人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年6月7~9日/続『フランス映画パーフェクトコレクション』の30本(3)

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 昨年ご紹介した『フランス映画パーフェクトコレクション』(コスミック出版)の『ジャン・ギャバンの世界』第1集~第3集、『舞踏会の手帖』『巴里の屋根の下』『天井桟敷の人々』は6巻合わせて60本中'30年代作品26本(ギャバン主演作16本、その他10本)、'40年代作品が16本(ギャバン主演作6本中2本はアメリカ映画、その他10本)、'50年代作品が18本(ギャバン主演作8本、その他10本)と、半数弱が'30年代作品でした。このシリーズはパブリック・ドメイン作品の収録ですから年限は'53年までで、『ジャン・ギャバンの世界』は'53年までのギャバン主演作品を網羅収録しているのを考慮しても'50年~'53年だけの4年分だけでも'50年代作品の比率の高さが目立ちます。また'30年代のギャバン主演作にデュヴィヴィエやルノワールの名作が多かったのも'30年代作品の比率を上げており、'40年代前半はフランスでは戦時下で映画製作数が激減しましたし、戦後も亡命映画人の帰国や復興が遅れた事情が戦後5年を経過した'50年からの活況にもつながったので、今回取り上げている『フランス映画パーフェクトコレクション』続刊の『嘆きのテレーズ』『情婦マノン』『暗黒街の男たち』3巻30作では年代順に並べてみると'30年代作品12本、'40年代作品9本、'50年代作品9本という区分になっています。今回は外しましたが続刊に9枚組の『ジェラール・フィリップ・コレクション』があり、フィリップは'44年デビューですから既刊分との重複を避けて'40年代作品4本、'50年代作品('53年まで)5本が収録されており、『フランス映画パーフェクトコレクション』既刊全10セット99作品(うちギャバン主演の'40年代アメリカ映画2本)では'30年代作品38本、'40年代作品29本、'50年代作品('53年まで)32本、という比率です。しかし'30年~'53年の約四半世紀のフランス映画の主だったところを97本(ギャバン主演アメリカ映画を除く)も観ればだいたいの流れはつかめますし、これだけの本数を観ようとすればつい最近までは何年、十数年もかけて特殊上映会や輸入映像ソフトのリリースをチェックしなければかなわないものでした。発売順の構成のためか今回の続刊分では'30年代のルノワール作品が集中しているのが嬉しくもあり、またかなりマニア向けのセレクションになってもいる一般的なアピールの低さも感じます。特に今回はルノワール作品2作に挟まれて『うたかたの恋』が入る、と年代順に並べた結果とんでもない順列になってしまい、普通こういった並びで今回の3作を観ることなどまず考えられないだけに、こういった無茶な観かたも一興という感じがします。

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●6月7日(金)
ランジュ氏の犯罪』Le Crime de monsieur Lange (Films Oberon'36.1.24)*77min, B/W : 日本未公開、映像ソフト発売
◎監督:ジャン・ルノワール(1894-1979)
◎主演:ルネ・ルフェーブル、フロレル
○ランジュは、出版社で働きながら小説を書いていた。借金だらけの社長バタラは、彼の小説で一儲けしようとするが、借金を返済しきれず夜逃げしてしまう。その後、幸せに暮らすランジュの前にバタラが現れ……。

