人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年9月17日・18日 /『フランス映画パーフェクトコレクション』の30本(9)

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 映画(舞台劇)はヒットせず、どちらかと言えば不評だったのに、主題歌(または挿入歌)はスタンダード化するロング・ヒットになった例は、レコード歌曲のオリジナル盤がヒットせずカヴァー盤がヒットして有名楽曲になった例と同じくらい調べてみると案外多いのですが、フランス産で国際的ヒットになったその手の曲の筆頭に上がるのが「枯葉」でしょう。「巴里の空の下」も戦後フランス産の国際的ヒット曲ですがそちらは相応に話題作(キネマ旬報外国映画昭和27年度ベストテン第9位)になった映画『巴里の空の下セーヌは流れる』'51主題歌だったのに対し、「枯葉」を書き下ろしテーマ曲としたマルセル・カルネ監督作品『夜の門』'46は本国公開も奮わず、カルネの前々作『悪魔は夜来る』、『天井桟敷の人々』は戦後日本公開されて大評判を呼びましたが『夜の門』は日本公開を見送られ、'80年代のホームヴィデオ普及時からヴィデオ、LD、21世紀になってはDVDで周期的に再発売されていますが、一般的にはカルネの作品の中ではあまり評価の高い作品ではないようです。今回ご紹介するもう1本『肉体の悪魔』は戦後フランス映画界のスター俳優になるジェラール・フィリップ(1922-1959)主演作品の2年目の日本紹介作品になり、またたく間にフィリップを日本でも若手外国映画俳優の人気スターにした作品です(キネマ旬報外国映画ベストテン昭和27年度第8位)。ちなみに『巴里の空に下セーヌは流れる』『肉体の悪魔』がベストテン入りしたキネマ旬報昭和27年度外国映画ベストテンの第1位~第3位は『チャップリンの殺人狂時代』'47、『第三の男』'49、カルネの『天井桟敷の人々』だったので、ジャーナリスティックな面でも『殺人狂時代』『第三の男』の問題作的性格と較べてもカルネ作品への人気は高かったので、『夜の門』の日本公開見送りは本国での不評の反映と思えます。一方ヒット作『肉体の悪魔』はのちに批評家時代のフランソワ・トリフォーが戦後フランス映画の傾向を示す最悪の作品と口をきわめて酷評する作品になり、トリフォーの攻撃は多分に党派的な戦略的意図も感じられるものですが、現在観直すと公開当時には『夜の門』が過小評価され『肉体の悪魔』は過大評価された(その反動で酷評もされた)作品で、前回の『天井桟敷の人々』『ブローニュの森の貴婦人たち』が戦後フランス映画映画の第一声を告げる作品としても映画の仕上がりは落ち着いたものだったのに較べて『夜の門』『肉体の悪魔』はああまだ終戦間もないんだなあという粗っぽさがあり、ヴェテラン監督カルネの『夜の門』その粗っぽさが不評を招き、新鋭監督(とはいえカルネより年長ですが)オータン=ララの『肉体の悪魔』はその粗さがスター性に富んだ新人俳優の起用もあって新鮮に迎えられたのでしょう。本国フランス同様、『肉体の悪魔』は前年(昭和26年)の日本公開作『パルムの僧院』'48、『悪魔の美しさ』'50で注目されていた日本でのジェラール・フィリップの人気を決定することにもなった作品でした。なお今回も作品解説文はボックス・セットのケース裏面の簡略な作品紹介を引き、映画原題と製作会社、映画監督の生没年、フランス本国公開年月日を添えました。

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●9月17日(月)
『枯葉 ~夜の門~』Les portes de la nuit (Pathe Consortium Cinema, 1946)*107min, B/W : 1946年12月3日フランス公開
