人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年9月1日~3日/ ミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)の劇映画全長編(1)

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 ミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)は生前から毀誉褒貶かまびすしかったイタリアの映画監督で、一時は盟友でもあったフェデリコ・フェリーニ(1920-1993)と人気と評価をともに二分しながら常に否定的評価もつきまとい、過去の人と見なされるやいなや急激に存在感が薄れ、生きながらにして映画史の彼方に葬られてしまったような監督です。しかしこの映画監督は影響力では破壊的なまでに広範な波及性を誇った人で、特に1957年の傑作『さすらい』から10年間で『情事』'60、『夜』'61、『太陽はひとりぼっち』'62、『赤い砂漠』'64、1966年のカンヌ国際映画祭グランプリ作品『欲望』まで発表された6作はアメリカ映画や日本映画も含めて技巧、テーマにいたるまでさまざまな影響作品、模倣作品を生み出しました。従来の基本的な映画技法とはまったく異質な発想で劇映画を創出してみせたアントニオーニの映画は同業者にこそ強烈なショックをあたえたので、同時代の尖鋭的映画監督だったイングマール・ベルイマンジャン=リュック・ゴダールにもアントニオーニを意識した作品を製作させ、特にベルイマンは1961年の『鏡の中にある如く』から1976年の『鏡の中の女』までの15年間、連続してまたは断続的にアントニオーニからの影響と格闘し続けます。日本でも当時若手監督だった吉田喜重のみならず中平康増村保造ら技巧の冴えた中堅監督にもアントニオーニに感化された作品があり、アメリカ映画では犯罪映画、西部劇といったジャンル映画の中までアントニオーニの影響が入り込みます。商業劇映画のアヴァンギャルドとしてアントニオーニと並び称されたアラン・レネや、ヌーヴェル・ヴァーグ映画作家中もっとも多産かつ多彩な作品で革新的存在とされたゴダールでさえもアントニオーニほど即座にはメジャーな商業映画界へのストレートな影響が現れなかったので、おそらくそうした事情もアントニオーニを早々と過去の人とする一因になったと思われます。アントニオーニの長編劇映画(長編ドキュメンタリー、テレビ用作品除く)は1950年から1995年までに全14作、うち'50年代に5作、'60年代に5作、'70年代に2作、'80年代に1作、'90年代に1作きりです。最後の長編(実際は全4話からなるオムニバス作品)は高齢を理由にネーム・ヴァリューのある現役監督を共同監督にしないとスポンサーがつかず、10年あまり企画段階で製作がストップし、マーティン・スコセッシヴィム・ヴェンダースがカンパを呼びかけ、結局ヴェンダースの共同監督が決定してようやく実現しました。ほぼ同じ監督キャリア(ちなみに同年同月同日逝去)のベルイマンに42作の長編劇映画があると思うと、アントニオーニの全14作の寡作さがおわかりいただけるでしょうか。また、8歳年下のフェリーニより2年早く監督デビューしながらフェリーニが単独監督第2作『青春群像』'53(ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞受賞)で早くも国際的に注目され、第3作『道』'54(ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞、アカデミー賞外国語映画賞受賞)、第5作『カビリアの夜』'57(アカデミー賞外国語映画賞カンヌ国際映画祭女優賞受賞)で英語圏の大衆的人気もつかみ、第6作『甘い生活』'59(カンヌ国際映画祭パルム・ドール、NY批評家協会賞外国映画賞受賞)で天下を取ったようには効率良いヒット作の連発には敵わず出世が遅かったため、遅咲きにして凋落も早かった映画監督の典型とされてしまったのです。第1回はいまだに日本劇場未公開の初期3作品とアントニオーニ原案・共同脚本のフェリーニ作品(単独監督第1作)を観直してみました。