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 シリーズ『フランス映画パーフェクトコレクション』でも犯罪映画ばかりを集めた『暗黒街の男たち』の巻に、同じルノワールの『十字路の夜』(メグレ警視もの)はともかく本作を入れるとはコスミック出版のセンスも相当なもので、『牝犬』や『十字路の夜』同様本作も日本劇場未公開のルノワールの伝説的傑作のひとつです。ルノワールのオリジナル脚本にジャック・プレヴェールに共作をあおぎ、プレヴェールを撮影現場につき添わせて即興的に書き直しては撮影されたそうで、ルノワール自身も本作がジャンル不明のよくわからない映画という自覚があり、好意的な評判を呼んで興行的にはかろうじて採算が取れたためようやく安心したそうで、ルノワールにはほかにも観たあと人に説明するのにどんな映画か伝えるのに困るような「ジャンル不明のよくわからない映画」がわんさとあります。一応情痴犯罪ドラマの『牝犬』や犯罪サスペンス・スリラーの『十字路の夜』、浮浪者によるブルジョワ家庭破壊コメディの『素晴らしき放浪者』もどんな話でどんな具合に印象に残ったかを説明するとなると筋だけ取り出すと陰惨だったり八方ふさがりだったりするのに映画の印象はそうではないので、ジャンル映画のエンタテインメント作品らしい約束事に沿っていないばかりかプロット、ストーリー、キャラクターの組み合わせで完成度を競う芸術映画の基準も度外視している。ルノワールは'30年代最後の『ゲームの規則』'39で群像劇規模の階級社会コメディで壮大な文明崩壊映画を作ってフランスの映画界に居場所を失いハリウッドに渡るのですが、同作の予見的内容は後世にはすっきりと伝わってくるものになったので、ルノワールの一見八方破れな映画が実は正確で天才的な芸術的直観力に基づくものなのが理解されるようになりました。それでも本作『ランジュ氏の犯罪』がどんなことを観客に伝える映画かは既成のジャンル映画とも芸術映画とも似ていないので社会派犯罪映画とも犯罪メロドラマともたまたま犯罪が絡む庶民人情劇とも言ってもズレてしまうので、タイトルが原題直訳の通り『ランジュ氏の犯罪』ですからそこに映画が力点を置いているのは間違いないのですが、実は犯罪ミステリーでも犯罪サスペンスでもなく、そもそも犯罪ドラマを描くのが目的の映画でもないのが本作をどんな映画と言えばいいのかよくわからない映画にしています。本作の前作『トニ』'34はイタリア人労働者の集団の中の犯罪で終わる情痴ドラマでしたが、情痴ドラマよりもイタリア人労働者たちの暮らしぶりをロケ撮影でのびのびと描くことが先にあって、そうした小集団の中で情痴ドラマが自然に発生もすれば犯罪によって決着がつくのをドキュメンタリー映画のように撮っており、傑作『トニ』は不評で興行的失敗に終わったそうですが『ランジュ氏の犯罪』は『トニ』のパリの出版界の労働者版と言ってよい内容で、ルノワールは自身のプロダクションで映画を製作していたインディー映画の監督ですが、続けて好評でヒット作になることがほとんどなく好評と不評、興行的成功と失敗をくり返し続けていたのに興行的失敗作の次にまた同じような作品で勝負する、と粘り強いのか単に作りたいものを作っていたのかわからないような人で、現在観ると『トニ』はルキノ・ヴィスコンティが助監督だったのもしかりと思う戦後のイタリアン・レアリズモに直結する内容だけにわかりやすく、かえって製作・公開時のフランスの政治的風潮が背景になっていて好評だったという本作の方がわかりづらいのです。英語版・フランス語版ウィキペディアから本作の概要、あらすじを抄出してみましょう。
○概要(英仏版ウィキペディアより) この映画は同年に大きな政治的勝利を収めると思われていた左翼政治運動・人民戦線の精神をこめたもので、脚本を監督ジャン・ルノワール自身がジャック・プレヴェールと共作し、ジャン・バシェーレが撮影に当たっています。
