人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

集成版『荒野のチャーリー・ブラウン』第五章

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 第五章。
 やれやれ待たされたよ、とチャーリー・ブラウンはため息をつきました、ようやく主役のぼくたちの出番だ。
 主役って?と、スヌーピーが歯をむき出します。これはスヌーピーが相手をせせら笑う時特有のジェスチャーでしたが、チャーリーはあえてそれには気づかないそぶりで、途中のままの話があるよね、と言いました。スヌーピーは黙って右前肢を差し出しました。チャーリーは黙って握手しました。するとスヌーピーは左前肢をその上に重ねました。チャーリーはつられて左手を乗せました。スヌーピーは引き抜いた右前肢を上に重ねました。チャーリーは仕方なく同じようにしました。スヌーピーは引き抜いた左前肢を上に重ねました。チャーリーは言葉を飲み込んでスヌーピーを真似ました。
 スヌーピーは右前肢を引き抜いてその上に重ねました。チャーリーは黙って同じようにしました。スヌーピーは左前肢を引き抜いてその上に重ねました。チャーリーは我慢して同じようにしました。スヌーピーは右前肢を引き抜いてその上に重ねました。チャーリーはむきになってスヌーピーを真似ました。スヌーピーは左前肢を引き抜いてその上に重ねました。チャーリーは仕方なくスヌーピーを真似ました。
 一瞬ふたりの目が合いました。チャーリーは何か言いかけようとしましたが、適切な言葉が見つかりません。
 スヌーピーはためらわず右前肢を重ねました。チャーリーは困惑してスヌーピーを真似ました。。スヌーピーは左前肢を引き抜いてその上に重ねました。チャーリーはやけになって同じようにしました。スヌーピーは右前肢を引き抜いてその上に重ねました。チャーリーは困憊して同じようにしました。スヌーピーは左後肢をぐいっととチャーリーの手の甲に乗せました。チャーリーはハッとして左手を重ねました。スヌーピーはよっこらしょと右後肢をその上に乗せ、チャーリーの両手に支えられて宙に立ちました。痛ててててっ、重い重い!
 チャーリーが手を離したのでスヌーピーはすかさずチャーリーの胸に飛び込むと、両前肢でチャーリーに抱きつきました。あまりに素早く強く抱きつかれたので、チャーリーは抵抗するすべもありませんでした。遠目からなら彼らの闘争は、人畜無害な少年とその愛犬の戯れのように見えたでしょう。ついでに、とこのふざけた犬は少年の頬を舐め、げー、という表情をしました。チャーリーの心は傷つきました。


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 スヌーピーはにやにやしながら後ろ手(前肢)を組み、腰を落としてチャーリーの周りを一周しました。正面まで戻ってきて立ち止まりウッシッシと笑うと、またチャーリーの周りを一周してウッシッシ笑いをし、またチャーリーの周りを一周と見せかけてチャーリーの真後ろで立ち止まり、右足(後肢)で飼い主の少年のおケツを思い切り蹴り上げました。
 痛たたった!何をするんだスヌーピー、いきなり蹴飛ばすなんてないじゃないか、とチャーリー・ブラウンはだらしなく前に倒れたまま、抗議というよりはボヤキの調子で呟きました。スヌーピーは相変わらず腕組みしながらせせら笑っているようにも見えますが、その本心はチャーリーからは理解し難いことで、飼い犬に手を噛まれるというのはこういうことか、とチャーリーは苦々しく考えていました。
 スヌーピーは相変わらずにやにやしていましたが、先ほどからの様子を見るといつ攻撃に転じてくるかもわからず、ひょっとしたらこれは佯狂なのかもしれないぞ、と思いながら、ならばなぜスヌーピーはそんな芝居じみたことを仕掛けてくるのだろうか、と思いました。もとよりこのビーグル犬は施設から引き取ってきた時から猫かぶりで、可憐なまなざしで、もらってくれなきゃ来月にはハンバーガーの材料にされちゃうんだよう、とチャーリーとライナスに訴えかけているようでした。
 ライナス!そうです今チャーリーの記憶の中ではライナスは新聞の動物愛護記事を見てチャーリーが相談をもちかけいいんじゃないかなチャーリーと後押ししてくれ一緒に動物愛護センターに来てくれてそうだねビーグル犬なら体格も小柄だし人なつこい反面猟犬の性質も残して活発だというよチャーリーそうだねぼくにはぴったりかもしれないな……しかしスヌーピーを引き取りにいった時のこと、そこにライナスがいたことをチャーリーが初めて思い出したのは、ライナスと初めて顔を合わせた時だったのです。つまりそれまではスヌーピーは単に……チャーリーは単にスヌーピーの飼い主でしたが、ライナスの出現とともにチャーリーとスヌーピーの間には来歴という物語性のようなものが生まれました。そうだ、そうだったんだ。
 だから今ライナスの不在が顕しているのは、とチャーリーは思いました、そういうことに違いない。ぼくら、スヌーピーとぼくにはもう共有してきた過去というものがないのだ。