●9月1日(金)
『愛と殺意』Cronaca di un amore (イタリア/ヴィルラーニ・フィルム'50)*98min, B/W

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・原題直訳は「ある愛の物語」で『愛と殺意』は日本でのテレビ放映題名。マルセル・カルネ『悪魔は夜来る』'42の助監督、ロベルト・ロッセリーニパイロット還る』'42の共同脚本からドキュメンタリー短編映画の監督に進出したアントニオーニの長編劇映画第1作。原案・台詞アントニオーニ自身によるオリジナル脚本作品(4人のシナリオライターとの共作)。撮影エンツォ・セラフィン、美術ピエロ・フィリッポーネ、音楽ジョヴァンニ・フスコ。ブンタ・デル・エスコ祭監督大賞、イタリア映画記者協会銀のリボン賞受賞。ミラノの私立探偵カローニ(ジーノ・ロッシ)は富豪の実業家フォンターナ(フェルディナンド・サルミ)から結婚7年になる妻パオラ(ルチア・ボゼー)の結婚前の経歴調査を依頼される。フォンターナは最近パオラの結婚前の写真を見つけ、パオラの故郷フェラーラの町で何があってミラノに上京してきたのか疑問を抱いていた。フェラーラに調査に出向いたカローニはすぐにパオラの旧友ジョヴァンナとマティルデ(ヴィットリア・モンデッロ)の所在を探りマティルデの婚家を訪ねて、マティルデの帰宅を待ちながらやはりパオラと幼なじみのマティルデの夫からジョヴァンナは友人グイド(マッシモ・ジロッティ)との結婚式を控えた数日前にエレベーターの転落事故で事故死した、と知るが、帰宅したマティルデ本人はカローニの調査への協力を拒否する。マティルデはすぐグイドに探偵カローニの調査の件を手紙で報らせる。グイドはパオラのオペラ鑑賞の社交帰りを待って再会し、翌日二人きりで密会する。マティルデの手紙を検討した二人は手紙はマティルデの金銭目的の脅迫ではないかと疑い、しばらく情報交換のために会う約束をする。一方カローニはパオラがジョヴァンナの婚約者グイドと共に事故に何らかの関与があったのではないかと疑い、式場のメイドから事故の直後にパオラとグイドが動揺もせず事故の様子を知ろうともしなかったと聞き出し、パオラのミラノ上京がジョヴァンナの事故死から2日後で、知りあったフォンターナとすぐに結婚しており友人の死をフォンターナには話題にしたこともないことを知る。ミラノではグイドとパオラは密会のための部屋を借りるまでに関係が蘇り、パオラは貧しい自動車ディーラーのグイドに顧客を紹介する機会を作る。やがてパオラはグイドに夫の殺害を教唆し、通勤路の帰り道のフォンターナを車が徐行運転する橋で窓から射殺する計画を提案するが、グイドは拒絶する。パオラはエレベーターが過ぎて行った後でジョヴァンナが転落することを知りながらグイドが事故を傍観していたことを間接的殺人として責め、グイドに計画を承諾させる。捜査中のカローニは報告を要求されてジョヴァンナの事故死とパオラとグイドの共同の関与の疑惑をフォンターナに提出する。フォンターナは事態を了解する。帰途についたフォンターナの車に距離を置いてグイドが自転車で追う。フォンターナの車が橋に差しかかり、グイドが追いつこうとした途端に衝突と爆発の音が響き、暗い橋の上で転覆した車が炎上してフォンターナの遺体が車外に投げ出されている。パオラは自宅に訪ねてきた警官を逮捕に来たと疑いグイドと会い、夫の死への関与がないのを知る。パオラはグイドに愛を誓い、グイドも明日の密会に同意するが、パオラが去るとグイドは街に出てタクシーを呼び止めて乗り込み、駅へ向かうように告げる。