○あらすじ(同上) ベルギー国境近くの旅館で常連客たちが殺人指名手配犯のカップルが宿泊してきたのに気づきます。このまま国外に逃亡する気に違いない、と常連客たちは警察への通報を相談しますが、バーに降りてきた指名手配カップルの女、ヴァレンティン(フロレル)が通報する前にまず話を聞いて、と常連客たちに話し始めます。――出版社勤務の温厚な作家志望者ランジュ氏(ルネ・ルフェーヴル)は西部劇小説を書いて成功しようとしています。ランジュ氏の勤める出版社社長のバタラ(ジュール・ベリ)は愛人だったヴァレンティンも愛想をつかす浪費家で、横暴で独裁的かつ気まぐれな会社の経営を傾けさせた上に多額の個人的借金を抱え、債権者(ポール・デマンジュ)から逃走します。バタラは逃走中に乗った電車が転覆事故を起こしたのに乗じて、自分の事故死を偽装します。社長失踪と訃報で取り残された出版社の労働者たちは、興味を持った債権者の経済的援助を受けて協同組合を結成します。バタラの前妻の息子ムニエ(アンリ・ギゾール)はランジュ氏の友人で父親と違って労働者と対等に働く好青年で労働者たちにも信頼を寄せられ、協同組合が再建した出版社はランジュ氏の書いたカウボーイのアリゾナ・ジムの西部劇小説シリーズで大成功を収めます。アリゾナ・ジムの大冒険の内容は協同組合の現実の成功に沿ったものになります。また、ランジュ氏は隣人のヴァレンティンがバタラの元愛人とわかっても恋に落ちます。しかし出版社の再建と成功を知ったバタラが現れ、出版社の権利を取り戻そし資産を独占しようと野心を露わにした時、ランジュ氏は協同組合を守るためにバタラを撃ち殺します(タイトルの「ランジュ氏の犯罪」)。ランゲとヴァレンティンは、ベルギー国境近くの宿に立ち寄り、国外に逃亡しようとします。ここで、旅館の常連客たちはランジュ氏を指名手配犯と気づき、警察に通報すると脅迫します(映画はこの時点からさかのぼって語られます)。ヴァレンティンはランジュ氏の物語を常連客たちに話し、事情を知った常連客たちはランジュ氏とヴァレンティンが自由に国境を越えて逃げるのを見送ります。
 ――本作と同年のデュヴィヴィエ作品には『我等の仲間』があり、あれもコミューン生活の困難を描いた映画でしたが、問題意識としてはルノワールの本作と同じ人民戦線精神をあつかった映画だったわけです。ランジュ氏が書いているのが西部劇小説だったように『我等の仲間』は人情開拓村西部劇のような趣向があり、人民戦線うんぬんを置いても小集団の人間ドラマという切り口でわかりやすい映画だったので日本公開されて高く評価され(キネマ旬報ベストテン2位。同年1位フェデー『女だけの都』、3位ルノワールどん底』で、戦前日本公開のルノワール唯一のキネマ旬報ベストテン入り作品です)、『仁義なき戦い』や『機動戦士ガンダム』まで『我等の仲間』に着想を得たとされるほど影響力の大きい作品ですが、『ランジュ氏の犯罪』は戦前未公開が当然はおろか、今でも正式な劇場公開はちょっときびしいルノワール作品のひとつでしょう。ルノワール自身が十分な事情による殺人を容認している内容とばかりは決して言えませんが、独占独裁的な資本家が労働者たちの築き上げた成果をむしりとろうとした時にランジュ氏の決断した社長殺しはこの映画の世界の中では一種の正当防衛として許されているので、これはフィクションの中の正義として容認するにはあまりに現実に触れすぎる。ラスト・ショットで大地の向こうに去って行くランジュ氏とヒロインの姿は西部劇そのままで、ランジュ氏が書くアリゾナ・ジムの成功冒険譚も労働者たちが再建していく出版社の成功になぞらえたものになり、実際のモデルを使ってアリゾナ・ジムの広告・表紙写真を撮る宣伝広告作りのシークエンスもありますが、ランジュ氏は悪党退治をして去って行く西部劇の主人公のようにバタラ社長を射殺して去った、とも言えるわけです。社会派映画がしばしば犯罪映画になるのは社会問題というのは犯罪の発生と隣接しているからですが、そういう意味では本作は社会派犯罪映画の条件が揃っているとは言え、サスペンス・スリラーでもミステリーでもないので、ルノワールが描きたかったのは経営者がトンズラした出版社の労働者たちの協同組合による労働環境再建のドラマだったと思われる。しかし枠物語の仕組みでまず逃亡中の主人公とヒロインが宿屋で目をつけられ、ヒロインが語る形で放漫経営の社長の偽装事故死からランジュ氏と社長のまともな息子が協同組合とともに成功させる会社再建を経てランジュ氏が会社の復興を嗅ぎつけてきた社長を射殺するまでというプロットと語り口がどう働いたかと言えば、何か夢の中で物語が働いたような印象が残るのです。