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 またもやスヌーピーはにやにやしながら後ろ手(前肢)を組み、腰を落としてチャーリーの周りを一周しました。正面まで戻ってきて立ち止まりウッシッシと笑うと、またチャーリーの周りを一周してウッシッシ笑いをし、またチャーリーの周りを一周と見せかけて真後ろで立ち止まり、右足(後肢)で飼い主の少年のおケツを思い切り蹴り上げました。
 痛たたった!何をするんだスヌーピー、そんなに蹴飛ばすなんてないじゃないか、とチャーリー・ブラウンはだらしなく前に倒れたまま、失意というよりは諦めの調子で呟きました。スヌーピーは相変わらず腕組みしながらせせら笑っているようにも見えますが、その本心はチャーリーからは理解し難いことで、飼い犬に手を噛まれるというのはこういうものか、とチャーリーは痛切な思いで考えていました。
 スヌーピーは相変わらずにやにやしていましたが、先ほどからの様子を見るとまたいつ攻撃に転じてくるかもわからず、ひょっとしたらやはり佯狂なのかもしれないぞ、と思いながら、ならばなぜスヌーピーはそんな芝居じみたことを仕掛けてくるのだろうか、とチャーリーの困惑は深まるばかりでした。
 思い当たるとしたら、とチャーリーは無防備のまま、のろのろと立ち上がりながら考えました。この犬はずっとぼくたちの間で甘やかされてきた。ぼくらは彼をペット視し、次にアイドル視し、ついには英雄視すらするようになった。それはぼくたち人気商売の宿命で(とチャーリーは苦々しく思いました)、最初彼は単にぼくのペットであるに過ぎなかった。だが次第に彼は存在感を増し、それはぼくらパインクレスト校の小学生たちを圧するほどで、今ではぼくたちは彼ぬきにはぼくらの集団の存続を維持できないほどになっている。それはひとつの約束ごとだが、破られない保証のある約束はない。信頼だけは他人に強制できない。誰もが望むものを手に入れられるとは限らない。
 それにまた、とチャーリーは坊主頭に冷たい風を感じながら、ぼくらの間には最初から対等という概念は存在しなかった。あったのは主従関係だけだった。主従関係はバランスを崩すことはあっても、決して対等な立場に変化はしない。どちらかが主、また従であるだけだ。
 そして今こいつはそれを主張しようとしている、とチャーリーはかつての愛犬と向かい合いながら思いました。そんな勝負はチャーリーはまったく望んでいませんでした。