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 フランソワ・トリュフォーが「不誠実で欺瞞的」と口をきわめて罵倒し、トリュフォーの師の映画批評家アンドレ・バザンが「イタリアのネオ・レアリズモにおける『ブーローニュの森の貴婦人たち』'45(ロベール・ブレッソン作品、トリュフォーが最愛の映画に上げる1作)」と相反する評価を表明した『郵便配達は二度ベルを鳴らす』的イタリア版フィルム・ノワールで(実際マッシモ・ジロッティヴィスコンティの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』'42の主演俳優だった)、前半は明確なプロットとストーリーにアントニオーニもデビュー作ではそうだろうと安心するが中盤以降はだらだらして焦点のつかめない、見慣れたアントニオーニの作風がのぞいてくる。主人公たちがジョヴァンナの事故死にどれだけ責任を感じているかもわからないしフォンターナの死も事故か自殺かもわからず(さかのぼってジョヴァンナも事故死ではなく自殺の可能性が想像されてくる)、結末でグイドはミラノを去っていくのか、一旦フェラーラの町に戻るつもりなのか(その場合はマティルデ夫妻に伝える用事があるだろう)、翌日には何もなかったような顔をしてパオラと会うのかもわからない。典型的なフィルム・ノワールのふりをしてフィルム・ノワールの観客が期待する決着を何ひとつ着けない反フィルム・ノワールになっている。非常に長い長回しの移動ショット、車中の会話ショットの背後に流れるスクリーン・プロセスによらない外景など撮影技巧の高度さ、背景音楽ではなく音楽の使用自体に異質な効果を持たせた画期性、美術と撮影の統一的効果など細かな点まで計算されているのに物語の中心にはぽっかり穴が空いている。これをトリュフォーが不誠実で欺瞞的と言うのもわかるし、イタリアのネオ・レアリズモ作品の系譜で男女関係を陰謀として描いた映画としてフランス映画の近作中から『ブーローニュの森の貴婦人たち』を想起したバザンの感想もゆえなしとは言えない(もっともアントニオーニはネオ・レアリズモのドキュメンタリー映画作家上がりだが、劇映画ではキャストはすべてプロの俳優や映画関係者を起用している)。栴檀は双葉より芳しの喩えがあるにしても、このデビュー作は当時あまりに観客の理解を越えたものでありすぎただろう。面白い映画観たいな、とふらりと観た観客に「あー面白かった」と思わせるような映画ではまったくない。デビュー作からアントニオーニはアントニオーニで、まったく喰えないデビュー作を作った。それでもこれは絶頂期のアントニオーニと較べればまだしも娯楽映画らしい内容の作品でもある。

フェデリコ・フェリーニ(原案・共同脚本M・アントニオーニ)『白い酋長』Lo sceicco bianco (イタリア/P.D.C'52)*83min, B/W

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・アントニオーニ原案、脚本アントニオーニとフェリーニの共作オリジナルでフェリーニは年長の監督アルベルト・ラットゥアーダ(1914-2005)との共同監督作品『寄席の脚光』'50(ラットゥアーダ7作目、フェリーニ初監督作)に続く作品だが単独監督作品の本作が実質的にはフェリーニの長編第1作とすべきもの。撮影アルトゥーロ・ガッレア、音楽は早くもニーノ・ロータが担当しすでに『道』を予告するような華麗な映画音楽が聴ける。本作の翌年に『青春群像』、その翌年に『道』ときてはフェリーニの才気、最短距離で出世してみせた無駄のないキャリアに感心し、まるで松竹新喜劇のような他愛ない艶笑ラブコメディの本作から『青春群像』への飛躍が特にすごい。田舎から親戚回りとローマ法王の新婚夫婦への祝福謁見を兼ねた新婚旅行で新婚夫婦のイヴァン(レオポルド・トリエステ)とワンダ(ブルネラ・ボーヴォ)がローマに上京してくる。予定まで時間があると知ったワンダは大ファンの活劇スター、「白い酋長」リボリ(アルベルト・ソルディ)からのファンレターの返事の「ローマに来たら会いにおいで」を真に受けて夫のスキをつきリボリの事務所を訪ねる。これからロケに出発する撮影隊はワンダをエキストラと勘違いしてトラックに乗せて海辺のロケ地で撮影が始まり、ワンダは「白い酋長」の女奴隷役に抜擢される。一方イヴァンは法王との謁見に同行する親戚の対応に大わらわで、ワンダの具合が悪いと言い繕いながらワンダ探しに奔走するが夜になっても帰らないので気が気ではなくなり橋の上で立ち尽くすと、偶然通りかかった娼婦カビリア(ジュリエッタ・マシーナ)はイヴァンを励まそうと通りかかった友人のサーカス芸人を呼び止めて火吹き芸を披露してもらううちカビリアの方がイヴァンそっちのけに火吹き芸に夢中になり芸人にアンコールの喝采を送る。撮影中に小舟で沖に出たリボリは今の妻には脅迫されて結婚したとワンダの同情を惹いて口説くが、海岸に戻るとリボリの妻が嫉妬で食ってかかり、リボリはこの女が誘惑してきたんだと言い訳しながら撮影隊とともに撤収する。途方に暮れたワンダは下心のあるスタッフにローマまで連れ戻してもらって逃げてくるが夫の体面を丸潰しにしたと思うと帰れず川に身を投げるも、水深は水溜まりほどしかない。目撃者の連絡で病院に搬送されたワンダは翌朝イヴァンに迎えられ、親戚一同との約束の法王拝謁に間に合い、教会の前で「あなたが私の酋長」と囁く妻をイヴァンはぎこちなく抱きしめてハッピーエンドとなる。