監督:マルセル・カルネ(1906-1996)、主演:ピエール・ブラッスールイヴ・モンタン、ナタリー・ナッティエ
工作員仲間レーモンの死を、彼の家族に知らせるためパリを訪れたディエゴ。自ら「運命」と名乗る男がディエゴに付きまとう……。主題歌の「枯葉」が有名な、M・カルネの『天井桟敷の人々』に続く代表作。

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 前書きの通り日本劇場未公開、映像ソフトでは'80年代半ばのレンタル・ヴィデオやLD普及時には未公開映画の目玉作品として出回っていて、その時は原題直訳の『夜の門』でした。DVD発売されてから有名な主題歌にあやかって『枯葉 ~夜の門~』に改題されていますが、ここでは初発売時の邦題が原題通りなのもあって『夜の門』を採ることにします。リリース年月日を調べてみましたがメディアがDVDになってからのリリースは記録があるものの('98年11月に日本盤初DVD化、2016年10月にHDマスターDVD/Blu-ray化、2018年8月にHDマスター版再リリース)、VHSヴィデオ、またはLD時代の未公開作品のリリースはあまり重視されていなくて映像ソフト発売年がはっきりしません。未公開作品か劇場公開作品かの違いは映画誌などでの扱いもまったく変わってくるので、かつては昔の映画やカルト・ムーヴィー作品の映像ソフト化は、プロモーションの都合上短期間(短ければ1~2週間)ミニシアター上映して「日本劇場公開作品」としてから映像ソフト化する、というのが現在でもまだ続いており、本作などもカルネの定評ある作品のリヴァイヴァル上映と2本立てで劇場公開していれば良かったのに、と惜しまれます。意表を突いてアラン・レネの『戦争は終った』'65との2本立てとか。レンタル店で本作を借りてきて観たのとテレビ放映で『戦争は終った』を観たのとどっちが先だったか思い出せませんが、この2作どちらもイヴ・モンタン主演で、終戦後に主人公が拠り所なくふらふらする映画という設定の共通点もあり、ミステリー映画仕立てではありませんが、戦争終結直後は物事が混乱しているので登場人物たちがつい最近まで錯綜した過去を抱えていて、本人たちにすら原因過程結果がよくわかっていないことが多く、人間関係のつながりも見えていなかったりする。映画は主人公の行動を通してそれらの諸事情が次々と明らかになり、もつれた物事に決着がつくので、結果的には探偵映画に近い展開になります。『戦争は終った』は主人公の現在・過去・未来が同時進行していく時制を取り、過去と未来の映像は主人公の主観なので事実誤認や予定や予測を含むややこしい話法(レネのそれまでの『二十四時間の情事』や『去年マリエンバートで』の手法のヴァリエーション)が使われますが、観客に親しみのあるイヴ・モンタンを主演にしたのは手法の込み入り具合を和らげるとともにカルネ=プレヴェール(脚本)の本作が念頭にあったのではないか、と思えてきます。『戦争は終った』をDVDで観直したのはずいぶん前になるので直接的な類縁を指摘できるほどはっきり覚えていませんが、イヴ・モンタンの復員兵かつ元レジスタンス活動家という役柄の共通点だけでも監督のレネ、主演のモンタンが『夜の門』を意識していないわけはないでしょう。『夜の門』はもともと大戦中ハリウッドに亡命していたジャン・ギャバンの帰国第1作として企画され、カルネ映画いつものスタッフの美術=アレクサンダー・トローネル、脚本=ジャック・プレヴェール、ひさびさの現代劇だから音楽は新進のジョセフ・コスマを起用してプレヴェール作詞・コスマ作曲の「枯葉」が作られましたが、ラヴ・ロマンス作品との予定でギャバンと映画初共演になるはずだったマレーネ・ディートリッヒが戦争絡みのプレヴェールの脚本が不満で降りてしまい、ディートリッヒとハリウッド時代からつきあっていたギャバンも降りてしまったのでモンタンの主演、ナタリー・ナッティエのヒロインになったそうで、クレジット上はナッティエの夫役のピエール・ブラッスールがトップ、次いでナッティエ、モンタンの順と変な並びになっています。