ルノワール自身が「現実は夢と似ている」という考えをインタビューでつねづね口にしており、それはルノワールの映画がリアリズムに徹すれば徹するほど夢のような印象を与えるのをルノワール自身が肯定しているのですが、どんな悪夢にも夢であるかぎり夢想ならではの開放感があるのと同様に『牝犬』や『十字路の夜』、本作も通り一辺の悪夢ばかりとは言えない要素があって、本作の主人公ランジュ氏は悪夢の主人公でもあれば作中いちばん幸せな登場人物の座をヒロインと分けあう男です。しかし本作はちょっと無条件にはお薦めできない、つかみどころがない(リアリティの基準が見定めづらい)ような映画なので、誰もが楽しめる映画とは言えない難があります。ルノワールの映画を10本前後かそれ以上観ていないと(あるいは観ていても)狐につままれたような気がするのではないでしょうか。

●6月8日(土)
うたかたの恋』Mayerling (Nero-film=Pax Films'36.2.29)*95min, B/W : 日本公開昭和21年('46年)11月19日
◎監督:アナトール・リトヴァク(1902-1974)
◎主演:シャルル・ボワイエダニエル・ダリュー
オーストリア皇太子ルドルフと男爵の娘マリアとの道ならぬ恋を描いている。実際にあった事件を映画化
した作品と言われ、ヒロイン役のD・ダリューの美しさが全編を通して溢れるメロドラマ。

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 本作もぎりぎり40代後半くらいの人まではテレビの地上波深夜放映でご覧の方もいらっしゃるか、50代半ば以降の映画好きの方はこれでもかというくらい何度もご覧になっているのではないでしょうか。アナトール・リトヴァクはロシア生まれ、G・W・パプストの助監督を経たドイツ映画界出身の監督でフランスに渡り、第二次大戦前にはハリウッドに渡って以降ハリウッドでの活動期間の方が長かったくらいなのでキャリア全体から言えばアメリカ映画の監督と言った方がいいくらいなのですが、日本では戦前作品ながら実際の宮廷スキャンダルを題材にした内容のため戦後公開になった本作が代表作となりました。もっとも本作は'56年にオーストリアで、'68年には英仏合作(ヒロインはカトリーヌ・ドヌーヴ)で再々映画化されており、リトヴァク自身も'57年にアメリカでテレビドラマ版でリメイク(ヒロインはオードリー・ヘプバーン)しているほどで、モデルになった事件は1889年ですから半世紀も過ぎれば時代劇です。身分違いの恋愛悲劇としては格好の人形浄瑠璃みたいなもので、バレエ化もされていれば宝塚の人気演目でもあり、原作小説があるといってもシャルル・ボワイエダニエル・ダリューという稀代の美男美女俳優が旬の時期に主演した映画ですから後続作品はリトヴァク監督のこの映画あってこそイメージが定着したと言っていい。渡米してからのリトヴァクは時期も時期だったからか戦争映画をいっぱい作っていて、戦争映画需要が落ちつくとメロドラマを始め何でも撮る監督になりますがまあ普通にちゃんと面白い作品ばかりで、そんなもんかと思っていたら昨年『ジャン・ギャバンの世界』で世界初DVD化?らしいトーキー初期作品『リラの心』'32を初めて観て驚愕しました。前年短編映画で映画デビューしたばかりのギャバンは娼婦のヒモ役で1曲歌うのですが、子どもたちが遊ぶ河川敷で発見される死体、ほとんど全編屋外ロケのパリの下町、水商売とヤクザの人間模様などベルトルッチの第1長編『殺し』'62にそっくりで、巨大セットでパリの下町を再現した同時期のルネ・クレールの映画のパリと全然違う素のままの下町とカメラに動じずだらだらまたはちょけまか動く本物の市民をそのまま背景にした犯罪映画の佳作で、低予算映画ならではのノン・スター、屋外ロケ映画でラングともルノワールとも違う、アメリカ映画の感触でもないトーキー映画のリアリズムをきちんと押さえている。