日早朝。スペインとフランスの国境で通過の順番を待っている男ディエゴ(イヴ・モンタン)の顔には、不安と苦い思いとがありありと見える。彼は四十歳。少年時代にスペイン内乱をさけてパリに移り住んだが、それ以来二十五年間、反フランコ運動に加わっている革命運動家である。国境警察員から訊問を受けたディエゴは"ルネ・サランシュ"名義の旅券を見せた。警察員は裏付けをとるため"ルネ・サランシュ"の自宅に電話をかけたが、彼の娘ナディーヌ(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)が、うまく答えてくれたので無事国境を通過できた。国境の駅に向ったディエゴは、連絡員から仲間のホアンがマドリッドに向け出発したことを知った。その頃マドリッドでは、反フランコ派の一斉検挙が始まっており、ディエゴの役目は、仲間のマドリッド入りを阻止することにあった。しかし、彼は、ホアン(ジャン=フランソワ・レミ)を救いにスペインにもどることより、一刻も早くパリの仲間たちに、この状況を伝える道をとった。パリに着いたディエゴは、すぐホアンの居場所をつきとめた。そして彼に電話連絡しようとしたが仲間のひとりに反対され、この件は明日の会議の決定を待ってから、ということになった。その後ディエゴはナディーヌのアパートを訪れ、国境での急場を救ってくれた礼をのべた。親子ほど年の違う二人だったが、同じ秘密を持つ故か、心の通じあうものがあった。二人は結ばれた。四月十九日、月曜日。久しぶりに、わが家へ帰ったディエゴ。待ちわびていた妻のマリアンヌ(イングリッド・チューリン)とすごせる時間もあまりない。彼は出発を急ぐ。幸福の幻影が、わが家に残るのを恐れるかのように……。スペインと革命運動家たち――この二つがディエゴの人生そのものであることを理解した妻は、一緒に出発する決心をした。数時間後、ディエゴをまじえて最高会議が開かれた。その結果、ひとり国境を越えてきたディエゴの行動は軽率だと批判され、休養を命じられた。しかし、家へ帰ってみると、情勢急変のため、明日バルセロナに出発せよ、という命令がはいっていた。何の説明もなく急変の指令を発する革命運動の指導者たちに、ディエゴはやり場のない怒りを感じるのだった。四月二十日、火曜日。朝、ディエゴはナディーヌたちのグループと会った。彼らは〈革命的行動〉というレーニン集団だと名のり、ディエゴたちの行動を修正主義だと鋭く批判した。彼らのあまりに子供らしい意見に、二十五年間も運動に従事しているディエゴは怒りを感じ、昨日、彼らから爆弾だといわれてあずかったものはプラスチック製だったと告げて、ひとり立ち去った。彼は再び車でスペインに向った。その頃すでに警察では彼の正体をつきとめていた。彼を再びパリに戻すべく、マリアンヌがオルリー空港からバルセロナに向って飛びたっていった。
 ――この映画も観客にほとんど説明もないままに主人公の行動を現在形で細かく描き、次第に主人公の行動の意味や置かれた状況が浮かび上がってくる手法をとっていて、公開当時の日本での批評を読むと現在形に紛れこんでくるフラッシュバックやフラッシュ・フォワードが非常に斬新に受けとめられたようです。それらがすでに『ミュリエル』でごく現実的・日常的なシチュエーションの中でより巧みに行われていたのは前述の通りで、どうやら当時『ミュリエル』は日本公開見送りどころか映画人への試写も行われていなかったようなので、フランス本国での不評は伝わっていても日本の一般の観客はもちろん批評家のほとんども『ミュリエル』を飛ばして『去年マリエンバートで』の次のレネの新作として接して、政治活動家を描いた題材と新たなレネの手法に高い評価を与えたものと思われます。戦後すぐの『戦火のかなた』以来、かつての『灰とダイヤモンド』や同年の『アルジェの戦い』のように戦後の日本の映画界では周期的に戦争・政治映画への関心を高める傾向があり、それを言えば戦後の日本映画でもっとも高く評価されてきた映画監督は今井正であり、亀井文夫山本薩夫といった社会民主主義系の映画作家だったので、『戦争は終った』はついにレネも韜晦した内容から転じて民族解放運動を支援する正統派政治映画の作り手になったという受けとめられ方があった、と考えられます。技法的にも本作でレネの手法は政治活動家の不安に満ちた道行きを不確定で不穏なムードを漂わせながら暗示的に描いた、とサスペンス映画的に見せるもので、そういう意味では『ミュリエル』のように謎めいた印象は与えない、題材と技法がよくなじんだ作品になっている。レネの本作の技法は当時まだ斬新さを失っていないものだったので、初期2作よりもさらに円熟した手腕が確かめられる映画と好評だったのでしょう。しかし実際は『ミュリエル』でレネはもっと不穏な映画を作っていたので、『ミュリエル』が不穏すぎて黙殺された結果が本作を持ち上げさせる要因になったのなら、むしろ順序は逆に働くべきだったように思えます。レネが先に『戦争は終った』を発表して好評を得、次に『ミュリエル』だったら観客や映画ジャーナリズムは『ミュリエル』を批判しようがなかったはずで、今回続けてこの2作を観直すと『戦争は終った』が悪い映画というのではないのですが、悪評をこうむった『ミュリエル』を補い名誉挽回するような作品としてあえて『ミュリエル』の一歩手前、まるでその前作であるかのように作られたのが本作の技法的な応用、題材の受け入れられやすさに現れているように思え、本作は『ミュリエル』と合わせて観ないと現在では興味が半減する作品に思えます。ジャン・ダステ、ミシェル・ピコリらが出演しているのにほとんど印象に残らないのも二人のヒロイン、ビジョルドとチューリンの描き方の不足とともにモンタンばかりが動き回っている映画に見え、アントニオーニが『欲望』『砂丘』と成否はともかく作品世界を広げていたのに較べると本作のレネは、『ミュリエル』で踏み出した可能性を狭くまとめてしまったように思えるのです。