俳優の格としてはキャリア、知名度ともブラッスールの方が上だったから立てたわけですが、映画はモンタンとナッティエのラヴ・ロマンスなのですからこのキャスト順もおかしい。本作を蹴ったディートリッヒとギャバンジョルジュ・ラコンブ監督作品の『狂恋』'46に主演して、『狂恋』はあまり出来の良くない映画ですが大ヒット作になったので、商業的には本作を蹴り『狂恋』に出たディートリッヒとギャバンの判断は勘が当たったことになります。過去を引きずった男女の悲恋に終わるロマンスというプレヴェール脚本は今回はカルネにとっても不満で、監督デビュー作『ジェニイの家』'36以来のカルネ作品のプレヴェール脚本は本作が最後になります。
 この映画はミステリー映画ではないとはいえ徐々に登場人物たちの過去が明らかになり、人間関係が変化していき、全容が明らかになるという組み立てなので、あらすじを明かしては興をそぐでしょう。登場人物だけを役柄とともに上げておくと、主役の復員兵で元レジスタンス活動家主役ジャン・ディエゴにイヴ・モンタン。モンタンは本作が映画出演まだ2作目で、それも主役なのにクレジット順で3番目にされた理由でしょう。ディエゴはパリ解放から半年目、終戦の'45年2月にパリに着き、同じ部隊でレジスタンス活動を密告され処刑された鉄道員レイモン・レキュイエ(レイモン・ビュセール)の死をその夫人に報告に行きます。ここで第一のどんでん返しがあって、それがレキュイエ家の住むこのアパートに主人公を出入りさせドラマを展開させていくことになります。アパートの家主セネシャル(サテュルナン・ファーブル)は戦時中に親独派だったことで日和見主義者と評判の悪く、その息子の復員兵ギイ(セルジュ・レジアニ)は戦線の英雄だったと吹聴していますが復員兵たちからは嫌われています。アパートの隣人で子供15人の大家族の父の露天商キンキーナ氏(ジュリアン・カレット)が娘でクロワッサン売りのエチエネット(ダニー・ロバン)が恋人とのデートでしょっちゅういなくなるのにやきもきしており、映画の1/3すぎにレストランの窓越しに主人公は高級車に乗った美女マルー(ナタリー・ナッティエ)を見かけます。マルーは映画登場そうそう同乗している夫ジョルジュ(ピエール・ブラッスール)に離婚の決意を打ち明けます。以上の登場人物たちにいたるところで出会っては未来を予言し警告する謎の浮浪者のハーモニカ吹き「運命」と自称する男(ジャン・ヴィラール)がいて、謎の美女マルーが主人公とどういうつながりで出会うことになるのか、それがどういう具合に戦時中の事件の解明を含んだ愛憎メロドラマ悲劇に展開していくかが本作の見所ですが、上記の人物配置でもかなり強引なやり口がないと主人公の運命にドラマが収斂していかないのは察せられるでしょう。カルネとプレヴェールのアイディアは戦前の作風に戦後的要素を組み合わせるというものだったでしょうが、戦後的要素を戦後的題材として生に取り入れたのがメロドラマ性と上手くかみ合わなかったとも、当時の観客にはこういう形で戦後的題材を扱うのは違和感があったとも思われ、それが本作の興行的不振と不評につながったと考えられます。