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 チャーリーと向かい合ったスヌーピーはしばらく後手(前肢)でにやにやしていましたが、嘲るように落としていた腰をきっと伸ばすと、片足(後肢)を引いてファイティング・ポーズを取りました。チャーリーは思わず半歩しりぞいて身がまえましたが、考えてみれば犬のパンチなどくらったところで顔面以外は大したことないのです。顔面ならばさすがに感覚器官や口元を狙われればそれなりに応えますが、体重・体格差や筋力を比較しても正攻法の攻撃ならスヌーピーからチャーリーがそれほどのダメージを受けるとは思えず、またスヌーピーは人間相手に犬属特有の攻撃、それは瞬発力を利用した爪と牙による猛攻ですが、それらを人間相手に仕掛けるには、スヌーピーは多分に坊ちゃん育ちすぎました。彼ら愛玩動物には愛玩動物三原則というのがあるのです。
・その1、愛玩動物は人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
・その2、愛玩動物は人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、その1に反する場合は、この限りでない。
・その3、愛玩動物は、前掲その1およびその2に反する恐れのないかぎり、自己を守らなければならない。
 これはつまり、人間と愛玩動物という主従関係で書かれていますが、
・安全(人間にとって危険でない存在)
・便利(人間の意志を反映させやすい存在)
・長持ち(少々手荒に扱ったくらいでは壊れない)
 という、家電製品に代表される道具一般にも当てはまる法則であることは少し考えればわかります。また、もっと広げれば人間の道徳律にも当てはまることでしょう。ただし国際法では、生きるか死ぬかの条件下では他人を見殺しにするのは罪にはなりません。これは船舶事故などでは避けがたいことなのです。また、人間の道徳律の場合でも、封建的な伝統のもとに主従関係が美化された社会では、
・安全(ご主人様にとって危険でない存在)
・便利(ご主人様の意志を反映させやすい存在)
・長持ち(少々手荒に扱ったくらいでは壊れない)
 と置きかえることができ、これは雇用者や世帯主にとって都合が良い上に、主君へのための自己犠牲という美談すら派生させます。
 忠臣蔵……とボーちゃんは呟きました。みんなはハッと振り向きました。

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 ボーちゃんはポケットから小石を取り出すと、
・見て……
 とかすかべ防衛隊の仲間に呼びかけました。しんのすけたちはボーくんを半円形にとり囲み、ボーちゃんの手のひらの大小さまざまな小石を見つめました。ボーちゃんはかすかべ防衛隊の参謀であり、生き字引であり、哲学者と預言者でもあり、小石コレクターでもありました。ボーちゃんとしては小石以上の石もコレクションしたいのですが、幼稚園児のポケットで運べる大きさには限界があります。それに小石にも世の中に同じ小石は二つとないことに、ずっと前からボーちゃんは敬意を払ってきたのです。
 何?占い?それなら私も占ってほしいことがあるわ、とネネちゃん。ぼくも、とマサオくんと風間くんが言いかけようとすると、ボーちゃんはそれは後、今はこの石を見て、と茫洋と、しかしきっぱりと言います。そうだゾ、おらもそう思うゾ、としんのすけ。お前も今そう言おうとしてたろ、と風間くんが突っ込みましたが、いやいやキミたちと一緒にしてもらっちゃ困るんだよねえ、としんのすけは得意げです。相手にしていても仕方がないので、風間くんはボーちゃんに、この小石に何かあるのかい、と率直に質問しました。
・何か言おうとしている……
 と、ボーちゃん。つまりは小石が何かを語りかけている、ということらしい、と風間くんも見当をつけました。えっえっ、ぼく話についていけないよ、とマサオくんが慌てます。常識的にはマサオくんの反応の方が尋常なのですし、ネネちゃんといえばひと目見た最初から、なーんだ、ただの小石じゃないの、と興味を失くしていました。これもネネちゃん的にはそうでなければらしくないので、かすかべ防衛隊はいつもの調子だったということです。
 問題はボーちゃんの真意でした。ボーちゃんには現実主義に徹した面もあれば、超現実の世界まで透徹してしまうことがあり、ボーちゃんにとってそれは大差ないことでしたが、おおむねヴァーサタイルなかすかべ防衛隊の面々にも時々それはつき合いきれないことがありました。ボーちゃんの直感が正しくてもあてにならないようなことでも、それ自体は問題になりません。問題があるとしたら、ボーちゃんが正しい何かを探り当てたとしてもかならずしもかすかべ防衛隊が対応はできないことです。どうやら今は、そういう事態に陥っているようでした。