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「白い酋長」ことリボリの撮影は映画ではなくて、当時イタリアで流行した写真集形式のコミックスらしい。フェリーニ自身が映画界に入る前まではコミックス作家をしていたという。新婚の若妻が田舎から都会に出てきて浮かれて夫とはぐれる話はどこかであったと思ったらジャン・ヴィゴの『アタラント号』'34だが、『アタラント号』は内容が奔放すぎると上映禁止になったり1/3がカットされた無惨な短縮改題版がわずかにB級映画扱いで2~3本立ての二番館上映されていた期間が長く続き、ひょっとしたらマルセル・カルネ経由でアントニオーニが『アタラント号』を知っていた可能性はあるが本作の製作年には完全版はもちろん短縮版すら観る機会があったとは思えない。習作時代のフェリーニと思えば好ましく、キャストも無名役者から自由に選べたそうで、イヴァン役のギョロ目の俳優始め変な顔好みのフェリーニの嗜好はすでに表れている。マシーナの登場するシークエンスは本作の白眉で、あってもなくても差し支えないエピソードだが本筋以上に面白い。『愛と殺意』の取っつきづらさに対して本作は最初からフェリーニには愛嬌や大衆性が備わっていたんだな、と気づかせられ、本作自体は興行的に大失敗だったらしいが田舎町映画の次作『青春群像』や、その次の旅芸人映画の『道』の作者たるペーソスは他愛ない喜劇映画の本作にもあり、ただしフェリーニのそうした面はそれが本質なら案外平凡で、それほど貴重な資質とは思えないという気もする。

●9月2日(土)
『敗北者たち』I Vinti (イタリア=フランス/フィルム・コステッラツィオーネ, ソサエテ・ゼネラーレ・ド・シネマトグラフ'52)*112min, B/W

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・劇映画第2作で3部構成(フランス編、イタリア編、イギリス編)から成るオムニバス長編。アントニオーニ自身の原案・台詞によるオリジナル脚本(3人のシナリオライターとの共作)。撮影エンツォ・セラフィン、美術ジャンニ・ポリドーリ、音楽ジョヴァンニ・フスコ。第二次世界大戦終戦後の青少年世代の荒廃と犯罪を3か国それぞれに材を取って描く。フランス編はフランス人俳優を使いフランス・ロケのフランス語映画で、イタリア編、イギリス編も同様に3か国語映画として作られた。<第1話・フランス編>二人の高校生兄弟(アンリ・ポワリエ、アンドレ・ジャック)はいつも大金を持ち歩いていると自慢する友人ピエール(ジャン=ピエール・モッキー)を殺害しアルジェリアに逃亡する計画を立て、仲間たちとのピクニックに乗じて計画を実行するが、殺人の後でピエールの所持金は贋札なのに気づく。ピエールは死んでおらず友人に事件を伝え、兄弟の父アンドレ(アルベール・ミシェル)は息子たちを警察に引き渡す。<第2話・イタリア編>中産階級の青年クラウディオ(フランコインテルレンギ)は小遣い稼ぎとスリルを求めて煙草の密売組織に関わる。トラブルから殺人を起こした組織は警察に追い詰められてクラウディオは撃たれ、家族の不審の中で帰宅するも翌日死亡する。<第3話・イギリス編>画家志望の青年オーブリー(ピーター・レイノルズ)は女性の遺体を発見したと新聞に通報する。しかもオーブリーは新聞の第1面に遺体発見現場を描いた自分の絵とオーブリー自身による記事の執筆を情報提供の条件にする。数日後にオーブリーは自分自身が犯人であり、これは自白以外に証拠がない以上完全犯罪になると宣言する。だが警察は物証を発見しオーブリーは死刑を宣告される。