 ――しかし判官贔屓かもしれませんが、『夜の門』はそうしたカルネの映画としては中途半端なところがカルネの映画が苦手な筆者には楽しめるので、本作は限られた登場人物で作中の短い経過時間内にドラマを圧縮するために無理な偶然がずいぶん目立ちますし、その辻褄合わせのように謎の予言者の浮浪者を狂言廻し的に登場させているのも効果は印象的ながら焦点はぶれてしまっている、計算や狙いが上手く合わなかったのが伝わってくる仕上がりです。日本ではカルネの戦時中~戦後作品は戦後にほぼ5年遅れで公開され、前々作『悪魔が夜来る』、前作『天井桟敷の人々』が日本公開されて好評だった時点でカルネ作品は本国ではギャバン主演作『港のマリィ』、ジェラール・フィリップ主演作『愛人ジュリエット』、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞作『嘆きのテレーズ』(昭和29年度キネマ旬報外国映画ベストテン第1位)まで進んでいたので『夜の門』は飛ばされてしまったか、復員兵の中の戦犯追及を含む内容から忌避された(おそらくフランス本国での不評もその点でしょう)と思えます。そうした時事的側面は現在では風化して単なる映画の歴史的背景になっているので、本作では映画冒頭で高架線の車中の主人公が謎の男「運命」に初めて話しかけられるシーンで列車窓外の流れる風景スクリーン・プロセスが拙くてカルネらしくもないとか、密告者の最期があまりに都合の良い因果応報だとか、完璧な職人芸で一分の隙もない完成度を誇ってきたカルネ最初の躓きでもあるわけです。また'30年代フランス映画の「詩的リアリズム」の最後の作品がカルネ&プレヴェールの監督&脚本コンビの終わりとなった本作『夜の門』と指摘し、「詩的リアリズム」に取って代わってフランス映画の主流になった「心理的リアリズム」はもっと悪いフランス映画の堕落と糾弾したのはのちにヌーヴェル・ヴァーグの監督になるトリュフォーロメールでした。『夜の門』はカルネなりの戦後映画の試みだったと思いますが、一見器用な職人カルネも向き不向きの題材があり、本作の不手際はカルネも決して器用さだけで映画を作ってきたのではない証拠と見ればかえって本作には本作なりの良心を感じます。何よりイヴ・モンタンを始めとする配役が主演交替劇を感じさせないほどはまり役の俳優が演じていて、ヒロインのナタリー・ナッティエも好演です。ディートリッヒとギャバンだったら本作はもっと大時代的な映画になっていただろうと思えるので、この映画はモンタンとナッティエくらい線の細い若手俳優が適役で、その意味では脚本段階で出演を蹴ったディートリッヒの判断が本作の運命を左右したとも言えるかもしれません。

●9月18日(火)
肉体の悪魔』Le diable au corps (Transcontinental Films, 1947)*117min, B/W : 1947年9月22日フランス公開(9月12日パリ公開)
監督:クロード・オータン=ララ(1901-2000)、主演:ミシュリーヌ・プレールジェラール・フィリップ
第一次大戦中、まだ学生のフランソワは、年上で婚約者がいるマルトと恋に落ちる。出征中の婚約者が戻り、一度は別れた二人だったが……。若くしてこの世を去ったレイモン・ラディゲの小説が原作。

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 日本公開昭和27年(1952年)11月8日、キネマ旬報昭和27年度外国映画ベストテン第8位。この年は12月にやはりジェラール・フィリップ主演作のマルセル・カルネ監督作『愛人ジュリエット』'51がいち早く日本公開されており、日本でのジェラール・フィリップ主演作公開と人気が始まった年でもありました。のちの映画監督フランソワ・トリュフォー(1932-1984)が映画批評家時代に発表した記念碑的論文「フランス映画のある種の傾向」(「カイエ・デュ・シネマ」'54年1月号)はカルネの『夜の門』で終わった「詩的リアリズム」に代わってフランス映画の主流となった「心理的リアリズム」を文学作品を手当たり次第に「原作に忠実」と標榜しながらも恣意的な脚色で映画化する脚本家の映画とし、特にピエール・ボストジャン・オーランシュの脚本家コンビの映画脚色が典型的なもので、そこで具体的に映画に即して批判・酷評している作品のひとつがこの『肉体の悪魔』です。