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・世界、または歴史はなぜ終わったか、
 と、突然小石は語り始めました。はあ?とぽかんとするかすかべ防衛隊の幼稚園児たち。そんなのオラ5歳だからわかんないゾ、としんのすけ。つられてうなずくネネちゃんや風間くんたち。
 いいからお聞きなさい、と小石は続けました。歴史はその創成期を知ればよいと考えます。理由のひとつが最も輝いていた黄金時代であるからです。今は天才達が次々と現れてひとつのムーブメントが形成されていくような時代ではない。彼ら創成期の巨人たちが行き着いた境地は他を圧倒しています。
 これは私が過去に考えたことから抜粋し要約した結論です。ではなぜこの時代に多くの偉人たちが出現したのでしょうか。それは、
・1917年レーニン十月革命によるボリシェヴィキ政権樹立の後も労働者は理不尽な搾取をされ常に抑圧され続けてきたのであった。
 はあ、としんちゃんたちは、これは困ったことになったゾ、と思いました。小石は幼稚園児たちの困惑にかまわず、無産階級層の生み出した文化と階級闘争の歴史を語り続けました。第二次世界大戦後のアフリカ大陸では民族解放運動が勃発した。欧米各国に侵略されたこの地域では奴隷の輸出によって人口が減少していた。植民地だった多くの国々が1950〜1960年代に独立宣言を成し遂げた、といった調子です。
・その影響もあって、
 と小石はなおも世界各地にフィードバックしていく階級闘争の歴史を説き、このような背景を考証すると歴史とは闘いの累積ではなかったのかと考えたい。人間はハングリーな状況下で最高の業績が生まれるものだと思う。人々は自らに科せられた抑圧に加えて、搾取から起こった様々な事件に憤りを覚えたのは間違いない。その怒りが創造的な歴史の発展に関与していると思う。彼らによる解放闘争がさらに世界中の反戦運動や闘争につながり、瞬く間に全世界へと広まっていったという。それは社会的、文化的、政治的にも多大な影響を与えたのであった(と小石は言いました)。
 時は経ち今、世界はどうなったのでしょうか。はっきり言って何も無いというのが私の印象です。今なお事件や暴動を見るにつけ社会問題としての搾取は一向に無くなる気配はありません。法律的には解消されましたが闘争はまだ終わっていません。労働と闘争は切り離されてしまいハングリーな状況は無くなったようです。それは現実に現れていると思います。
 …………。


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 博士、このまま放っておいてもいいんですかね?とスノークはやれやれ、という仕草をしました。私が考えるに、世の中には欲望と秩序という二つの対立する原理がある。欲望とは野放しにしておくと他人の権利を踏みにじるものだから、われわれはなるべく個々の欲望はほどほどに制限する規則を作って万人の間に秩序を保つようにしている。
 おおむねきみの言う通りではあるだろうね、とジャコウネズミ博士。ただし私は科学者でもあるが哲学者でもあるルネッサンス的学者なので、哲学者としての研究課題は「すべてがむだであることについて」とどこかのショーペンハウアーが書いていそうなことだ。きみの言う秩序を誰かが決めるのなら、それはそいつの欲望というものではないかね?
 えーと、それは、自然法というものがありますよ。たとえば他人のものを盗んではいけないとか、トロールトロールを殺してはいけない、とか、トロールは共食いをしてはいけないとか。うわあ(想像して)。
 盗んではいけないというなら、そこには所有という概念があるはずだね。しかしわれわれトロールは、ちょうだいと言われたら平気でくれてしまう習慣がある。たいがいのものはまたそこらから手に入るからだ。殺してはいけない、というがムーミン谷殺人事件など有史以来谷には皆無だろう。ましてや共食いなど、飢餓もなく死の概念も明確ではなく、死体すら残らないトロールの社会で起こり得るものかね。
 ですが博士、秩序は必要ですよ。おっしゃる通りムーミン谷に倫理的違犯はあり得ないかもしれませんが、人格を持たないトロールにもエゴは生まれる場合はあります。
 そういう場合は、誰か物好きなやつに役立ってもらうんだね。いるだろ、何かトラブルが起こると、またはまだ何のトラブルもないのにルールを決めて他人を従わせるのが好き、っていう物好きなやつが。
 なるほど、それは便利ですね。上手くいかなかったらそいつのせいにすればいい。
 ところがそういう時に限って他人のせいにするのもその種の手合いの習性でね。
 調子いいんですね。じゃあ結局秩序が乱れた時、責任をもってそれを解決する代表者が必要になるじゃないですか。
 だがここはムーミン谷だし、われわれは個体ごとにあまりに特性の違いすぎるトロールだ。代表など彼しかおらん。
 誰ですか?とスノーク。そりゃムーミンさ、とジャコウネズミ博士。……その頃ムーミン


