人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

西脇順三郎「最終講義」(詩集『豊饒の女神』昭37年より)

詩集『豊饒の女神』思潮社・昭和37年8月1日刊

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慶應大学退官後の西脇順三郎(「別れの花瓶に/追放人のエジプト人の頭がうつる/この長頭形の白雲の悲しみ」)

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 ヤフーブログ最終更新日は西脇順三郎(1894-1982)の68歳時の名詩で締めることにします。西脇はイギリス留学後の大正15年(1926年)に慶應義塾大学文学部教授に就任し、昭和37年(1962年)1月末に同大学を定年退職するとともに最終講義を行いましたが、直後に最終講義を迎えた心境を綴った長詩の構想を得て書かれたのがこの詩「最終講義」です。大学教授の最終講義は本人の学問の履歴を懐述するのが求められるため詩も西脇順三郎の自伝的内容になっており、しかも西脇が極端な博学・雑学で自動連想的に知識の断片が突飛に現れ、しかも一見して気づかないようなパロディが満載されており(例えば「わかれても/まだこの坂をあがらなければならない」は百人一首の「これやこの行も帰るも別れてはしるもしらぬも相坂の関」のパロディですし、「フランス語は猿ということしかしらない」はボードレールの「赤裸の心」の「日本人は猿だと教わった」への当てこすりです)、全編がその調子なので、古今東西の固有名詞とともに字義通りに一字一句を読者が理解するとは前提とされずに書かれた詩ではあります。頭の堅い精神科医なら「躁的思考奔流」でかたづけてしまうようなテキストではありますが、音読ではなく黙読する長詩としても西脇順三郎の語感やリズムに表れている言語センスは大詩人ならではのもので、これが退職前夜の高齢者の心境詩として無類に面白い詩なのは伝わってくる。この150行以上の長詩の結びの2行までお読みいただければ、あちこちわからないことだらけなのに確実に言いたいことを語りきった作品なのが響いてきます。