トリュフォーの批判・酷評自体には賛否両論あるでしょうがこの時期フランス映画の話題作が有名文学作品の映画化企画中心になっていたのは指摘として見逃せず、またのちにこの時期真に優れた映画を作っていたと見なされるようになるのもトリュフォーが「心理的リアリズム」の「脚本家の映画」に対立する映画監督たちとして賞賛した「作家の映画」だったのも確かで、他にもオーランシュ&ボストを筆頭とする脚本家の脚色の特徴として原作小説にない(あっても暗示程度の)「反戦的場面」や「反カトリック的場面」を「脚色」する、という指摘は正当な批判でしょう。戦後フランスでは名作小説を「反戦・反カトリック的」に改作した映画が本来の意味で通俗的に受けていたということで、そうしたものは真摯に戦争や宗教について考えているのではなく世相風俗への媚びでしかないものであり、文学的にも純粋に映画的にもこれを文化と映画の退廃現象と見るのは良識であり正論です。ただし同時代にトリュフォーが憤ったその風潮が生んだ映画もフランス映画の一時期を代表する映画として観ると作品ごとにそれなりに見所もあるので、トリュフォーが「才能ある監督だがオーランシュ&ボスト脚本の『鉄格子の彼方』『禁じられた遊び』で才能を浪費している」と「心理的リアリズム」時代の監督では力量では第一人者としたルネ・クレマンなどはトリュフォーが上げる2作ですら脚本をねじ伏せてのけた曲者と言ってよく、また『肉体の悪魔』は本作以降何度も再映画化されますが(知られているだけで以降3回)初映画化である本作は作品自体は原作の設定にならって第一次世界大戦が背景ですが、捉えられているムードはこの映画化の行われた第二次大戦後のムードなので、のちの再三の改作映画化を知る現代の観客にはレイモン・ラディゲ(1903-1923)が17歳の時に書き上げていたとされる原作小説('23年刊)とは別物の翻案として観ることができるので、原作小説が小説ならではの抽象性で少年の自意識の心理ドラマとして読めるのに対して映画はもっと俗っぽい不倫メロドラマなので、ラディゲの原作からは「夫が出征中の若妻と高校生の不倫ドラマ」という設定と物語だけ借りてきただけとも言え、『肉体の悪魔』原作と名銘たなくとも派生作品は無数にあるでしょう。なにしろラディゲ原作と正式に謳った'70年代のにっかつロマンポルノ版もあるくらいで(現在は未成年淫行条令違反にひっかかるので自主規制がかかるか、映倫を通りませんが)、再映画化されるようになったのは著作権法期限が切れたからですが、本作は最初の映画化だったからこそ話題作にもなり、トリュフォーの攻撃も招いたのでしょう。日本公開時のキネマ旬報近着外国映画紹介は比較的控え目にあらすじを起こしています。
[ 解説 ] レイモン・ラディゲの同名の小説から「鉄格子の彼方」のジャン・オーランシュピエール・ボストが協同脚色、「乙女の星」のクロード・オータン・ララが監督する一九四七年作品。撮影は「悪魔の美しさ」のミシェル・ケルベ、音楽は「二つの顔」のルネ・クロエレックの担当。主演は「呪われた抱擁」のミシュリーヌ・プレールと「輪舞」のジェラール・フィリップで、以下ジャン・ドビュクール、ドニーズ・グレー、ピエール・パローらが助演。