ずばりヌーヴェル・ヴァーグ的と言っていい作品になっていて、ヌーヴェル・ヴァーグ的だから良いというのではなく何だっていいのですが、スタンバーグやクレールのようなスタイリッシュなサウンド・トーキー作品ではなく必要最低限のサウンドだけで卑近な現実を描いた手際は鮮やかで、ルノワールの『牝犬』のようなとんでもない映画ではありませんが真っ当な映画はこうであってほしいという誇張も虚飾もない仕上がりでリトヴァクという監督の資質と底力を見る思いがしました。とは言えリトヴァクの初期作品を他にそうそう観る機会はないので、フランス時代の代表作というと仏独合作のこの『うたかたの恋』になる。初めて観る人は十分ムードに浸れる悲恋映画だと思います。舞台の人気演目というのもわかる。舞台劇はくり返し演じられるにせよ一回性の強いものですから観ている観客にはいつでも初めての生々しさがあるのですが、映画も昔はそうそう何度も同じ映画に足を運ぶものではなかったので1度観て強烈な印象を残すように作られていたのが、本作のこってりしたムードを観ると思い知らされます。この映画はごく近代とはいえ1889年の事件を描いた時代劇で、仏独合作といっても19世紀末オーストリアの宮廷劇なんて日常的な空間ではまったくないわけです。ただしつい45年ほど前の近代だけに美術考証は非常に正確と想像され、宮廷というのはこんな舞台の上のような衣装で生活しなければならない空間だったのか、と美術や衣装だけでもムードの設定が済んでいる巧妙さは師のパプスト譲りです。日本初公開時のキネマ旬報の紹介をはさんで感想をつづけましょう。
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) オーストリアの皇儲ルドルフ、男爵令嬢マリイヴッセラの情死事件を描いたクロード・アネの小説をアナトール・リトヴァクが監督製作したもので、彼の出世作「最後の戦闘機」の脚色者ジョゼフ・ケッセルが脚色し、I・フォン・クーベが撮影台本を作成している。作曲は「最後の戦闘機」のアルテュール・オネガー、演奏はモーリス・ジョーベールが指揮している。撮影は「商船テナシチー」その他のアルマン・テイラールである。主演俳優は「運命の饗宴」のシャルル・ボワイエ、「禁男の家」「暁に帰る」「春信」「恋愛交叉点」「不良青年」のダニエル・ダリュー、外にコメディ・フランセーズ座のジャン・ドビュクール及びルドワの両名、尚「最後の戦闘機」のベルジュロン、マルト・レニエ、ヨランド・ラッフォン等である。
○あらすじ(同上) 十九世紀が正に終わらんとしている頃である。ヨーロッパに最古の王統を誅るハブスブルグ家に於ては、因習と頑迷のみがその宮廷を支配し、廷臣貴族たちはオペラ、舞踏、遊戯にのみ、その日を送っていた、聡明闊達な皇儲ルドルフ大公(シャルル・ボワイエ)は、ただ伝統のみに浸っているこの雰囲気に飽きたらず、折しも潮のように捲き起って来た社会主義運動に興味を抱き自由主義新聞社長セップス(ジャン・ダックス)を友人とし、学生の社会主義運動に自らの身を投じていた。オーストリア国政の実権を握る宰相ターフェ(ジャン・ドビュクール)は自己の牙営を擁護するため、この運動に大弾圧を加え一味を尽く投獄する一方、皇儲の行動を封じようと、無理押しにベルギー皇女(ヨランド・ラッフォン)を妃として迎えしめたのであった。国と家のためとの名目の下に、一切を犠牲に供さしめられたルドルフ公は、その忽瞞のはけ口を酒と女に求めた爾来幾年、日夜に亘る酒宴がつづけられ、鬱勃たる彼の英気はただそれに依ってしびれ忘れさせられていた。一日彼は遊園地にその徒然を慰めていたとき不図男爵令嬢マリイ・ベッセエラ(ダニエル・ダリュー)と知り合った。彼女の清純さ、飾らぬ美しさは強くルドルフの心を惹き、彼は激しい恋に陥った。しかしこの秘められた恋もやがて宰相ターエフの知るところとなり、彼の卑劣な手段によって、マリイは維納から遠く離れたトリエストの伯母(シュジ・プリム)の許へ預けられることになった。