  最 終 講 義     西 脇 順 三 郎

けやきの木がまたかれている
先生の窓に梨色のカーテンがかかつている死の床の上で
なければタバコを
すわないと叫んでみても
やはりあの古いネツケがすいたい
まだこの坂をのぼらなければならない
とつぜん夏が背中をすきとうした
石垣の間からとかげが
赤い舌をペロペロと出している
とりかぶとと葡萄の汁がにじみ出る
舌はかわいて煉瓦のように
かたくなつて言葉が出されない
この恐怖の午後
でも何ごとか自分のことを
言わなければならないのだ
何ごとか感謝すべきだ
いつしよに酒をのんだ人達の前で
別れの絃琴をひかねばならない
別れの花瓶に
追放人のエジプト人の頭がうつる
この長頭形の白雲の悲しみ
この黄色い菊のにおいをかぐと
長安の都をおもうばかり
この去る影は枯れた菫の茎に劣る
えど川のかれすすきの原のほとりで
こいこくとこいのあらいで
わかれの酒をすすつた
白秋も荷風もまだささやいている
ママでは紅梅の梅が蕾を出しているだろう
昨夜はシバマタからアルビヨンへ
車を走らせてわかれのビールを飲んだ
灰色の古いステッツスンの帽子は
夕陽にそまつて茄子の色になり
シャツもウルトラマリーンにそまつた
エロスもミソサザイも去つた
キシボジンの雀もたべられない
王子の狐もいなくなつた
地獄篇をさまようイサラゴの
絶望の三人の男は
ドジョウのように灰色になつた
アカバネの崖から
ダムプカーといつしよにほこりをのんで
土手の下をぐねぐね永遠にまがつて
江戸川へわかれの言葉を探しにきた
ガスタンクと煙突の幽霊と
ワイルドの牢獄とつみ草の土手は
われわれの神学の初めとなる
土手を行くものは自転車にのる
少年と赤毛の犬だけだ
つれの浅草人はヘラヘラの
こいの皮を食べてシャラクを思つていた
シャラクのめとマラルメのめ
つり人もいない
「土手がたかくてあがれません」
「しきいでしよう」
かつしかの娘たちよ
わかれの言葉を教えておくれ
ああ言葉のわかれ
三人の男は無限にむせんだ
わかれはすべての存在を語る
「わかれの言葉に論語をやつたら」
「最高の人生は政府につとめることであるとはどうかと思う」
地獄への旅だ
この江戸川の酒のトックリに写る
けやきの木
白魚の雲
今宵はだんなの
豆まきか
かつしかの芸者がけずねを出して
水仙のもすそをまくる日だ
もうかつしかには春が来た
冬のわかれの言葉は一つや
二つ出そうなものだ
あら川のアポロン
えど川のニムフよラムネよ
れんげいぬのふぐり
さんがいぐさつくしを
つみにいくよ
ねざめが悪い
わかれても
まだこの坂をあがらなければならない
この坂の上で死神と将棋をうつのだ
夕べはシバマタから
シンクレア・ルイスの伝記を買いに
ギンザへ車を走らせた
苦しんだ人間はセザンヌの壺のように
美しい
でもわたしはわたしのことを
何かいわねばならない
雀が鳴く朝までおきていて
何か考えなければならない
オリオン座が女のように
傾いているだろう
梅の蕾が心配だ
霜の下りた芝生の上に
フランスからもらつた白ペンキを塗つた
椅子とテーブルがマラルメのように
曲がつているだろう
わたしはわかれたくないのだ
何もいうことはない
誰かあいそづかしをいつてくれないか
わたしはギリシャ語もラテン語
やつたが何も覚えていないな
ドイツ語もやつたが株式会社と金と
いう言葉しか覚えていない
フランス語は猿ということしかしらない
ヴェルテルのピストルの女神しかしらない
射的場の土手でシモンズを読んでいた
自分をかすかにおぼえている
あのフランシス・ジャムの帽子のつぶれ
ペーターの林檎色のネックタイのくずれ
藤島先生が小豆色の菊をわたしに
書いてくれたあけぼの町や
大森の麦畑と白いペンキのホテル
せんぞくの肥舟とサンマと染物屋と
ためいけのストーヴとモデル女と
青山の墓地と百日紅とカンヴァス
タンス町の夕暮とチンドンヤ
六丁目の金魚やとガラスや
イングラムの経済学史とマルクスのカピタル
上田敏のとなりのお湯屋
小泉信三共産党宣言
幽霊坂とアレンのラテン文法
イェイツと図書館のバルコンと
白鳥の歌と目黒のイチゴと
おけしよう地蔵とマクベス
アンナ・カレニーナと財政学と
人糞を運ぶ牡牛とアイヴァンホー
易経とアンドロメーダ
記憶はタラコのようにオジュッセイアの
ように切つてのら犬に与えよ
男の座は土手のむこうにある
ヒスイのえど川よ静かに流れ給え
このかつしかの水鳥よ
シギの声をまねる男よ
だがしを売るガラス坂よ
汝等の歌が終るまで
えど川はこんぺきに流れる
イチフォリークのランボは去る
ミチファリークのジョイスは去る
えど川にボラを釣る人の
水晶の夢も去る
白秋の行く道はまだ
向うがわに残つている
きちがいの女たちがうつ法蓮華草の
たいこはイモを作る人々や
水あびをする少年にきこえる
わかれの言葉はきこえないが
いぼたに白い花が咲くころ
またミミナグサの坂をのぼる
ベーオウルフをささやいてみる
「ホワット ウェー……」
また追放の人はかえるだろう
また夜があけた
梨色の……
なんにもない野原はかすむ
ホー

(昭和37年3月「詩学」、第7詩集『豊饒の女神』昭和37年8月・思潮社に収録)