[ あらすじ ] 第一次大戦も終りを告げようとしていた頃、パリ近郊のリセに通学するフラソソワ・ジョーベエル青年(ジェラール・フィリップ)は学校に開設された臨時病院の見習看護婦マルト(ミシュリーヌ・プレール)と知り合った。彼女は出征兵ラコンブ軍曹(ジャン・ヴァラス)と婚約の間柄であったが、フランソワの強気な情熱に惹かれて動揺した。しかしこの恋は、フランソワの自制とマルトの母(ドニーズ・グレー)の牽制で中断され、フランソワが田舎へ逃避している間にマルトはラコンブと結婚した。半年後、再び学校でめぐり合った二人は再び燃上った。フランソワは家人にかくれてマルトのアパートを訪れ、のっぴきならぬ関係が生れた。恋を成就するため、すべてを戦線の夫に知らせようというフランソワと、それを肯じないマルトの意見が食違いながらも、二人は肉体の魔にひきずられつづけたが、この恋が戦争の終結と共に断ち切られなければならぬという想いは同じであった。こうしてマルトは妊娠した。それがかくせなくなった時、ついにマルトは夫にすべてを任せる気になった。フランソワには、それに抗う実力も勇気もなかった。別れの宴を思い出のレストランで過した二人は、はじめてランデヴウしたカフェに出かけ、ここで終戦の国歌を聞かねばならなかった。マルトは力つきて倒れ駆付けた母によってフランソワは引離されてしまった。凱旋した夫に手をとられつつ、産褥のマルトはフラソソワの名を呼びつつ、恋の結晶を残して死んで行った。
 ――本作はジェラール・フィリップの映画出演2年目、本数では3作目なのでキャストはヒロインのミシュリーヌ・プレールの方がトップです。トリュフォーは原作小説では単に駅で出会う主人公とヒロインを映画ではヒロインを看護婦助手にし高校の校舎を傷痍兵病院にして出会わせている脚色を難じていますが、日本公開時にも賛否両論呼んだ'86年のマルコ・ベロッキオ監督版ではクライマックスでは主人公とヒロインが起訴されヒロインが法廷でフェラチオを実演する、というほどの改作ぶりですし、'85年のオーストリアでの再映画化では第二次大戦後のオーストリアになっているそうですので、ジェラール・フィリップ版から40年も経つと原作離れはむしろ前提になったということで、前述した「夫が出征中の若妻と高校生の不倫ドラマ」という設定だけを踏襲していかにラディゲの原作とは違った作品に作り上げるかが眼目になるようになったのです。これはトリュフォーが糾弾したような原作の歪曲とは明確に次元を異なる発想なので、それだけ原作の古典化・形骸化が進みもはや改作でしか映画化できないものになったということでしょう。このオータン=ララ監督のジェラール・フィリップ版にしても設定は第一次世界大戦にもかかわらずムードは第二次大戦末期という感じなのは戦後の混乱ムードがよく出ているからで、戦前のフランス映画であれば'10年代末の雰囲気をまだ描けたでしょうがミシュリーヌ・プレールジェラール・フィリップとも演技の質が明らかに戦前フランス映画とは違う。第二次大戦後の映画と俳優ならではの粗っぽさがあって、映画前半1/3は快調なテンポで進み、ついに肉体関係に陥るのが映画のちょうど半分、55分目ですが、主要登場人物が極端に少ない映画なので後半は映画が進むごとにドラマ自体は停滞していき、主人公とヒロインの軽率さの方がだんだん鼻についてきて、結末もすっきりしません。期待させておいて尻すぼみに終わる映画なので出来が良いとはとても言えないのですが、主人公役のフィリップの魅力だけで持ってはいるので、文芸映画仕立てのアイドル映画みたいなものとしてはこれで十分とも言える。フィリップがアクションもこなせればもっと複雑なキャラクターを演じることもできる俳優なのは続く作品ですぐに実証されるので、本作は製作当時すでに24歳と高校生を演じるのはぎりぎりのフィリップの若さの強調のために逆に演技力より存在感に力点を置き、後半ドラマを平坦にしてでも(もともと原作自体が外的なドラマの起伏に欠けますから)ジェラール・フィリップ鑑賞映画として全うしていると言えます。登場人物の心理の説得力のない言動など突っ込みどころは多々ありますが、それをあげつらう映画ではないでしょう。本作公開時の高評価は、とにもかくにもフィリップの主演を得て旧来とは別の、フランス映画の戦後を感じさせる作品になったことに尽きると思われます。