この世に只一つ、彼に与えられた真実のものマリイとの恋を阻まれ、凡て希望を失ったルドルフは、以前にもまさる激しい酒宴によってその淋しさをまぎらわしていた。幸いマリイは六週間の後赦されて帰ってきたルドルフは如何なることがあっても再びマリイと別れまいと決心し、ローマ法王に離婚の請願をし、彼女を正式に妃として迎えることにした。しかしこの願いは却下され父フランツヨゼフ帝は厳として直ちにマリイと絶縁することを命じた。ルドルフ公は決意を固めた。彼は二十四時間の猶予を乞い、維納からはるかに離れた荘園マイアリングでマリイと許された最後の時をすごすことにした。荘園は深々と白雪に埋もれていた。残された十幾時間を二人は子供のように遊び戯れた。そしてマリイが昼の疲れに安らかな眠りに落ちるのを見届けた後、ルドルフは最後の準備にとりかかった。一切の整理を終えたとき何時しか暁が白々と訪れていた。轟然たる一発の銃声。続いてまた一発、老僕が何事かと馳せつけたとき、その美しい顔に何の苦痛の痕を見せず死んでいるマリイの骸の上に、自ら心臓を撃ち抜いたルドルフ公が折り重なって息絶えていた。一八八九年一月三十日のことである。
 ――作曲がアルテュールオネゲルだったとは現代音楽の大家が映画音楽を手がけなければ生計が立たない事情はどこの国でも同じのようですが、本作の音楽は内容によく見合っています。シャルル・ボワイエ(1899-1973)はアメリカに渡りハリウッド俳優としても成功して生涯現役だった人ですが、闘病生活だった奥さんの没後翌々日に後追い自殺して亡くなっており、ロマンティックな役柄の多い二枚目俳優でしたからまるでボワイエ自身の演じてきた役柄のような死に方をした人です。本作撮影当時ボワイエは36歳、ダニエル・ダリュー(1917-2017)は芳紀18歳という組み合わせですが、実際のルドルフ皇太子(1858-1889)は心中時30歳、男爵令嬢マリー(1871-1889)は18歳で、写真で見る限り皇太子は若禿げ気味の老け顔で本作のボワイエは皇太子よりずっと若く見え、男爵令嬢は何というかぽっちゃりとしてダリューどころか失礼ながら農家の主婦のように見えます。王室のことですので事件の真相は完全には解明されておらず、この映画は原作小説に基づいて心中の同意のもとに皇太子が男爵令嬢を撃ち、それから自殺したというのが状況から類推される限度で、当初事件は極秘裏にされ検死結果ももみ消されたので、コテージ内に銃痕があったことと男爵令嬢の死亡時刻の方が先だったことくらいしか判明していない。実際は服毒自殺だったのではないか、また王室としては皇太子による無理心中につながる証拠はあったとしてももみ消したでしょうが、その逆も皇太子が愛人に殺害されたとして大事になります。公表された通りの事実以外は確認されずに現場の撤収と密葬が行われたとされており、また皇太子には複数の愛人がいて男爵令嬢に固執してはいなかったとも証言があり、さらに1983年になってオーストリア最後の皇后だった元王室の貴婦人が第一次大戦直前までに王室調査で判明した「ルドルフ皇太子暗殺」説を発表しました。そうであれば男爵令嬢はたまたま一緒にいて巻きこまれたことになります。モデルになった事件の不可解さの方が映画より面白いんじゃないか。シャルル・ボワイエという名優の方がフリッツ・ラングの唯一のフランス映画で泣けて泣けてたまらないメルヘン作品『リリオム』'34、レオ・マッケリーアカデミー賞作品賞受賞作のメロドラマ名作『邂逅 (めぐりあい)』'39、ジョージ・キューカーの傑作スリラー『ガス燈』'44とまだまだありますが(遺作は没後公開のアラン・レネの『薔薇のスタビスキー』'74だったはずです)、映画史に残る名作を股にかけてきて、70歳を越えて夫人の後追い自殺とは映画『うたかたの恋』どころではない生涯ではないでしょうか。本作について言えば宮廷の息詰まるような逼塞感がこりゃまともな人間ならやってられないわと絢爛豪華で窮屈空疎な世界を描き出し、皇太子と男爵令嬢の恋愛と心中はそんな世界からの唯一の脱出方法だったのが伝わってくる。