人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

日本一のブラック企業

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 アメリカのSF作家シリル・M・コーンブルース(1923-1958)に、ギャング(マフィア)組織(Syndicate)が国家を統治するパラレルワールドの現代(20世紀中葉)アメリカを描いた風刺ユートピアSF長編『シンディック(The Syndic)』'53(翻訳・サンリオSF文庫)という尖鋭的な発想の傑作があります。これはコーンブルースフレデリック・ポールと共作した未来SF長編『宇宙商人』'53と対をなすもので、『宇宙商人』の惑星間植民の進んだ未来社会では各国の政府・政権は全宇宙社会規模の巨大広告代理店グループに支配されている、という設定でした。『シンディック』や『宇宙商人』の面白さは経済原則が国内外の政治を左右している、という社会人年齢以上の認識がないとわからないもので、ティーンズや学生のSF読者には何だかわからないようなものでしょう。

 イギリスのSF作家キース・ロバーツのパラレルワールド長編『パヴァーヌ』'68は産業革命を経たものの蒸気機関(内燃機関)も電化製品も開発されず手工業技術の高度化した発展のみによって発達した20世紀イギリスという、SFの科学主義へのアイロニーを含んだ作品でしたが、コーンブルースの『シンディック』はもっと辛辣です。ロバーツの『パヴァーヌ』は科学技術ではなく手工業技術による民主主義ユートピア社会を描いているのですが、『シンディック』はギャング(マフィア)が統治する現代アメリカを描き、それが議会政治と本質的には変わりがなく、しかも議会政治よりも融通の利き公平な民主主義の実現した理想的(と少なくとも作中人物たちすべてが信じている)なユートピアとしてドラマを描いています。『パヴァーヌ』のイギリスには王室の存在する余地がありますが、『シンディック』のアメリカは現実にそうであるように王室・皇室といったものはないし、大統領に相当するのはギャングのボス(マフィアのドン)です。

 では『シンディック』を日本に置き換えて政府ではなくヤクザが統治するとすると、『シンディック』のようになるかというとやはり皇室が問題になってきます。昭和天皇は前半生を現人神、後半生を極力皇室を政治に関わらせないように生きた天皇でした。もちろん内閣による大東亜戦争~太平洋戦争の大失敗がその前半生と後半生を分けるきっかけなのですが、昭和天皇自身は戦前から政治に対して醒めていたと思われる。現上皇である平成天皇が勤めて政治に距離を置きマイホーム主義イメージを貫いたのも先考である昭和天皇から学んだことでしょう。今は上皇上皇后が健在なので、皇室は上皇夫妻と現陛下・皇后の二世帯皇室の観があり、上皇夫妻の家庭主義が継承されていると思えます。家庭主義・家族主義とは要するにファミリーを重んじるということですから、もし『シンディック』日本版で任侠組織を政府に代わるものとしても家族主義の面で皇室の存在は許容・推奨され存続する、と考えられる。家族主義に対立するものこそが議会制政府という組織的発想ですから。

 現在立憲制国家に生きている人類は、どのような制度であれ自国の憲法・司法が一定の理想に基づいており、生活の満足度に比例してそのまま自国の憲法・司法に肯定的であり、常に法は自分を守ってくれるものと盲信しようとしていると思われます。個人として国家に対立する、という身にしみる体験はめったに遭遇することがないので、国家というのはどこの国であれ国籍を有する人間にとって最大のブラック企業である、という基本認識は稀薄でしょう。日本の場合明治以来常に国民は政府にとって使役と搾取と投機の対象にされてきた。それが150年あまり続いてきただけに、例えば日露戦争後~昭和5年前後までのような、まだ自治地方藩の記憶のある日本人の世代による国家独占資本主義の抜本的革命が可能性としてだけでも考えられることがない。無数の小ブラック企業がひしめき国家規模の癌細胞を形成する、誰もが恭順に使役され搾取されるユートピアならぬディストピアです。しかしブラック企業とは一方では私益の分配にも利している上に、新たな制度はかなりの面で現行制度を踏襲せざるを得ない。古典SF『シンディック』や『パヴァーヌ』のような想像力で21世紀の日本の国家構造をパラレルワールド化するのも困難なのは、現実の方がはるかにブラックだからかもしれません。

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