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 ネネちゃんとあいちゃんはしばらくにらみあっていましたが、根くらべなら負けないわとはいえお嬢さま育ちのあいちゃんにはネネちゃんの勝ち目はありません。それに考えてみれば酢乙女あいちゃんはかすかべ防衛隊には何の関心もなく、しん様への恋心しかないのですから干渉している意識もなければ、その事実もないので、勝手にネネちゃんが喧嘩を売っているだけなのは誰の目にも明白でした。
 ん、まあね、とネネちゃんは両手を肩の高さでひらひらさせ、今日のところはこのくらいにしてあげるわ、と口元だけで笑ってみせました。風間くんたちはホッとしましたが、しんのすけはいつもの調子で、
・あー、ネネちゃんがごまかしたゾ!?
 ち、ち、違うよしんちゃん、とマサオくんが慌てる一方、それは言わぬが仏、とボーちゃんが悟ったような言葉を返し、風間くんはぼくが何とかしなきゃ、とオロオロしました。あいちゃんはフッと大人びた笑いをすると、でもしん様は私のしん様ですわよ、と言ってのけました。おお!?としんちゃんは言いましたが、おお!?はしんちゃんの口癖で大した意味はありません。ねえねえしんちゃんどういう意味、とマサオくん。そうだよしんのすけ、はっきり言えよ、と風間くん(ボー、とボーちゃん)。そんなこと訊かないでよう、子供じゃあるまいし、としんのすけ。まだ5歳だよ!と風間くん。
 スヌーピーはにやにやしながら後ろ手(前肢)を組み、腰を落としてチャーリーの周りを一周しました。正面まで戻ってきて立ち止まりウッシッシと笑うと、またチャーリーの周りを一周してウッシッシ笑いをし、また一周と見せかけてチャーリーの真後ろで立ち止まり、右足(後肢)で飼い主の少年のおケツを思い切り蹴り上げました。痛たたった!もう止めてくれよスヌーピー、いつまでこんなこと続けるんだい、とチャーリー・ブラウンはまた前のめりに倒れ、両手を地面についたまま呟きました。
 その頃偽ムーミンは拘束しておいたムーミンからの波動がほとんど途絶えているのに気づきました。しかしムーミンには脳を模した器官はあっても機能は果たしていないので、脳波の消滅がすなわち生命停止を表すとは限りません。もしムーミンが消えたら、と偽ムーミンはゾッとする思いがしました、このままおれがムーミンでいなければならないのだろうか。偽ムーミンムーミンになるということは、いったいどういうことだろうか。