ロシア(しかもウクライナ)生まれでドイツでパプストの助監督から映画監督になり、しかるのちナチス党の政権を逃れて出向先のフランスに居着いたリトヴァクならではの国際的な異国感覚あらばこそ描いた19世紀末のオーストリア宮廷の姿といえて、実はその辺が強烈なだけに初めて観ると魅了されるも何度も観直すにはやや飽きのくる映画とは言えて、もともと何度も観直すようには作られていない一直線の悲劇映画なのでリピート鑑賞が楽しめる音楽的(小唄的)な映画ではなく舞台劇的(音楽としてもオペラ、交響曲コンサート的)な見方で楽しむ映画でしょう。可憐な小品佳作『リラの心』も映画なら本作のような悲劇オペラ大作的作品も映画なので、このあとすぐにドイツのフランス侵攻を予期して渡米するリトヴァクがフランス映画界に残した置きみやげとしてはこのくらいは、巨匠パプストの弟子としてはやってのけておきたかった大企画だったと思われるのです。

●6月9日(日)
『ピクニック』Partie de campagne (Pantheon Production'36.5/'46.5.8)*40min, B/W : 日本公開昭和52年('77年)3月26日
◎監督:ジャン・ルノワール(1894-1979)
◎主演:シルヴィア・バタイユ、ジョルジュ・ダルヌー
○フランス郊外にピクニックに訪れたデュフール一家。デュフール夫人と娘のアンリエットは、二人の青年からナンパされ……。美しい情景描写とともに、娘と青年の淡く切ない一日限りの恋を描いたルノワールの名作!

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 父、オーギュスト・ルノワールの友人だった作家モーパッサン1881年の短編小説を原作にした本作をルノワールは'36年7月~8月の約40日かけて撮影したのですが、オール・ロケ作品のため天候問題で撮影がたびたび中断し、予定していたいくつかのシークエンスの撮影も済まないまま資金が底を尽いて俳優やスタッフのスケジュールも調整がつかず、そのまま中断してしまいます。ルノワールにはドキュメンタリー映画『人生はわれらのもの』'36と珍しくサイレント時代からの老舗プロダクション・アルバトロスからのジャン・ギャバン主演作の依頼が来ており(『どん底』'36)、ルノワールは中断した『ピクニック』の方は追加撮影なしでそのまま中編映画にまとめよう、と放置したまま『大いなる幻影』'37、『ラ・マルセイエーズ』'38、『獣人』'38とルノワールにしては珍しく好評作を撮りつづけましたが、何と実質的にルノワール自身が主演した一世一代の意欲作『ゲームの規則』'39が悪評まみれの上に興行的に惨敗し、基本的にフリーで自己のプロダクションで映画を作ってきたルノワールはフランス映画界で次回作が撮れる見込みを失います。ルノワールは秘書を連れて渡米しハリウッドの監督になり、フランスがドイツに侵攻されたので実質的に亡命者になりました。そのままルノワールは戦後の'51年まで帰国せずフランス国外で映画を撮り、前夫人とは亡命中に離婚が成立し秘書と再婚しましたが、'46年にルノワールの映画の編集者だったマルグリット・ルノワール(血縁なし、ルノワール名はルノワールの愛人だったことから自称)がプロデューサーの依頼とルノワールの許可を得て中編にまとめ上げたのが現在観られる『ピクニック』で、こうした成立課程を解説してもルノワールという映画監督の頓着のなさがうかがえます。公開されるや『ピクニック』はフランス映画の古典的名作、珠玉の小品と即座に欧米諸国の批評家に認知されました。'36年の未完成作品が未完成のまま第二次世界大戦をはさんだ'46年に公開されて新たな古典と絶讃を浴びるなどそれこそ'34年に早逝したジャン・ヴィゴの上映禁止作品『新学期・操行ゼロ』'33、無断短縮改題版しか公開されなかった『アタラント号』'34しかないので、ヴィゴの2本しかない劇映画がようやく完全な形で公開されたのは'45年末になってからでした。『ピクニック』も長らく日本未公開でしたが、'77年にやはりルノワールの未公開作品『素晴らしき放浪者』'32と2本立てで日本公開されました。日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