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 フランス編の高校生たちにはヒロインとしてジャンヌ・モローブリジット・バルドー、エチカ・シュローが最終選考に残ったがエチカ・シュローが採用された、という残念な話題がある。イギリス編は1951年に実際にイギリスで起きた19歳の青年の犯罪に基づく。イタリア編はもっと政治的な内容だったため脚本段階で検閲により改変を余儀なくされ、フランスではフランス編の内容が問題になって映画全体が3年後の公開になった。ヴェネツィア映画祭に出品されるも配給会社によりフランス編・イギリス編ともにイタリア語に吹き替えられた版だったためコンペ外となる。冒頭のプロローグでヨーロッパ各地のニュース・フィルムをバックに戦後の世相と青少年の犯罪増加の社会問題化がナレーションされてセミドキュメンタリー映画の流行に乗ったかとも思える、前作また全作品でも劇映画では異色の作品だが、オムニバス映画(個人オムニバス、寄り合いオムニバス問わず)はイタリア映画のお家芸でもあり監督の腕の見せどころでもある。アントニオーニに注目していたアンドレ・バザンの残した批評によるとヴェネツィア出品ヴァージョンではイギリス編が第1話だったらしく、バザン、批評家アド・キルーともどもイギリス編を本作の白眉、フランス編はそれに次ぎ、イタリア編は比較的平凡と見る。だがしかし、これはヨーロッパ人には身近な出来事で興味深くても日本人にはかなりきつい。オムニバスでも日本映画だったら時代的興味だけでも興味津々だったろうし、イギリス編の公開犯罪など時代を先んじたブラック・ユーモア的着眼だと思うが(戦前ドイツ表現主義映画やアメリカ喜劇映画にはあったが)、映画内でのリアリティの基準がどれだけ現実社会の基準でもリアリズムで通るのか、作中人物や設定・物語がどのくらい現実的で誇張を加えられたものなのかがよくわからない。同時期のベルイマン作品も日本社会の基準では相当荒廃して病的なものだがムードの統一があり、なるほど戦後スウェーデンの世相とはこういうものなんだろうな、という説得力はあった。3か国語映画という本作の試みはネオ・レアリズモ出身監督アントニオーニのドキュメンタリー作品時代の総決算的意欲の表れかもしれないが(僚友フェリーニは年齢的にもアントニオーニほどネオ・レアリズモには深入りしていない)、悪く言えばニュースの再現ドラマみたいな薄っぺらさと空々しさを感じないではいられない。俳優もあえて素人くさい人材をキャスティングしているように見えて映画が良ければそれもいいが、1話あたり平均36分をかけている割には描き方に説得力がまるでない。公開当時のヨーロッパの観客・批評家にはインパクトがあったのだろうが仮に当時封切られても理想主義的日本人観客には無理、今では先入観なしに観られるとしても内容自体の風化の激しさはいかんともし難い。ただアントニオーニにも社会派的問題作への試みがあったことは(実際はこれも実存主義的作品と観る方が正当だが)後の作品にも所どころ痕跡があり記憶されていい。また『愛と殺意』でもそうだが、アントニオーニの映画の醒め方は観客の感情移入を寄せつけない無愛想さが初期作品にすでにある。こうした作風で成功作まで寡作を強いられ、紆余曲折を経たのも止むなしと思わせられる。『白い酋長』のようなアイディアを得ても自分は手がけずフェリーニに譲り、自分が撮るのが『敗北者たち』で、しかももう40歳を迎えている。普通は次作あたりで勝負をかけてくると思うが、第1作と第2作からは手札がまったく見えないので早くも予測がつかないのがアントニオーニらしい。

●9月3日(日)
『椿なき女』La signora senza camelie (イタリア/プロダクヅィオーネ・D.F.ダヴァンツァーティ, E.N.I.C'53)*102min, B/W

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・長編劇映画第3作、原案アントニオーニ、脚本・台詞はアントニオーニと3人のシナリオライターとの共作。撮影エンツォ・セラフィン、美術ジャンニ・ポリドーリ、音楽ジョヴァンニ・フスコ。原題直訳は「椿(愛と富と幸福の象徴)を持たない女」、つまり『椿姫』の反対を指している。ミラノで店員をしていたクララ・マンニ(ルチア・ボゼー)は映画監督ジャンニ(アンドレア・チョッキ)に新人女優発掘企画の主演女優に選ばれる。試写会ではクララの人気は高いが、映画の評判は良くないことが明らかになり、プロデューサーのエルコレ(ジーノ・チェルヴィ)はクララと強引に結婚する。エンリコはジャンニへの嫉妬から結婚を機にジャンニの監督するメロドラマのヒロインには今後クララは起用させないと決め、クララも夫に同意してシリアスな本格派の女優を目指すことになり、ジャンニの反対を尻目にヴェテラン監督(エンリコ・グローリ)を監督にクララ主演のジャンヌ・ダルク映画が製作される。映画はヴェネツィア国際映画祭でプレミア公開されるも不評で、プロデュースした夫エルコレは破産して自殺未遂を起こし、クララは結婚と仕事の両方で危機を迎える。一方、ヴェネツィアでクララは若いプレイボーイの領事ナルド(イヴァン・デニイ)と知りあい恋に落ちる。クララは夫の借金を埋め合わせるため元の映画会社で再びメロドラマに出演を余儀なくされる。離婚成立後、クララはナルドの許に身を寄せようとするが、ナルドは不祥事は避けようと逃げる。失望したクララは今後の仕事のための助言を俳優仲間のロディ(アラン・キュニイ)から受け、俳優特有のうつ病の知識や友人を紹介される。クララはメロドラマの仕事を受け入れながらもはや映画女優の仕事に野心を抱けないことに気づく。