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 ある種の鳥には方位磁石と類似した感覚があり、季節の推移に従い周期的に生息地を移動します。これを渡り鳥といい、渡り鳥の名称は食糧、環境、繁殖などの事情に応じて定期的に長い距離を移動することに由来します。対して、1年を通じて同一の地域やその周辺で繁殖も含めた生活を行う鳥は留鳥とも呼ばれます。
 鳥の渡り(Bird migration)の解明は鳥類学の研究テーマのひとつで、鳥を捕獲して刻印のついた足環をつける鳥類標識調査(バンディング)が日本を含め世界各国で行われています。また、大型の鳥には超小型発信機をつけ、人工衛星を使い経路を調べることも行われます。
 渡り鳥の移動の際の進路は、三段階の過程を経て決定されていると考えられています。 第一段階では、ある時間にある方向に向かって飛ぶことを何度か繰り返すことにより、目的地から数100kmほどのところまで進みます。これは太陽や星の配置などを指標にすることにより行われると考えられています。つまり天体による進路確認です。第二段階では磁場などが関わる、生まれながらにして持つ地図を頼りに目的地まで数kmのところまで進むと思われます。この段階では、磁場だけでなく地形の情報もある程度考慮されるかもしれません。 第三段階では地形や環境の特徴を頼りに最終目的地まで到達します。この段階では、非常に細かい地図情報を鳥が持っている場合があります。しかし、生まれながらにして完全な形で持っているというわけではなく、移動の途中で学習される部分が多いことが、研究によりある程度解明されています。 ただし、これらの段階についての仕組みは現在、ほとんどまったくわかっていません。ただ、大胆に推理するなら、これら渡り鳥の移動は人類発生よりも古い古代の緑地分布の記憶を残しているとも考えられるのです。
 スヌーピーはにやにやしながら後ろ手(前肢)を組み、腰を落としてチャーリーの周りを一周しました。正面まで戻ってきて立ち止まりウッシッシと笑うと、またチャーリーの周りを一周してウッシッシ笑いをし、また一周と見せかけてチャーリーの真後ろで立ち止まり、右足(後肢)で飼い主の少年のおケツを思い切り蹴り上げました。痛たたった!もう止めてくれよスヌーピー、いつまでこんなこと続けるんだい、とチャーリー・ブラウンはまた前のめりに倒れ、両手を地面についたまま呟きました。
 次回第五章完。


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 チャーリー・ブラウンが起き上がると、スヌーピーは通りひとつ分、離れたところにいました。実際に通りがあったわけではありません。彼らは見渡すかぎりの荒野にいたのですから。そしてこの荒野はサボテン1本生えておらず、乾いた沼地のように地面のあちこちがひび割れていました。わらのような、動物の毛のようなものがかたまりになって時たま風に吹かれていましたが、それは西部劇で見かけるタンブルウィードと呼ばれるもののようでいて、とうてい命あるもののようには見えませんでした。海底でいうなら珊瑚礁のようなものかもしれないな、とチャーリーはぼんやりと、いつか観たテレビ番組を思い出しました。テレビではたいがいの珍しい景色は教えてくれますが、チャーリーが今いるような旱魃しきった死の荒野は、チャーリーの記憶ではテレビでは観た憶えがありませんでした。なぜならここまで荒廃した景色は単調なだけで誰にとっても面白くも何ともなく、目の保養にもならなければ興味をそそりもしないからです。
 人が生きるため都会に集まってくるのなら、こんな荒れ果てた旱魃地帯には死ぬためにしかやってこないでしょう。チャーリーはどうやら距離を取っている様子のスヌーピーを見ながら強く思いました、今は争っている時ではない、協力してこの窮地を何とかしなければならない、と。ですがそれをいかにしてこの頑固なビーグル犬に納得させるかは、これまでのつきあいからしても多大な困難を乗り越えなければならなそうでした。スヌーピーの一筋縄ではいかない性格をチャーリーは身に沁みて知っており、だからこそいつもスヌーピーは押しの弱い性格のチャーリーに対して優位に立ってきた、という関係性がありました。チャーリーにもし考えがあるとしても、それはスヌーピーによる提案という迂遠な手続きを経なければ円滑に進むことはないでしょう。
 ねえスヌーピー、とチャーリーはおずおずと呼びかけました。スヌーピーはチャーリーに視線を返しません。ウッドストックがナイフをくわえてスヌーピーに差し出しました。スヌーピーはナイフを取ると、おもむろに手首を切り、さらに自分のからだ中を切り裂き始めました。その様子はご機嫌そのもので、喉をかき切って声が出なくなるまでしわがれた笑い声を上げながら自分を切り刻んでいたのです。それはチャーリーには止めようがなく、おそらく手当ての手段もないことでした。
 第五章完。


(五部作『偽ムーミン谷のレストラン』第二部・初出2014~15年、原題『ピーナッツ畑でつかまえて』全八章・80回完結)
(お借りした画像と本文は全然関係ありません)