○解説(キネマ旬報新作外国映画紹介より) 田舎ヘピクニックに出かけた一家の歓楽と人生の一コマを描く。製作はピエール・ブロンベルジェ、監督・脚色・脚本はジャン・ルノワール、原作(新潮社刊)はギイ・ド・モーパッサン、撮影はクロード・ルノワール、音楽はジョゼフ・コスマが各々担当。出演はシルヴィア・バタイユ、ジョルジュ・ダルヌー、アンドレ・ガブリエロなど。2015年6月13日デジタルリマスター版公開。
○あらすじ(同上) 夏のある日曜日、パリで小さな店を持つデュフール(アンドレ・ガブリエロ)は、妻と娘と義母、そして使用人アナトール(ポール・タン)を連れ、ピクニックに出かけた。新鮮な空気、きらめく太陽、草のにおい。昼食後、デュフールとアナトールは昼寝、祖母は小径を散歩。自然の美しさの中、デュフール夫人と娘アンリエット(シルヴィア・バタイユ)は舟遊びの青年アンリ(ジョルジュ・ダルヌー)とロドルフ(ジャック・ボレル)に誘われる。岸に舟をよせ、抱きあうアンリとアンリエット。彼女の頬に一条の涙が……。やがて大つぶの雨が、嵐にかわってゆく。数年後の日曜日、アンリは忘れることのできない想い出の河畔で、アナトールと結婚したアンリエットと再会する。そして言葉を交す。「よくここへ来るよ、素晴しい想い出のために」。「私は毎晩想い出すヮ」。
 ――この映画は「数年後……」と字幕タイトルが入って最後のシークエンスに飛びますが、本来は時間経過を表すシークエンスなりショットなりを撮影する予定だったのが中断作品になって「なければないで中編映画にまとめよう」とルノワール自身が放置したので、『ピクニック』を編集・完成させる前にルノワールは『どん底』から『ゲームの規則』までの充実期に入ったせいでどんどん完成が先送りされた。その上アメリカに行って亡命生活になるという具合に本作の未編集フィルムはフランスで眠っていたので、当分ルノワールが帰国しないなら完成させてしまおうとプロデューサーが腰を上げたものです。編集したのがルノワール映画の編集者で元愛人の自称マルグリット・ルノワール(笑)と、実際ルノワールの帰国はさらに5年後の'51年ですから、ルノワールの凱旋帰国に花を添えることにもなったわけです。監督が映画を未完成のまま放置しているのを許していたプロデューサー、ちゃっかり手柄を立てた元愛人のフィルム編集者(これは一種の慰謝料仕事だったのかもしれません)と、ルノワールまわりの人たちも大したもので、プロデューサーのピエール・ブロンベルジェ(1905-1990)などは18歳でプロデューサーになりルノワールの監督デビュー作『水の娘』'25以来のつきあいで、ブロンベルジェは'50年代~'60年代にはメルヴィルアラン・レネゴダールトリュフォーのプロデューサーにまでなる人ですからフランス映画の影の大黒柱みたいな存在です。たった一日のピクニック、しかも突然の雨で中断したピクニックこそ、その日出会ったきりの青年にとっても娘にとっても生涯忘れられない一日になった、というだけのこの小品が、何度観ても必ず決まったところで胸に迫り、思い出しただけで涙が浮かんでくる映画なのはある程度生きてきた人間には普遍的な人生の真実を突いているからで、青年が娘にキスを迫り抱き合ったその瞬間に降り始める雨、ボートで彼岸まで渡ったその川面に降りそそぐ雨は、別に何の象徴でもなく雨そのものであることで誰もが経験のある驟雨から感じる痛覚をえぐってきます。人生のたった一日だけのあの感覚、突然の雨が呼び覚ます感覚を知っている人であれば、この映画はこの上なく痛切に生きることの切なさに訴えかけてきます。こういう映画を直観だけで作ってしまうからルノワールという映画監督は途方もない人で、しかもこれは未完成作品なのです。