熟成した自然主義小説『シスター・キャリー』1900でデビューしたセオドア・ドライサーがようやく認められたのは第三作『巨人』1914からで、ゾラや藤村が自国で自然主義小説の時代を築いたようにはいかず、ドライサーはアメリカでは孤立した存在でした。ドライサーと同時代のアメリカ小説はエレン・グラスゴー、ウィラ・キャザー、またイーディス・ウォートンら女流作家の穏当な作品が好評を得ていたのです。
アメリカに自然主義が浸透したのはシンクレア・ルイス『本町通り』1920と『バビット』1922が大ベストセラーになり、シャーウッド・アンダソン『ワインズバーク・オハイオ』1919が批評家と新鋭作家に注目されたことによります。ただしそこでは自然主義はすでに解体途中にありました。
アメリカ自然主義小説最高の達成はアンダソンの『貧乏白人』1920、ルイス『バビット』、ドライサー『アメリカの悲劇』1925の三長編でしょう。アンダソンの最高傑作は『オハイオ』ですが、自然主義小説としての評価ならこちらの作品になります。これらはアメリカ社会の病巣を鋭く突き、20世紀以降、と限定すれば時代を越えた普遍性を備えています。
これらが外国の読者にも訴求力を持つのは、アメリカという民主主義と資本主義の実験国家ではどのように人間性が荒廃していくかを克明に描いており、20世紀後半からのアメリカは経済的にも文化的にも、また軍事的にも世界の情勢を左右しているからです。中国や旧ソヴィエトも経済力でかなわないばかりか、アメリカはすでに20世紀初頭から世界でもっとも魅力的な文化を生み出してきました。具体的にはポピュラー音楽と映画です。
しかし経済的繁栄、政治的威力、魅力的な文化の背後にはこれまでの人類史にはない種類の、というのは民主主義と資本主義を両軸に据えた大国自体が人類史初だったからですが、これまでにはない人間性の悪、社会的な悪が発生しました。映画では1910年代からすでにテロや強奪、密売を目的にした秘密組織が描かれています。初期自然主義作家フランク・ノリスの作品を原作にした『小麦の買い占め』や『グリード』もサイレント期の傑作です。
ですがポピュラー音楽や映画は大衆文化であり、倫理コードはまだまだ厳しいものでした。そこで20世紀前半のアメリカは自然主義の存在価値があったのです。