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 本作にはアンナ・カリーナ(当時13歳)が出演しているとクレジットがあるがどこに出ているかわからなかった。クララを取り囲む町のファンの子供たちか?ヒロインのクララは当初ジーナ・ロロブリジーダに交渉されたが役柄とイメージが重なりすぎると断られ、次にソフィア・ローレンと契約しようとするも女優本人とマネジメントともどもつかまらず、結局『愛と殺意』で主演したルチア・ボゼーが起用された。ボゼーは『愛と殺意』では20歳、本作では23歳の出演だがルクレツィア・ボルジアの略称みたいな芸名といかにもイタリア美人らしい美貌の割には演技の硬い、または表情の乏しい演技をする女優で、後のモニカ・ヴィッティを思うとアントニオーニはあまり俳優の演技力には頓着しないようだ。普通映画界の裏側を描いた映画は撮影現場の様子を多少なりとも描くが、本作はクララの映画デビューが決まると次はもうクララの主演映画を上映する映画館から観客が「美人よねえ」などと言いながら出てくるシーンになり、ジャンヌ・ダルク映画の製作発表シーンの次はもうヴェネツィアでの完成試写会になる。こういうところもトリュフォーには肌があわないどころか敵意まで抱く手抜き感になるのだろう。『愛と殺意』よりあらすじは簡略にまとめたが実はこんなにすっきりしたものではなく、アントニオーニ映画は構成に無造作で事件の継起と映画の進行にムラがあり、集中して観るにはだらだらしていて眠くなるが目を離すといきなり話が進んでいたりするのは全盛期でも初期でも変わらない。タイトルは古典的メロドラマ『椿姫』に対する反メロドラマの意図を表していると思うが、そもそもルチア・ボゼーが主演で正統的『椿姫』などサイレント映画でもなければ無理であり、アントニオーニはベルイマンと並んで女性映画の監督と言われたりするが本作のボゼーに共感する女性観客などいないのではないか。テーマの実験性で前2作よりも後退したとされる作品だし本作あたりで底力を観たかったが(同年のフェリーニヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞作『青春群像』は大成功し大差をつけられる)、本作があって直後にオムニバス映画『街の恋』'53にドキュメンタリー短編「自殺未遂」を提供したからこそようやく出世作『女ともだち』'55(ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞)にたどり着いただけの重みはある。本作で最後になる初期3作のエンツォ・セラフィンの撮影はアントニオーニの文体をほぼ決定づけたし、第9作『赤い砂漠』'64(ヴェネツィア国際映画祭グランプリ)まで1作を除きつきあったジョヴァンニ・フスコの音楽も毎回いい。もっと多作な監督ならば前後作からの位置づけで魅力がつかみやすいが、多作がきかない作風なのは本作からもわかる。『女ともだち』『さすらい』でさらに近づくが虚無的な時の成瀬巳喜男に似てきた。'60年代の成瀬はアントニオーニを観ていると思うが、成瀬はもっと幅が広いにしろ元々身も蓋もない感覚が似ている。成瀬が本作の脚本で撮ったら、とも思うし本物のハリウッドのメロドラマ監督がこのアイディアで撮れば面白い作品になったかもしれない。それをわざわざつまらなく撮るのがアントニオーニというわけではなく、わざとやっているつもりは一切ないらしいのがさすがというしかない。45年間、歿年までを数えれば57年間に14作の寡作は伊達ではない。